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第2章
こんなキス知らない
しおりを挟む「本当は私今から20kg位太ってて、よくデブス、デブスってからかわれてたの。こんなしょうもない私、絶対この町からは一生出られないんだって諦めてたけど、今じゃこんな高級ホテルでこんなハイスペックな男と、こーんな夜景見ながらシャンパン飲んでる。本当人生捨てたもんじゃないよね」
「……ハイスペックって程じゃないだろ」
誉め言葉のつもりでいったのに、社長さんの顔はどこか浮かない。謙遜とかじゃなくて、本当に人にそう思われていることを嫌がっているように聞こえた。
それに納得がいかなくて、更に社長さんを褒める。
「私が今まで出会った男の中で一番ハイスペックだよ。今まで確かに、五大商社マン、若手社長、三大士業、ドクター、1000万から3000万クラスの人達はいたけど、皆性格や外見に何かしらの欠点があった。だけど社長さんはパーフェクトっ、今まで会った中で最上級の一番良い男だよ」
「はいはい、それはどうも」
「そりゃ最初はちょっと苦手意識あったけど。こんな凄い人と、こうやって面と向かって話してるだけでも、あのデブス時代からじゃ想像もつかない。あの頃に比べたら成り上がったものだよね。何が魂胆なのか知らないけど、こんななんもない私にひと時の夢を見させてくれて、今日は本当にありがとうございました。冥途の土産話にしたいと思います」
「大げさだな」
「だってね、私の人生ね、下剋上なの。0、いやマイナスから始まった人生だったの」
こんな話つまらない、そう思っても滑り出した口は止まりそうにない。
「うちのお母さん、私が小さい頃からころころ男変えてさ。精神的にちょっと幼い人で、子どもの私より完全に男って人だった。その相手が皆、本当どうしようもない奴ばっかりでさ、女は男で幸せになるか不幸になるかって、そこで学んだよね。だから私は絶対良い人見つけなきゃって、貧乏は嫌だし、ギャンブル、酒に依存する男も嫌。怒鳴る男とか殴る男なんて論外。私は絶対お母さんみたいに毎日泣いて暮らしたくないから」
「それでセレブ結婚相談所に入会したのか?」
「そう、もう誰かに委ねたくて。自分の人生最悪だから、どんな手を使ってでも方向修正しなきゃって。だって結婚って人生一発逆転の大チャンスでしょ?これをモノにしなきゃ私の人生落ちぶれたまんまだもの」
「最初から好きな人と結婚っていう考えがないんだな」
「ないない、そんな夢ばっか見てらんないの、私が見てるのはシビアな現実だけ!愛は人を裏切ってもお金は絶対に裏切らないでしょ?お金からその人に愛着が湧くことはあっても、愛からお金は生まれないの。これがこの世界の理なの」
「……へぇ、じゃお金があれば誰でも良いんだな?」
「まぁ見た目はどうでもいいよね。デブでもハゲでも、年収次第じゃ40過ぎだって良い。性格だってある程度は目をつぶる。ただ、私に惜しみなくお金を使ってくれる人だったら。私は何よりお金にときめきを感じるから」
……やば、私酔っ払って調子に乗って喋り過ぎじゃない?
しかも、この人の機嫌どんどん悪くなってる気がするんだけど気のせい?
なんなの、この人のスイッチ本当分かんないんだけど。
「……お金もらって、関係を持ったことあるのか?」
「え?あー、きょ、興味あるよね。今ちょっと流行ってるじゃん、パパ活とかさ。お金持ちのおじさまとデートするだけでお金もらえるやつ」
どんな返事をすれば正解なのか分からず、あえて明るく振舞う。しかし、それとは裏腹にどんどん雲行きが怪しくなっていく社長様の表情。
なんなの、猫かぶってた方が良かったの?
「じゃ、もし一回10万払うからキスさせろって言われたらする?」
「するする!一回10万とかやばいでしょ」
「そう、じゃしようか」
……は?
今、なんと。思考回路が追い付かなくて、私の頭は機能を停止する。
今日一番重苦しい雰囲気、この沈黙に耐えきれず、冗談でしょと笑って見せると、腕を引かれてすぐ隣の大きな窓へ背中を押し付けられる。
「え、本気でするの……っ?」
「自分でするって言っただろ」
「だ、だって、全然そんな雰囲気じゃなかったじゃん」
そんな甘い雰囲気じゃなかったじゃん、むしろどっかの誰かさんの機嫌が悪くなって殺伐としてたじゃん。
ネクタイをゆるめて、私の足の間に割って入ってくる。
これじゃもう逃げられない。顔をくいっと掴まれて顔が近づいてくる。
「ま、待って……っ」
なんで、なんでこんなに胸がざわつくの。
本当、私、どうしようもない。
こんな訳分からない、社長様の気まぐれに、胸ときめかせてるなんて。
「ま、待って、グラス取って、もう少し酔いたい」
「それ以上酔っ払ってどうすんだよ」
「あとで、忘れられるように……っ」
「忘れられると思ってんの?」
意地悪く笑った後、その唇が私の口を塞ぐ。
びっくりして、その胸をぐっと押して突然の口づけから逃れると早口でまくしたてた。
「ま、待って、言っとくけど私、数年前までデブだったし、化粧の仕方も分かんないようなブサイクだったし。痩せたあと初めて付き合った正吾とさえ、彼も奥手だったからあの頃は笑っちゃうようなお付き合いしてて。まともなキスだって数える位しか、」
すぐそばにある彼の顔から必死に顔を背ける、恥ずかしさでどうにかなりそう。
「……知ってる」
「え?私のデブス時代を?」
「そろそろ黙ろうか」
飲む?そう言って、テーブルからグラスを取ってくれた社長の手から、グラスを受け取ろうと手を伸ばしたところ、そのグラスはそのまま社長の口元へ運ばれた。
シャンパンを口に含むとそのまま再び口づけされる。
そのまま送り込まれる液体、どうしたら良いか分からず眉をひそめると、私の顔を見据えるように見つめてくる。私が困惑していることに気付き、私の喉仏に骨ばった親指がなぞる。
まるで飲むように促されるように、従うしかなくてこくんと喉を上下させてその液体を飲み込んだ。
……頭がクラクラする。
いつの間にか、口の端から漏れたシャンパンが顎を伝っていく。
社長の大きな手が私の髪、頬に優しく触れてまた唇を塞がられる。
こんな甘いキス知らない。
胸がどんどん苦しくなる。
息継ぎも分からなくて、社長の胸を手で押すとその手をとられて、固い窓へ縫い付けられる。
このまま、キス以上のことをされてしまうんだろうか。
目をぎゅっとつぶると涙が零れ落ちてきた。
もうどうしたら良いのか分からなくて、頭が真っ白になって何も考えられなくなる。
触れた唇、手、頬に全神経が集中して、触れたところから熱を帯びて行く。
体がふるふる震えるのが自分でも分かった。
胸がきゅっと締め付けられる。
どうして?
なんで、この人にこんなにときめいてるの……?
気付いたらボロボロ涙を流していた。
「……なんで泣いてんの?」
「え?」
「お金にときめくんだろ?」
そう言って私の体から離れる。
こ、これで、終わり……?
いきなり嬉しそうな彼。
一体今までのはなんだったっていうの。
「今日もう泊まって行くだろ?明日の服手配させておくから。心配しなくても、これ以上は何もしない」
これだけ人の気持ち振り回しておいて、去り際あっさりし過ぎじゃない?
だけどここで終わってくれたことに、心底ほっとする。
「明日も早いし、もう寝た方が良い。俺もシャワー浴びたら寝るから」
「……う、うん」
「おやすみ」
そう言って微笑むと私の頭をくしゃっと撫でる。
その瞬間、かぁっと頬に熱が集まってくる。
……だめだ、こんなんで舞い上がっちゃいけない。
簡単にほだされたりしちゃいけない。
こんなの、社長さんの気まぐれの遊びなんだから。
そうじゃなきゃ、社長さんが私にキスをする理由ないもの。
考えてみれば、営業先の相手の女なんて使い捨てにもってこいだよね。
期限付きの相手だし、職場で毎日顔を合わせる訳じゃないし。
私も27才だ。
それなりに恋愛も経験してきた。
本命の相手にはこんなことできない。
だから簡単に自惚れたりなんてしない。
社長さんにとって、所詮私はどうでもいい女の一人だ。
その日、社長さんより一足先にベッドに入ると、ふと昔のトラウマが蘇ってきた。
こんな良いとこに泊ってるのに、どうしてこのタイミングで思い出してしまうんだろうか。
そうか今日は、近くに泊まっているから……。
それは、初めて上京して六本木のクラブに来た時のこと。
東京に来たばかりで右も左も分からない、オシャレも化粧も知らないデブスだった頃の話。
車のライトや店の明かりで街中がライトアップされて綺麗で、あぁ東京に来たんだなって感動したあの日。
この街にお前はふさわしくないと放り出されたのだ。
……そう、私は昔、この街で人生最大の屈辱を味わった。
だけどおかげで良い出会いもあった。
あの人のおかげで今の私がいるようなもの。
『君は絶対に、誰よりも可愛くなるよ』
その言葉を信じて今まで努力を続けてきたのだ。
笑った奴らを見返したくて、必死にダイエットして化粧を覚えたのだ。
そして一番にあなたに変わった私を見て欲しかった。
なのに、もう会えないなんて。
思えば、その人がちゃんと好きになった最初の人だったのかもしれない。
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