新月の光〜月なき夜に君は輝く

恵あかり

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第一部 星誕

第三二話 春風間近く君の声

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 長い冬が、ようやくその時を終えようとしていた。
 惨劇の記憶はまだ新しかった。
 だが、結果として、東雨を帝から離すことは叶った。
 あれほど、犀星と玲陽の元に戻り、二人を守るのだ、と張り切っていた東雨だったが、案の定、無理がたたって患部に一部に化膿が見られたため、ほぼ座敷牢のように閉じ込められる羽目になった。
 少し前までは、玲陽がこうして、怪我人として心配され、自分はそれを看る立場にあったのに、すっかり逆転してしまった。
 そんな東雨に、家のことをさせるわけにはいかない、と、逆に犀星と玲陽が彼を気遣う日々だ。
 ようやく春めいてきた今夜もまた……
 東雨の代わりに、料理は全て玲陽が準備を整えていた。
 手伝う、という犀星の申し出は、あっさりと却下された。というのも、犀星の味音痴は、玲陽のよく知るところだ。
 昔から、玲芳以外の家族に嫌われていた玲陽は、逆に使用人たちと仲が良かった。そのため、自然とさまざまな料理を覚えては、犀星に食べさせてきた。しかし、どんなに味付けを間違えても、犀星はそれにさえ気づかず、ただ、美味いという一言で、全て平らげた。
「兄様の味覚は信用できません」
「そんなことはない!」
 厨房で、犀星と玲陽は食材を前に睨み合った。二人がこんな顔をするのは珍しい。しかも、その理由は、食事をどちらが作るか、という、極めて大勢に影響のないものだ。
「お前が作るものは、皆、美味かった。本当だ」
「それはおかしいです」
 玲陽も引き下がらない。
「確かにうまくできた時もありましたけれど、大体は調味料や香辛料の分量を間違えてしまって、気に入らなかったんです」
「それは、お前の味覚が鋭すぎるからだ」
「いいえ、兄様が鈍感なんです!」
「お前が作ったものが不味かったことなど、一度もない!」
「そんなお世辞は要りません!」
「お前相手に世辞など言うか! わからず屋!」
「頑固者!」
「ああ、頑固で結構だ! とにかく、お前は休んでいろ」
「また、そうやって開き直って! いつまでも、私を怪我人扱いしないでください!」
「お前の手料理を、他の奴になんか、食わせたくない!」
 怒鳴った犀星の言葉に、玲陽が一瞬、黙り込む。
 言ってしまってから、犀星の方も、しまった、と顔を背ける。
「……私の料理は、人に食べさせられないほど、美味しくないのですか?」
「ち、違う! そうじゃなくて……」
「我慢して食べてくれていた、ってことですか?」
「陽、違う! 誤解だ!」
「だって、そうじゃないですか!」
「そうじゃないって!……嫌なんだ。お前は……その……」
「なんです?」
 玲陽は不機嫌なふりをして、斜めに犀星を睨む。
「だ、だから……」
 反して犀星は耳まで赤くして、言葉を飲み込む。
「その……」
「はっきり言ったらどうなんです?」
 こういう時の犀星は、からかい甲斐がある、と、玲陽は楽しんでいる。
「お前は……ああ! もう!」
「うわっ……」
 犀星は、力づくで玲陽の二の腕を掴んで引き寄せ、抱きしめた。
「これでいいんだろ!」
 玲陽は黙って目を閉じた。
「何でお前は、そうやって俺を煽って……」
 文句を言いながらも、体は正反対に玲陽を抱き、首筋に甘く噛み付く。面纱が揺れて、玲陽の肌にさらさらと触れる。
「俺にどうしろって言うんだよ……」
「こうしていて欲しいだけですよ」
 玲陽は優しい声で囁いた。こうなると、犀星も止まれない。首から肩へ甘噛みしながら、着物に手をかけ、玲陽の細い肩に沿って引き下げて……
「おい!」
 どうしていつも、こう、唐突なのだ。
 犀星が反射的に振り返ると、そこには涼景が荷物を抱えて立っていた。その後ろには、にんまりと笑みを浮かべた蓮章までいる。
「食べる前から、ご馳走様」
 蓮章が、二人を冷やかした。
「な、何で裏口から入ってくるんだ!」
 犀星は顔を火照らせたまま、抗議した。
「馴染みの飯屋で夕食を買ってきたから、直接厨房に運んだ方が早いと思って」
 涼景が、無表情で荷物を犀星に押し付けた。
「美味いぞ。まぁ、お前にとっては、陽の手料理に勝るものなし、だろうけどな」
「……いつから聞いてた?」
「さぁ?」
 涼景は遠慮なく屋敷に上がると、
「蓮章、燗を頼む」
「はいよ」
 犀星と玲陽は、二人の勢いに負けて、蓮章に厨房を譲る。
「陽は東雨の分を持っていってやれ。星は人数分の漆器を用意しろ」
 さっさと居間に灯りをともしながら、涼景の指示が響く。
「ここは戦場じゃない。勝手に仕切るな」
「お前に任せていたら、料理が冷める」
 勝手知ったる人の家、もとい、ここは涼景の別宅だ。卓を囲んで椅子の準備をしながら、涼景はてきぱきと動いている。
「あいつらしいなぁ。親王殿下を顎で使うんだから」
 蓮章が楽しそうに笑う。つられて、玲陽も笑顔になる。
 笑いあう二人を見て、犀星が焼きもちを焼いたような、複雑な表情を浮かべたのは、言うまでもない。
 互いの仕事を手伝いながら、手早く四人は夕膳の支度を整えた。
 あまりに庶民的な日常だが、一人だけでも、国を動かすほど有能な者たちである。それが揃って夕餉の支度をしているのだから、これほど贅沢な人事はない。瞬く間に用意が整う。
「わぁ、綺麗ですね!」
 玲陽が、初めて見る都の料亭料理に歓声をあげる。食材の色合いだけではなく、細工の施された華やかな盛り付けに、興味をそそられたらしく、どうやって作るのか、と、じっくり観察を始める。玲陽の研究熱心なところは、あらゆる方面で発揮されるらしい。
「少し、食べてみるか?」
 涼景が、玲陽でも口にできそうなものを選び、皿にとってやる。
「俺がやる!」
 横から、犀星が押しのけてくるが、涼景も負けじと押し返す。
「まるで子供の喧嘩だな」
 蓮章が、二人を見て、満足そうに笑った。彼は酒が中心で、ほとんど食べ物は必要としない。
「陽、お前、本当に可愛がられているんだな」
「え?」
 蓮章に言われて、玲陽は嬉しいような、困ったような、微妙な表情を見せた。
「ふーん」
 何かを得心したのか、蓮章は盃の向こうに、美しい玲陽の顔を眺めた。

 酒好きの割に、さほど強くはない二人が飲み比べてあっさり潰れると、玲陽と蓮章はやれやれ、と肩を落とした。
「うちの親王と将軍ときたら……世話の焼ける」
 蓮章は頬杖をつきながら、二人を見比べた。
「蓮章様は、お酒、お強いんですね」
「ん? まぁな」
「それに、随分召し上がっているのに、酔った様子もありません」
 蓮章の盃に、酒を継ぎ足しながら、玲陽は穏やかな表情だ。
「強いと言うより、俺は酔えない。お前は、本当に飲めないのか? それとも、止められているのか?」
「私は、本当に弱いんです。ですから、兄様のお酒の相手は出来なくて……」
「夜伽の相手ならできるだろ」
「れ、蓮章様!」
 驚いて、玲陽が声をあげる。
「いいから、聞け」
 蓮章は少しだけ、声を低めた。
「涼は詳しいことは言わないが、俺にだって、それくらいの想像はつく。お前がどんな目にあってきたか」
「…………」
 玲陽は唇を噛んだ。
 涼景が信頼する蓮章になら、全てを知られても、不快感は感じない。それでも、自分から言う気にはなれなかった。
「言わなくていい。匂いでわかる」
 びくり、と玲陽は顔を上げて、蓮章を見た。細面の、端正な、しかし、どこか寂しげな目をしている。
「お前からは、無数の男の欲望の匂いがする」
「…………」
「慰めの言葉など、意味がないな」
 蓮章は、ついでもらった酒を揺らした。
「それなのに、たった一人の、本当に愛する人には、抱かれていない」
「!」
 玲陽は目を見開いた。玲陽も、人間観察が得意な方ではあるが、蓮章は人を見抜く才に相当長けているらしい。
「親王に、抱かれていないのか?」
 歯に衣着せぬ問いに、玲陽は小さく、頷いた。
「なぜ?」
「え?」
「さっきだって、親王は『その気』だっただろ。まぁ、俺たちが水を差しちまったが……それでも、機会も時間も、いくらでもあるはずだ」
「…………」
「原因は、お前自身か」
 蓮章は、一口、丁寧に酒を味わった。玲陽はうつむいた。
「わからないんです」
「何が?」
「私は……どうしたらいいのか。どう、したいのか」
「一度抱かれろ。そうすりゃ、悩みなんか吹っ飛ぶさ」
「それが……ダメなんです」
 玲陽は言葉を選びながら、
「理由は、身体と、心にあって…… 身体は、私の……傷……受け入れることはできない、と」
「涼の見立てか?」
「はい」
「試してみたのか?」
「え?」
「だから、本当に無理なのか、親王で試してみたのか?」
「そんなこと、できるわけないじゃないですか!」
 ガタリ、と玲陽は立ち上がった。泣きそうな声で視線を落とす。
「こんな穢れきった身体、もう、捨てたい……」
「おい……」
 蓮章は今まで見せたことがないような真剣な顔で、玲陽を見上げた。
「すみません…… お酒の匂いで、酔ってしまったみたいです。風に、当たってきます」
 よろけた玲陽を、素早く蓮章が抱き止める。本人が言っていたように、酒が入っても、蓮章の身のこなしは鈍ることはなかった。
「俺も行こう。お前に何かあったら、あの二人に八つ裂きにされる」
 玲陽をそっと支えて、蓮章は部屋から連れ出すと、庭に面した縁台に座らせ、春めいてきた風に当ててやった。
「捨てたい…… そう、思うよな」
 蓮章は、虫の声もない、暗い庭を眺めて、
「俺もさ。同じだ」
「蓮章様?」
「まぁ、俺の場合は、自分で選んで穢れると決めた。だから、お前よりましだろうけど」
「自ら? なぜ、そんなことを……」
「大切な人を、目の前で穢された」
 蓮章は、いつもの陽気な彼とは別人のようだ。
「俺は見ているだけで、何もできなかった。だからせめて、同じ思いをしようと決めた。その人が味わった痛みも背負った屈辱も、何もかも、分け合いたかった」
「……蓮章様は、その人のことを、どう想っていらっしゃるんですか?」
「……さぁ」
 隠すわけでもなく、本当にわからない、と蓮章は首を振った。
「たださ、あいつが苦しんでいると、俺まで心を切り刻まれるような気持ちになる。救えないなら、せめて、同じだけ苦しみたいと思う。だが、俺の苦しみなんて、あいつに比べたら軽すぎる」
「そんなこと、ないです」
 玲陽は静かに、
「感情の大きさなんて、人と比べられるものじゃないです。でも、その人は、あなたにそんなこと、望んではいません。それだけは、わかります」
「優しいな」
 眩しそうに、蓮章は目を細めた。
「陛下に楯突いたのと、同じ人間とは思えない」
「あ、あの時は必死で……」
「東雨のために、自分の命を盾にした。近衛たちを救うために、命を惜しまなかった。それは、強さじゃない。優しさだ」
「蓮章様……」
 玲陽は、上体を半分、蓮章の方へ向けると、自分の帯を緩め、片腕を袖から抜き、左上半身を晒した。
 弱い月明かりの下でも、明らかにわかる無数の傷跡。
 元々美しかったであろう白く滑らかな肌が、あらゆる得物で傷つけられ、知らぬ者が見れば目を背けるむごたらしさだ。戦場慣れしている蓮章も、我が目を疑う。
「全身、こんな感じです。これでも、良くなったんですよ」
 言いながら、玲陽は着物を直した。
「身体だけじゃありません。兄様に触れて欲しいのに、いざとなると、嫌な記憶が蘇って、自分でも抑えきれない恐怖と嫌悪に駆られて……」
「それが、心の問題、か」
「はい」
 玲陽は膝の上で手を握りしめた。
「怖いとか、気持ち悪いとか、そんなんじゃないんです。兄様のこと、本当に大好きで…… 子供の頃から、ずっと大好きで…… 大人になったら、軽蔑されてもいいから、この気持ちを伝えようって決めていました」
「一途だな」
「それなのに、想いを伝える前に、私は、口にできないような経験をして……こんなに汚れた自分に触れて欲しいなんて、厚かましいって……兄様にそんなこと願うなんて、できません」
「俺は、そうは思わない」
 蓮章は、自分の気持ちと重ね合わせながら、
「あいつに何があろうと、俺はあいつに触れたい。穢されたから触れたくない、なんて、思ったこともない。むしろ、逆だ。傷つけられたあいつを、癒したい。そのために、俺は生かされている」
「蓮章様……」
「親王も、お前のこと、穢いなんて思っていない。それは、見ていれば俺にだってわかる」
「…………」
「気持ちは伝えたんだろ? 親王だって、お前の気持ちを受け入れたんだろ? だったら、それでいいじゃないか」
「はい……でも……自分の穢さを、私自身が一番受け入れられなくて……結局、耐えられなかった……」
「…………」
「私が拒んだとき、兄様は優しかった。無理をしなくていい、と。ゆっくりでいいと、言ってくれました。けれど、傷つけたと思います。兄様は、特別なのに……本当に私を、大切にしてくれるのに……」
「そういうことか」
 蓮章は、自分の勘が外れてはいなかったことを確信した。
「親王もお前を愛している。なのに、その想いを拒まれたら、確かに傷つくかもな」
「……だから、私はもう、兄様を求めません。あんな寂しそうな、辛そうな兄様は見たくない」
「無理だな」
「え?」
「逃げ続けることなんて、できやしない。お前も、親王も、このままではいられない」
「どうして、そう、思うのですか?」
「お前たちが、愛し合っているから」
 柔らかな夜風が、二人の間を吹き抜けてゆく。玲陽は視線を流して、空を見上げた。
「蓮章様。私は、あなたがおっしゃったように、数知れぬ男性から辱めを受けてきました。一度として、それを喜びと感じたことはありません。だから、わからないのです。苦痛以外、知らないのです。ですから、私が何かすることで、兄様が苦しむのではないかと、怖くなります……」
 玲陽は勇気を振り絞るように、蓮章に向いた。
「教えてください。愛する人と交わることは、幸せですか?」
 唇を震わせ、蓮章は答えられなかった。
 すがるような玲陽の眼差しに、心が折れそうなほど軋み、彼は目をそらした。
「もし、私が、兄様を抱いたら……兄様は……苦しいだけではないのかと……でも、私は抱かれることは出来なくて……もう、どうしたらいいか、わからなくて……」
 答えてやりたい。心まで傷だらけにされたこの青年に、希望を見せてやりたい。だが、蓮章にも、答えはわからなかった。彼もまた、玲陽と同じく、自分を傷つける行為しか知らない。
「馬鹿が……」
 不意に、二人の後ろから声がした。
「いい年した男が、揃いも揃って、恋の悩みか?」
「涼景様……」
「目が覚めたのか?」
「潰れてなんていねぇよ。負けず嫌いのあいつに、あれ以上飲ませたくなかったから、勝ちを譲っただけだ」
 涼景は柱にもたれながら、腕を組んだ。
「陽。お前の得意の探究心はどうした?」
「え?」
「幸せかどうか、自分で確かめてみろ」
「りょ、涼景様……でも、私は……穢れてて……」
「そんな言い訳で逃げるのはやめろ。お前の問いの答えを持っているのは、星だけだ。抱かれることができないなら、お前があいつを抱け」
 酒の力も借りてか、涼景は普段より強い口調で言った。
「どうせ、男同士だ。どっちがどうしようと、情を交わすことに違いなんかない」
「そ、それはそうですけれど……そうかも、しれませんけど……」
「もう、うんざりなんだよ! 星をこれ以上、待たせるな。あいつを生殺しにするのもいい加減にしろ。お前がしないなら、俺があいつをもらうぞ。力づくでもな」
 玲陽は明らかに狼狽して、涼景を見つめた。
「十年間、俺だってあいつを見てきた。どれだけ、真っ直ぐで馬鹿正直で、度胸があって優しくてもろくて、純粋すぎるほど透明な奴だってことは、お前に負けないだけ知っている。お前がいることを知っていたから、俺は身をひいてきた。そうじゃなきゃ、とっくに俺のものにしている」
 本気なのか?
 いや、どちらでも、構わない。
 犀星だけは、誰にも渡さない!
「……わかりました」
 玲陽はゆっくり立ち上がると、涼景の前で立ち止まった。
「ありがとうございます」
 涼景に一礼して、玲陽は部屋に戻っていく。
「涼、随分な荒療治だな……」
「あいつには、あれくらいじゃないときかないんだ」
 先ほどまでの覇気はどこへやら、辛そうに、涼景はつぶやいた。
「そうだ、蓮。お前も抱いてやろうか? そうすれば、二度と他のヤツに触れたくなくなる」
 蓮章はニヤリと、いつもの不敵な笑みを浮かべた。
「できないくせに」
「試してみるか」
 涼景は蓮章のそばに膝をついて、顔を近づけた。蓮章は身動き一つせず、ただ、期待のない目で涼景を見ているだけだ。
「お前には、できない」
 息のかかる距離で、蓮章が言う。
 しばらくそのまま、互いの唇が紙一重で触れる時間が流れ、根負けした涼景が、身体を起こした。
「なぜ、俺にお前が抱けないと?」
 決まりが悪そうな涼景に、蓮章は笑って答えた。
「できるなら、俺たちはとっくにそう、なっている」
「蓮……」
「勘違いするな。俺はお前のことなど、何とも思っていない」
「そうか……」
 涼景は背後から、蓮章を包み込んだ。
「俺だって、お前が思うように動いてくれるから、便利でそばに置いてるだけだ」
「そうか……」
 互いに、決して言葉にはしない、真実の想い。
 この危うい均衡が崩れたとき、二人は自分達が壊れることを知っている。
 近衛として、将軍として、この国を守る者として、変える者として、二人は個人の感情で動くことは許されない。
「暖かいな」
 胸に回された涼景の手に、蓮章は自分の手を重ねた。
「これくらいの距離が、俺たちにはちょうどいい」
 蓮章の呟きに、涼景は何も言わず、ただ、冷えた友の体を温め続けた。
「涼、身体、大丈夫なのか、まだ本調子じゃないのに、あんなに呑んで……」
「ん……」
 涼景は眠そうに蓮章にもたれたままだ。
「自分のこと、東雨のこと、侯のこと……何もかも、忘れたいんだろ」
「かもな」
「涼、お前は、陽と同じだ。苦しみしか知らない」
 小さく、涼景が笑った。
「お前だって……因果だな」
「うん?」
「俺たちは、本当に大切な相手と、結ばれることさえできない」
「……受け入れろ、それが現実だ」
「…………そうだな」
「でもな、涼。俺はせめて、陽と親王には、愛し愛される喜びを知って欲しい。俺たちの分まで……」
 安心しきった様子で、涼景は目を閉じた。
「…………そうだな」
 月はやがて丸みを帯び、再び新月へと向かっていく。
 二度と、あの暗闇に堕ちたくはない。
 二人は口にはせぬまま、欠けない月を夢見ていた。
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