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第一部 星誕
第二一話 終わらぬ闇世
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天輝殿の奥深く、二重の壁によって囲われた部屋がある。それは中で行われることが外に漏れぬよう、窓もなく、昼間でも暗い、いわゆる、拷問のための密室。
それも、宝順自らが、直接、手を下す場所だ。
今、この部屋の灯籠には火が入れられ、小さな通風口からの風にかすかにゆらめく。
中にいるのは、椅子に腰掛けた宝順と、その脇に立つ返り血を浴びた涼景、そして、満身創痍の東雨だけだ。
「涼景」
「はい」
涼景は、東雨の身体を抱え上げると、床に叩きつけた。
「ギャン!」
獣のような悲鳴を上げて、東雨がのたうち回る。石の床には、彼が吐いた血や体液が飛び散っていた。それが破れた着物に染みて、無惨な姿を余計際立たせている。
「強情だな」
宝順は焦るでもなく、そんな東雨を眺めながら、
「あれは呪戒だ。星親王がやったことだろう?」
「わたくしは……何も……」
「知らぬはずがない。昨夜、お前が朕に報告にきたことではないか。鳩を拾ったこと、親王があの桜を大切にしていること。全て、お前が報告したことだ。違うか?」
「その……通りでございます」
「木を切るというのも、お前の考えだった。その結果がどうだ? 朕を馬鹿にしているのか?」
「そのようなことは決して……」
「では、誰が、あの呪戒を行った? 鳩を持っていたのは親王だろう?」
「で、ですから……その鳩は、すでに、獣に食べられた後で……」
「この季節に、他にどこから鳩を調達したというんだ? しかも、このような絶妙な時に合わせて」
「それは……存じ上げません……」
「朕への当てつけとしか思えん。全ては、親王の差金だろう?」
「わたくしは、何も、知らないのです……」
「涼景、水責めにせよ」
「はっ」
涼景は部屋の端に置かれていた水を満たした桶を持ってくると、東雨の前に置いた。
「いや……」
這いつくばって逃げようとする東雨の後ろ襟を掴んで、涼景は桶の前まで引きずっていく。
「息を大きく吸え」
小声で、涼景が耳打ちする。
東雨が空気を吸ったことを確かめて、頭を抑え、桶の水の中に顔面をつける。涼景は東雨を抑えるふりをしながら、片手を胸に当て、肋骨の動きを確かめて、全ての空気を吐き出したところで、水から引き上げた。
東雨の方も必要以上に苦しむ演技をしながら、許しを乞う。
涼景が東雨に付き添ったのは、他の者に拷問を任せれば、殺されかねないと踏んだからだ。自分なら、手加減してやることも、いざという時、身代わりになることもできる。
「もう一度」
「はい」
三、二、一、と小さく数えて、再び、東雨の頭を水に沈める。
涼景の声は、東雨の喘ぎ声にかき消されて、宝順には聞こえない。皮肉にも、このような行為を見慣れている二人だからこそ、意図を察してできたことだった。
限界で水から引き上げると、ずぶ濡れの東雨を、涼景は床に放り出し、片足で腹を蹴った。
飲み込んでいた水を、吐き出させるためだが、そうと宝順には解らぬよう、すぐにまた掴み上げて、床に落とす。
石の床の硬い衝撃はどうしようもなかったが、それでも多少の受け身が取れるよう、涼景は投げ方は加減し、さらに自分の身体で、受け身を取る東雨が見えないよう、宝順の視界を遮るように動く。苦しむ姿を見たがる宝順の気質を知っているため、投げた後は素早くそこを退け、いかにも拷問に参加しているよう、装う。
涼景の配慮がなければ、とっくに東雨は死んでいただろう。
「陛下、これ以上の責め苦は無意味かと」
涼景は、本当に東雨の命が危ないと踏んで、宝順に進言した。
「この者が申す通り、わたくしも五亨庵の裏で、鳩の羽と血、踏み荒らされてた跡を確認しております。何者かが陛下を謀るために小細工をしたのだとしても、五亨庵の者とは無関係かと」
「ふん」
宝順はじっと涼景を見つめた。
涼景は顔を上げることはしない。それは礼儀であると同時に、表情を読まれないためでもある。
「くだらん茶番よ」
宝順はどこまで気づいているのかわからないが、これ以上は面白くない、と飽きたように投げ出した。
「涼景。そいつの始末をして、傷が目立たなくなってから五亨庵へ帰せ。それが済んだら……」
と、立ち上がると、ひざまづいている涼景の顎を掴んで自分の方を向かせ、
「お前の番だ。寝所にこい」
「はい、陛下」
涼景は東雨の治療の準備のため、先に部屋を出る。
宝順は、虫の息で汚れた床に倒れている東雨を、しばし眺めてから、
「お前に汚名返上の最後の機会をやろう」
「う……」
東雨は必死に体を起こし、非礼のないよう頭を下げた。
「玲陽……いや、ここでは犀陽といったか。あの者を連れて来い。一人で、だ。さすれば、今度のこと、忘れてやっても良い」
「……恩赦、謹んでお受け申し上げます」
「そういえば」
宝順が唇を歪めた。それは残虐な意図を表す。
「お前の報告によると、犀陽は男を受け入れられぬ体になったとか」
「……はい」
「こんな巡り合わせがあろうとはな」
巡り合わせ? その意味が、東雨には理解できなかったが、宝順は満足そうだ。
「玲陽……必ず朕のものにしてやる」
どきん、と東雨の胸が打つ。
まただ。
また、玲陽。
誰もが、彼ばかりを見る。自分より優れていることは認める。だが、こんなにも惨めな思いをするのは何故だ。
犀星や玲陽を庇い、今まで尽くしてきた帝に命懸けの嘘までついたというのに、どうして、自分は求められない?
何もかも、あいつのせいだ。
東雨は思わず悔しさに涙ぐむ。
「東雨、着物を脱ぎ、水を浴びよ」
目を見開き、東雨が途端に震え出す。
「どうした?」
「……仰せのままに」
東雨は汚れた着物を落とすと、先ほどまで、自分が溺れかけていた桶の水で、体を清めた。とはいえ、流した水は床に広がるばかりである。
全裸のまま、東雨は宝順の前に進み出る。
元々、彼は夜伽の相手もするよう、仕込まれている。だが、犀星には必要がなかったため、この十年、誰とも体を交わしてはいない。
「来い」
宝順は脚を開くと、その間に東雨を座らせた。東雨の両脚を肩にかけ、その怯える顔を一瞥すると、前戯もなく無造作に自身をねじ込む。拷問によって興奮していた宝順の逸物が、長く閉ざされていた東雨の秘門をこじ開けた。
仰向けに体をそらして、その痛みに東雨が絶叫する。
「お前も不憫だな。星は不能か?」
軽々と東雨の体を揺すり、玩具のように扱う宝順に、人の情は見られない。容赦無く奥を突き、必要以上に内側を強く擦り付けると、東雨は全身を脈打たせ、震えながら宝順を締め付けてくる。その感触はまるで蠢く無数の回虫のごとくに絡みつく。
「これほどの名器を使わぬとは、惜しいことを」
東雨は演じなくとも快感の中で嬌声を上げた。時が経とうと、体は男を覚えている。多くの者たちの中で、彼が親王付きに選ばれた要因の一つは、その性技にもある。こればかりは生まれついた体の構造に恵まれたと言わざるを得ないが、果たして、それは幸運であったのだろうか。
宝順が突き刺すたびに、断続的に東雨の先端から色薄い精液が飛び散り、同時に結合部からは鮮血が滴り落ちた。
「十年ぶりの男根の味はどうだ」
答えられるはずもない東雨に、宝順は平然と問うた。激痛と快感で気が違いそうな東雨に反して、宝順は絶頂時ですら感情を見せない。
「朕のものは『お前にとって格別』であろう」
拷問時よりも苛烈な、耳をつんざく叫びが、東雨の全てだった。
部屋の外で、二人の様子を盗み聞きしていた涼景は、たまらず、医務室へ駆け込んだ。扉を閉めると、その扉にもたれて、座り込む。
防音されていようと、いやでも東雨の悲鳴が聞こえてくる。
このままでは、玲陽も同じ目にあわされる。そんなことになれば、全ては終わりだ。宝順は、玲陽を引き裂き、殺すだろう。そのつもりがなくても、玲陽には再び命を取り留める力は残されていない。そんなことになれば、逆上した犀星は、迷わず宝順を手に掛ける。どちらが命を落とそうとも、自分もまた、生きていられるとは思われない。
惨劇だけの未来。
今は亡き恩人、犀遠に託された想いを、どうしたら、叶えることができるというのか。
玲陽が渡してくれた痛み止めの薬を懐から出すと、じっと見つめる。
「……俺は、どうしたらいい?」
犀星、玲陽、東雨…… その全員を救うことなど、不可能なのか。
宝順が部屋を出ていく足音で、涼景は目を覚ました。
しばらく、自分がどこにいるのか、わからなかった。
格子窓から外を見れば、すでに夕刻を過ぎているらしく、薄暗い。
「あ……東雨……」
涼景は医務室の扉を開けると、恐る恐る廊下を覗いた。
宝順の着物の裾が、向こうの角を曲がっていくのがちらりと見える。
涼景は急ぎ足で拷問室の重たい扉を開いた。床一面が水浸しで、その中に、気を失った東雨が倒れている。
腰から下は真っ赤に染まり、その血が周囲の水に混じって広がり続けている。
「東雨!」
涼景は死体のように力が抜けた東雨を抱き上げると、医務室に運んだ。
幸い、天輝殿には豊富に薪が用意されている。
すぐに炉に火を入れて、東雨の枕元に灯籠を置き、その容体を確かめる。
肛門に何箇所もの裂傷があり、流血が止まらない。瞬く間に敷布が血に染まっていく。
涼景は玲陽の時と同様、手早く止血すると、薬を染み込ませた布を、木片に巻きつけた。注意しながら、それを、東雨の肛門に押し込む。違和感と痛みに、東雨が悲鳴を上げて目を覚ます。
「今、治療している。動くな!」
「痛い! 痛い!」
繰り返し叫んで涙を流す東雨への哀れみに手が止まりそうになるが、その情を殺して涼景は木片を中に入れたまま、さらしを巻いて抜けないように固定する。玲陽の時は手遅れだったが、こうして開いた状態で皮膚が再生すれば、弾力が失われることはない。
今まで、何人もの稚児を治療してきた。涼景がこの手の医術に詳しくなったのも、その産物である。
いつもなら、自分相手に憎まれ口を叩く東雨も、こうなると死にかけの猫のようだ。
その姿は、決して他人事ではない。涼景も、さらなる醜態を晒してきた。今、こうして生きていることが不思議なほどだ。
がっくりと床に腰を下ろして、涼景は疲れ切ってそのまま、寝転んだ。
「東雨、枕元の薬湯を飲め。痛み止めだ」
「う……」
腕の力で上体を支えて、東雨は言われた通りに薬を飲み干す。
「陽が、俺たちを心配して渡してくれたんだ」
その言葉を聞いて、東雨は飲んだばかりの薬を一口、吐き出した。
「何をしてる!」
「あいつの世話になんか……」
「あいつ? 玲陽のことか?」
「大嫌いだ」
「東雨……」
犀星を思うが故に、何か抱えているのは感じていたが、その矛先が玲陽に向いていたとは。
「俺は、あんたが言うように裏切り者だ。それでも、若様のために、精一杯やってきたつもりだ! なのに……」
「わかっている」
涼景は、決して上辺の慰めではなく、本心から言った。
「お前がその立場にありながら、どれだけ必死に努力してきたか、俺も星も、五亨庵の連中も、みんな知っている」
「若様……俺のこと、大事にしてくれた……弟みたいに……」
「ああ。覚えているか? 五亨庵を出る時、星が何と言ったか」
東雨はもう、はるか昔のように思われる記憶を辿った。
「あいつは、お前を行かせない、と言った。お前は無関係だと。会いたければ帝の方から来い、とまで言いやがった」
思い出して、涼景は軽く笑うと、体を起こし、真剣な顔で、東雨の目を真っ直ぐに見た。射すくめられたかのように、東雨は視線を外せない。
「それがどういうことかわかるか? あいつは全部知っているよ! 知っていて、黙ってる。お前を信じたいから、お前にそばにいて欲しいからだ。自分がお前の正体に気づけば、お前がどうなるか、そこまで考えて黙っている。他の奴らもそうだ。俺も、緑権も、慈圓も、陽も、みんな、何もかも知っていて、何も言わない。なぜかわかるか? お前のためじゃない。星が、それを望んでいるからだ! 東雨、あいつの気持ちに、なぜ気づかない?」
「……わからない」
蚊の鳴くような声で東雨は言った。
「わからない…… 自分が、何を考えているのか。若様……ごめんなさい……」
涼景は深くため息をついた。
「東雨」
今までになく、静かな声で、涼景はその名を呼んだ。
「今は混乱しているだろう。気持ちが静まってからでいい。思い出してくれ。俺たちには、憎み合う理由などないはずだ。互いの立場に縛られて、勝手に敵味方に分けられる。もし、違う形で出会っていたら、心から笑いあえたと、俺は信じている。だから、俺は、お前を助ける」
「涼景……」
「昔も、今も、叶わなくても、未来にそんな日が来ると信じている」
「……着物」
思い出したように、東雨は口走った。
「俺の着物は!」
「さっきの部屋だ。傷んでしまったから、ここにある新しいものを……」
「あの着物を……」
と、立ちあがろうとして、東雨は下半身の痛みに動きを止めた。
「外掛けだけでいいのか? 待ってろ、取ってきてやる」
涼景は先ほどまでの出来事が嘘のように静まり返った部屋へ入ると、水と血に汚れ、一部が裂けた着物を拾い上げ、それ以上傷つけないように丁寧に水を絞り、帯と一緒に抱えて医務室へ戻った。
東雨は両手を伸ばして、涼景から汚れた着物を受け取ると、愛しそうに胸に抱く。
「そんなに大事なものだったのか?」
東雨は頷いた。
「これ、俺が十五歳になったとき、若様からいただいたんだ。若様が、俺と同じ歳の頃に着ていたもの」
「星のやつ……新調してやればいいのに……質素倹約にも程があるだろう」
「いいんだ」
東雨はいつしか、穏やかな口調に戻っている。
「俺には、どんな晴れ着より、嬉しかった。若様が大切にしていたものを、俺なんかにくれたことが、嬉しくて、嬉しくて……」
「俺なんか、なんて言うな」
涼景は頬を緩めた。
「お前は『若様』の、大切な弟なんだから」
泣き崩れていく東雨の髪を撫でてやりながら、涼景は十年前に思いを巡らせる。
わずか五歳の子供だった東雨にとって、その重責はいかばかりだっただろう。五歳といえば、自分も親元を離れ、遠縁の親戚の家で官吏になるべく学んでいた頃だ。両親が恋しくてよく隠れて泣いていたことを覚えている。
東雨はそんな時分から、たった一人、敵陣に放り込まれたのだ。犀星だったから良いようなものの、これが粗暴な主人であれば、どんな目にあわされていたかわかったものではない。どれほどの恐怖と戦いながら、幼い日を過ごしてきたのか。いや、今、生きていられたかどうかも、確かではない。生まれたところ一つで、人の人生など、容易に決められてしまう。それをくつがえすのは、簡単なことではない。
「東雨」
涼景は枕元に、水と、自分が使うはずだった薬を置いた。
「ここで休んでいろ。朝には迎えにくる」
「どこへ?」
「陛下がおっしゃっていただろう?」
涼景は立ち上がると、衣服の乱れを正した。
「次は、俺の番だ」
「待て!」
背中を向けた涼景を、東雨が呼び止めた。
「この薬、あんたが使えよ。どうせ、俺は飲まない」
「東雨」
「俺はあんたが言うように、口裏を合わせて陛下に嘘をついた。恩を受けたとは思っていないからな」
「わかっているさ」
涼景は薬の包みを開くと、そのまま口に入れ、水で流し込む。
「おとなしくしていろ。二、三日の辛抱だ」
「ふん」
東雨は涼景から顔を背けて、
「薪、継ぎ足していけ。朝までもたない」
黙って、涼景は言われた通りに炉の中に薪を組む。
どんなに薪を継ぎ足したところで、朝までもつはずはない。それでも、東雨がそんなことを言うのは、自分を引き止めたいからだ。
少しでも、長く、ここにいて欲しい。
涼景には、東雨の我が儘が、そんな願いに聞こえた。強がった、精一杯の甘えだ。
「おやすみ」
こちらを見もしない東雨に声をかけて、涼景は部屋を後にした。
それも、宝順自らが、直接、手を下す場所だ。
今、この部屋の灯籠には火が入れられ、小さな通風口からの風にかすかにゆらめく。
中にいるのは、椅子に腰掛けた宝順と、その脇に立つ返り血を浴びた涼景、そして、満身創痍の東雨だけだ。
「涼景」
「はい」
涼景は、東雨の身体を抱え上げると、床に叩きつけた。
「ギャン!」
獣のような悲鳴を上げて、東雨がのたうち回る。石の床には、彼が吐いた血や体液が飛び散っていた。それが破れた着物に染みて、無惨な姿を余計際立たせている。
「強情だな」
宝順は焦るでもなく、そんな東雨を眺めながら、
「あれは呪戒だ。星親王がやったことだろう?」
「わたくしは……何も……」
「知らぬはずがない。昨夜、お前が朕に報告にきたことではないか。鳩を拾ったこと、親王があの桜を大切にしていること。全て、お前が報告したことだ。違うか?」
「その……通りでございます」
「木を切るというのも、お前の考えだった。その結果がどうだ? 朕を馬鹿にしているのか?」
「そのようなことは決して……」
「では、誰が、あの呪戒を行った? 鳩を持っていたのは親王だろう?」
「で、ですから……その鳩は、すでに、獣に食べられた後で……」
「この季節に、他にどこから鳩を調達したというんだ? しかも、このような絶妙な時に合わせて」
「それは……存じ上げません……」
「朕への当てつけとしか思えん。全ては、親王の差金だろう?」
「わたくしは、何も、知らないのです……」
「涼景、水責めにせよ」
「はっ」
涼景は部屋の端に置かれていた水を満たした桶を持ってくると、東雨の前に置いた。
「いや……」
這いつくばって逃げようとする東雨の後ろ襟を掴んで、涼景は桶の前まで引きずっていく。
「息を大きく吸え」
小声で、涼景が耳打ちする。
東雨が空気を吸ったことを確かめて、頭を抑え、桶の水の中に顔面をつける。涼景は東雨を抑えるふりをしながら、片手を胸に当て、肋骨の動きを確かめて、全ての空気を吐き出したところで、水から引き上げた。
東雨の方も必要以上に苦しむ演技をしながら、許しを乞う。
涼景が東雨に付き添ったのは、他の者に拷問を任せれば、殺されかねないと踏んだからだ。自分なら、手加減してやることも、いざという時、身代わりになることもできる。
「もう一度」
「はい」
三、二、一、と小さく数えて、再び、東雨の頭を水に沈める。
涼景の声は、東雨の喘ぎ声にかき消されて、宝順には聞こえない。皮肉にも、このような行為を見慣れている二人だからこそ、意図を察してできたことだった。
限界で水から引き上げると、ずぶ濡れの東雨を、涼景は床に放り出し、片足で腹を蹴った。
飲み込んでいた水を、吐き出させるためだが、そうと宝順には解らぬよう、すぐにまた掴み上げて、床に落とす。
石の床の硬い衝撃はどうしようもなかったが、それでも多少の受け身が取れるよう、涼景は投げ方は加減し、さらに自分の身体で、受け身を取る東雨が見えないよう、宝順の視界を遮るように動く。苦しむ姿を見たがる宝順の気質を知っているため、投げた後は素早くそこを退け、いかにも拷問に参加しているよう、装う。
涼景の配慮がなければ、とっくに東雨は死んでいただろう。
「陛下、これ以上の責め苦は無意味かと」
涼景は、本当に東雨の命が危ないと踏んで、宝順に進言した。
「この者が申す通り、わたくしも五亨庵の裏で、鳩の羽と血、踏み荒らされてた跡を確認しております。何者かが陛下を謀るために小細工をしたのだとしても、五亨庵の者とは無関係かと」
「ふん」
宝順はじっと涼景を見つめた。
涼景は顔を上げることはしない。それは礼儀であると同時に、表情を読まれないためでもある。
「くだらん茶番よ」
宝順はどこまで気づいているのかわからないが、これ以上は面白くない、と飽きたように投げ出した。
「涼景。そいつの始末をして、傷が目立たなくなってから五亨庵へ帰せ。それが済んだら……」
と、立ち上がると、ひざまづいている涼景の顎を掴んで自分の方を向かせ、
「お前の番だ。寝所にこい」
「はい、陛下」
涼景は東雨の治療の準備のため、先に部屋を出る。
宝順は、虫の息で汚れた床に倒れている東雨を、しばし眺めてから、
「お前に汚名返上の最後の機会をやろう」
「う……」
東雨は必死に体を起こし、非礼のないよう頭を下げた。
「玲陽……いや、ここでは犀陽といったか。あの者を連れて来い。一人で、だ。さすれば、今度のこと、忘れてやっても良い」
「……恩赦、謹んでお受け申し上げます」
「そういえば」
宝順が唇を歪めた。それは残虐な意図を表す。
「お前の報告によると、犀陽は男を受け入れられぬ体になったとか」
「……はい」
「こんな巡り合わせがあろうとはな」
巡り合わせ? その意味が、東雨には理解できなかったが、宝順は満足そうだ。
「玲陽……必ず朕のものにしてやる」
どきん、と東雨の胸が打つ。
まただ。
また、玲陽。
誰もが、彼ばかりを見る。自分より優れていることは認める。だが、こんなにも惨めな思いをするのは何故だ。
犀星や玲陽を庇い、今まで尽くしてきた帝に命懸けの嘘までついたというのに、どうして、自分は求められない?
何もかも、あいつのせいだ。
東雨は思わず悔しさに涙ぐむ。
「東雨、着物を脱ぎ、水を浴びよ」
目を見開き、東雨が途端に震え出す。
「どうした?」
「……仰せのままに」
東雨は汚れた着物を落とすと、先ほどまで、自分が溺れかけていた桶の水で、体を清めた。とはいえ、流した水は床に広がるばかりである。
全裸のまま、東雨は宝順の前に進み出る。
元々、彼は夜伽の相手もするよう、仕込まれている。だが、犀星には必要がなかったため、この十年、誰とも体を交わしてはいない。
「来い」
宝順は脚を開くと、その間に東雨を座らせた。東雨の両脚を肩にかけ、その怯える顔を一瞥すると、前戯もなく無造作に自身をねじ込む。拷問によって興奮していた宝順の逸物が、長く閉ざされていた東雨の秘門をこじ開けた。
仰向けに体をそらして、その痛みに東雨が絶叫する。
「お前も不憫だな。星は不能か?」
軽々と東雨の体を揺すり、玩具のように扱う宝順に、人の情は見られない。容赦無く奥を突き、必要以上に内側を強く擦り付けると、東雨は全身を脈打たせ、震えながら宝順を締め付けてくる。その感触はまるで蠢く無数の回虫のごとくに絡みつく。
「これほどの名器を使わぬとは、惜しいことを」
東雨は演じなくとも快感の中で嬌声を上げた。時が経とうと、体は男を覚えている。多くの者たちの中で、彼が親王付きに選ばれた要因の一つは、その性技にもある。こればかりは生まれついた体の構造に恵まれたと言わざるを得ないが、果たして、それは幸運であったのだろうか。
宝順が突き刺すたびに、断続的に東雨の先端から色薄い精液が飛び散り、同時に結合部からは鮮血が滴り落ちた。
「十年ぶりの男根の味はどうだ」
答えられるはずもない東雨に、宝順は平然と問うた。激痛と快感で気が違いそうな東雨に反して、宝順は絶頂時ですら感情を見せない。
「朕のものは『お前にとって格別』であろう」
拷問時よりも苛烈な、耳をつんざく叫びが、東雨の全てだった。
部屋の外で、二人の様子を盗み聞きしていた涼景は、たまらず、医務室へ駆け込んだ。扉を閉めると、その扉にもたれて、座り込む。
防音されていようと、いやでも東雨の悲鳴が聞こえてくる。
このままでは、玲陽も同じ目にあわされる。そんなことになれば、全ては終わりだ。宝順は、玲陽を引き裂き、殺すだろう。そのつもりがなくても、玲陽には再び命を取り留める力は残されていない。そんなことになれば、逆上した犀星は、迷わず宝順を手に掛ける。どちらが命を落とそうとも、自分もまた、生きていられるとは思われない。
惨劇だけの未来。
今は亡き恩人、犀遠に託された想いを、どうしたら、叶えることができるというのか。
玲陽が渡してくれた痛み止めの薬を懐から出すと、じっと見つめる。
「……俺は、どうしたらいい?」
犀星、玲陽、東雨…… その全員を救うことなど、不可能なのか。
宝順が部屋を出ていく足音で、涼景は目を覚ました。
しばらく、自分がどこにいるのか、わからなかった。
格子窓から外を見れば、すでに夕刻を過ぎているらしく、薄暗い。
「あ……東雨……」
涼景は医務室の扉を開けると、恐る恐る廊下を覗いた。
宝順の着物の裾が、向こうの角を曲がっていくのがちらりと見える。
涼景は急ぎ足で拷問室の重たい扉を開いた。床一面が水浸しで、その中に、気を失った東雨が倒れている。
腰から下は真っ赤に染まり、その血が周囲の水に混じって広がり続けている。
「東雨!」
涼景は死体のように力が抜けた東雨を抱き上げると、医務室に運んだ。
幸い、天輝殿には豊富に薪が用意されている。
すぐに炉に火を入れて、東雨の枕元に灯籠を置き、その容体を確かめる。
肛門に何箇所もの裂傷があり、流血が止まらない。瞬く間に敷布が血に染まっていく。
涼景は玲陽の時と同様、手早く止血すると、薬を染み込ませた布を、木片に巻きつけた。注意しながら、それを、東雨の肛門に押し込む。違和感と痛みに、東雨が悲鳴を上げて目を覚ます。
「今、治療している。動くな!」
「痛い! 痛い!」
繰り返し叫んで涙を流す東雨への哀れみに手が止まりそうになるが、その情を殺して涼景は木片を中に入れたまま、さらしを巻いて抜けないように固定する。玲陽の時は手遅れだったが、こうして開いた状態で皮膚が再生すれば、弾力が失われることはない。
今まで、何人もの稚児を治療してきた。涼景がこの手の医術に詳しくなったのも、その産物である。
いつもなら、自分相手に憎まれ口を叩く東雨も、こうなると死にかけの猫のようだ。
その姿は、決して他人事ではない。涼景も、さらなる醜態を晒してきた。今、こうして生きていることが不思議なほどだ。
がっくりと床に腰を下ろして、涼景は疲れ切ってそのまま、寝転んだ。
「東雨、枕元の薬湯を飲め。痛み止めだ」
「う……」
腕の力で上体を支えて、東雨は言われた通りに薬を飲み干す。
「陽が、俺たちを心配して渡してくれたんだ」
その言葉を聞いて、東雨は飲んだばかりの薬を一口、吐き出した。
「何をしてる!」
「あいつの世話になんか……」
「あいつ? 玲陽のことか?」
「大嫌いだ」
「東雨……」
犀星を思うが故に、何か抱えているのは感じていたが、その矛先が玲陽に向いていたとは。
「俺は、あんたが言うように裏切り者だ。それでも、若様のために、精一杯やってきたつもりだ! なのに……」
「わかっている」
涼景は、決して上辺の慰めではなく、本心から言った。
「お前がその立場にありながら、どれだけ必死に努力してきたか、俺も星も、五亨庵の連中も、みんな知っている」
「若様……俺のこと、大事にしてくれた……弟みたいに……」
「ああ。覚えているか? 五亨庵を出る時、星が何と言ったか」
東雨はもう、はるか昔のように思われる記憶を辿った。
「あいつは、お前を行かせない、と言った。お前は無関係だと。会いたければ帝の方から来い、とまで言いやがった」
思い出して、涼景は軽く笑うと、体を起こし、真剣な顔で、東雨の目を真っ直ぐに見た。射すくめられたかのように、東雨は視線を外せない。
「それがどういうことかわかるか? あいつは全部知っているよ! 知っていて、黙ってる。お前を信じたいから、お前にそばにいて欲しいからだ。自分がお前の正体に気づけば、お前がどうなるか、そこまで考えて黙っている。他の奴らもそうだ。俺も、緑権も、慈圓も、陽も、みんな、何もかも知っていて、何も言わない。なぜかわかるか? お前のためじゃない。星が、それを望んでいるからだ! 東雨、あいつの気持ちに、なぜ気づかない?」
「……わからない」
蚊の鳴くような声で東雨は言った。
「わからない…… 自分が、何を考えているのか。若様……ごめんなさい……」
涼景は深くため息をついた。
「東雨」
今までになく、静かな声で、涼景はその名を呼んだ。
「今は混乱しているだろう。気持ちが静まってからでいい。思い出してくれ。俺たちには、憎み合う理由などないはずだ。互いの立場に縛られて、勝手に敵味方に分けられる。もし、違う形で出会っていたら、心から笑いあえたと、俺は信じている。だから、俺は、お前を助ける」
「涼景……」
「昔も、今も、叶わなくても、未来にそんな日が来ると信じている」
「……着物」
思い出したように、東雨は口走った。
「俺の着物は!」
「さっきの部屋だ。傷んでしまったから、ここにある新しいものを……」
「あの着物を……」
と、立ちあがろうとして、東雨は下半身の痛みに動きを止めた。
「外掛けだけでいいのか? 待ってろ、取ってきてやる」
涼景は先ほどまでの出来事が嘘のように静まり返った部屋へ入ると、水と血に汚れ、一部が裂けた着物を拾い上げ、それ以上傷つけないように丁寧に水を絞り、帯と一緒に抱えて医務室へ戻った。
東雨は両手を伸ばして、涼景から汚れた着物を受け取ると、愛しそうに胸に抱く。
「そんなに大事なものだったのか?」
東雨は頷いた。
「これ、俺が十五歳になったとき、若様からいただいたんだ。若様が、俺と同じ歳の頃に着ていたもの」
「星のやつ……新調してやればいいのに……質素倹約にも程があるだろう」
「いいんだ」
東雨はいつしか、穏やかな口調に戻っている。
「俺には、どんな晴れ着より、嬉しかった。若様が大切にしていたものを、俺なんかにくれたことが、嬉しくて、嬉しくて……」
「俺なんか、なんて言うな」
涼景は頬を緩めた。
「お前は『若様』の、大切な弟なんだから」
泣き崩れていく東雨の髪を撫でてやりながら、涼景は十年前に思いを巡らせる。
わずか五歳の子供だった東雨にとって、その重責はいかばかりだっただろう。五歳といえば、自分も親元を離れ、遠縁の親戚の家で官吏になるべく学んでいた頃だ。両親が恋しくてよく隠れて泣いていたことを覚えている。
東雨はそんな時分から、たった一人、敵陣に放り込まれたのだ。犀星だったから良いようなものの、これが粗暴な主人であれば、どんな目にあわされていたかわかったものではない。どれほどの恐怖と戦いながら、幼い日を過ごしてきたのか。いや、今、生きていられたかどうかも、確かではない。生まれたところ一つで、人の人生など、容易に決められてしまう。それをくつがえすのは、簡単なことではない。
「東雨」
涼景は枕元に、水と、自分が使うはずだった薬を置いた。
「ここで休んでいろ。朝には迎えにくる」
「どこへ?」
「陛下がおっしゃっていただろう?」
涼景は立ち上がると、衣服の乱れを正した。
「次は、俺の番だ」
「待て!」
背中を向けた涼景を、東雨が呼び止めた。
「この薬、あんたが使えよ。どうせ、俺は飲まない」
「東雨」
「俺はあんたが言うように、口裏を合わせて陛下に嘘をついた。恩を受けたとは思っていないからな」
「わかっているさ」
涼景は薬の包みを開くと、そのまま口に入れ、水で流し込む。
「おとなしくしていろ。二、三日の辛抱だ」
「ふん」
東雨は涼景から顔を背けて、
「薪、継ぎ足していけ。朝までもたない」
黙って、涼景は言われた通りに炉の中に薪を組む。
どんなに薪を継ぎ足したところで、朝までもつはずはない。それでも、東雨がそんなことを言うのは、自分を引き止めたいからだ。
少しでも、長く、ここにいて欲しい。
涼景には、東雨の我が儘が、そんな願いに聞こえた。強がった、精一杯の甘えだ。
「おやすみ」
こちらを見もしない東雨に声をかけて、涼景は部屋を後にした。
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