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第一部 星誕

第二〇話 呪戒

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 五亨庵では、犀星と玲陽、そして緑権が、慌ただしく掃除に動いていた。

「まさか、あんな鳩の使い方があったなんて……」

 緑権が怯えながら、引き出しの中の焚き付けの藁を燃やす。

「ああ……勿体無い……藁も貴重なのに……」

「気をつけて、全部燃やしてください。中に、羽や糞が残っています」

「わかっています」

 引き出しを綺麗に空にすると、そこに元々入っていた手回品を納め、机に戻す。その間に、玲陽が床を掃き、雑巾で丁寧に埃をとる。屑は全て炉にくべ、最後には使った雑巾も燃やした。

 犀星が裏口から入ってくる。

「むしった羽と、陽の冷菓子用の豚の血を、雪の上に撒いて置いた。猫が食ったように見えるだろう」

「ありがとうございます。服を、お互いに確かめましょう」

 玲陽は丁寧に皆の着物を確かめ、体に鳩がいた痕跡がないか、を確認する。

​ 鳩とはいえ、個体差がある。見る者が見れば、五亨庵にいた鳩と、祇桜に掛けられた鳩が同じであることに気づかれる可能性がある。万全の注意を払わねばならない。

 まだ、五亨庵の扉を叩く者はいない。

「間に合ったみたいですね」

「ああ、なんとかな」

 緑権は冷や汗を拭った。

「兄様が『枝掛け』を言い出した時には、驚きました」

 玲陽は、長椅子の端に腰をかけた。慌ただしく動いたせいか、いつもより疲れて見える。隣に座って、自然に玲陽と手を重ねながら、犀星も頷く。

「祇桜が教えてくれた。まさか、呪いだったとは……」

「……もしかして、祇桜はこのために、私にあの鳩を拾わせたのかも……」

「こうなることがわかっていた、というんですか?」

 緑権は二人に向かい合って座ると、困惑した表情のまま、

「元々、あの鳩を拾ったことで、祇桜の話が……」

「謀児どの!」

 ハッとして、緑権は玲陽を見た。玲陽は静かに首を横に振った。それ以上話せば、東雨の密通が犀星に知られる。

「祇桜が、私の先祖だとするなら、それくらいの予見ができてもおかしくありません」

「祇桜……つまり、光理どのの、ご先祖の、祇桜どの、とは、どのような方だったのですか?」

「これは伝え聞いたことですが」

 玲陽はゆっくりと話し始めた。

「百年ほど前、玲家に正式な後継の女児が多くいた時期があったそうです。誰もが強い力を持ち、誰が当主を継いでも問題ない、血を絶やさぬため、分家を作る、という話まであったとか」

「百年前、か。この都で惨劇が起き、祇桜が植えられて数十年、といったところか」

「はい。その頃に当たります。祇桜は、その女姉妹の中で、ただ一人の男性。そして、忌み子と呼ばれた人です」

「忌み子……」

 犀星が玲陽の過去を思い出す。玲陽自身も、そう呼ばれて一族から嫌われていた。

「ええ、私と同じ…… 父がなく、母が四十九日で産み落とした男児でした。続け様のお産だったため、体が持たず、母は、そのまま他界した、と」

 玲陽は犀星の手を両手で包んだ。緑権の前だが、もう、彼に隠す必要はない。犀星も、自分の母親を、生まれることで失っている。唯一の願いだった母の愛が注がれてはいなかったことを知った彼の傷が、消えることはないだろう。

「それで、どうなったんです?」

 緑権はすでに二人の睦みあいなど見慣れたもので、気にも止めない。

「はい。年月が流れ、彼は玲家の力を持たないながらも、自分で呪戒を作り出すことに打ち込んだそうです。それは、人の願いを叶えるための方法や、人と人を結びつけるための手段であったといいます。自分自身に力がないからこそ、他のものの力を借りる方法を考えたのでしょう。色々と試すうちに、本当に成就する呪戒ができてしまった。一族は、そんな彼を恐れ、殺そうとしました。しかし、すぐ年上の姉が、彼を逃したそうです。それ以来、祇桜は各地を彷徨いながら、霊媒として、人々の苦しみを取り除くことを糧として、生きていた、と。足跡はあちこちに残っているらしいのですが、彼が死んだという確かな証拠はなかったんです」

「その魂が、この宮中で、桜に宿って今も生きていた、と」

 犀星は長く息をついた。

「死体は?」

 緑権が至極真っ当なことを言った。

「死体はどうなったんです? 魂が木に宿った、というなら、残された肉体は消えてなくなるんですか」

「!」

 玲陽の視界に映像が一瞬、横切った。それは一枚の墨絵のようだ。

「おそらく、祇桜……あの山桜で最後に首を吊ったのが、身元不明の男……つまり、祇桜自身だった」

「そうすることで、桜に宿ったのか」

「そ、それって、その……呪戒とかいう術の一つですか?」

「ええ。元々、枝かけは、自分が大切にしているものを木の枝にかけることで、願いを叶えるというものです。決して、危険でも、忌まわしいものでもありません。祇桜は大切にしていた自分の命と引き換えに、この地に残ったのでしょう」

「あの鳩は、俺たちの身代わり……」

 犀星はじっと、炉の火を見つめた。

「やはり、お前たちが絡んでいたか」

 突然、背後で声がした。

「涼景!」

 犀星に続いて、玲陽も立ち上がる。

「なんで、裏口から……」

「表からなど入れるか。人だかりで通れたものではない」

 言いながら、涼景は片手で東雨の襟首を掴んで、室内へ投げ出した。

「もう、乱暴なんだから……こんなことしなくても、逃げませんよ」

「どうだか」

「聞いていたのか?」

「星、裏から戻るお前を追ってきた」

「始めからいたんですか……」

 玲陽が力を落として座り込む。

「東雨から、おおよそのことは聞いた。鳩を拾ったそうだな」

 三人は、顔を見合わせて、視線を逸らす。

「とっくに猫かイタチに食われて、死体はなくなっていたが、羽と血が残されていた。周囲の雪はご丁寧に裏の物置まで踏み固めてられていて、足跡は確認できなかったが」

 全て、犀星の仕業であることを、涼景には見抜かれている。

 だが、ここで一人、納得させなければならない相手がいる。

「お前たちの鳩は、獣に食われた。枝にぶら下がっていた鳩とは無関係だ。そうだよな!」

 東雨の髪を鷲掴んで引き寄せると、涼景は脅すように念を押した。

「そ、そうだと思います。私は、離れていたので、何も知りません」

 東雨は犀星の手前、そう、答えるしかなかった。

「だ、そうだ」

 東雨を開放して、涼景は三人に歩みよった。こちらの用意した小細工に、合わせてくれるつもりらしい。

 東雨は息を整えた。涼景は、自分に容赦はしない。本気で締め殺されてもおかしくない迫力に、後になってから震えがくる。

 犀星は、美しく映える涼景の暁装束まじまじと見た。

「お前がその装束でここにいるということは?」

「そうだ、帝が、その祇桜とかいう桜を直接見にきている」

「…………」

「表は、鳩の首吊りで大騒ぎだ。木を切ろうとした呪いだとか、祟りだとか、好き勝手に言っているぞ。どうするんだ、この始末?」

「仲草どのにお会いになりませんでしたか?」

 玲陽が訊ねた。

「天輝殿の門で会った。それがどうした?」

「それなら、おそらく、大丈夫だと思います」

「大丈夫、とは?」

 表の扉が何度が叩かれた。

「歌仙親王殿下、こちらに、燕将軍はお見えではありませんか!」

「俺の部下だ」

 声を聞いて、涼景が扉を開ける。

「どうした? 陛下の御身は任せたはずだろう?」

「それが、陛下が急に、桜を切ることはやめると、歌仙親王殿下にお伝えするように、と」

「祇桜を助けてくれるのか!」

 思わず、犀星が駆け寄る。

「慈仲草どのが、首吊り桜の話をされて、縁起が良くないから、見送る、と……」

 玲陽が、深く安堵のため息をついた。

「それから……」

 近衛兵は室内を見回して、東雨を見つけると、じっと見つめた。

「東雨どのに、至急、天輝殿にくるように、と」

「お、俺一人、ですか?」

「はい」

「東雨に何の用だ?」

 犀星が割って入る。

「行かせない。今回のこと、東雨は無関係だ」

「若様……」

「東雨に会いたければ、自分で五亨庵に来い、と、陛下にお伝えしろ」

「また、無茶な……」

 緑権と玲陽が揃って肩を落とす。命じられた近衛も、そのような無礼なことを帝に言う勇気はない。

「俺が東雨に同行する。星、陽と一緒に、ほとぼりが冷めるまで、屋敷にいろ。心配するな。こういう時のために、俺がいる」

「涼景様」

 玲陽は涼景を部屋の隅に引っ張っていくと、小声で、

「昨晩はお疲れのご様子、これ以上は体に触ります」

「ふ……お前には隠せないか」

「申し訳ありません」

「お前のせいじゃない。俺が決めたことだ」

「でも……もし、陛下がこれ以上あなたを苦しめるなら……」

 玲陽は懐を探った。

「これを……」

「痛み止めの薬?」

「先日、涼景様にいただいたものです。東雨どのの分も」

「ありがとう」

 涼景は薬を受け取ると、近衛と東雨を連れて表から出ていく。

「俺が表の群衆を引きつけておく。裏からここを離れろ」

「すまない」

「星、気にするな」

 余裕を見せて笑うと、涼景は扉を閉めた。

「俺たちも行くぞ」

「はい」

「緑権、後は任せた」

「あ、あと?」

「俺たちは気分が優れないから屋敷に戻った。鳩は獣に食われた。痕跡も涼景が確認している。手入れがあったら、そう、伝えろ。慈圓も助けてくれる」

「わ、わかりました。お気をつけて!」

 緑権は裏口から出ていく二人を見送った。

「どうしてこう、騒がしいことばかり……」

 と、彼が嘆きのため息をついたとき、表からちょうど慈圓が入ってくる。

「おや、行き違いになったか」

「ちょうど今、お二人で都にお戻りに……」

「そうか。そりゃよかった」

「よかったって……一体、何がどうなっているのか……」

「わしが、あの若造に教えてやっただけだ。人喰い桜の話をな。宮中が帝のものならば、そこに住む鳩も帝の所有物ということになる。あの鳩の次は、帝の番かもしれない、と」

「そ、そんな、陛下を脅すようなこと、おっしゃったんですか! 死にたいんですか!」

「そう、騒ぐな」

 慈圓はゆったりしながら、

「ああ見えて、帝はその手の話を信じる。だからこそ、玲家にこだわる」

「……それは、確かに」

「うまく利用せんとな」

「私にはできません」

 緑権は、すっかり寿命が縮まる思いだった。今夜はきっと、桜の枝で首を吊る夢でも見るだろう。



 屋敷は、一晩空けていただけだが、すっかり冷え切っていた。

 犀星は玲陽の肩を抱きながら、人気がないことを確認しつつ、厳重に戸締りをする。

 木戸の閂を内側からかけ終わり、一息ついた時、後ろで、物音がする。振り返ると、荒い息をした玲陽が、自分の体を抱いて、床の上で震えている。

「おい!」

 外傷はないが、この症状は、傀儡を喰らった直後に近い。

 かなり力を消費している。

「兄様…… 水を、下さい」

「あ、わかった」

 犀星は水瓶にかがむと、表面に張った氷を割り、冷えた水を椀に汲んで、玲陽に飲ませた。

「どこで力を使った?」

「私は……」

「まさか、お前、本当に『枝吊り』を!」

 玲陽は力なく笑った。

「大切なものと引き換えに、願いを叶える……祇桜の探し当てた呪戒は、今でも使えるみたいです。私には、消費する力が大きすぎて……限界……」

 慈圓の口車に乗せられて、帝が手を引いた。

 だが、真実は少し違う。

 玲陽が、大切に思った鳩に願いをかけて、呪戒を行った。その結果として、帝は手を引かざるを得なかった。

「だからお前、自分もやる、と言ったのか」

 犀星に肩車をしてもらい、直接枝に鳩を吊り下げたのは、玲陽である。

「ごめんなさい。本当のことを言ったら、兄様が止めると思って……」

「当たり前だ! 二度とするな!」

 これは、二人だけの秘密にしたい、と玲陽は言った。当然、犀星がその願いを聞かないはずはない。

 ぐったりとした玲陽を抱きかかえて、犀星は自分の部屋に運び入れると、寝台に寝かせ、迷いなく体を重ねた。

「俺から持っていけ」

 額の刺青を合わせる。玲陽は呼吸を整えながら、容赦なく、犀星の力を吸った。犀星の方も、自分の力が抜き取られていくのを感じる。その分、玲陽を救えるなら、命まで捧げても構わない。

 と、不意に、犀星の中に、奇妙な感覚が生まれる。

 今の玲陽は無防備だ。心身共に疲れ、自分のなすがままだ。

 犀星はゆっくりと玲陽の首筋に口づけ、そのまま、やわらかい肌に舌を這わせていく。

 時刻は正午前、午前中の明かりが窓から差してくる。玲陽の蒸気した頬が、吐く白い息が、犀星の本能を目覚めさせる。

 体が冷えないように、と、玲陽の首元まで掛布を持ち上げ、自分はその下に潜り込み、玲陽の着物を少しずつ脱がせてゆく。犀星自身、自分がこのようなことをしていることに、驚いていた。だが、屋敷には二人きりだ。戸締りもした。突然訪ねてくる涼景も、今は手が離せないだろう。今なら、何をしようと、二人だけの秘密になる……

 それに、今は、こうしたい。何もかも、投げ出したい。

 胸が苦しい。

「なぁ、陽」

 犀星は面纱を取り去ると、玲陽と息を絡ませた。

「兄様?」

「俺の魂、少しでいい、持っていってくれ」

「……え?」

 玲陽が拒む間も無く、犀星は深く玲陽に口付けると、その感触を貪るように何度も舌を吸い上げた。

「駄目!」

 押し返そうとする玲陽を、力で押さえつけ、犀星は口づけをやめない。

 玲陽の方も、流されていく自分に困惑しながら、どうにか、顔を背けて犀星から逃れる。犀星はそのまま、玲陽の首筋から鎖骨、胸へと唇を這わせ、ついばみながら両手でその体を撫で、着物を肩から引き下ろした。

 治癒しているとはいえ、痛々しい傷跡の一つ一つを、指先でたどり、口付けていく。

 犀星の方から、自分を求めてくることは、初めてだった。

 嬉しい反面、それを素直に受け入れられない思いが、玲陽には残されている。

 今、この瞬間、涼景と東雨は、どんな目に遭わされているのか。

 自分のしたことで、あの二人を巻き込んでしまった。

「あ……」

 犀星に触れられる肌が熱い。室温と体温の差のためではない。

 熱く、うずいて、焼けるように心地よい。次第と、涼景たちのことが遠のいていく。

 もっと触れて欲しい。気が遠くなるような快感に、玲陽は初めて溺れていた。

 今まで同じようなことをされても、嫌悪感しか感じなかった身体が、本能的に犀星を求めて我が儘になっていく。

 欲しい。ただ、この人だけが、欲しい。

 玲陽は袖から腕を抜くと、犀星の帯を解いた。

 直接触れたい。あなたに……

 呼吸は荒くなる一方だが、苦しさとは違う。

 震える手で、犀星の着物を脱がせると、暖かく逞しい胸筋の影がうっすらと見えた。

 玲陽の仕草を、犀星もされるがままに見下ろしている。その目も潤み、まるで自分自身を鏡に映しているかのように思われる。

「陽」

 二人はそっと肌と肌を重ねて、強く相手を抱きしめた。

 歌仙で再会したとき、犀星はこうして、冷えた玲陽を温めた。

 だが、今は玲陽の体も熱く、命が燃えていることを誇示している。自分への思いで溢れたその身体が、愛おしいと同時に、邪魔にも思われた。もっと、玲陽の本質に触れたい。魂を抱きたい。一つになりたい。

 自然と湧いてくる感情は、犀星を狂わせるように大胆にさせていく。もう、待てない。

 傷だらけの胸に顔を押し付けると、確かな鼓動が聞こえる。生きている。それがこんなにも嬉しい。ただ、そのことが嬉しい。

 傷跡を舌でたどるうちに、犀星の唇が左胸の突起に触れる。反射的に玲陽が声を上げて上体を捻った。

 犀星はそのまま口に含むと、舌で転がしながら、唇で甘く挟む。

 犀星からの刺激に、玲陽は自分でも初めて聞く声が止まらなくなっている。

 こんなことは、散々されてきたというのに、全く違う。

 こんなにも、喜びを感じる行為として、受け止められるとは。玲陽は正気を失っていく自分を感じた。

 犀星の手が、右の胸をまさぐる。だが、二人とも知っている。右胸には、痕跡はあるものの、先端は噛みちぎられて、わずかに凹んで傷が塞がっていた。犀星の指先がそこに触れた瞬間、

「いやぁっ!」

 それは一瞬、玲陽に雷が落ちたかのような衝撃だった。

「陽!」

 犀星が我に返って玲陽を抱きしめる。腕の中で暴れる玲陽をしっかりと抱きながら、犀星は声をかけ続けた。

「大丈夫、俺がいる。わかるな」

「……星……」

「ああ。そうだよ。いい子だ……」

 犀星は静かに髪を撫でてやりながら、玲陽を寝台に押さえつけ、頬に顔を擦り寄せる。

「大丈夫……大丈夫だから……」

 そう、繰り返し、過去の恐怖が蘇った玲陽を落ち着かせる。

 こうなる予感が、犀星にはあった。だから、自分から玲陽には触れずにいようと思った。

 だが、どうしても、自分を抑え切れなかった。自分のせいだ。もっと慎重になるべきだったのだ。

「ごめん、陽…… もう、しないから」

「やだ」

 すんなりと、玲陽は本心を口にした。

「あなたと、したい」

「……ありがとう」

 犀星は頬に口づけ、

「じゃあ、ゆっくり進もうな。今日はすまない。俺は、どうかしてた」

「星……」

「うん?」

「謝らないで……副作用、だと思うんです」

「副作用?」

「あなたは私に力をくれた。私は自分の力を補うため、多くの量をあなたから抜き取った」

「だから、俺も、枯渇して、お前を求めた?」

「はい。二人の力を使っても、あの呪戒は成し得るのが困難なほど、力を削る。それを一人で行っていた祇桜とは、本当に、力がなかったのでしょうか……」

「人間じゃ、なかったのかもな」

「え?」

「お前と同じ」

「…………」

「仙境からの申し子」

「星……」

「人だろうと、なかろうと、お前は俺の全てだから」

 犀星は玲陽の首の下に腕を差し入れ、半裸の身体を寄せた。

 玲陽はその、無防備過ぎる寝顔を見ながら、ふと、一つの疑問が浮かんだ。

 犀星は、なぜ、皇帝が東雨一人を呼び出したことに、疑問を持たなかったのか。そのことに関して、当然、不思議に思ってもいいはずではないか。

『今回のことに、東雨は無関係だ』

 確か、犀星はそう言った。普通なら、なぜ東雨が呼ばれるのか、と問うはずではないのか。

 もしかして、気づいている?

 玲陽は胸がざわついた。

 裏切られていることに気づいていながら、知らないふりをしている?

 だが、それを、犀星本人に確かめることはできないのだ。
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