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第一部 星誕

第八話 さだめ

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 静かに話せる場所を、と、玲芳は玲家本宅の離れに、犀星たちを案内した。

 奥の部屋に通されたのは、犀星と玲陽だけである。

 涼景と東雨は、別の部屋で昼餉を振る舞われたが、涼景はともかく、東雨の機嫌は最悪そのものだった。

「その魚、いらないなら俺がもらうが?」

「どうぞ!」

 乱暴に、東雨は答えると、涼景の方へ皿を押した。

「全く、あの方々は何を話してるんでしょうね」

「お前には難しすぎる話だ」

「一言多いです。領家様」

「いつものことだろう」

「大体、若様の事は私がしっかりと皇帝陛下から任されているんです。若様に関することで、私が知らないことがあってはいけません」

「確かにそれは一理あるが、玲家のことに関しては何も言えないんだ」

「だからって、除け者なんて……涼景様は、腹が立たないんですか? 光理様の命を救ったのは、涼景様の医術じゃありませんか。寝る間も惜しんで薬や道具を用意したり、兄様と交代でそばについていたり……玲家は、もっと涼景様に感謝するべきです」

「お前も、遠慮なく言うようになったな」

「そりゃ、毎晩のように、若様と涼景様の政治論だの軍事論だのに付き合っていたら、屁理屈も出てくるようになります」

「立派な理屈だ。安心しろ」

 涼景は疲れこそ見えるものの、機嫌はいいようだった。犀星と、その最愛の相手を救うことが叶った今、彼はどんな勝ち戦の名乗りよりも、誇らしい気持ちでいる。もとより、軍人には向かない、気性の優しい男である。

「別に、礼が欲しくて陽を助けた訳じゃない。あいつらがそれで心が休まるなら、俺にはそれが何よりの代償だ」

「涼景様は欲がなさすぎます」

 東雨はとっくの昔から知っていることを繰り返した。涼景も相当に苦労しているはずなのだが、物欲や出世欲を見せない不思議な所がある。

「あーあ、これからどうなっちゃうんだろ」

「どうって…… 陽を都へ連れて帰る」

「その後は?」

「あいつらの好きなようにさせれば良い」

「涼景様は、若様の人柄をご存知ですよね? あんな強情な人が、光理様と暮らしていけるとは思えないのですが」

「それは心配ない。陽の前では、星など、かわいいものだ」

「? どういう意味です? まさか、光理様の方が、すごいわがままとか?」

「それは、逆だな」

「もう、何が何だか……」

 料理には、ほとんど箸もつけないまま、羊毛織の絨毯の上に、東雨は仰向けにひっくり返る。

 今までの彼なら、ごちそうとあらば喜んで食いついていたものを……

「あら、お行儀が悪いこと!」

 突然、部屋に入ってきた若い娘が、きつい口調で東雨を睨みつけた。

 引き締まった青色の着物に、銀色の長帯をかけ、絹の羽織に美しい珠玉を下げている。身なりも顔も上品そうだが、口の悪さはすぐに露見した。

「誰だよ、お前」

 東雨の方も喧嘩腰である。少女は自分より明らかに年下だ。

「私を知らないで、よく屋敷に上がれたものね!」

「悪かったな。こんな田舎に知り合いはいないんでね」

「まぁ!」

 感情的になった少女は、あろうことか、東雨の胸ぐらを掴んで引き起こし、座らせた。

「馬鹿力……」

「都の男はひ弱だと聞いていたけど、あんたもそうみたいね」

「何だと! こ、これでも若様から一通りの剣術は習っている。お前なんかには負けない」

「じゃあ、私の槍と勝負しましょう!」

「やめろ、二人とも……」

 白米をかきこみながら、二人のやりとりを呑気に見物していた涼景も、さすがに止めに入った。

「東雨、大人気ないのは、星に似たのか?」

「涼景様にも似てしまったようです!」

 東雨の嫌味は、暁将軍にまで飛び火する。

「涼景様、この無礼な男は誰です!」

 ついに、少女までが、涼景を尋問に入る。

 涼景は茶を飲み干して、一服つきながら、

「今時の若い連中は、相手の立場も身分も名前も知らずに、いきなり喧嘩を売るのか?」

「そ、それは……」

 さすがにまずかったか、と東雨は引き下がった。東雨の主人は犀星であり、東雨が失態を見せることは、犀星の汚名にもなってしまう。

​ 少女の方も、男まさりの勝ち気な性格は生まれながららしく、一歩も引かないものの、涼景の身分は理解していると見えて、不満そうに口をつぐんだ。

「お前たち、喧嘩をするのも勝手だが、外でやってくれ」

「涼景様、あなたこそ、こんなところにいていいんですか?」

 びくりと、涼景の箸が止まる。叱られたからなのか、と東雨は思ったが、そうではないらしい。

「凛、春とは会っているのか?」

「ええ。昨日もお話をしに行きました。薄情な兄上が家を空けっぱなしにするものだから、春ちゃん、ほんとに寂しがっていましたよ」

「あの……どこから質問していいかわからないんですが……」

 会話についていけない東雨が、これ以上置き去りにされてたまるものか、と口を挟む。

 涼景は、魚をつまみながら、

「こちらは、玲家の御息女、次期当主の玲凛どのだ。つまり、陽の妹君」

「玲凛と申します」

 やたらと気取って見せて、玲凛はわざとらしくすまし返った。だが、そんな素振りにも嫌味に感じるところは無い。

「年齢は確か東雨より少し下だったな」

「はい、春ちゃんと同じ、十三になります」

「じゃぁ、俺の事は東雨様と呼べ」

 東雨が年上ぶる。

「ふふふ……そうおっしゃると言うことは、まだ、字もお持ちではないのですね。わかりました、東雨どの」

「こいつ……」

 ここ数日の鬱憤が溜まっているのか、東雨も喧嘩っ早くなっている。涼景は、ここでも余計な苦労をしそうな予感がした。自分はどうしていつも、貧乏くじを引いてしまうのだろうか。宮中では皆が振り返る華麗なる暁将軍だというのに、この歌仙では、面倒見の良い、都合よくこき使われる立場に甘んじている。最も、そんな自分が自然体であると感じる涼景には、心地よさもあった。

 しかし、若者二人の熱は冷めやらない。

「大体、人の屋敷に上がり込んで飲み食いしておきながら、その家のことを悪く言うなんて、しつけがなっていないとしか思えません。あなたの主人である星兄様は、日ごろからそのような教育をなさっておいでか」

「若様を愚弄するな! しかも、お名前を呼ぶなんて無礼なのはどっちだ!」

 思わず東雨は立ち上がる。犀星のこととなると、彼も頭に血が上りやすい。主従揃ってこれでは、先が思いやられると言うものだ。涼景はため息を禁じ得なかった。

「お前だって、玲家のお嬢様なら、特別なことができるんだろ! やってみせろよ!」

 一瞬、強気だった玲凛の表情が曇る。涼景はそれを見逃さなかった。

「東雨、それくらいにしろ! 陽だって、そのために苦しんでいるんだ」

 涼景の助け舟に感謝しながらも、そこは気の強い凛である。毅然として、

「残念ながら、私にはその力は受け継がれていないようです」

「じゃぁ、奥様の後、誰が継ぐっていうんだ? 玲家は代々女系なんだろう?」

「母上の跡目は私が継ぎます。ただ、私の娘に期待するしかありません」

「娘?……まぁ……そういうことになるのか。でも必ず女の子が生まれるとは限らないし、その子に力があるとも限らない。第一、そんなおてんばで結婚できるとは思えないけど……」

「あなた、本当に失礼な人ね! 昔の星兄様なら、そんな言い方をしませんでしたわ」

「子供の頃の若様を知っているのか?」

「もちろんです」

 玲凛は勝ち誇ったように笑った。当然、玲凛と犀星は共に過ごした時期がある。だが、それは彼女がわずか五歳になるかならないかの間だけで、ほとんど記憶などない。それでも東雨に対する優越感か、彼女は強調してみせた。

「星兄様は志をお持ちで、とてもお強かった。礼儀正しく、帝の血筋にふさわしい方です。どこの馬の骨とも知れない誰かさんとは違います」

「誰かさんじゃない! 東雨だ」

「姓を東、名を雨…字はまだない」

 玲凛はおかしそうに笑った。

「大人にもなり切れない、一言多くて、失礼で、そんな人が、それこそ将来、どこまで出世できるやら」

「なんだと、お前の方こそ……」

「もうやめろ。罵り合うのを見るのはごめんだ」

 涼景が二人の間に割って入る。不機嫌なわけではないが、彼としても疲労が溜まっている。寝不足の頭に、二人の大声が割れそうに響いていた。

「失礼いたしました」

 姿勢を改めて、玲凛は涼景にだけ丁寧にお辞儀をした。

「でも、涼景様、春ちゃんが寂しがっているのは本当です。どうか、ここにお戻りの間だけでも、おそばにいてあげてください」

 涼景は何を思ったのか、食事を終えると、そのまま静かに立ちあがった。

「お帰りになるんですか?」

 玲凛が声をかける。

「いや、侶香様にお会いしてくる」

「今度は犀家ですか? あなたのご自宅は燕家ですよ」

「東雨、凛をいじめるなよ。彼女の槍術は侶香様直伝だ。恐ろしく強いぞ」

「涼景様ったら……」

 玲凛は、頬をふくらませた。小さく笑いながら、涼景が出ていく。

 そんな二人のやりとりを東雨はふくれっ面で横目で見ながら、

「涼景様とも仲がいいんだな」

 と少し羨ましげに言った。凛は首を横に振った。

「正確には私はあまり親しくは無いのです」

 玲凛は気が抜けたように、おとなしく答えた。

「私は涼景様の妹の燕春と仲が良いの。同い年のこともあって、まるで星兄様と陽兄様のように、二人でよく話をして…ってどうしてそんなことあなたに話さなきゃいけないんですか!」

「勝手にそっちが言い出したんだろ!」

「まぁ! やはり、あなたとは気が合いません!」

「こっちもごめんだね!」



 若い二人がそんな悶着をしていた頃、犀星たちが呼ばれた離れた部屋には、深刻な空気が流れていた。

「星、陽、よくお聞きなさい。これからあなた達の身に起こりうることを、私が知る限りのすべてのことを伝えましょう」

 玲芳は覚悟を決めた様子だった。

 給仕の者たちを遠ざけると、二人の青年の正面に座り、膝を正す。

 傷のため、まだ座ることのできない玲陽は、犀星の膝に頭を乗せたまま、伏せ目がちに横たわっている。犀星は片腕を玲陽の肩にかけ、上半身を抱きかかえた。胸を支えてくれるその手を、玲陽が頼りにするように両手で握る。

 玲芳は、これから話すべきことと、若い二人の愛情の前に、言葉を詰まらせた。

 ようやく再会した彼らに、自分は残酷な現実を突きつけなければならない。

 玲芳は敢えて玲陽から目を外し、主に犀星に向けて話し始めた。

「この話は玲家の女子にしか伝わらないものです。今の世で言えば、凛にするべき話です。それをあえてあなたたちにする意味は何か、お分かりですか」

「男ながらに、陽が持つ、浄化の力ゆえ、でしょうか」

「それもひとつです。そしてまた、星、あなたも、あの砦で奇跡を起こしました。もう、疑うべくもありません。今の時代、玲家の力は、あなたたち二人が受け継いでいるのです」

「なぜ、女性にのみ現れるはずの力が、俺たちに?」

「それは、私にもわかりません。しかし、玲家の始祖は男性であったと聞いています。神通力を持つ、仙人のような人であったと。それが事実ならば、このように先祖返りを起こしても、おかしくはありません」

「何かが、起きようとしている気がします」

 犀星は自分の手を撫でる玲陽を怖がらせない程度に、不安を示した。

「叔母上がおっしゃる通りだとするなら、力を継ぐものが女性から男性に代わり、同時に二人現れたことになります。そのようなことが、今まであったのですか?」

「いえ、聞いたことはありません。けれど、私もあなたと同意見です。この変化には、何かの意味がある、と」

 玲芳は、脇に置いてあった地図を広げ、犀星たちに示した。

「これは、玲家の力が及ぶ範囲を描いたものです。この地図にある地域で生まれる、憎しみや恨みを抱いたまま亡くなった魂は、全て、あの砦に集まってきます」

「もしかして、玲家以外にも、そのような力を持つ家系が?」

 玲芳は頷いた。

「はるか東には、また、別の民族が、私たちと同じように、浄化にあたっていると聞いたことがあります」

「まるで、政治の世界の地方統治のようですね」

「仕組みはそれと同じことでしょう。世界全てを、わずかな人数で浄化することはできませんから」

「理屈はわかりました。私たちは、この絵地図にある地域に存在する、悪しきものを正す運命だと」

「はい」

 玲芳は、まず、一息をついた。そして、改めて続けた。

「憎しみの魂……私たちは、魂魄(こんぱく)と呼んでいますが……それらは、あの砦に集中していました。あそこに湧き出す仙水の力によるのかもしれません。しかし、ここ数年、その魂魄の数が減少しています」

「それは、良いことではありませんか? 憎しみを持ったまま亡くなる者が少なくなった、ということでは?」

「ならばよいのですが……」

 玲芳は絵地図をたどり、歌仙から北に指を滑らせた。

「……安永(あんえい)地方……まさか、都ですか?」

 ちらり、と玲陽が絵地図を見た。

「……いますね」

 ため息のように、玲陽は言った。

「歌仙より、魂魄の霧が濃く立ち込めています」

「陽、お前、見えるのか」

 こくり、と玲陽は頷いた。

「嫌な雰囲気を感じます。他にも……」

 と、玲陽はいくつかの地名を口にした。

 犀星が膝の上に置いていた方の手を握りしめる。

 玲陽が言い当てたのは、最近、内乱が頻発し、帝が軍隊を差し向けた場所ばかりだ。

 十年間、外界と遮断されていた玲陽が、そんな情勢を知るはずもない。だというのに彼の示した地名は明らかに、虐殺の行われた場所であった。

「陽には見えています。人の魂の成れの果てが。その、金色の瞳を持った時から……」

 玲芳は憐れむように、息子を見たが、玲陽が目を合わせることはなかった。

「歌仙ではなく、都に、魂魄が集まり始めている、と?」

「そういうことになるでしょう。星、都の情勢については、あなたの方が詳しいはず」

「都も宮中も、一見正常に見えます。しかし、強き力を追い求めるがため、その礎となるべきものが欠けている」

「あなたはそれを、何だと思いますか」

「……愛がなく、憎しみだけがある」

「ええ。あの浄土の逆の状態です」

「このままでは、都はどうなりますか?」

 玲芳は深く息をついた。

「魂魄は際限なく集まってくるでしょう。それらはやがて傀儡(かいらい)を作り出します。まさに、憎しみだけで出来上がった魂です。命のない人形……」

「人形?」

「正確には、誰かに取り憑くことで、その者本来の意志を奪い、暴虐のかぎりを尽くすでしょう」

「……そういうことでしたか」

 犀星は眉根を寄せた。

 自分が都で感じ続けていた違和感、宮中での異様な気配、陰謀が渦巻くのは当然の場所であるとしても、どこか異常性を感じさせる出来事の数々……

「すでに、傀儡は存在し始めていると思います」

 言葉を選びながら、犀星は言った。

「そして、一番よくない相手を取り込もうとしている」

「……宝順帝ですね」

「叔母上!」

「いくら私の力が弱くとも、それくらいのことはわかります。あの方がまだ皇子であった頃、一度、姉上の見舞いに来てくださったことがありました」

「…………」

 自分さえ、記憶にない母を、宝順は知っている?

 犀星の心に何か胸騒ぎが起きる。敏感にそれを感じ取ったのか、玲陽は、犀星の手を撫でるのをやめ、強く握った。

「あの方は、お心のとてもお優しい方でした。あなたのことも案じて、都から無事に出られるよう、計ってくださったのです」

「まさか……将来、玉座を争うかもしれない私を助けたと?」

「どのような意図があったのかはわかりません。しかし、あの頃の帝は、本当に美しい心をお持ちだった……」

「……ですが」

「知っています。彼が変わってしまったことは……澄んだ心の持ち主ほど、傀儡は取り憑きやすいのです」

「では、今の帝は、傀儡に操られていると?」

「それはわかりません。完全に手に落ちてしまったのか、それともまだ自我があるのか、または、別の理由か……」

「どちらにせよ、敵となるやもしれない相手、と言うことですね」

「あなたの立場であれば、謀反となります」

 はっきりと玲芳は言った。

「それでも、都に戻りますか? 陽を連れて、どこか、遠い土地へ……あなた達が苦しまなくても良い場所へ、逃れようとは思いませんか?」

 まるで、そうしてくれ、と嘆願するような玲芳の声に、犀星は即答できなかった。

「母上」

 玲陽が、沈黙を破る。

「少し、ふたりだけにしていただけませんか」

 玲芳はじっと玲陽を見つめていたが、やがて、目を閉じた。

「わかりました。一刻、待ちましょう。けれど、ひとつだけ、約束をして下さい」

 玲芳は言いにくそうに視線を彷徨わせてから、声をひそめた。

「決して、口づけを交わしてはなりません」

「!」

 突然のことに、犀星の心臓が跳ねる。

「……母上、兄様でさえ?」

 玲陽が初めて、母を見た。玲芳も、玲陽の瞳を見返した。

「ええ。星であろうとも、です」
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