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第一部 星誕
第八話 さだめ
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静かに話せる場所を、と、玲芳は玲家本宅の離れに、犀星たちを案内した。
奥の部屋に通されたのは、犀星と玲陽だけである。
涼景と東雨は、別の部屋で昼餉を振る舞われたが、涼景はともかく、東雨の機嫌は最悪そのものだった。
「その魚、いらないなら俺がもらうが?」
「どうぞ!」
乱暴に、東雨は答えると、涼景の方へ皿を押した。
「全く、あの方々は何を話してるんでしょうね」
「お前には難しすぎる話だ」
「一言多いです。領家様」
「いつものことだろう」
「大体、若様の事は私がしっかりと皇帝陛下から任されているんです。若様に関することで、私が知らないことがあってはいけません」
「確かにそれは一理あるが、玲家のことに関しては何も言えないんだ」
「だからって、除け者なんて……涼景様は、腹が立たないんですか? 光理様の命を救ったのは、涼景様の医術じゃありませんか。寝る間も惜しんで薬や道具を用意したり、兄様と交代でそばについていたり……玲家は、もっと涼景様に感謝するべきです」
「お前も、遠慮なく言うようになったな」
「そりゃ、毎晩のように、若様と涼景様の政治論だの軍事論だのに付き合っていたら、屁理屈も出てくるようになります」
「立派な理屈だ。安心しろ」
涼景は疲れこそ見えるものの、機嫌はいいようだった。犀星と、その最愛の相手を救うことが叶った今、彼はどんな勝ち戦の名乗りよりも、誇らしい気持ちでいる。もとより、軍人には向かない、気性の優しい男である。
「別に、礼が欲しくて陽を助けた訳じゃない。あいつらがそれで心が休まるなら、俺にはそれが何よりの代償だ」
「涼景様は欲がなさすぎます」
東雨はとっくの昔から知っていることを繰り返した。涼景も相当に苦労しているはずなのだが、物欲や出世欲を見せない不思議な所がある。
「あーあ、これからどうなっちゃうんだろ」
「どうって…… 陽を都へ連れて帰る」
「その後は?」
「あいつらの好きなようにさせれば良い」
「涼景様は、若様の人柄をご存知ですよね? あんな強情な人が、光理様と暮らしていけるとは思えないのですが」
「それは心配ない。陽の前では、星など、かわいいものだ」
「? どういう意味です? まさか、光理様の方が、すごいわがままとか?」
「それは、逆だな」
「もう、何が何だか……」
料理には、ほとんど箸もつけないまま、羊毛織の絨毯の上に、東雨は仰向けにひっくり返る。
今までの彼なら、ごちそうとあらば喜んで食いついていたものを……
「あら、お行儀が悪いこと!」
突然、部屋に入ってきた若い娘が、きつい口調で東雨を睨みつけた。
引き締まった青色の着物に、銀色の長帯をかけ、絹の羽織に美しい珠玉を下げている。身なりも顔も上品そうだが、口の悪さはすぐに露見した。
「誰だよ、お前」
東雨の方も喧嘩腰である。少女は自分より明らかに年下だ。
「私を知らないで、よく屋敷に上がれたものね!」
「悪かったな。こんな田舎に知り合いはいないんでね」
「まぁ!」
感情的になった少女は、あろうことか、東雨の胸ぐらを掴んで引き起こし、座らせた。
「馬鹿力……」
「都の男はひ弱だと聞いていたけど、あんたもそうみたいね」
「何だと! こ、これでも若様から一通りの剣術は習っている。お前なんかには負けない」
「じゃあ、私の槍と勝負しましょう!」
「やめろ、二人とも……」
白米をかきこみながら、二人のやりとりを呑気に見物していた涼景も、さすがに止めに入った。
「東雨、大人気ないのは、星に似たのか?」
「涼景様にも似てしまったようです!」
東雨の嫌味は、暁将軍にまで飛び火する。
「涼景様、この無礼な男は誰です!」
ついに、少女までが、涼景を尋問に入る。
涼景は茶を飲み干して、一服つきながら、
「今時の若い連中は、相手の立場も身分も名前も知らずに、いきなり喧嘩を売るのか?」
「そ、それは……」
さすがにまずかったか、と東雨は引き下がった。東雨の主人は犀星であり、東雨が失態を見せることは、犀星の汚名にもなってしまう。
少女の方も、男まさりの勝ち気な性格は生まれながららしく、一歩も引かないものの、涼景の身分は理解していると見えて、不満そうに口をつぐんだ。
「お前たち、喧嘩をするのも勝手だが、外でやってくれ」
「涼景様、あなたこそ、こんなところにいていいんですか?」
びくりと、涼景の箸が止まる。叱られたからなのか、と東雨は思ったが、そうではないらしい。
「凛、春とは会っているのか?」
「ええ。昨日もお話をしに行きました。薄情な兄上が家を空けっぱなしにするものだから、春ちゃん、ほんとに寂しがっていましたよ」
「あの……どこから質問していいかわからないんですが……」
会話についていけない東雨が、これ以上置き去りにされてたまるものか、と口を挟む。
涼景は、魚をつまみながら、
「こちらは、玲家の御息女、次期当主の玲凛どのだ。つまり、陽の妹君」
「玲凛と申します」
やたらと気取って見せて、玲凛はわざとらしくすまし返った。だが、そんな素振りにも嫌味に感じるところは無い。
「年齢は確か東雨より少し下だったな」
「はい、春ちゃんと同じ、十三になります」
「じゃぁ、俺の事は東雨様と呼べ」
東雨が年上ぶる。
「ふふふ……そうおっしゃると言うことは、まだ、字もお持ちではないのですね。わかりました、東雨どの」
「こいつ……」
ここ数日の鬱憤が溜まっているのか、東雨も喧嘩っ早くなっている。涼景は、ここでも余計な苦労をしそうな予感がした。自分はどうしていつも、貧乏くじを引いてしまうのだろうか。宮中では皆が振り返る華麗なる暁将軍だというのに、この歌仙では、面倒見の良い、都合よくこき使われる立場に甘んじている。最も、そんな自分が自然体であると感じる涼景には、心地よさもあった。
しかし、若者二人の熱は冷めやらない。
「大体、人の屋敷に上がり込んで飲み食いしておきながら、その家のことを悪く言うなんて、しつけがなっていないとしか思えません。あなたの主人である星兄様は、日ごろからそのような教育をなさっておいでか」
「若様を愚弄するな! しかも、お名前を呼ぶなんて無礼なのはどっちだ!」
思わず東雨は立ち上がる。犀星のこととなると、彼も頭に血が上りやすい。主従揃ってこれでは、先が思いやられると言うものだ。涼景はため息を禁じ得なかった。
「お前だって、玲家のお嬢様なら、特別なことができるんだろ! やってみせろよ!」
一瞬、強気だった玲凛の表情が曇る。涼景はそれを見逃さなかった。
「東雨、それくらいにしろ! 陽だって、そのために苦しんでいるんだ」
涼景の助け舟に感謝しながらも、そこは気の強い凛である。毅然として、
「残念ながら、私にはその力は受け継がれていないようです」
「じゃぁ、奥様の後、誰が継ぐっていうんだ? 玲家は代々女系なんだろう?」
「母上の跡目は私が継ぎます。ただ、私の娘に期待するしかありません」
「娘?……まぁ……そういうことになるのか。でも必ず女の子が生まれるとは限らないし、その子に力があるとも限らない。第一、そんなおてんばで結婚できるとは思えないけど……」
「あなた、本当に失礼な人ね! 昔の星兄様なら、そんな言い方をしませんでしたわ」
「子供の頃の若様を知っているのか?」
「もちろんです」
玲凛は勝ち誇ったように笑った。当然、玲凛と犀星は共に過ごした時期がある。だが、それは彼女がわずか五歳になるかならないかの間だけで、ほとんど記憶などない。それでも東雨に対する優越感か、彼女は強調してみせた。
「星兄様は志をお持ちで、とてもお強かった。礼儀正しく、帝の血筋にふさわしい方です。どこの馬の骨とも知れない誰かさんとは違います」
「誰かさんじゃない! 東雨だ」
「姓を東、名を雨…字はまだない」
玲凛はおかしそうに笑った。
「大人にもなり切れない、一言多くて、失礼で、そんな人が、それこそ将来、どこまで出世できるやら」
「なんだと、お前の方こそ……」
「もうやめろ。罵り合うのを見るのはごめんだ」
涼景が二人の間に割って入る。不機嫌なわけではないが、彼としても疲労が溜まっている。寝不足の頭に、二人の大声が割れそうに響いていた。
「失礼いたしました」
姿勢を改めて、玲凛は涼景にだけ丁寧にお辞儀をした。
「でも、涼景様、春ちゃんが寂しがっているのは本当です。どうか、ここにお戻りの間だけでも、おそばにいてあげてください」
涼景は何を思ったのか、食事を終えると、そのまま静かに立ちあがった。
「お帰りになるんですか?」
玲凛が声をかける。
「いや、侶香様にお会いしてくる」
「今度は犀家ですか? あなたのご自宅は燕家ですよ」
「東雨、凛をいじめるなよ。彼女の槍術は侶香様直伝だ。恐ろしく強いぞ」
「涼景様ったら……」
玲凛は、頬をふくらませた。小さく笑いながら、涼景が出ていく。
そんな二人のやりとりを東雨はふくれっ面で横目で見ながら、
「涼景様とも仲がいいんだな」
と少し羨ましげに言った。凛は首を横に振った。
「正確には私はあまり親しくは無いのです」
玲凛は気が抜けたように、おとなしく答えた。
「私は涼景様の妹の燕春と仲が良いの。同い年のこともあって、まるで星兄様と陽兄様のように、二人でよく話をして…ってどうしてそんなことあなたに話さなきゃいけないんですか!」
「勝手にそっちが言い出したんだろ!」
「まぁ! やはり、あなたとは気が合いません!」
「こっちもごめんだね!」
若い二人がそんな悶着をしていた頃、犀星たちが呼ばれた離れた部屋には、深刻な空気が流れていた。
「星、陽、よくお聞きなさい。これからあなた達の身に起こりうることを、私が知る限りのすべてのことを伝えましょう」
玲芳は覚悟を決めた様子だった。
給仕の者たちを遠ざけると、二人の青年の正面に座り、膝を正す。
傷のため、まだ座ることのできない玲陽は、犀星の膝に頭を乗せたまま、伏せ目がちに横たわっている。犀星は片腕を玲陽の肩にかけ、上半身を抱きかかえた。胸を支えてくれるその手を、玲陽が頼りにするように両手で握る。
玲芳は、これから話すべきことと、若い二人の愛情の前に、言葉を詰まらせた。
ようやく再会した彼らに、自分は残酷な現実を突きつけなければならない。
玲芳は敢えて玲陽から目を外し、主に犀星に向けて話し始めた。
「この話は玲家の女子にしか伝わらないものです。今の世で言えば、凛にするべき話です。それをあえてあなたたちにする意味は何か、お分かりですか」
「男ながらに、陽が持つ、浄化の力ゆえ、でしょうか」
「それもひとつです。そしてまた、星、あなたも、あの砦で奇跡を起こしました。もう、疑うべくもありません。今の時代、玲家の力は、あなたたち二人が受け継いでいるのです」
「なぜ、女性にのみ現れるはずの力が、俺たちに?」
「それは、私にもわかりません。しかし、玲家の始祖は男性であったと聞いています。神通力を持つ、仙人のような人であったと。それが事実ならば、このように先祖返りを起こしても、おかしくはありません」
「何かが、起きようとしている気がします」
犀星は自分の手を撫でる玲陽を怖がらせない程度に、不安を示した。
「叔母上がおっしゃる通りだとするなら、力を継ぐものが女性から男性に代わり、同時に二人現れたことになります。そのようなことが、今まであったのですか?」
「いえ、聞いたことはありません。けれど、私もあなたと同意見です。この変化には、何かの意味がある、と」
玲芳は、脇に置いてあった地図を広げ、犀星たちに示した。
「これは、玲家の力が及ぶ範囲を描いたものです。この地図にある地域で生まれる、憎しみや恨みを抱いたまま亡くなった魂は、全て、あの砦に集まってきます」
「もしかして、玲家以外にも、そのような力を持つ家系が?」
玲芳は頷いた。
「はるか東には、また、別の民族が、私たちと同じように、浄化にあたっていると聞いたことがあります」
「まるで、政治の世界の地方統治のようですね」
「仕組みはそれと同じことでしょう。世界全てを、わずかな人数で浄化することはできませんから」
「理屈はわかりました。私たちは、この絵地図にある地域に存在する、悪しきものを正す運命だと」
「はい」
玲芳は、まず、一息をついた。そして、改めて続けた。
「憎しみの魂……私たちは、魂魄(こんぱく)と呼んでいますが……それらは、あの砦に集中していました。あそこに湧き出す仙水の力によるのかもしれません。しかし、ここ数年、その魂魄の数が減少しています」
「それは、良いことではありませんか? 憎しみを持ったまま亡くなる者が少なくなった、ということでは?」
「ならばよいのですが……」
玲芳は絵地図をたどり、歌仙から北に指を滑らせた。
「……安永(あんえい)地方……まさか、都ですか?」
ちらり、と玲陽が絵地図を見た。
「……いますね」
ため息のように、玲陽は言った。
「歌仙より、魂魄の霧が濃く立ち込めています」
「陽、お前、見えるのか」
こくり、と玲陽は頷いた。
「嫌な雰囲気を感じます。他にも……」
と、玲陽はいくつかの地名を口にした。
犀星が膝の上に置いていた方の手を握りしめる。
玲陽が言い当てたのは、最近、内乱が頻発し、帝が軍隊を差し向けた場所ばかりだ。
十年間、外界と遮断されていた玲陽が、そんな情勢を知るはずもない。だというのに彼の示した地名は明らかに、虐殺の行われた場所であった。
「陽には見えています。人の魂の成れの果てが。その、金色の瞳を持った時から……」
玲芳は憐れむように、息子を見たが、玲陽が目を合わせることはなかった。
「歌仙ではなく、都に、魂魄が集まり始めている、と?」
「そういうことになるでしょう。星、都の情勢については、あなたの方が詳しいはず」
「都も宮中も、一見正常に見えます。しかし、強き力を追い求めるがため、その礎となるべきものが欠けている」
「あなたはそれを、何だと思いますか」
「……愛がなく、憎しみだけがある」
「ええ。あの浄土の逆の状態です」
「このままでは、都はどうなりますか?」
玲芳は深く息をついた。
「魂魄は際限なく集まってくるでしょう。それらはやがて傀儡(かいらい)を作り出します。まさに、憎しみだけで出来上がった魂です。命のない人形……」
「人形?」
「正確には、誰かに取り憑くことで、その者本来の意志を奪い、暴虐のかぎりを尽くすでしょう」
「……そういうことでしたか」
犀星は眉根を寄せた。
自分が都で感じ続けていた違和感、宮中での異様な気配、陰謀が渦巻くのは当然の場所であるとしても、どこか異常性を感じさせる出来事の数々……
「すでに、傀儡は存在し始めていると思います」
言葉を選びながら、犀星は言った。
「そして、一番よくない相手を取り込もうとしている」
「……宝順帝ですね」
「叔母上!」
「いくら私の力が弱くとも、それくらいのことはわかります。あの方がまだ皇子であった頃、一度、姉上の見舞いに来てくださったことがありました」
「…………」
自分さえ、記憶にない母を、宝順は知っている?
犀星の心に何か胸騒ぎが起きる。敏感にそれを感じ取ったのか、玲陽は、犀星の手を撫でるのをやめ、強く握った。
「あの方は、お心のとてもお優しい方でした。あなたのことも案じて、都から無事に出られるよう、計ってくださったのです」
「まさか……将来、玉座を争うかもしれない私を助けたと?」
「どのような意図があったのかはわかりません。しかし、あの頃の帝は、本当に美しい心をお持ちだった……」
「……ですが」
「知っています。彼が変わってしまったことは……澄んだ心の持ち主ほど、傀儡は取り憑きやすいのです」
「では、今の帝は、傀儡に操られていると?」
「それはわかりません。完全に手に落ちてしまったのか、それともまだ自我があるのか、または、別の理由か……」
「どちらにせよ、敵となるやもしれない相手、と言うことですね」
「あなたの立場であれば、謀反となります」
はっきりと玲芳は言った。
「それでも、都に戻りますか? 陽を連れて、どこか、遠い土地へ……あなた達が苦しまなくても良い場所へ、逃れようとは思いませんか?」
まるで、そうしてくれ、と嘆願するような玲芳の声に、犀星は即答できなかった。
「母上」
玲陽が、沈黙を破る。
「少し、ふたりだけにしていただけませんか」
玲芳はじっと玲陽を見つめていたが、やがて、目を閉じた。
「わかりました。一刻、待ちましょう。けれど、ひとつだけ、約束をして下さい」
玲芳は言いにくそうに視線を彷徨わせてから、声をひそめた。
「決して、口づけを交わしてはなりません」
「!」
突然のことに、犀星の心臓が跳ねる。
「……母上、兄様でさえ?」
玲陽が初めて、母を見た。玲芳も、玲陽の瞳を見返した。
「ええ。星であろうとも、です」
奥の部屋に通されたのは、犀星と玲陽だけである。
涼景と東雨は、別の部屋で昼餉を振る舞われたが、涼景はともかく、東雨の機嫌は最悪そのものだった。
「その魚、いらないなら俺がもらうが?」
「どうぞ!」
乱暴に、東雨は答えると、涼景の方へ皿を押した。
「全く、あの方々は何を話してるんでしょうね」
「お前には難しすぎる話だ」
「一言多いです。領家様」
「いつものことだろう」
「大体、若様の事は私がしっかりと皇帝陛下から任されているんです。若様に関することで、私が知らないことがあってはいけません」
「確かにそれは一理あるが、玲家のことに関しては何も言えないんだ」
「だからって、除け者なんて……涼景様は、腹が立たないんですか? 光理様の命を救ったのは、涼景様の医術じゃありませんか。寝る間も惜しんで薬や道具を用意したり、兄様と交代でそばについていたり……玲家は、もっと涼景様に感謝するべきです」
「お前も、遠慮なく言うようになったな」
「そりゃ、毎晩のように、若様と涼景様の政治論だの軍事論だのに付き合っていたら、屁理屈も出てくるようになります」
「立派な理屈だ。安心しろ」
涼景は疲れこそ見えるものの、機嫌はいいようだった。犀星と、その最愛の相手を救うことが叶った今、彼はどんな勝ち戦の名乗りよりも、誇らしい気持ちでいる。もとより、軍人には向かない、気性の優しい男である。
「別に、礼が欲しくて陽を助けた訳じゃない。あいつらがそれで心が休まるなら、俺にはそれが何よりの代償だ」
「涼景様は欲がなさすぎます」
東雨はとっくの昔から知っていることを繰り返した。涼景も相当に苦労しているはずなのだが、物欲や出世欲を見せない不思議な所がある。
「あーあ、これからどうなっちゃうんだろ」
「どうって…… 陽を都へ連れて帰る」
「その後は?」
「あいつらの好きなようにさせれば良い」
「涼景様は、若様の人柄をご存知ですよね? あんな強情な人が、光理様と暮らしていけるとは思えないのですが」
「それは心配ない。陽の前では、星など、かわいいものだ」
「? どういう意味です? まさか、光理様の方が、すごいわがままとか?」
「それは、逆だな」
「もう、何が何だか……」
料理には、ほとんど箸もつけないまま、羊毛織の絨毯の上に、東雨は仰向けにひっくり返る。
今までの彼なら、ごちそうとあらば喜んで食いついていたものを……
「あら、お行儀が悪いこと!」
突然、部屋に入ってきた若い娘が、きつい口調で東雨を睨みつけた。
引き締まった青色の着物に、銀色の長帯をかけ、絹の羽織に美しい珠玉を下げている。身なりも顔も上品そうだが、口の悪さはすぐに露見した。
「誰だよ、お前」
東雨の方も喧嘩腰である。少女は自分より明らかに年下だ。
「私を知らないで、よく屋敷に上がれたものね!」
「悪かったな。こんな田舎に知り合いはいないんでね」
「まぁ!」
感情的になった少女は、あろうことか、東雨の胸ぐらを掴んで引き起こし、座らせた。
「馬鹿力……」
「都の男はひ弱だと聞いていたけど、あんたもそうみたいね」
「何だと! こ、これでも若様から一通りの剣術は習っている。お前なんかには負けない」
「じゃあ、私の槍と勝負しましょう!」
「やめろ、二人とも……」
白米をかきこみながら、二人のやりとりを呑気に見物していた涼景も、さすがに止めに入った。
「東雨、大人気ないのは、星に似たのか?」
「涼景様にも似てしまったようです!」
東雨の嫌味は、暁将軍にまで飛び火する。
「涼景様、この無礼な男は誰です!」
ついに、少女までが、涼景を尋問に入る。
涼景は茶を飲み干して、一服つきながら、
「今時の若い連中は、相手の立場も身分も名前も知らずに、いきなり喧嘩を売るのか?」
「そ、それは……」
さすがにまずかったか、と東雨は引き下がった。東雨の主人は犀星であり、東雨が失態を見せることは、犀星の汚名にもなってしまう。
少女の方も、男まさりの勝ち気な性格は生まれながららしく、一歩も引かないものの、涼景の身分は理解していると見えて、不満そうに口をつぐんだ。
「お前たち、喧嘩をするのも勝手だが、外でやってくれ」
「涼景様、あなたこそ、こんなところにいていいんですか?」
びくりと、涼景の箸が止まる。叱られたからなのか、と東雨は思ったが、そうではないらしい。
「凛、春とは会っているのか?」
「ええ。昨日もお話をしに行きました。薄情な兄上が家を空けっぱなしにするものだから、春ちゃん、ほんとに寂しがっていましたよ」
「あの……どこから質問していいかわからないんですが……」
会話についていけない東雨が、これ以上置き去りにされてたまるものか、と口を挟む。
涼景は、魚をつまみながら、
「こちらは、玲家の御息女、次期当主の玲凛どのだ。つまり、陽の妹君」
「玲凛と申します」
やたらと気取って見せて、玲凛はわざとらしくすまし返った。だが、そんな素振りにも嫌味に感じるところは無い。
「年齢は確か東雨より少し下だったな」
「はい、春ちゃんと同じ、十三になります」
「じゃぁ、俺の事は東雨様と呼べ」
東雨が年上ぶる。
「ふふふ……そうおっしゃると言うことは、まだ、字もお持ちではないのですね。わかりました、東雨どの」
「こいつ……」
ここ数日の鬱憤が溜まっているのか、東雨も喧嘩っ早くなっている。涼景は、ここでも余計な苦労をしそうな予感がした。自分はどうしていつも、貧乏くじを引いてしまうのだろうか。宮中では皆が振り返る華麗なる暁将軍だというのに、この歌仙では、面倒見の良い、都合よくこき使われる立場に甘んじている。最も、そんな自分が自然体であると感じる涼景には、心地よさもあった。
しかし、若者二人の熱は冷めやらない。
「大体、人の屋敷に上がり込んで飲み食いしておきながら、その家のことを悪く言うなんて、しつけがなっていないとしか思えません。あなたの主人である星兄様は、日ごろからそのような教育をなさっておいでか」
「若様を愚弄するな! しかも、お名前を呼ぶなんて無礼なのはどっちだ!」
思わず東雨は立ち上がる。犀星のこととなると、彼も頭に血が上りやすい。主従揃ってこれでは、先が思いやられると言うものだ。涼景はため息を禁じ得なかった。
「お前だって、玲家のお嬢様なら、特別なことができるんだろ! やってみせろよ!」
一瞬、強気だった玲凛の表情が曇る。涼景はそれを見逃さなかった。
「東雨、それくらいにしろ! 陽だって、そのために苦しんでいるんだ」
涼景の助け舟に感謝しながらも、そこは気の強い凛である。毅然として、
「残念ながら、私にはその力は受け継がれていないようです」
「じゃぁ、奥様の後、誰が継ぐっていうんだ? 玲家は代々女系なんだろう?」
「母上の跡目は私が継ぎます。ただ、私の娘に期待するしかありません」
「娘?……まぁ……そういうことになるのか。でも必ず女の子が生まれるとは限らないし、その子に力があるとも限らない。第一、そんなおてんばで結婚できるとは思えないけど……」
「あなた、本当に失礼な人ね! 昔の星兄様なら、そんな言い方をしませんでしたわ」
「子供の頃の若様を知っているのか?」
「もちろんです」
玲凛は勝ち誇ったように笑った。当然、玲凛と犀星は共に過ごした時期がある。だが、それは彼女がわずか五歳になるかならないかの間だけで、ほとんど記憶などない。それでも東雨に対する優越感か、彼女は強調してみせた。
「星兄様は志をお持ちで、とてもお強かった。礼儀正しく、帝の血筋にふさわしい方です。どこの馬の骨とも知れない誰かさんとは違います」
「誰かさんじゃない! 東雨だ」
「姓を東、名を雨…字はまだない」
玲凛はおかしそうに笑った。
「大人にもなり切れない、一言多くて、失礼で、そんな人が、それこそ将来、どこまで出世できるやら」
「なんだと、お前の方こそ……」
「もうやめろ。罵り合うのを見るのはごめんだ」
涼景が二人の間に割って入る。不機嫌なわけではないが、彼としても疲労が溜まっている。寝不足の頭に、二人の大声が割れそうに響いていた。
「失礼いたしました」
姿勢を改めて、玲凛は涼景にだけ丁寧にお辞儀をした。
「でも、涼景様、春ちゃんが寂しがっているのは本当です。どうか、ここにお戻りの間だけでも、おそばにいてあげてください」
涼景は何を思ったのか、食事を終えると、そのまま静かに立ちあがった。
「お帰りになるんですか?」
玲凛が声をかける。
「いや、侶香様にお会いしてくる」
「今度は犀家ですか? あなたのご自宅は燕家ですよ」
「東雨、凛をいじめるなよ。彼女の槍術は侶香様直伝だ。恐ろしく強いぞ」
「涼景様ったら……」
玲凛は、頬をふくらませた。小さく笑いながら、涼景が出ていく。
そんな二人のやりとりを東雨はふくれっ面で横目で見ながら、
「涼景様とも仲がいいんだな」
と少し羨ましげに言った。凛は首を横に振った。
「正確には私はあまり親しくは無いのです」
玲凛は気が抜けたように、おとなしく答えた。
「私は涼景様の妹の燕春と仲が良いの。同い年のこともあって、まるで星兄様と陽兄様のように、二人でよく話をして…ってどうしてそんなことあなたに話さなきゃいけないんですか!」
「勝手にそっちが言い出したんだろ!」
「まぁ! やはり、あなたとは気が合いません!」
「こっちもごめんだね!」
若い二人がそんな悶着をしていた頃、犀星たちが呼ばれた離れた部屋には、深刻な空気が流れていた。
「星、陽、よくお聞きなさい。これからあなた達の身に起こりうることを、私が知る限りのすべてのことを伝えましょう」
玲芳は覚悟を決めた様子だった。
給仕の者たちを遠ざけると、二人の青年の正面に座り、膝を正す。
傷のため、まだ座ることのできない玲陽は、犀星の膝に頭を乗せたまま、伏せ目がちに横たわっている。犀星は片腕を玲陽の肩にかけ、上半身を抱きかかえた。胸を支えてくれるその手を、玲陽が頼りにするように両手で握る。
玲芳は、これから話すべきことと、若い二人の愛情の前に、言葉を詰まらせた。
ようやく再会した彼らに、自分は残酷な現実を突きつけなければならない。
玲芳は敢えて玲陽から目を外し、主に犀星に向けて話し始めた。
「この話は玲家の女子にしか伝わらないものです。今の世で言えば、凛にするべき話です。それをあえてあなたたちにする意味は何か、お分かりですか」
「男ながらに、陽が持つ、浄化の力ゆえ、でしょうか」
「それもひとつです。そしてまた、星、あなたも、あの砦で奇跡を起こしました。もう、疑うべくもありません。今の時代、玲家の力は、あなたたち二人が受け継いでいるのです」
「なぜ、女性にのみ現れるはずの力が、俺たちに?」
「それは、私にもわかりません。しかし、玲家の始祖は男性であったと聞いています。神通力を持つ、仙人のような人であったと。それが事実ならば、このように先祖返りを起こしても、おかしくはありません」
「何かが、起きようとしている気がします」
犀星は自分の手を撫でる玲陽を怖がらせない程度に、不安を示した。
「叔母上がおっしゃる通りだとするなら、力を継ぐものが女性から男性に代わり、同時に二人現れたことになります。そのようなことが、今まであったのですか?」
「いえ、聞いたことはありません。けれど、私もあなたと同意見です。この変化には、何かの意味がある、と」
玲芳は、脇に置いてあった地図を広げ、犀星たちに示した。
「これは、玲家の力が及ぶ範囲を描いたものです。この地図にある地域で生まれる、憎しみや恨みを抱いたまま亡くなった魂は、全て、あの砦に集まってきます」
「もしかして、玲家以外にも、そのような力を持つ家系が?」
玲芳は頷いた。
「はるか東には、また、別の民族が、私たちと同じように、浄化にあたっていると聞いたことがあります」
「まるで、政治の世界の地方統治のようですね」
「仕組みはそれと同じことでしょう。世界全てを、わずかな人数で浄化することはできませんから」
「理屈はわかりました。私たちは、この絵地図にある地域に存在する、悪しきものを正す運命だと」
「はい」
玲芳は、まず、一息をついた。そして、改めて続けた。
「憎しみの魂……私たちは、魂魄(こんぱく)と呼んでいますが……それらは、あの砦に集中していました。あそこに湧き出す仙水の力によるのかもしれません。しかし、ここ数年、その魂魄の数が減少しています」
「それは、良いことではありませんか? 憎しみを持ったまま亡くなる者が少なくなった、ということでは?」
「ならばよいのですが……」
玲芳は絵地図をたどり、歌仙から北に指を滑らせた。
「……安永(あんえい)地方……まさか、都ですか?」
ちらり、と玲陽が絵地図を見た。
「……いますね」
ため息のように、玲陽は言った。
「歌仙より、魂魄の霧が濃く立ち込めています」
「陽、お前、見えるのか」
こくり、と玲陽は頷いた。
「嫌な雰囲気を感じます。他にも……」
と、玲陽はいくつかの地名を口にした。
犀星が膝の上に置いていた方の手を握りしめる。
玲陽が言い当てたのは、最近、内乱が頻発し、帝が軍隊を差し向けた場所ばかりだ。
十年間、外界と遮断されていた玲陽が、そんな情勢を知るはずもない。だというのに彼の示した地名は明らかに、虐殺の行われた場所であった。
「陽には見えています。人の魂の成れの果てが。その、金色の瞳を持った時から……」
玲芳は憐れむように、息子を見たが、玲陽が目を合わせることはなかった。
「歌仙ではなく、都に、魂魄が集まり始めている、と?」
「そういうことになるでしょう。星、都の情勢については、あなたの方が詳しいはず」
「都も宮中も、一見正常に見えます。しかし、強き力を追い求めるがため、その礎となるべきものが欠けている」
「あなたはそれを、何だと思いますか」
「……愛がなく、憎しみだけがある」
「ええ。あの浄土の逆の状態です」
「このままでは、都はどうなりますか?」
玲芳は深く息をついた。
「魂魄は際限なく集まってくるでしょう。それらはやがて傀儡(かいらい)を作り出します。まさに、憎しみだけで出来上がった魂です。命のない人形……」
「人形?」
「正確には、誰かに取り憑くことで、その者本来の意志を奪い、暴虐のかぎりを尽くすでしょう」
「……そういうことでしたか」
犀星は眉根を寄せた。
自分が都で感じ続けていた違和感、宮中での異様な気配、陰謀が渦巻くのは当然の場所であるとしても、どこか異常性を感じさせる出来事の数々……
「すでに、傀儡は存在し始めていると思います」
言葉を選びながら、犀星は言った。
「そして、一番よくない相手を取り込もうとしている」
「……宝順帝ですね」
「叔母上!」
「いくら私の力が弱くとも、それくらいのことはわかります。あの方がまだ皇子であった頃、一度、姉上の見舞いに来てくださったことがありました」
「…………」
自分さえ、記憶にない母を、宝順は知っている?
犀星の心に何か胸騒ぎが起きる。敏感にそれを感じ取ったのか、玲陽は、犀星の手を撫でるのをやめ、強く握った。
「あの方は、お心のとてもお優しい方でした。あなたのことも案じて、都から無事に出られるよう、計ってくださったのです」
「まさか……将来、玉座を争うかもしれない私を助けたと?」
「どのような意図があったのかはわかりません。しかし、あの頃の帝は、本当に美しい心をお持ちだった……」
「……ですが」
「知っています。彼が変わってしまったことは……澄んだ心の持ち主ほど、傀儡は取り憑きやすいのです」
「では、今の帝は、傀儡に操られていると?」
「それはわかりません。完全に手に落ちてしまったのか、それともまだ自我があるのか、または、別の理由か……」
「どちらにせよ、敵となるやもしれない相手、と言うことですね」
「あなたの立場であれば、謀反となります」
はっきりと玲芳は言った。
「それでも、都に戻りますか? 陽を連れて、どこか、遠い土地へ……あなた達が苦しまなくても良い場所へ、逃れようとは思いませんか?」
まるで、そうしてくれ、と嘆願するような玲芳の声に、犀星は即答できなかった。
「母上」
玲陽が、沈黙を破る。
「少し、ふたりだけにしていただけませんか」
玲芳はじっと玲陽を見つめていたが、やがて、目を閉じた。
「わかりました。一刻、待ちましょう。けれど、ひとつだけ、約束をして下さい」
玲芳は言いにくそうに視線を彷徨わせてから、声をひそめた。
「決して、口づけを交わしてはなりません」
「!」
突然のことに、犀星の心臓が跳ねる。
「……母上、兄様でさえ?」
玲陽が初めて、母を見た。玲芳も、玲陽の瞳を見返した。
「ええ。星であろうとも、です」
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