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第三章 本物? 偽物? 魔法の傘
傘とネルビア王家の紋章
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「傘を渡せ!」
再び、窓の外の黒雲から、とどろき渡る邪悪な声。
ダンフルは、コタンを見下ろした。コタンは、にやにや笑っている。
「魔導は使うなよ、ゾルバ。ムダな抵抗をすれば、命はない」
外のライオネルは、黒い声で命令する。
アスリアは、ゾルバ(ダンフル)の耳元で、「やっつけちゃって」とささやいた。
「ええっ。ぼくの魔導は平和的なものだよ。ライオネルをやっつけられないからこそ、トップになれたんだし」
ダンフルは、もぎょもぎょ言い返した。
「早く! わたしも特技を使って何とかするから!」
アスリアは命じて、さっと傘の一つを手に取った。
「あなたの捜してるのは、これ?」
どうってことのないビニール傘。しかし、手元を見ると、なにか紋章が描かれている。すべての魔法の効力をなくす魔法の傘、というのはこれかもしれない、とアスリアは踏んだ。
「おう! 素直なのはよいぞ……」
言いかけ、右手を差し出す。その手を思いっきりひっかくが、甲冑に覆われたその手は、まったく反応ナシである。ダンフルは、魔法の弾を数発った。目の前に、爆発音が響き渡る。ぴしぴしっと甲冑が反射した。ちっとも弾が貫通しない。魔法の甲冑なので、頑丈なのだ。
「それがそなたたちの限界だ」
ネルビアの第二王子は、くくくっと笑っている。
「地上最強の魔法は、すべてを統べるものと、すべての魔法効果をなくすものがあるというが、そのうちの一つでも手に入れば、俺様はネルビア国の王位につける」
「あんたに支配されるなんて、ごめんだわ。だって趣味悪そうだもん」
アスリアの反発に、その場の全員が、思わず同意してうなずいた。
「だいたいなによ、そのダサい甲冑。魔法や魔導を恐れるあまり、重装備じゃないのさ。ダンフルよりよほど臆病なのね」
「やかましわ!」
ネルビアの第二王子ライオネルは、関西弁で叫んだ。
「おとなしゅう傘を渡せば、地球侵略をやめてもええんやで!」
空飛ぶ自動車の中から、なにかを取り出した。
細長い銃口が、ぴったりとこっちを狙っている。
マシンガン。
「これがなにか、判るか?」
「…………」
ライオネルは、舌なめずりで、一同がみるみる青ざめていくのを眺めている。
「科学技術を背景にした魔導では、このマシンガンをふせぐことはでけんで」
ライオネルは、いたぶるように笑った。
そしていきなり、一同に向けて銃弾を放った。
バリバリバリッと、稲妻のように弾がはじけると、窓ガラスが砕けて散った。ダンフルがばっとアスリアに覆い被さった。メレリルは、西本と静江の正面を陣取る。ぐあーっとライオンのように吼えた。彼女の命がけの行動に、静江は身を震わせて感謝の言葉を述べる。
壁際には、無数の弾痕が残っている。あんなのをまともに食らったら、生きていられない。
気がつくと、窓際に飾られていた小さな女神の像が、静かに傾いて崩れ落ちていく。ひび割れた土台には、無数の穴が空いている。そこから、なにかが覗いていた。
「くくく……」
恐怖で立ち尽くしたアスリアを見て、ライオネルは、完全に楽しんでいた。
「いい顔だ。そのまま魔王さまに献上したいくらいだ!」
「ライオネル……、許さない!」
静江が、傘の一つを投げつける。
銃が火を噴いた。
傘が、ボロボロになって地上へ落下する。
「あれは、偽物やね」
メレリルも、傘を投げつけはじめる。西本も同調する。
女神像に隠れた二人の会話は、奇妙に浮いていた。
人に限らず怪異でも、緊迫しすぎると、かえって妙な会話をすることになるらしい。
「これ、ぜんぶ百円ショップで買えそうだな」
「うち、これで商売したいわ」
「売るにはちょっと、量が少なくないか?」
「ちょっと模様をつけてな、付加価値つけるんねん」
「偽物に付加価値つけるって、どないやねん」
銃撃。
びしびしっと女神像に亀裂が入った。
女神像が砕け散ると同時に、その衝撃で、中のなにかが現れた。
「おお! それは……!」
『本物』とタグに書かれた傘が一つ。燃える杯の紋章がついている。ネルビア王家の紋章だ。
「【三つのナポレオン】って話が、『シャーロック・ホームズ』にあったなぁ。あれのパクリか!」
西本は、そう言うと同時に、ばっとその傘めがけて駆けだした。
ライオネルは、空中をホバリングしている自動車から、テラスに移動してきた。
「動くな!」
冷たい銃口が、ぴたりと西本に向けられている。西本は、氷像みたいに凍り付いた。
ライオネルは、アスリア、メレリル、ダンフル、西本、静江をひとりひとり見つめて、満足そうにうなずく。
「おまえらの恐怖、味がよい。ぜひとも我が城に連れて行って、祭壇にささげたいところだ」
「祭壇……?」
アスリアは、ぴくぴくっと耳を立てる。
「うまそうな恐怖よ……。そなたの身体にナメクジを這わせてやる……」
「イヤよっ」
総毛立ち、悲鳴を上げるアスリア。
「その顔だ。誇り高き猫耳族が、ナメクジの大群に身体をなめ回され、どろどろの粘液に浸される。俺様がその粘液を舌でぬぐってやるぜ……。嫌悪と快感のあまり、狂いそうになるだろう……」
「いやよ、そんなことになるくらいなら、舌をかみ切って死んでやる!」
「できるのか? ダンフルを残して死ねるのか? おまえにとっては、大切な人だろう。自分勝手に死んでしまえば、元カレが気の毒だと思わないのか?」
そのときだった。
「弟よ。やめたまえ!」
バタン、と扉が開き、その向こうに現れたのは、ネルビア国第一王子、マーティンであった。となりに『忍者』のアンディも連れている。
「国王代理として命じる。ここを去るのだ」
さっと顔色を変えるライオネル。手の中の機関銃が、ぶるぶる震えて危険だった。
「マーティン。これは俺様の獲物だ。横取りはゆるさん」
抗議をするライオネルに、ネルビア国第一王子は威厳を持って答えた。
「魔王を退治できるのは、ここにある地上最強の魔法だ。それをこのような無理強いで徴収しようとは、なんという愚策。さっさと帰って、家で編み物でもしていればよいのだ」
「撃ち方用意」
アンディは、しっかりとランチャーを手にしている。標準はぴたりとライオネルに向けられている。かちり。安全装置がはずされる。ライオネルは、じりっじりっと後ずさりした。
「後方、安全確認ス」
アンディが、平坦な声で言うと、しゅぼっとランチャーが放たれた。少し弧を描いて、自動車めがけて弾頭が突き刺さる。
ぼすっ。
弾がはじけて飛んだ。赤いペンキがべたっとついている。
「これは警告。次は本気」
アンディの声は、カクカクしていた。
ライオネルは素早く立ち上がり、『本物』と書かれた傘を一つつまみ上げると、そのままテラスに待たせていた自動車に乗り込み、立ち去っていった。
「ありがとうございました」
アスリアが、マーティンに言う。
「呪いは? 呪いは?」
コタンがマーティンの脚をひっぱった。マーティンは、肩をすくめた。
「残念だが、わたしにはムリである。セレンさまなら……」
「セレンさまは、腎臓がんで亡くなられました」
静江は静かに答える。
「それは……無念」
マーティンは、悔しそうに唇を噛む。
「最近こればっかだよな」
西本がまぜっかえした。
「呪いなら、ガマンせよ」
アンディは、機械的な口調であった。
「命助かっただけマシ」
「そんなぁ」
コタンは、シッポをフリフリさせながら、ぶうっと頬をふくらませる。
「呪いを解く方法を、なんとか考えてみよう」
同情的なマーティン。
「わたしは、地上最強の魔法を探しに来たのである。セレンさまが亡くなられたとなったら、意味がない」
マーティンは、へたり込んでいる一同をひとりひとり、起き上がらせた。
「地上最強の魔法というのは、なんであるか? すべてを統べる魔法と、すべての魔法を無効にする魔法の二つがあると申すが」
「地上最強の魔法は、魔族には使えないようにしてあるんです。でなけりゃ意味がないでしょう?」
静江は、落ち着き払って言った。
「どういうことだ」
マーティンが言うと、静江はしたり顔で、
「ファン心理ですわ。スターに対する憧れや希望、親しみなどが、地上最強の魔法のエネルギー源なのです。恐怖を糧とする魔族には、ムリでしょ?」
得意になっているのである。アスリアは、ひやひやものだった。
「ファン心理?」
マーティンは、困惑したようだった。
「あなたは魔族ではありませんよね。それだけ、プラスのエネルギーを集めやすいと言えます。それにあなたって、結構いなせですしね。人気が出るかも」
ちょっと頬を染めて、静江。
「つまりこのわたしに、芸能界に入れと?」
嫌悪感まるだしのマーティンに、静江は、上品に笑って見せた。まるでどこかの貴族が、王族に対して、競争心をかき立てさせようとでもいうように。
「ネルビア国の第一王子様におかれましては、下々の娯楽などに、興味は持たれないでしょうねえ」
「何を言う」
反射的に、マーティンは言ってしまった。
「次期魔王をスターにする、とは盲点であった。地球とオローを支配するという魔王の野望を打ち砕くためにスターになれというのなら、なってやろうではないか」
「舌先三寸で丸め込んじゃったね……」
ダンフルがぼそっと言うので、アスリアは思いっきり肘鉄を食らわせた。
そのやりとりを、コタンはじっと見ていた。
知りえた情報をライオネルに告げたことは、言うまでもない。
☆ ☆ ☆
「ファン心理!」
ライオネルは、ガサガサと機関銃を放り出しながら、映話でしゃべるコタンを見つめた。
「俺様に、ジャパネーゼ事務所のアイドルのマネをしろというのか!」
「お似合いじゃないっすか」
コタンは、冷淡に答える。
マーティンがアテにならないのなら、それより強い魔法使いを頼るのは道理。こっそり魔導映話機に報告しているのだ。
「くだらん!」
ライオネルは、ぺっとつばを吐き捨てた。
「そうですかぁ……? ひょっとして、マーティンさまが怖い?」
コタンが、ニヤニヤ笑いで口が裂けそうになっている。
コタンの思惑としては、マーティンとライオネルを戦わせて、勝った方に呪いを解いてもらおうという作戦なのである。
「何を言う。俺様に怖いものなどなにもない!」
「じゃあ、呪いを解いてくださいよ。その傘を使えば、魔法が無効化されるんでやんしょ」 コタンは、意地悪く言った。
ライオネルは、すが目でコタンをチラ見したが、手に持った傘をしげしげと見つめた。
石膏製の女神像のなかに入っていたためか、白い粉が透明なビニール傘の上に、粉砂糖のようにかかっている。『本物』と書かれたタグが、取っ手のところでピラピラしていて、なんとも安っぽい。そして、『エクセムナジー』と書かれたステータスバーが、そのタグにくっついている。バーの表示は最低ライン、ゼロを指している。
「エクセムナジー?」
ライオネルは、ゲジ眉をひそめた。
「これが、ファン心理なのか?」
「そうらしいでやんすな」
コタンは、まるでエサを目の前にしたパピヨン犬のように、期待を込めたまなざしをライオネルに向けている。
「おれっちが幸運をもたらしたから、この傘がゲットできやんしたんですから、謝礼をするのは当たり前っす」
「俺様に要求するのか? 身分をわきまえよ」
ぴしゃりと拒否すると、ライオネルは、傘を振ってみた。
ぶん。風を切って傘がうなると、同時にばっと開いた。
目の前に、透明な花のつぼみが咲くように、傘の花がひろがっていった。
照明で反射し、光が、輝いた。
「あっ、呪いが……!」
慌てて傘を閉じるライオネル。コタンは、喜んでぴんぴん跳ね回った。
しかし、シッポは取れない。
「どうなってる?」
ライオネルは、傘を上から下まで眺めた。
ピカピカと、エクセムナジーのステータスバーが光っている。警告するパトカーを思わせる。
「どうやら、エネルギー切れでやんす」
悄然と、コタンはうなだれた。ライオネルは、傘をぽんっと放り出した。
「エネルギーを、チャージしてこい」
「えっ、おれっちが?」
コタンは驚いた。
「おれっちを、信用してくれるんっすか?」
あまりの意外さに、しっぽを踏みそうになった。
ライオネルは、手を振って顔をしかめた。
「馬鹿者。俺様と一緒に、ジャパネーゼ事務所に来いと言うとるのだ」
「ジャパネーゼ?! まさか、アイドルになるんすか!」
異世界の王子がアイドル!
それはそれで話題になるだろうが、ネルビア国の威信はどうなるのやら。
コタンとしては、愛国心から、反対せざるを得ない。
「ダメでやんす! アイドルなんてとんでもないっす!」
「悪いか? 日本では、悪魔が芸能界にいるというではないか」
居直っているライオネル。
コタンは、ごくりとつばをのみこんだ。
たしかに、悪魔は芸能界にいる。
広島県では、ガン予防の啓発運動に取り組んでいる。
それはそれでかっこいいが、ライオネルはどうだろう。
脳裏に、いかつい筋肉男が、オンチな歌をうたいつつ、へたくそなダンスを踊りくるうシーンが、ありありと想像される。
それを見たら、ゴキブリでも悶絶死しそうだ。
「いや、それはないっしょ」
頭をかきむしり、妄想をかき消そうとするコタン。ふしぎそうなライオネル。
「なぜダメなのだ」
首をかしげ、いぶかしげに聞いている。心底、疑問に思っている様子なのだ。
「仮にもネルビア第二王子なんすよ? 大衆に迎合する歌や踊りなんて……」
おたおた、説明に走るコタンに、ライオネルは玉座にひっくり返って笑い飛ばした。
「エネルギー源であるファン心理を、チャージするまでの間だ。それに、俺様なら人気投票一位間違いなしだからな!」
そーでやんすかねー、とコタンはぼやくようにつぶやく。
「すでにマーティンが先回りしている。この傘にエネルギーを補填し、世界を恐怖で満たしてやる。そうすれば、ギガテリューさまの覚えもめでたく……」
後半部分は、独り言である。
「な、なんでやんすか?」
コタンが、おずおずと問いかける。
「よいよい。俺様の実力を、日本国の連中に見せつけてやる」
「でも、いま日本は戦争中でやんすよ? ネルビアと共闘してくれてるんっす。よけいな茶々は」
「なに、俺様のやることに、けちをつけるか」
ライオネルは、指先をコタンに向けて、パチンとはじいた。
映話装置から電流がながれ、脳天から突き抜けるような痛みが走り、高圧電気に触れた小動物のようにコタンはびくん、びくんと震える。
「や、やめ……」
「ふふふ、苦しめ苦しめ! 俺様に逆らうとどうなるか、これで学習することだろう!」 ライオネルは、玉座の手すりにあるボタンを一つ押した。
床下から、一つの台座が出て来て、赤ワインのボトルとグラスが出てくる。
「人の苦しむ様を見て飲むのは、最高の娯楽だ……」
ライオネルはそう、つぶやいた。
「わ、わかりました……! 一緒に参りますとも!」
コタンは、悲鳴を上げてそう言った。
一方、マーティンたちも、ジャポネーゼ事務所に向かっていた。
広島から東京までは、新幹線で行くのではなく、ダンフルの魔導力で一瞬にして移動できた。彼が腕輪を操ると、『身体の分子が分解して、電気信号となって移送される』というのである。ネルビアの進んだ科学力(向こうでは魔導と言っている)が、垣間見える。
夜中の二時になっていたので、事務所は表向きはしまっている。
「面接とか、あるのかなぁ」
ダンフルは、のっぺりした外壁を見ながら、うろんげにつぶやいた。
「いったんラブホに泊まって……」
西本が言いかけると、元の金髪美人にもどったメレリルが、どすっと彼の腹にこぶしを立てた。
「お二人は、彼と彼氏の間柄なのであろう。ホテルぐらいよいではないか。思い出をつくればよいのだ」
マーティンは、のんびりとそう言う。
「うにゃー。うちはそんなに、飢えとりまへん~」
メレリルは、顔を赤らめて抗議した。
「節度守って、交際しとりますわ」
一同は、ほんとかねーという顔になった。その正体が動物の集合体みたいなメレリルである。理性を吹っ飛ばしたら、やりたいことをやりまくるのではと思っている。
「ホテルに泊まるのは、アリかも。これからのことを、相談しなきゃならないし」
アスリアは、考え深く言った。
「気をつけろよ。焼けぼっくいに火がつくと、愛ゆえに目が見えなくなるって事もあるからな」
西本が混ぜっ返すと、またメレリルが、西本の腹にこぶしをどすっ。
ジャポネーゼ事務所は、六本木にあった。電信柱から漏れる煌々とした光が、オフィスビルを照らしている。第二次大戦後に発足したジャポネーゼ事務所からは、イケメン三人組のダンス上手や、キラキラ輝く歌手たちが、テレビや舞台に出て踊ったり歌ったりしていた。ああ見えてもマーティンは、まだ十八である。売り出しするには、ちょうどいい年代と言えなくもない。
マーティンは、事務所を見上げた。閉まっているのがハッキリ分かり、無念そうである。
「あのー、ぼくもついてきてよかったのかなぁ」
ダンフルは、おぼつかない口調でたずねる、
戦火の続く広島には、自衛隊や警察が集合して、西欧諸国とともに、魔族と戦っている。ここに魔導を使える魔族の王子ダンフルが来ていると知られれば、もしかしたら不審者とみなされて、職質→監禁→投獄というルートもあり得る。しかしマーティンは、そんな危険を笑い飛ばして言った。
「何を言う。そなたは貴重な戦力ではないか。さあ、一緒にスターになろう」
「えっ! 冗談でしょ」
ダンフルは、思わず一歩、退いた。
「ぼくはただ、アスリアが心配で来てるだけだよ。スターなんてとんでもない」
「しかし、スターになれば、地上最強の魔法を持つライオネルに対抗できるかもしれないではないか。少なくとも、向こうに集まるはずのファン心理を、こっちに向けさせることで、エグゼムナジーの収集を妨害できる」
そりゃそうだけどさ、とぶつくさ言うダンフル。
一同は、西の方に向かって歩き始めた。六本木には安ホテルなんてモノはない。カプセルホテルもないのだ。道路にでも出て、雑魚寝でもするか、という話になったが、アスリアは静かに、
「国家のトップにいる人を、宿にも泊めないなんて、日本国も墜ちたんじゃないかしら?」
静江は、なにか言いかけたが、
「いや、わたしは国を魔族に占領されている身ゆえ、それくらいの不自由はがまんできる」 マーティンがそう言う。
「しかし殿下……! 殿下におかれましては、スターとなる夢をお持ちなのです。スターは雑魚寝などいたしませんよ」
「アスリアよ、そなたは心配しすぎだ。わたしをふぬけだと思っておるのか?」
二人の間に、みょうにぎくしゃくした雰囲気がただよった。
お互いを盗み見し、頬をそめ、一定の距離を置きつつ、手をもてあそんだり、腕を振ったりしている。
アスリアの猫耳が、ぴくぴく動く。しっぽがふりふりして、居心地悪そうだ。注目されて、大きな瞳が内側から光っている。
マーティンも、まんざらではない様子。ニコニコ笑い、そっと手を取っている。
「アスリア殿。そなたの心配は杞憂だ。わたしは戦場に出たら、野宿も辞さない覚悟で来ている。兵と寝食をともにするのは、王族の役目ではないか」
アスリアは、滝汗が出て来た。
マーティンは、たしかに好みだけれど、ダンフルがじーっとこっちを見ているのだ。
やっかいなことになりそうだ。
「近くに迎賓館、アル」
スマホをまどろしげに取り出し、地図を表示しながら、アンディは言った。
「無料で、泊まれる手配、スル」
「そこで作戦を練るか」
西本は、ほっとしたように、腕に抱えていた傘に目を落とす。
「なあ、ライオネルに取られた傘って、本物だと思うか?」
「あら、そう書いてあったじゃないの」
アスリアは、嫌悪の表情で、数十本はありそうな偽物傘をチラ見した。
「まさか、そのなかに本物があるって言い出すんじゃないでしょうね」
「バカだなぁ。本物って書いてあるから本物だなんて、そんな単純なワケねーじゃん。相手は賢者セレンだぜ?」
西本は、正鵠を得ているようだった。アスリアはぐっと詰まったが、
「二千円札で手を打ったじゃないの」
「こだわるなぁ」
西本は、ちょっと顔をしかめた。アスリアは、肩をすくめた。
「一ゾロの二千円札って、相当の値段だったのよ! それなのに、魔法ステッキを作れないから、傘を作りましたって。その傘でなにしろっての、いつもより多めにまわしてますって?」
「あんたも古いね」
信号で止まった一同。西本は、腕に抱えた偽物傘を一つ一つ検分していたが、
「あれっ、これ……」
その中の一つに、『偽物』とタグのついた傘があった。電信柱の照明に、プラスティックのように輝いている。西本は、ほかの傘を投げ捨て、それだけ取り出して皆に見せた。
「これだけ、こんなタグがついてる」
「……ふむー。怪しいわぁ」
メレリルは、傘を受け取って、タグをつまんでいる。ピラピラしたバーも、タグについていた。
「偽物、とわざわざ書いてある。もしかして、こっちのほうが本物なのであろうか……?」
マーティンは、腕を組んだ。
西本たちが迎賓館に着く頃には、夜が明けていた。
迎賓館では、山野事務官が、西本たちを迎えてくれた。
シャンデリアと赤い絨毯が印象的な迎賓館。明け方近くて、だれもいないかと思った一同は、久々にまともそうな日本人の顔を見てほっとした。
西本は、どうも頼りないのである。
山野は、メガネをかけた陰険な顔をした事務官で、交渉は上手だと聞いている。
東大出の秀才だが、政治的な力も持ち合わせているとか。
それだけに、慎重な対応をしなくては、とアスリアは思った。
だてに猫耳族長の娘ではない。
「どうなされました」
山野は訊ねた。まったくの無表情である。
細い目が、ヘビのように光った。コイツは敵に回したくはない。
西本は、山野に近づいて言った。
「喰うもんくれよ! それから、寝るところ! エッチするところも!」
厚かましい要求にも、山野は眉すじひとつ動かさなかった。
「事情を聞かせていただきますか」
というわけで、一同は、山野に、魔法ステッキ行方不明の件と、傘が奪われた件を話したのだった。
「マーティンさまを魔王スターにして、この戦いを終わらせる……?」
山野は、いぶかしげに首をひねったが、
「ひとまず、宴をもうけました。おくつろぎください」
一同は、いつのまにかコタンがいなくなったことに気づかなかったのである。
再び、窓の外の黒雲から、とどろき渡る邪悪な声。
ダンフルは、コタンを見下ろした。コタンは、にやにや笑っている。
「魔導は使うなよ、ゾルバ。ムダな抵抗をすれば、命はない」
外のライオネルは、黒い声で命令する。
アスリアは、ゾルバ(ダンフル)の耳元で、「やっつけちゃって」とささやいた。
「ええっ。ぼくの魔導は平和的なものだよ。ライオネルをやっつけられないからこそ、トップになれたんだし」
ダンフルは、もぎょもぎょ言い返した。
「早く! わたしも特技を使って何とかするから!」
アスリアは命じて、さっと傘の一つを手に取った。
「あなたの捜してるのは、これ?」
どうってことのないビニール傘。しかし、手元を見ると、なにか紋章が描かれている。すべての魔法の効力をなくす魔法の傘、というのはこれかもしれない、とアスリアは踏んだ。
「おう! 素直なのはよいぞ……」
言いかけ、右手を差し出す。その手を思いっきりひっかくが、甲冑に覆われたその手は、まったく反応ナシである。ダンフルは、魔法の弾を数発った。目の前に、爆発音が響き渡る。ぴしぴしっと甲冑が反射した。ちっとも弾が貫通しない。魔法の甲冑なので、頑丈なのだ。
「それがそなたたちの限界だ」
ネルビアの第二王子は、くくくっと笑っている。
「地上最強の魔法は、すべてを統べるものと、すべての魔法効果をなくすものがあるというが、そのうちの一つでも手に入れば、俺様はネルビア国の王位につける」
「あんたに支配されるなんて、ごめんだわ。だって趣味悪そうだもん」
アスリアの反発に、その場の全員が、思わず同意してうなずいた。
「だいたいなによ、そのダサい甲冑。魔法や魔導を恐れるあまり、重装備じゃないのさ。ダンフルよりよほど臆病なのね」
「やかましわ!」
ネルビアの第二王子ライオネルは、関西弁で叫んだ。
「おとなしゅう傘を渡せば、地球侵略をやめてもええんやで!」
空飛ぶ自動車の中から、なにかを取り出した。
細長い銃口が、ぴったりとこっちを狙っている。
マシンガン。
「これがなにか、判るか?」
「…………」
ライオネルは、舌なめずりで、一同がみるみる青ざめていくのを眺めている。
「科学技術を背景にした魔導では、このマシンガンをふせぐことはでけんで」
ライオネルは、いたぶるように笑った。
そしていきなり、一同に向けて銃弾を放った。
バリバリバリッと、稲妻のように弾がはじけると、窓ガラスが砕けて散った。ダンフルがばっとアスリアに覆い被さった。メレリルは、西本と静江の正面を陣取る。ぐあーっとライオンのように吼えた。彼女の命がけの行動に、静江は身を震わせて感謝の言葉を述べる。
壁際には、無数の弾痕が残っている。あんなのをまともに食らったら、生きていられない。
気がつくと、窓際に飾られていた小さな女神の像が、静かに傾いて崩れ落ちていく。ひび割れた土台には、無数の穴が空いている。そこから、なにかが覗いていた。
「くくく……」
恐怖で立ち尽くしたアスリアを見て、ライオネルは、完全に楽しんでいた。
「いい顔だ。そのまま魔王さまに献上したいくらいだ!」
「ライオネル……、許さない!」
静江が、傘の一つを投げつける。
銃が火を噴いた。
傘が、ボロボロになって地上へ落下する。
「あれは、偽物やね」
メレリルも、傘を投げつけはじめる。西本も同調する。
女神像に隠れた二人の会話は、奇妙に浮いていた。
人に限らず怪異でも、緊迫しすぎると、かえって妙な会話をすることになるらしい。
「これ、ぜんぶ百円ショップで買えそうだな」
「うち、これで商売したいわ」
「売るにはちょっと、量が少なくないか?」
「ちょっと模様をつけてな、付加価値つけるんねん」
「偽物に付加価値つけるって、どないやねん」
銃撃。
びしびしっと女神像に亀裂が入った。
女神像が砕け散ると同時に、その衝撃で、中のなにかが現れた。
「おお! それは……!」
『本物』とタグに書かれた傘が一つ。燃える杯の紋章がついている。ネルビア王家の紋章だ。
「【三つのナポレオン】って話が、『シャーロック・ホームズ』にあったなぁ。あれのパクリか!」
西本は、そう言うと同時に、ばっとその傘めがけて駆けだした。
ライオネルは、空中をホバリングしている自動車から、テラスに移動してきた。
「動くな!」
冷たい銃口が、ぴたりと西本に向けられている。西本は、氷像みたいに凍り付いた。
ライオネルは、アスリア、メレリル、ダンフル、西本、静江をひとりひとり見つめて、満足そうにうなずく。
「おまえらの恐怖、味がよい。ぜひとも我が城に連れて行って、祭壇にささげたいところだ」
「祭壇……?」
アスリアは、ぴくぴくっと耳を立てる。
「うまそうな恐怖よ……。そなたの身体にナメクジを這わせてやる……」
「イヤよっ」
総毛立ち、悲鳴を上げるアスリア。
「その顔だ。誇り高き猫耳族が、ナメクジの大群に身体をなめ回され、どろどろの粘液に浸される。俺様がその粘液を舌でぬぐってやるぜ……。嫌悪と快感のあまり、狂いそうになるだろう……」
「いやよ、そんなことになるくらいなら、舌をかみ切って死んでやる!」
「できるのか? ダンフルを残して死ねるのか? おまえにとっては、大切な人だろう。自分勝手に死んでしまえば、元カレが気の毒だと思わないのか?」
そのときだった。
「弟よ。やめたまえ!」
バタン、と扉が開き、その向こうに現れたのは、ネルビア国第一王子、マーティンであった。となりに『忍者』のアンディも連れている。
「国王代理として命じる。ここを去るのだ」
さっと顔色を変えるライオネル。手の中の機関銃が、ぶるぶる震えて危険だった。
「マーティン。これは俺様の獲物だ。横取りはゆるさん」
抗議をするライオネルに、ネルビア国第一王子は威厳を持って答えた。
「魔王を退治できるのは、ここにある地上最強の魔法だ。それをこのような無理強いで徴収しようとは、なんという愚策。さっさと帰って、家で編み物でもしていればよいのだ」
「撃ち方用意」
アンディは、しっかりとランチャーを手にしている。標準はぴたりとライオネルに向けられている。かちり。安全装置がはずされる。ライオネルは、じりっじりっと後ずさりした。
「後方、安全確認ス」
アンディが、平坦な声で言うと、しゅぼっとランチャーが放たれた。少し弧を描いて、自動車めがけて弾頭が突き刺さる。
ぼすっ。
弾がはじけて飛んだ。赤いペンキがべたっとついている。
「これは警告。次は本気」
アンディの声は、カクカクしていた。
ライオネルは素早く立ち上がり、『本物』と書かれた傘を一つつまみ上げると、そのままテラスに待たせていた自動車に乗り込み、立ち去っていった。
「ありがとうございました」
アスリアが、マーティンに言う。
「呪いは? 呪いは?」
コタンがマーティンの脚をひっぱった。マーティンは、肩をすくめた。
「残念だが、わたしにはムリである。セレンさまなら……」
「セレンさまは、腎臓がんで亡くなられました」
静江は静かに答える。
「それは……無念」
マーティンは、悔しそうに唇を噛む。
「最近こればっかだよな」
西本がまぜっかえした。
「呪いなら、ガマンせよ」
アンディは、機械的な口調であった。
「命助かっただけマシ」
「そんなぁ」
コタンは、シッポをフリフリさせながら、ぶうっと頬をふくらませる。
「呪いを解く方法を、なんとか考えてみよう」
同情的なマーティン。
「わたしは、地上最強の魔法を探しに来たのである。セレンさまが亡くなられたとなったら、意味がない」
マーティンは、へたり込んでいる一同をひとりひとり、起き上がらせた。
「地上最強の魔法というのは、なんであるか? すべてを統べる魔法と、すべての魔法を無効にする魔法の二つがあると申すが」
「地上最強の魔法は、魔族には使えないようにしてあるんです。でなけりゃ意味がないでしょう?」
静江は、落ち着き払って言った。
「どういうことだ」
マーティンが言うと、静江はしたり顔で、
「ファン心理ですわ。スターに対する憧れや希望、親しみなどが、地上最強の魔法のエネルギー源なのです。恐怖を糧とする魔族には、ムリでしょ?」
得意になっているのである。アスリアは、ひやひやものだった。
「ファン心理?」
マーティンは、困惑したようだった。
「あなたは魔族ではありませんよね。それだけ、プラスのエネルギーを集めやすいと言えます。それにあなたって、結構いなせですしね。人気が出るかも」
ちょっと頬を染めて、静江。
「つまりこのわたしに、芸能界に入れと?」
嫌悪感まるだしのマーティンに、静江は、上品に笑って見せた。まるでどこかの貴族が、王族に対して、競争心をかき立てさせようとでもいうように。
「ネルビア国の第一王子様におかれましては、下々の娯楽などに、興味は持たれないでしょうねえ」
「何を言う」
反射的に、マーティンは言ってしまった。
「次期魔王をスターにする、とは盲点であった。地球とオローを支配するという魔王の野望を打ち砕くためにスターになれというのなら、なってやろうではないか」
「舌先三寸で丸め込んじゃったね……」
ダンフルがぼそっと言うので、アスリアは思いっきり肘鉄を食らわせた。
そのやりとりを、コタンはじっと見ていた。
知りえた情報をライオネルに告げたことは、言うまでもない。
☆ ☆ ☆
「ファン心理!」
ライオネルは、ガサガサと機関銃を放り出しながら、映話でしゃべるコタンを見つめた。
「俺様に、ジャパネーゼ事務所のアイドルのマネをしろというのか!」
「お似合いじゃないっすか」
コタンは、冷淡に答える。
マーティンがアテにならないのなら、それより強い魔法使いを頼るのは道理。こっそり魔導映話機に報告しているのだ。
「くだらん!」
ライオネルは、ぺっとつばを吐き捨てた。
「そうですかぁ……? ひょっとして、マーティンさまが怖い?」
コタンが、ニヤニヤ笑いで口が裂けそうになっている。
コタンの思惑としては、マーティンとライオネルを戦わせて、勝った方に呪いを解いてもらおうという作戦なのである。
「何を言う。俺様に怖いものなどなにもない!」
「じゃあ、呪いを解いてくださいよ。その傘を使えば、魔法が無効化されるんでやんしょ」 コタンは、意地悪く言った。
ライオネルは、すが目でコタンをチラ見したが、手に持った傘をしげしげと見つめた。
石膏製の女神像のなかに入っていたためか、白い粉が透明なビニール傘の上に、粉砂糖のようにかかっている。『本物』と書かれたタグが、取っ手のところでピラピラしていて、なんとも安っぽい。そして、『エクセムナジー』と書かれたステータスバーが、そのタグにくっついている。バーの表示は最低ライン、ゼロを指している。
「エクセムナジー?」
ライオネルは、ゲジ眉をひそめた。
「これが、ファン心理なのか?」
「そうらしいでやんすな」
コタンは、まるでエサを目の前にしたパピヨン犬のように、期待を込めたまなざしをライオネルに向けている。
「おれっちが幸運をもたらしたから、この傘がゲットできやんしたんですから、謝礼をするのは当たり前っす」
「俺様に要求するのか? 身分をわきまえよ」
ぴしゃりと拒否すると、ライオネルは、傘を振ってみた。
ぶん。風を切って傘がうなると、同時にばっと開いた。
目の前に、透明な花のつぼみが咲くように、傘の花がひろがっていった。
照明で反射し、光が、輝いた。
「あっ、呪いが……!」
慌てて傘を閉じるライオネル。コタンは、喜んでぴんぴん跳ね回った。
しかし、シッポは取れない。
「どうなってる?」
ライオネルは、傘を上から下まで眺めた。
ピカピカと、エクセムナジーのステータスバーが光っている。警告するパトカーを思わせる。
「どうやら、エネルギー切れでやんす」
悄然と、コタンはうなだれた。ライオネルは、傘をぽんっと放り出した。
「エネルギーを、チャージしてこい」
「えっ、おれっちが?」
コタンは驚いた。
「おれっちを、信用してくれるんっすか?」
あまりの意外さに、しっぽを踏みそうになった。
ライオネルは、手を振って顔をしかめた。
「馬鹿者。俺様と一緒に、ジャパネーゼ事務所に来いと言うとるのだ」
「ジャパネーゼ?! まさか、アイドルになるんすか!」
異世界の王子がアイドル!
それはそれで話題になるだろうが、ネルビア国の威信はどうなるのやら。
コタンとしては、愛国心から、反対せざるを得ない。
「ダメでやんす! アイドルなんてとんでもないっす!」
「悪いか? 日本では、悪魔が芸能界にいるというではないか」
居直っているライオネル。
コタンは、ごくりとつばをのみこんだ。
たしかに、悪魔は芸能界にいる。
広島県では、ガン予防の啓発運動に取り組んでいる。
それはそれでかっこいいが、ライオネルはどうだろう。
脳裏に、いかつい筋肉男が、オンチな歌をうたいつつ、へたくそなダンスを踊りくるうシーンが、ありありと想像される。
それを見たら、ゴキブリでも悶絶死しそうだ。
「いや、それはないっしょ」
頭をかきむしり、妄想をかき消そうとするコタン。ふしぎそうなライオネル。
「なぜダメなのだ」
首をかしげ、いぶかしげに聞いている。心底、疑問に思っている様子なのだ。
「仮にもネルビア第二王子なんすよ? 大衆に迎合する歌や踊りなんて……」
おたおた、説明に走るコタンに、ライオネルは玉座にひっくり返って笑い飛ばした。
「エネルギー源であるファン心理を、チャージするまでの間だ。それに、俺様なら人気投票一位間違いなしだからな!」
そーでやんすかねー、とコタンはぼやくようにつぶやく。
「すでにマーティンが先回りしている。この傘にエネルギーを補填し、世界を恐怖で満たしてやる。そうすれば、ギガテリューさまの覚えもめでたく……」
後半部分は、独り言である。
「な、なんでやんすか?」
コタンが、おずおずと問いかける。
「よいよい。俺様の実力を、日本国の連中に見せつけてやる」
「でも、いま日本は戦争中でやんすよ? ネルビアと共闘してくれてるんっす。よけいな茶々は」
「なに、俺様のやることに、けちをつけるか」
ライオネルは、指先をコタンに向けて、パチンとはじいた。
映話装置から電流がながれ、脳天から突き抜けるような痛みが走り、高圧電気に触れた小動物のようにコタンはびくん、びくんと震える。
「や、やめ……」
「ふふふ、苦しめ苦しめ! 俺様に逆らうとどうなるか、これで学習することだろう!」 ライオネルは、玉座の手すりにあるボタンを一つ押した。
床下から、一つの台座が出て来て、赤ワインのボトルとグラスが出てくる。
「人の苦しむ様を見て飲むのは、最高の娯楽だ……」
ライオネルはそう、つぶやいた。
「わ、わかりました……! 一緒に参りますとも!」
コタンは、悲鳴を上げてそう言った。
一方、マーティンたちも、ジャポネーゼ事務所に向かっていた。
広島から東京までは、新幹線で行くのではなく、ダンフルの魔導力で一瞬にして移動できた。彼が腕輪を操ると、『身体の分子が分解して、電気信号となって移送される』というのである。ネルビアの進んだ科学力(向こうでは魔導と言っている)が、垣間見える。
夜中の二時になっていたので、事務所は表向きはしまっている。
「面接とか、あるのかなぁ」
ダンフルは、のっぺりした外壁を見ながら、うろんげにつぶやいた。
「いったんラブホに泊まって……」
西本が言いかけると、元の金髪美人にもどったメレリルが、どすっと彼の腹にこぶしを立てた。
「お二人は、彼と彼氏の間柄なのであろう。ホテルぐらいよいではないか。思い出をつくればよいのだ」
マーティンは、のんびりとそう言う。
「うにゃー。うちはそんなに、飢えとりまへん~」
メレリルは、顔を赤らめて抗議した。
「節度守って、交際しとりますわ」
一同は、ほんとかねーという顔になった。その正体が動物の集合体みたいなメレリルである。理性を吹っ飛ばしたら、やりたいことをやりまくるのではと思っている。
「ホテルに泊まるのは、アリかも。これからのことを、相談しなきゃならないし」
アスリアは、考え深く言った。
「気をつけろよ。焼けぼっくいに火がつくと、愛ゆえに目が見えなくなるって事もあるからな」
西本が混ぜっ返すと、またメレリルが、西本の腹にこぶしをどすっ。
ジャポネーゼ事務所は、六本木にあった。電信柱から漏れる煌々とした光が、オフィスビルを照らしている。第二次大戦後に発足したジャポネーゼ事務所からは、イケメン三人組のダンス上手や、キラキラ輝く歌手たちが、テレビや舞台に出て踊ったり歌ったりしていた。ああ見えてもマーティンは、まだ十八である。売り出しするには、ちょうどいい年代と言えなくもない。
マーティンは、事務所を見上げた。閉まっているのがハッキリ分かり、無念そうである。
「あのー、ぼくもついてきてよかったのかなぁ」
ダンフルは、おぼつかない口調でたずねる、
戦火の続く広島には、自衛隊や警察が集合して、西欧諸国とともに、魔族と戦っている。ここに魔導を使える魔族の王子ダンフルが来ていると知られれば、もしかしたら不審者とみなされて、職質→監禁→投獄というルートもあり得る。しかしマーティンは、そんな危険を笑い飛ばして言った。
「何を言う。そなたは貴重な戦力ではないか。さあ、一緒にスターになろう」
「えっ! 冗談でしょ」
ダンフルは、思わず一歩、退いた。
「ぼくはただ、アスリアが心配で来てるだけだよ。スターなんてとんでもない」
「しかし、スターになれば、地上最強の魔法を持つライオネルに対抗できるかもしれないではないか。少なくとも、向こうに集まるはずのファン心理を、こっちに向けさせることで、エグゼムナジーの収集を妨害できる」
そりゃそうだけどさ、とぶつくさ言うダンフル。
一同は、西の方に向かって歩き始めた。六本木には安ホテルなんてモノはない。カプセルホテルもないのだ。道路にでも出て、雑魚寝でもするか、という話になったが、アスリアは静かに、
「国家のトップにいる人を、宿にも泊めないなんて、日本国も墜ちたんじゃないかしら?」
静江は、なにか言いかけたが、
「いや、わたしは国を魔族に占領されている身ゆえ、それくらいの不自由はがまんできる」 マーティンがそう言う。
「しかし殿下……! 殿下におかれましては、スターとなる夢をお持ちなのです。スターは雑魚寝などいたしませんよ」
「アスリアよ、そなたは心配しすぎだ。わたしをふぬけだと思っておるのか?」
二人の間に、みょうにぎくしゃくした雰囲気がただよった。
お互いを盗み見し、頬をそめ、一定の距離を置きつつ、手をもてあそんだり、腕を振ったりしている。
アスリアの猫耳が、ぴくぴく動く。しっぽがふりふりして、居心地悪そうだ。注目されて、大きな瞳が内側から光っている。
マーティンも、まんざらではない様子。ニコニコ笑い、そっと手を取っている。
「アスリア殿。そなたの心配は杞憂だ。わたしは戦場に出たら、野宿も辞さない覚悟で来ている。兵と寝食をともにするのは、王族の役目ではないか」
アスリアは、滝汗が出て来た。
マーティンは、たしかに好みだけれど、ダンフルがじーっとこっちを見ているのだ。
やっかいなことになりそうだ。
「近くに迎賓館、アル」
スマホをまどろしげに取り出し、地図を表示しながら、アンディは言った。
「無料で、泊まれる手配、スル」
「そこで作戦を練るか」
西本は、ほっとしたように、腕に抱えていた傘に目を落とす。
「なあ、ライオネルに取られた傘って、本物だと思うか?」
「あら、そう書いてあったじゃないの」
アスリアは、嫌悪の表情で、数十本はありそうな偽物傘をチラ見した。
「まさか、そのなかに本物があるって言い出すんじゃないでしょうね」
「バカだなぁ。本物って書いてあるから本物だなんて、そんな単純なワケねーじゃん。相手は賢者セレンだぜ?」
西本は、正鵠を得ているようだった。アスリアはぐっと詰まったが、
「二千円札で手を打ったじゃないの」
「こだわるなぁ」
西本は、ちょっと顔をしかめた。アスリアは、肩をすくめた。
「一ゾロの二千円札って、相当の値段だったのよ! それなのに、魔法ステッキを作れないから、傘を作りましたって。その傘でなにしろっての、いつもより多めにまわしてますって?」
「あんたも古いね」
信号で止まった一同。西本は、腕に抱えた偽物傘を一つ一つ検分していたが、
「あれっ、これ……」
その中の一つに、『偽物』とタグのついた傘があった。電信柱の照明に、プラスティックのように輝いている。西本は、ほかの傘を投げ捨て、それだけ取り出して皆に見せた。
「これだけ、こんなタグがついてる」
「……ふむー。怪しいわぁ」
メレリルは、傘を受け取って、タグをつまんでいる。ピラピラしたバーも、タグについていた。
「偽物、とわざわざ書いてある。もしかして、こっちのほうが本物なのであろうか……?」
マーティンは、腕を組んだ。
西本たちが迎賓館に着く頃には、夜が明けていた。
迎賓館では、山野事務官が、西本たちを迎えてくれた。
シャンデリアと赤い絨毯が印象的な迎賓館。明け方近くて、だれもいないかと思った一同は、久々にまともそうな日本人の顔を見てほっとした。
西本は、どうも頼りないのである。
山野は、メガネをかけた陰険な顔をした事務官で、交渉は上手だと聞いている。
東大出の秀才だが、政治的な力も持ち合わせているとか。
それだけに、慎重な対応をしなくては、とアスリアは思った。
だてに猫耳族長の娘ではない。
「どうなされました」
山野は訊ねた。まったくの無表情である。
細い目が、ヘビのように光った。コイツは敵に回したくはない。
西本は、山野に近づいて言った。
「喰うもんくれよ! それから、寝るところ! エッチするところも!」
厚かましい要求にも、山野は眉すじひとつ動かさなかった。
「事情を聞かせていただきますか」
というわけで、一同は、山野に、魔法ステッキ行方不明の件と、傘が奪われた件を話したのだった。
「マーティンさまを魔王スターにして、この戦いを終わらせる……?」
山野は、いぶかしげに首をひねったが、
「ひとまず、宴をもうけました。おくつろぎください」
一同は、いつのまにかコタンがいなくなったことに気づかなかったのである。
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