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第二章 猫耳娘ですが、なにか? (後編)

地上最強の魔法(後編)

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       ネルビア国の第三王位継承者ライオネルは、盗聴イヤホンを外して考えに沈んでいた。
「魔法ステッキか……。どこにあるか、わかるか」
 玉座の前でひざまづいていた魔道士ゾルバは、静かに頭を横に振った。ゾルバは男だが、女のように華奢な身体をしている。ライオネルの、屈強な体つきとは対照的だ。
「それが判れば、地球などひとひねりなのだが……」
 陰険な口調で魔道士をねめつける。黒い仮面をつけた魔道士は、ゾクッと身を震わせた。「そなたまさか、魔法をしぶっておるのではあるまいな?」
 ライオネルは、疑い深い目で魔道士を見つめる。彼は誰も信じない。誰も愛さない。利用できるモノは利用し、捨て去るのみ。
 それが判っているだけに、魔道士は緊張を隠せない。高い報酬をもらっているが、しくじったら魔導裁判にかけられ、火あぶりにされるのだ。それを思えば、冷や汗が滝のように流れてくる。息が荒くなり、返答が苦しくなる。
「だいたい、地上最強の魔法とはなんだ。どのようなものなのだ。世界を滅ぼすようなものなら、ぜひ手に入れてみたい」
 ひずんだ声でつぶやくライオネル。ゾルバは、両手をもみしだいた。
「もとは魔王ギガテリューが作ったモノらしいんです。すべてを統べる魔法の杖だということで……」
「すべてを統べる魔法の杖……?」
「支配です。ドラゴンを含むすべての種族を統べることができるんです。だれもあなたさまに、逆らおうという気持ちにはなりませぬ」
「欲しい。欲しいぞ、そのステッキ!」
 ライオネルは、ライオンのように吼えた。
「見つけ出すのだ! たとえわらの中に落ちた針一本だとしても! そして、オレ様の所へ持ってこい!」
 ゾルバは、一歩退いた。
「あのー、お兄さまのマーティン殿下は、自ら出陣なさったようですが……」
「愚かな兄よ。捜索などという手間のかかることは、部下にさせるのが一番なのだ―――もちろん、監視付でな」
 ゾルバは、ガックリ肩を落とした。
  正直に情報を渡せば、それをもとに無理難題をふっかけてくる。嘘を言えば、火あぶりだ。まことに魔道士というのは、生きにくい職業ではないか。
「コタンよ! ここに参れ」
 映話に話し掛けるライオネル。その直後、しゅっと音がして銀色の扉が開き、その向こうに小さな人影が見えた。
 ホビット族のコタンである。服装は古代大和朝廷の官吏みたいだ。シッポが生えている。
「用があるのかい」
 へつらうような笑顔を見せて、コタンは薄く笑った。ゾルバはそのヘビのような笑みに、再び背筋が寒くなった。
 ライオネルは、玉座で反っくり返った。
「きさまに命令する。このゾルバと共に地球へ赴き、魔法ステッキを奪ってこい! そうすれば、そなたの呪いを解いてやる」
「そりゃありがたいね」
 コタンは、ヤル気の無い口調で答えたが、ゾルバは生理的にこのホビットという種族が嫌いだった。
「殿下! お願いですから、このものと一緒にさせないでください! こいつと一緒だと、魔導が上手く作動しないんです」
「嘘を言え」
 コタンは冷たい口調で、
「ホビット族は、幸運をもたらす種族だぞ。俺と一緒なら任務は成功まちがいなしだ」
「魔道士よ、嘘を言うと、火あぶりだぞ」
 ライオネルは警告した。ゾルバはため息をついてしまった。
「しかたありません。ご命令を承り、地球へと探索の旅に出ます」

 二人が扉から出ていくと、ライオネルは隠してあった壁の向こうに足を踏み入れた。
 その観音開きの扉が開くと、奥の方へと続く道がある。両方の壁には、天井にむけた明りがついていた。
「魔王ギガテリューさま!」
 ライオネルは、その壁の奥に飾られた、邪悪な像に向かっておじぎをした。髪の毛は蛇、目は三つあり、腕は十本以上ある。牙の生えた口。あらわになった筋肉質の胸。普通の人なら、見ただけで吐き気を感じるような像だ。
「ギガテリューさまに、栄光あれ!」
 ネルビア国民も、魔道士も、魔物も知らない事実。
 それは、ライオネルがギガテリュー一族を崇めている宗教に、どっぷりつかっているということであった。
 地上最強の魔法が手に入りそうなのも、地球が壊滅しそうなのも、すべてギガテリューの栄光がもたらした奇跡の結果。
 このすばらしい勝利を手にしたとき、彼はギガテリューの娘と結婚し、惑星オローと地球とを支配するのである。
 その未来を想像するだけで、ライオネルはくらくらきた。
  未来は、どこまでも明るく思えた。

   アスリアとメレリル、西本は、横川の街を歩いていた。
 戦争まっただなかの中区とは違い、西区はまだ平和である。というより、中区を占領して世界遺産の原爆ドームをたたき壊すのを、ザンデギアたちは楽しんでいたのである。
 西区には、世界遺産は存在しない。だから、助かっているだけのことだ。
  かぷかぷの黄色いパンツに手を突っ込み、夕風を浴びた西本は、なるほど口説き上手なところもあるようだが、そんな手に乗るほどアスリアはウブじゃない。無視し続ける。
 相手は、まったく意に介していない。
「これから、どこへ行くんだ?」
「ほっといてよ。あんたには関係ない」
「この先は、ちょっとあぶねーぜ。オレが護衛してやるよ」
「余計なお世話。もういい加減あきらめてよ。引き際が大切よ?」
「構ってほしいから、返答するんだろう。ほら、耳がぴくぴく動いてる。まんざらでもねーんだな?」
 アスリアは、思わず耳を手で触った。たしかに耳が、ぴくぴくしている。
「オレは猫は好きだぜ。それが魔王をプロデュースしてくれるなら、なおさらだ」
 西本はぬけぬけと言った。
「ついてこないで」
 言い捨てて、アスリアは先に進んだ。
 メレリルは、始終だまっている。
 嵐の前の静けさってやつだろう。
 街は夕日に染まっていく。占い師は、待っていてくれるだろうか。
 アスリアは、だんだん嫌な予感がしてくるのを、止めることができなかった。

 そのビルの二階に、占い師高階静江が住んでいる。
 三ヶ月間かかって、やっと手がかりをつかんだのだ。
 だが、入口のあるべき場所には、ビニールの覆いがかかっていた。
 ビルじたいも、まるで幽霊が出るようなボロい作りで、よくこんな状態で建っていられると感心するくらいである。
「こんなところに、なんの用だ?」
 と言いつつ、西本は、ビニールの覆いをめくりあげた。
 ひどい臭いがただよってきた。スエーデンには腐った魚の缶詰シュールストレミングがあるが、あれよりひどいかもしれない。思わず息を止めて、鼻をつまんだ。
「うへー。ここはゴミ屋敷か?」
 西本は、そう言いつつ中に入って行く。
「やめなさいよ! 床が抜けるわよ!」
 この臭い、間違いなく床が腐っている。それに、無断で家に入り込むなんて、犯罪じゃないか。
「堅いこと言うなよ。抜けたら、おまえが抱きしめてくれ」
 冗談みたいなことを言いつつ、西本は、部屋の中に入って行った。ひとりでぼーっと待っているのも莫迦みたいだったので、アスリアもあとを追う。
 そして、思わず絶句してしまった。
 目の前の景色は、ひどいなんてものじゃなかった。  
  床は、腐ったスナック菓子とおぼしき、見るも無惨な残骸が転がっている。
 履きつぶしたパンツ。
 脱ぎ散らかしたシャツ。
 もはや人が住んでいるとはいえない空間だった。
 その中心に、一人の少女が、Tシャツに半パン姿で、あぐらをかいて座っていた。
 ガリガリにやせ細り、即身成仏しかねない感じだ。
「高階静江じゃねーの。生きてるの、こいつ?」
 つんつん。
 西本は、少女の肩をつっついた。
 反応、なし。
「救急車、呼ぶわ」
 アスリアは、スマホをポケットから取り出した。
「ちょっと待て。警察沙汰になったら、面倒くさいことになる。うちに引き取って、面倒を見た方がいい」
 西本はそう言うと、よっしょと少女を背負った。
「あんた、見かけによらず親切ね」
 アスリアは、仕方が無いのでほめてやった。
「お礼をせしめてやるのさ」
 身も蓋もない、西本の答えであった。

 西本の家、というのは、アパートの三階。
 両親は、外国に仕事に行っているそうだ。
  目ばかりキロキロさせて、西本は少女を自分の部屋のソファに置いた。
 アスリアは、少女を上からのぞき込み、西本が持ってきたタオルで、少女の顔を拭いていた。 
 ごしごし、こすっていると、マスカラが溶けて少女のまぶたが真っ黒になってしまった。
 すると、いきなりその瞳がぱっちり開いた。
「西の火が天空を駆け巡るとき、大いなる力が台風となって渦を巻く」
 開口一番、そんなことを言う。
「おいおい。助けてやった礼が、占いか? もっとカネになることを言えよ」
 西本は、文句を言った。
「命あってのカネでしょう。あなたがたは狙われています」
 少女は、落ち着き払ってそう答える。
「狙われる心当りはねーな」
 西本は、ぺっと床につばを吐いた。
 「お二人は、遺産を手に入れてるでしょう? それを狙っている人が居るんです」
 静江は、上半身を起こして、目をこすった。
「遺産? そんなの知らないわ」
  アスリアが言うのと、
「おほ! 遺産はオレのものだな!」
 と西本が言うのは同時だった。
「いくらぐらい、遺産がもらえるんだ?」
「ちょっと西本くん……」
 だれからもらうにしろ、気持ちだけもらっておきたいものだ。大きなカネは、もてあましてしまう。そんなことより、魔法ステッキの場所を教えてもらいたい。
「遺産ってなんだ? だれがくれるんだ? いつ頃もらえるんだ?」
 西本は、矢継ぎ早に質問を繰り出している。
 アスリアは、半ばあきれながら、タオルを絞っていた。この、物欲のかたまりめ。
 静江は、目を伏せた。
「私の師匠からです。お二人には、私の部屋の傘立てにある傘をひとつ選んでいけと」
「傘かいっ」
 西本は、素早く突っ込んだ。がっかりしているのを、隠そうともしない。
「お師匠さんって、セレンさま? 亡くなられたの?」
 アスリアは、静江を支えながら、水を入れたコップを差し出していた。
 静江はうなずき、水をぐっと飲み干した。
「凄くショックでした。腎臓がんだったんです。あなたに頼まれて捜していた魔法ステッキは見つからなかったが、その代用品として、錬金術で作った傘を差し上げると」
「おいおい、オレたちは歌舞伎役者じゃねーぞ。傘で見栄を切って魔法を使うなんて、ダサすぎねーか?」
 西本の言葉は、静江には少しきつかったようだ。
 「ごめんなさい。そんなのしか残せなくて……。でも、この傘は、地上最強の魔法が使えるんですよ! だからこそ、狙っている人が居るんです」
 「へー。最強の魔法ねえ……」
 西本のその顔は、なにか企んでる。
「それって、魔法ステッキとどう違うの?」
「魔法ステッキは、『すべてを統べる魔法』が仕込んでありました。傘の魔法は、『すべての魔法を無効にする』魔法が仕込んであります。その魔法があれば、魔王を倒すことも可能です」
 静江は言った。西本は、手をもんだ。
「じゃあ、魔王にそれを持って行って、高く売りつける―――」
「あほ!」
 アスリアは、西本の後頭部を軽く叩いた。
「いてっ! あっ! 頭がへこんだ!」
「へこむかアホ!」
「ここ、あたまのよこっちょがあかんようになった」
「なんにもなってないじゃないの。構ってちゃんなのね」
「ばれてもうたがな」
「いつから大阪人になったのよ」
「……お二人さん、仲がいいんですね……」
 静江は、ちょっとうらやましそうだ。
「違うわい!」
 アスリアと西本は、ユニゾンで叫んだ。
 メレリルは、半分納得していない様子である。
「うちも一緒に、傘をさがすわ!」
 いきなり、そんなことを言い出した。
「困ります。傘は一本しかないのです」
 静江は、口ごもるようだった。
「二人に遺産って言ったよな?」
 と、西本が疑問を口にすると、
「本当は二本あるのですが、どちらかが偽物で」
 静江は、もじもじしている。
「へえ、偽物も遺産なんだ?」
  西本は、大きな瞳を輝かせた。
「おもしれえ! 賭け事は大好きだぜ!」
「あたしはイヤよ。二千円も払って手に入れた傘が偽物なんて」
「いくら一ゾロの二千円札でも、流通しなけりゃいみねーよな。セレンってあほなのか?」
  静江は、クスクス笑っている。メレリルは、ふきげんだ。
「わたしも、傘を作ってもらえんかいな。静江さんは、錬金を学んだんやろ」
 甘えるように目をきょろっと動かした。タカのような鋭い瞳が、一瞬ユーモラスに見える。
「師匠のレシピは極秘事項で、傘を作ったとたん焼却処分されましたし、弟子の私にもとちらが本物なのか、教えてくれませんでした」
 静江の言葉に、メレリルは、むっと頬をふくらませた。
「世界で唯一の傘か。面白そうだ」
 西本は、ブツブツ独り言。
  こんなのに魔法の傘を渡すことは出来ない。先に傘を二つともゲットして、偽物を処分すればいい。アスリアは唇を噛んだ。負けるもんか。
「それじゃ、どっちが偽物か、うちにも判断させてもらえん?」
 メレリルの言葉に、静江は迷惑そうな顔になったが、
「ただ手伝うだけやさかい。二千円の傘って、どんなのかいな」
 なだめるようなメレリルの言葉に、少し顔をゆるませた。
「見た目は、ただのビニール傘ですよ」
 静江は、立ち上がり、フラフラッとよろめいた。手を伸ばすアスリアを振り払い、
「そのビニール傘から見える雨雫が、星の砂のようで……」
「詩人だね」
 西本は、顔をしかめた。
「早く行動しなければ。敵に奪われたら、大変です」
 静江は、よろめきながら歩いている。
 アスリアたちは、黙ってついて歩いた。

 星の月夜だった。
 高いビルの間から漏れる光は、広島横川の商店街を冷たく照らしている。夏の日差しもいまは絶え、生暖かい風がビルの谷間を吹きすさぶ。赤い金魚のうろこのような、照明が寂しく照らしていた。
 セレンの家は、高階静江のアパートより、四百メートル東にあった。見た目ふつうの二階建ての家である。
「合い鍵持ってます」
   じゃらじゃら言わせているキーホルダー。
「どれがどれなのか、わかるのかよ。どれかが偽物じゃねーの?」
 西本は、からかうようにそう言うが、そのとき、行く手に二人の人物が立ちふさがった。
 正確には、一人と一匹、というべきか。
「お待ち願おう。ここがおまえらの最期の地になる」
 ゾルバとコタンである。黒い仮面をつけたゾルバは、黒いマントを背負って暑苦しい。コタンは薄笑いを浮かべている。手には、悪魔の持つようなフォークを持っていた。西本は、からから笑った。
「セリフが棒読みだぜ」
「できれば穏便に、済ませたいんで」
 ゾルバは、いいわけがましく言った。コタンは、思いっきりゾルバの足を踏みつける。
「てててて」
 足を抱えてぴょんぴょん跳ねている魔導士を見ながら、メレリルは変身を始めている。
 金色の天然パーマの髪の毛が揺らぐとともに、細い手から爪が長く伸びた。
「ぐるる!」
 ライオンのうなりと共に、メレリルはコウモリの翼を広げた。
「あのー、戦うのはやめにして、魔法ステッキを渡してもらうわけには……」
 ゾルバが、もごもごと口走るが、
「あんたら魔導士なんかに渡したら、どんな悪事に使われるかわかったもんじゃない」
 アスリアも、猫耳をぴんと立てて、両手を猫まねきの格好に構えた。
「そりゃ偏見です! 善行にも使いますって。それに、魔法ステッキは、ネルビアに持って行って、魔王との交渉に使うんです!」
 ゾルバは、ヒステリックな口調でわめく。コタンは、手にしたフォークを振りかざした。
 西本をのぞく四人は、腰をかがめた。ダンスでもするみたいに、ぐるぐる道を回り始める。空手のように、アスリアがチョップを繰り出した。コタンがフォークでそれをいなす。フォークの先がぐにゃりと折れ曲がった。火の玉が魔導士の手から放たれる。熱い炎のはずなのに、狐火の燐光のようだった。まるで冷たいのである。メレリルはコウモリの翼でその炎を吹き飛ばした。燐光は羽アリのように霧散した。コタンは、フォークを放り出し、小さな剣を取り出す。爪楊枝みたいな剣だった。
 空中を一回転すると、魔導士は再び体勢を整えようとした。
「待ちなさい!」
 アスリアは、つかつかとゾルバに近づいた。
 そして、黒い仮面をひっぺがす。
 すると、その下に現れた、臆病そうな顔。
「……ダンフル! あんただったのね!」
「申し訳ない」
 その魔導士は、ダンフル・ブルックスだったのである。

   ☆              ☆             ☆

末席にあるといっても、魔王族の一人である。一同の間に、緊張が走った。
「ごめんよ。ぼく、どうしてもこの戦争を終わらせたくて」
 ダンフルは、伏し目がちだった。
「あんた、いつからネルビアの下っ端になったの? 魔王の一族じゃなかったっけあんた? ていうか、魔王を裏切ってだいじょうぶなの?」
 そんなことを心配する筋合いではなかったが、アスリアとしては心配なのだ。
「へー。そいつが魔王の一族か。わりとイケメン?」
 西本は、相変わらずからかうような口調だ。シリアスという言葉は、彼には無縁なののだろうか。
 コタンは眉を寄せて、ダンフルを見上げている。こいつらをやっつけなくて、だいじょうぶなのか? という表情である。しかしダンフルは黙殺した。
「おまえ、魔法が使えないんじゃないの?」
 西本の当然の質問に、
「魔導と魔法は違うからね。魔導は技術、魔法は才能。才能は体調に左右されたりして不安定だ。トップ魔道士のぼくは、この戦争を早く終わらせて、焦土と化したオローを立て直さなきゃならないんだ。そのために、魔法ステッキが必要なんだ」
 ダンフルは、これ以上無いほどまじめな顔である。
「セレンさまが手がかりを持っていると部下から聞いて、ここに来たんだよ」
「残念ね。セレンさまは、腎臓がんで亡くなられたわ」
  アスリアは、メレリルに視線を送った。メレリルは、まだ臨戦状態である。メタモルフォーゼも完遂している。シャッとサソリのしっぽが逆立っていた。
「な、亡くなられた?」
 驚きを隠せないダンフルの瞳から、生気が失せていく。
「セレンさまが唯一の望みだったのに。魔法ステッキのない今、どうやって戦いを終わらせるっていうんだ」
「知らないわよ。さっさと帰って、別な手段を考えるのね」
 アスリアとしては、傘のことを言うつもりはない。
「それはよかろう。だがきみたちは、ここに何しに来たのかね」
 コタンは、かなり偉そうに聞いてきた。両手を頭の後ろに載せて、まるで体操でもしているように見える。
「二千円札をね。取り戻そうかなと」
 アスリアは、すぱっと答える。聞かれないうちから、さっと付け加えた。
「ただの二千円札じゃないのよ。一のゾロ目なんだから」
「こだわるなぁ」
 西本がボヤしている。
 「あれを蒐集するのに、どんだけ苦労したか知らないくせに」
 アスリアが、あかんべーをしてみせた。「だから、あんたにはやらない」
「きみは、物を集めるのが趣味だもんね。靴紐とか、ネズミのぬいぐるみとか」
 ダンフルが、懐かしそうに言うので、
「そんな時代はもう、卒業したの」
 アスリアは、つっけんどんである。
「のんきに喋ってる場合やあれへんで。早うセレンさまのところへ」
 メレリルが、隣でせかした。ふうふう、とライオンの息が漏れている。
「ぼくも、セレンさまの家におじゃまして、仏壇に線香のひとつもあげてこなくちゃ」
 妙なところで、古いダンフルだった。
「なんでついてくるかなぁ」
 アスリアは、顔をしかめた。
「別にきみたちを疑ってるわけじゃないよ。ほんとに」
 ダンフルは、無邪気な口調で、
「ただ、セレンさまの家に行けば、なにか魔法ステッキに関する情報が得られるかもと思ってさ」
「何も知らない善人ぶっちゃって」
 アスリアは、ますます渋い顔。
  断り切れず、六人と一匹はセレンの部屋へ入っていった。
 入ったとたん、床一杯に傘、傘、傘、傘……。
 窓際に、高さが八十センチぐらいの女神像が飾られている。
 そのほかは、本棚に、ライディングディスク。
 足の踏み場もない傘の大群は、どれもこれもビニール傘だった。
「これ、なに?」
 アスリアは、当惑して立ちつくした。
「―――わーい、魔法の傘だ! オレの物だ!」
 西本は、数十本も転がっているビニール傘を取り上げた。一つ一つひろいあげ、抱きかかえ、どこから紐を見つけたのか知らないが背中にもくくりつけて、傘の群れのお化けみたいになっている。
「まさかこんなことになってるなんて!」
 静江は叫んだ。
「傘は、二本しかないはずよ! こんなに偽物があるなんて聞いてない!」
  静江は、衝撃のあまり床にへたり込んでしまった。
「どうなってるんだ! どうやって本物をみつけるんだ?」
 ダンフルが説明を求めたとき、すっと部屋が暗くなった。
 黒い雲が、窓の外を覆っている。
「渡せ! その傘を渡せ……」
 響き渡るその声は、まごうことなくネルビアの第二王子、ライオネルの声だった。
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