悪夢を食べるのは獏、命を狩るのがヴァルキュリア(改訂予定)

刹那玻璃

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安倍晴明の章

諸葛孔明と子麟が……

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 控えめな穏やかで、そして賢い子。
 諸葛孔明しょかつこうめいの長男である伯松はくしょう……いみなきょうは、子龍しりゅうが病で戦場を離れる少し前に戦病死した。
 228年のことである。
 翌年、子龍が病死した為に、孔明にとっては二重の衝撃である。

 ちなみに喬が死ぬ3年前に、孔明の妾が息子を生んでいた。
 せんと名付けた息子は嫡出の子供ではないが、伯松は養子であった為、不安定な立場になったのは確かである。

 だが、兄の子瑜しゆの次男で、元々、仲慎ちゅうしんと言うあざなを持っていたその子を、自分の跡取りだと引き取り、可愛がっていた孔明にとっては遅くの息子は不安の種であり、娘であればと後悔した。
 子供の責任ではないが、自分はできうる限り戦場に立ち、漢中から長安へのギリギリの細い道でもいい、繋ぐ仕事をしたかった。
 それを支えてくれる妻と、場所の距離はあっても心の距離は欲しくなかった。
 伯松の死を認めたくなかった……。
 子龍は、

「わしが……わしと命を取り替えてあげれば良かったのだ……老い先短い年寄りが生きていても……」

と嘆いたが、子龍が死ぬよりも自分が取り替えていれば、もっと違った道も見つけられたのに……と悔いた。
 子龍も翌年逝ったが、それから5年も悶々とした日々を過ごした。
 家にいても、子供が泣き、妾がヒステリックに叫ぶ。
 元々、孔明と妻、子供たちは自分達が手にするものは最低限でいいと、質素な生活を送っていた。
 妻がいた頃は大人しかった妾は、居なくなった途端、瞻の母親だと威張り散らし、子供の為にと贅沢をねだる。
 それを丁寧に拒絶すると、叫ぶ。

「丞相ともあられる貴方さまの子ですわ! このような貧相な格好では」
「私たちが生活できているのは、国より戴くもの。贅沢はしない。そのように言うのなら、実家に帰れ」
「私は!」
「そんなに言うのなら、瞻も帰るがいい!」

 やけになっていた。
 うんざりだった。
 もっと静かな……暖かい日々を、死んだ伯松にも、まだ幼い瞻にも与えてやりたかったが、兄弟が過ごす時間は短く、伯松は旅立った……。

 自分が逝った後に遺された瞻は、歴史では父である自分を越える努力を続けたが、後主こうしゅ劉公嗣りゅうこうし……諱はぜんの娘である公主を妻に迎え、周囲の期待に応えられたか……悩み苦しんだに違いない。

 しかし、いつも思うのは、伯松のこと。
 父として、もっと気がついていれば……もしかしたら、病に倒れるのではなく長生きしたのではないか……。



「あの……孔明さま? 階層移動完了しましたよ?」

 その声にはっとする。
 子龍の息子の子麟しりんは、父親に瓜二つだが、かなりの知恵者である。
 そして、伯松の幼なじみでもあった。
 孔明は微笑む。

「あ、ありがとう。少し考え事をしていたよ」
「孔明さまがそのような顔をされるというと……伯松の事ですか?」

 先に出て、外を確認し、どうぞと促すのは父親に良く似ている。
 否定しても仕方がない為、苦笑に近い微笑みを浮かべる。

「良く解ったね」
「いえ、瞻はかなり頑固と言うか、無鉄砲なところがありました。姜維きょうい……伯約はくやくも、なりふり構わず突っ走り……国力を低下させました。ここで言うのも何ですが、伯松が生きていたら、瞻にももっと子供らしく甘えたり、叱られる意味を理解できたのではと思います」

 ハッキリと言い切る。

 伯松はおっとりとしていて、言葉は少なかった。
 このように言い切る事はなく、微笑む。
 しかし、すさみそうになる戦場に立つ身とあっては、その優しい微笑みは暖かく安堵した。
 父親ではあったが、甘えていたのかもしれない……。

 首をすくめると、子麟は苦笑する。

「私はきつい性格ですが、伯松はおっとりしているようですが、かなり孔明さまに似ていましたよ?」
「私に?」
「えぇ。皆、呉の子瑜参謀に似ていると言っていましたが、あの人は私と同じです。腹の内は探れません。孔明さまとずっといるからかもしれませんが、孔明さまが軍に所属していたのは、国の為……それと、成都せいとにいると鬱陶しいからでしょう? 伯松が言っていましたよ。『父は元々そんなに高い地位を持つよりも内政の方が好きなのに、成都に戻ると執政を押し付けられるから嫌みたい。でも、無理はしないで欲しいんだよね……瞻もいるのに』って」
「……いや、伯松は似ていないよ。優しすぎる……」
「あれでも絶対に父上といるんだと、周囲の反対を押しきって着いていったんですよ?」

 階層の門番に馬車を借り、場所を伝えた。
 後ろに二人で乗る。

「あの……神仙さま。その場所は、鬼門で狐さまが祀られていますが……」
「そちらで……先触れが必要だっただろうか?」
「いえ、その前に手前の橋で、狐さまが従える神に挨拶をなされば大丈夫ですが……狐さまは恐ろしい……いえ、凄まじいお力をお持ちです……」

 おずおずと告げる。
 一瞬目線を合わせた二人……そして、

「力をお持ちなのは伺っているのだよ」
「あ、実は私の母と妹をとても可愛がって頂いたので、ご挨拶にと思っていたのですよ」
「あ、もしやあの白馬の……?」
「えぇ」
「そうでしたか。では、ご案内いたします」



 馬車が綺麗に整えられた土の道を進んでいく。
 孔明は何度か通ったことがあるが、学問の神の菅原道真すがわらのみちざねが祀られる天満宮に、雷の神の祀られる上賀茂神社かみがもじんじゃ、その祖父と娘で、母親の祀られる下鴨神社しもがもじんじゃは伺ったが、安倍晴明あべのせいめい……彼を祀る神社があるとは思わなかった。
 どんな人物だろう……。

 しばらく揺られ、大きな門の前で右に折れる。

「あれ?さっき門……」
「子麟は知らなかったかな? 先程の門は羅城門らじょうもん。京の都の入口。こちらは朱雀門すざくもん。この奥が元々政務の行われた宮廷があった場所になるんだよ。この右に折れたと言うことは、左京だね」
「左京?」
「宮廷から見て右左だから、左京。確か……左京一条……」
「一条……」

 孔明は考え込む子麟に教える。

「北から一条、二条とあって、九条まで。羅城門の辺りは九条……羅城門のすぐ側に高い建物があっただろう?」
「あぁ、塔のようなものですね?」
「あぁ、あれは五重塔。仏陀ぶっだの遺骨を分けたと言う仏舎利ぶっしゃりを納めている。お寺は教王護国寺きょうおうごこくじと言って私たちの時代では入り始めた仏教だね、その宗教の寺院だよ。通称は東寺。あのお寺は、立体曼荼羅りったいまんだらと言って、仏教の世界を現したと言われている見事と言葉を失う位、美しい仏像の数々があるよ。本当に素晴らしいんだ。今日はどうか分からないけれど、一度行ってみるといい」
「そんなにですか?」
「現実の世界では、ほとんどの像が国宝、重要文化財だそうだよ。この京の都を模したこの空間には幾つもの寺社仏閣が集まっているけれど、あの空間は圧倒されるね……」

 孔明は思いだし呟く。

「そんなにですか……」
「あぁ、素晴らしいよ……おや?」

 しばらくして道で停まり、

「失礼致します。お客様。こちらで一旦降りて頂けますでしょうか?」
「ここは……?」

 外を覗いたが、門前ではない。
 不思議そうな子麟に、御者の青年は示す。

「こちらの橋をお渡り下さい。そうして、あの、柳の下の橋をこちら側に……あの橋が……一条戻り橋と申します。あの下に晴明さまが従える神がおられます。声をあげず、静かにお渡りを……その神が先触さきふれ、伝令となります」
「歩くんだね……」
「それと、外からこちらに入って頂くことで、帰る際にも橋を渡られますと、現代では内から外に行く事で戻ってこられる……と言う意味もあります。特に……戦時中に内から外に渡って、戦場に向かうと帰ってこられると言い伝えられ、出兵された兵士通って行かれることが多かったそうです。ここは文字通り、戻り橋……魂が戻って来ると言う言い伝えがあるのです。あちらでお待ちしておりますので……」
「ありがとう」

 二人は降りると、歩き出す。

「……母上と龍花ロンホワは、このような所で過ごしていたのですね」
「季節ごとに風情があって、美しい所だよ。春は花、初夏は青葉、秋は紅葉……冬も雪景色……」
「美しいでしょうね……」
「そうだね……ん?」

 一条戻り橋の手前で騒々しい声に気がつき、ふと二人が川を覗き込むと、

「貴様ぁぁ~! 又何をしでかしたぁぁ!」
「ワァァ、騰蛇とうだ! 客! 客!」
「この馬鹿白虎びゃっこがぁぁ!今までの白虎の中で、一番長いのなら、この馬鹿騒ぎ、何とかせんか!」

 人間……孔明にさほど変わらぬ外見の青年が、巨大な白虎をつるし上げている。

「おらぁぁ! もう一度蹴りを喰らってこい! 客人が来られた事も伝えて来いやぁぁ!」

と、言いながら、投げ飛ばされた白虎が遠くなるのを見送り、ひょいっと川から飛び上がる。

「失礼致しました。お客人。こちらからお渡り下さい。普段は静かな橋なのですが、騒々しい馬鹿がおりまして……」

 無表情だが、端正な顔である。
 頭を下げて、促す。

「ありがとうございます。騰蛇どの」
「それでは、又ご挨拶に」

 二人も頭を下げると、静かに渡っていったのだった。



 その二人が橋を渡るのを見送った青年は、

「晴明……」

 この地に封じられた主の名前を呟いたのだった。
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