8 / 9
第1章
大山積神(おおやまつみのかみ)のおわす島より
しおりを挟む
斉明天皇斉明天皇7年1月14日(西暦661年2月18日)。
この日に熟田津を降り、宮に入ったと言われるが、この説は熟田津というのはどこの津か? ……どの港が熟田津か? という説が未だにある。
一つは有名な、伊予国の道後のある地域の港……現在の愛媛県松山市三津地域。
三津の湊に船を付け、輿で移動して石湯行宮跡だと言われる、道後の南の久米地域の久米官衙遺跡の辺りに落ち着いたという説。
ここからだと歩いては無理だが、輿を使えば道後の湯に何回も通うことができる。
これは有力な説なのだが、私はあえて、この説を否定したい。
何故なら、大山積神を祀る現在の大山祇神社のある大三島の周辺は島が多い上に、波は荒くうねることで有名で、船の運航の難所として知られ、三大渦潮のひとつもある。
ちなみに三大渦潮は、有名な鳴門海峡、そしてしまなみ海道で知られる来島海峡、そしてのちに平家滅亡の地になった壇ノ浦で知られる関門海峡である。
後世、しまなみ海峡周辺は村上水軍が支配した地域だが、一瞬でも気を抜けば船はぶつかり、難破する。
そんな危険な旅を、金品を受け取り、案内する水軍で、ケチったり攻撃してくる場合は容赦なく仕返しをするのである。
こちらも命がけだ。何が悪いと水軍の者は豪語するだろう。
そして今回、老齢の姫天皇や皇太子などの重要人物を、危険に晒すわけにはいかないはずである。
それに、大伯皇女を出産したばかりの大田皇女に寒い船の上で過ごさせることはできないだろう。
そこで私が探したのは、ある地図と小さな伝承。
ここから私は、話を語っていこうと思う。
大山祇神社……公式に残されている創建は推古天皇2年(西暦594年)とされている。
しかし、それより昔の祭祀の跡や、全国でも世界的にも珍しい一人角力(ひとりずもう)という、一人の力士が精霊と三回取り組みをして、精霊が2勝すれば豊作と言う伝統行事が残されている。
この角力の力士は、見えない精霊とどう戦うか、そして負ける時投げ飛ばされるところもどうすれば良いのかと日々考えながら練習をしているのだと言う。
残して欲しい無形文化財である。
当時は創建されて70年ほどしか歴史はないが、それ以前から御島(みしま)とも呼ばれていたという……祀られる神は大山積神。
大山積神は、伊邪那岐命と伊邪那美命の子供で、5人の子供がいる。
天孫降臨の際に、天孫の瓊瓊杵命が見初め、大山積神が嫁がせた木花咲耶姫命とその姉の磐長姫命、木花知流姫命、そして、ヤマタノオロチ退治で有名な須佐之男命の妻になる奇稲田姫命の父母、足名椎と手名椎夫妻である。
大山積神は元々山の神だが、この地に創建されたのは、小千命(もしくは乎千命)が、この地に手ずから楠を植えたとされているからである。
小千命は小千氏の先祖とされ、大山積神を勧進し、祀ったと言われている。
その小千氏……船に乗るなつの夫の守興は、小千家の嫡子である。
大山積神の元に参り、その後銅鏡……国宝である禽獣葡萄鏡を奉納した姫天皇方を、急かせるようにそのまま九州に船出させるというのは、季節もまだ春も遠く、波風は海に慣れない貴族に辛いだけだろう。
普通なら、休みを取ってもらうことが良いと思うはずである。
その為、まずは船を降り、身体をいたわってもらうことを考える。
それに現代では、愛媛の県庁所在地は松山市だが、当時国司を置いていたのが現代の今治市。
後の聖武天皇が国々に置いたという国分寺は、今治市にある。
そして『源氏物語』でも有名な伊予の湯を、何故『道の後ろ』と書いて道後と言うかと言うと、道前と呼ばれる地域は今の今治地域だったからである。
備前、備中、備後と同じで、まずは近い道前に船を留め、降りると険しい崖がある海沿いを通らず、南西の平地に降り、そのまま西に山道があり、進んでいくと山を回る形で道後に向かうのだ。
ところで、船は何故かまっすぐ西に向かわず、どこに連れて行かれるのか……と不安に思っていた人々は、守興の指示により大山積神の島からゆっくりと移動し、上陸した。
「ここは?」
姉の大田皇女は産後の肥立ちが余り良くなく、ぐったりとしていて会うのを禁じられている鸕野讚良皇女はキャンキャンと叫ぶ。
「どこよ? ここは! 私たちは伊予の湯に行くのよ! お祖父様の伊予温湯宮があるのだから! お前は私たちを……」
「静かにせよ!」
孫娘をたしなめ、姫天皇はゆっくりと近づく。
「守興……吾子よ。どこに行くと言うのだ?」
「姫天皇さま……この季節、風は強く波は荒いものです。それに船旅は寒く、お辛かったかと思います。ですので、この地にしばらく滞在されて体力を取り戻すことをお勧め致したいと思っております」
「どう言うことよ!」
「黙らぬか! 鸕野讚良!……吾子? 吾(わ)だけでなく、大田や大伯(おおく)もおるのだ。大丈夫か?」
「ご安心くださいませ。姫天皇さま。これからご案内いたしますのは、姫天皇さま方が安心して滞在していただけるように、準備させていただいております」
守興は深々と頭を下げる。
そして、いくつもの輿を仕立てると、ゆっくりと移動していったのだった。
その地は崖のようになっている海沿いではなく、小千氏の治める朝倉宮のある、現在の今治市朝倉……旧越智郡朝倉村とその周囲の越智郡玉川町、今治市。
守興とその妻なつの故郷でもある地だった。
この日に熟田津を降り、宮に入ったと言われるが、この説は熟田津というのはどこの津か? ……どの港が熟田津か? という説が未だにある。
一つは有名な、伊予国の道後のある地域の港……現在の愛媛県松山市三津地域。
三津の湊に船を付け、輿で移動して石湯行宮跡だと言われる、道後の南の久米地域の久米官衙遺跡の辺りに落ち着いたという説。
ここからだと歩いては無理だが、輿を使えば道後の湯に何回も通うことができる。
これは有力な説なのだが、私はあえて、この説を否定したい。
何故なら、大山積神を祀る現在の大山祇神社のある大三島の周辺は島が多い上に、波は荒くうねることで有名で、船の運航の難所として知られ、三大渦潮のひとつもある。
ちなみに三大渦潮は、有名な鳴門海峡、そしてしまなみ海道で知られる来島海峡、そしてのちに平家滅亡の地になった壇ノ浦で知られる関門海峡である。
後世、しまなみ海峡周辺は村上水軍が支配した地域だが、一瞬でも気を抜けば船はぶつかり、難破する。
そんな危険な旅を、金品を受け取り、案内する水軍で、ケチったり攻撃してくる場合は容赦なく仕返しをするのである。
こちらも命がけだ。何が悪いと水軍の者は豪語するだろう。
そして今回、老齢の姫天皇や皇太子などの重要人物を、危険に晒すわけにはいかないはずである。
それに、大伯皇女を出産したばかりの大田皇女に寒い船の上で過ごさせることはできないだろう。
そこで私が探したのは、ある地図と小さな伝承。
ここから私は、話を語っていこうと思う。
大山祇神社……公式に残されている創建は推古天皇2年(西暦594年)とされている。
しかし、それより昔の祭祀の跡や、全国でも世界的にも珍しい一人角力(ひとりずもう)という、一人の力士が精霊と三回取り組みをして、精霊が2勝すれば豊作と言う伝統行事が残されている。
この角力の力士は、見えない精霊とどう戦うか、そして負ける時投げ飛ばされるところもどうすれば良いのかと日々考えながら練習をしているのだと言う。
残して欲しい無形文化財である。
当時は創建されて70年ほどしか歴史はないが、それ以前から御島(みしま)とも呼ばれていたという……祀られる神は大山積神。
大山積神は、伊邪那岐命と伊邪那美命の子供で、5人の子供がいる。
天孫降臨の際に、天孫の瓊瓊杵命が見初め、大山積神が嫁がせた木花咲耶姫命とその姉の磐長姫命、木花知流姫命、そして、ヤマタノオロチ退治で有名な須佐之男命の妻になる奇稲田姫命の父母、足名椎と手名椎夫妻である。
大山積神は元々山の神だが、この地に創建されたのは、小千命(もしくは乎千命)が、この地に手ずから楠を植えたとされているからである。
小千命は小千氏の先祖とされ、大山積神を勧進し、祀ったと言われている。
その小千氏……船に乗るなつの夫の守興は、小千家の嫡子である。
大山積神の元に参り、その後銅鏡……国宝である禽獣葡萄鏡を奉納した姫天皇方を、急かせるようにそのまま九州に船出させるというのは、季節もまだ春も遠く、波風は海に慣れない貴族に辛いだけだろう。
普通なら、休みを取ってもらうことが良いと思うはずである。
その為、まずは船を降り、身体をいたわってもらうことを考える。
それに現代では、愛媛の県庁所在地は松山市だが、当時国司を置いていたのが現代の今治市。
後の聖武天皇が国々に置いたという国分寺は、今治市にある。
そして『源氏物語』でも有名な伊予の湯を、何故『道の後ろ』と書いて道後と言うかと言うと、道前と呼ばれる地域は今の今治地域だったからである。
備前、備中、備後と同じで、まずは近い道前に船を留め、降りると険しい崖がある海沿いを通らず、南西の平地に降り、そのまま西に山道があり、進んでいくと山を回る形で道後に向かうのだ。
ところで、船は何故かまっすぐ西に向かわず、どこに連れて行かれるのか……と不安に思っていた人々は、守興の指示により大山積神の島からゆっくりと移動し、上陸した。
「ここは?」
姉の大田皇女は産後の肥立ちが余り良くなく、ぐったりとしていて会うのを禁じられている鸕野讚良皇女はキャンキャンと叫ぶ。
「どこよ? ここは! 私たちは伊予の湯に行くのよ! お祖父様の伊予温湯宮があるのだから! お前は私たちを……」
「静かにせよ!」
孫娘をたしなめ、姫天皇はゆっくりと近づく。
「守興……吾子よ。どこに行くと言うのだ?」
「姫天皇さま……この季節、風は強く波は荒いものです。それに船旅は寒く、お辛かったかと思います。ですので、この地にしばらく滞在されて体力を取り戻すことをお勧め致したいと思っております」
「どう言うことよ!」
「黙らぬか! 鸕野讚良!……吾子? 吾(わ)だけでなく、大田や大伯(おおく)もおるのだ。大丈夫か?」
「ご安心くださいませ。姫天皇さま。これからご案内いたしますのは、姫天皇さま方が安心して滞在していただけるように、準備させていただいております」
守興は深々と頭を下げる。
そして、いくつもの輿を仕立てると、ゆっくりと移動していったのだった。
その地は崖のようになっている海沿いではなく、小千氏の治める朝倉宮のある、現在の今治市朝倉……旧越智郡朝倉村とその周囲の越智郡玉川町、今治市。
守興とその妻なつの故郷でもある地だった。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説

独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
16世紀のオデュッセイア
尾方佐羽
歴史・時代
【第13章を夏ごろからスタート予定です】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。
12章は16世紀後半のフランスが舞台になっています。
※このお話は史実を参考にしたフィクションです。

妖刀 益荒男
地辻夜行
歴史・時代
東西南北老若男女
お集まりいただきました皆様に
本日お聞きいただきますのは
一人の男の人生を狂わせた妖刀の話か
はたまた一本の妖刀の剣生を狂わせた男の話か
蓋をあけて見なけりゃわからない
妖気に魅入られた少女にのっぺらぼう
からかい上手の女に皮肉な忍び
個性豊かな面子に振り回され
妖刀は己の求める鞘に会えるのか
男は己の尊厳を取り戻せるのか
一人と一刀の冒険活劇
いまここに開幕、か~い~ま~く~

通史日本史
DENNY喜多川
歴史・時代
本作品は、シナリオ完成まで行きながら没になった、児童向け歴史マンガ『通史日本史』(全十巻予定、原作は全七巻)の原作です。旧石器時代から平成までの日本史全てを扱います。
マンガ原作(シナリオ)をそのままUPしていますので、読みにくい箇所もあるとは思いますが、ご容赦ください。

浅井長政は織田信長に忠誠を誓う
ピコサイクス
歴史・時代
1570年5月24日、織田信長は朝倉義景を攻めるため越後に侵攻した。その時浅井長政は婚姻関係の織田家か古くから関係ある朝倉家どちらの味方をするか迷っていた。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる