破鏡の世に……(アルファポリス版)

刹那玻璃

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孔明さんの不本意ありまくりの出廬が近づいてます。

新しい素敵なカップルの誕生です。

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 そのような事があったとは露知らず、琉璃りゅうりは心配性の夫に抱かれ、とある屋敷を訪れていた。

 館は、元はかなり瀟洒しょうしゃで美しい屋敷だったのだろう。
 しかし、主を忘れ欺き放置した報いか、薄汚れ埃にまみれている……。

 共に訪れていたのは、黄承彦こうしょうげん月英げつえい親子と数日後にはここ新谷しんやを去る彩霞さいか、彩霞を守る為に益徳えきとくに命じられた元直げんちょくである。

「折角の美しい屋敷が……勿体ないですね」

 周囲を見回す孔明こうめいと琉璃。

「ここはわしが買い取った。わしは襄陽じょうようにいることが多いし、管理する者もいないと屋敷はさびれるからの。婿どの、琉璃。ここに住むと良い。家具や彩霞さまの持ち出したい物は出してしまい、残った物は全て韋家いけに買い取らせることになっておる。新しい家具などはすぐに手配しよう。彩霞どの。必要なものはありますかな?」

 ぼんやりと辺りを見回していた彩霞は、寂しげに首を振る。

「あそこの……」

 指で示された、日当たりの悪そうな古びた建物を示す。

「あの離れに押し込められるまでは……半年前まではもっと花に溢れ、明るい感じでしたのに……こうなると物悲しいものですわね……」
「半年も……?」

 ぎょっとする5人に、彩霞は琉璃を見る。

「琉璃は、物心つく前から8才までですもの……それ位……でも、私が病に臥せっているという噂に、益徳どのや美玲みれいさまは、何度かお見舞いに来て下さろうとしたそうです。それは全て雲長うんちょうは断ったそうです。娘だった驪珠りしゅ伝染うつる病だという偽りを信じて、一度も顔を見せに来てくれることすら……無かったわね……」

 その顔は憑き物が落ちたかのように、明るく輝く。

「でも、もうこれで終わり! 私は私の道を、もう一度探してやり直すの! 楽しみだわ! それに、承彦さまに誘われたのよ。今度、仕入れの為に旅に出るそうなの。色々様々なものを見せてくれるというのよ。琉璃も何度か行ったそうね? 楽しかった?」
「は、はい! とっても。見たことのないお魚さんや、市場にはここでは食べられない食材があって、お話もイロイロな言葉が飛び交っていて……すごく面白いのです! きっとお母さまも大好きになります!」
「琉璃が言うのですもの、楽しいのね。ワクワクするわ……!」

 楽しそうに微笑んでいた彩霞が、顔を強ばらせる。
 孔明達が振り返ると、両腕に包帯を巻いた男と、砂と埃にまみれ、目を腫らした驪珠がいた。
 しかも驪珠は男装、しかも下級兵士と同じ装備品を着ている。

「さ、彩霞……」
「お母さま! お母さま! ひ、酷いの! 玄徳げんとく伯父さまが、私をお父さまが軍に戻るまで、私が! 女の子で、令嬢の私に軍務に就けだなんて! しかも私を、妾の生んだ子供って……」

 駆け寄りすがり付こうとした驪珠の手を逃れるように、腕を振り黄承彦と元直の後ろに逃れる。

「お母さま!」
「その父親に聞いていないの? 貴方の母親だった女は、妾に落されたのよ。女が嫁ぐ際に持ってきた財産、家屋敷、装飾品、女の誇りも全て奪い取り、そこの小屋に閉じ込めたの。そして食事には毒、新しく正妻になった女は赤ん坊を抱いて毎日、正妻として愛してくれる夫の自慢や、その夫が離れていかないよう正妻としての心得とやらを、私の持っていた装飾品で身を飾り、言ってのける。正妻の地位よりも何よりも、馬鹿げた三文芝居を見せられているようでわらえたわ。『昔、貴方の夫は、同じことを言っていたのよ』ってね。見栄っ張りで金遣いが荒い上に、人を見下すことにかけては何よりも鼻の利く、男の面倒を見てくれてありがとうと感謝したわね。ついでに、ちやほやされることが好きで、可愛がられるのが当然で、顔の美しさのみ母親に似た、愚かな娘も本来なら嫁に出して欲しかったわ? でも、その代わり軍に入れて貰える? それは良かったわね? 顔だけしか自慢できるものはないでしょう? 貴方」

 母親の突き刺さるような言葉に、立ちすくむ。

「普通の娘のように、炊事に掃除、洗濯に刺繍、楽器演奏に舞踊と言った女性としてのたしなみ一つ、教えても覚えようとしなかった。文字の読み書きすら、習おうとしなかった。そんな娘を嫁に欲しがる家なんてある訳ないわね。軍で拾って戴けるだけでも有り難いことだわ。大好きなお父様と伯父様に感謝なさいな」
「お母さま! お母さま! お願いですわ! 助けて下さいませ! 私は娘で、漢寿亭侯かんじゅていこうの令嬢で!」
「妾の生んだ子供でしょう? それに、妾に突然落とされ、貶められ、監禁され、殺されかかった被害者にではなく、大好きな、甘やかしてくれるお父様に、お願いされては如何いかが?」

 彩霞は穢らわしいものを見るような目で、元夫を見る。

「ありがとうございますと申しますわ! さすがは漢寿亭侯さまですわね。溺愛していた娘がわがまますぎて手に余るから、軍に入れるとは、本当に子煩悩で愛妻家の漢寿亭侯さま。素晴らしいですわ。利用価値のない妾の子を利用されるなんて、頭の賢い方ですこと!」
「なっ?」

 貞淑で大人しい筈の元妻の鋭い口調に、言葉を失う。

「それに、どうしてこの屋敷に侵入されているのかしら? ここは、元々の持ち主である私が、こちらの黄承彦さまにすでに譲りましたの。この親切な黄承彦さまは、どなたかとは違って優しい方で、屋敷の中の家具などを処分する前に見せて下さったの。そして、全て買い取って下さったのに『大事な、持ち出したい記念の品はありませんか?』と聞いて下さった……どこかの誰かさんとは大違いですわね!」
「だ、だから……彩霞! わ、私とて、今でもお前を愛している。か、形だけ……兄者の奥方二人に、あれを正妻にしておけばと……い、言われて……」

 語尾の小さくなる雲長に指を突きつけ、嘲る。

「それはそうだわ! 貴方、曹孟徳そうもうとくさまの所に身を寄せていた時に、あの甘夫人かんふじん糜夫人びふじんと関係を持っていたそうね? とてもとても良い関係だったと伺っているわ?」

 その爆弾発言に黄承彦に月英と孔明、琉璃、元直に至るまで眉を寄せる。

「そ、誰にそれを?」

 声を上ずらせる雲長に、彩霞は、

「言えば、その人を殴るのでしょう?」
「そ、それは……し、しない!」
「あら、そうなの? じゃあ、益徳どの……」
「殴りにいく!」

後ろを向こうとした雲長に、言い放つ。

「話をきちんと聞いて欲しいわね。そういう所が嫌いなのよ! 本当はね、益徳どのの奥方の美玲さまとご挨拶に城に伺った時に、お二人ご自身から伺ったのよ。じゃぁ、さぁ、今すぐ殴りにいってらっしゃいませ! 夫の部下と浮気をしたと堂々と宣言するご夫人など、恥ずかしいですわね……淑女の端くれでもないですわ……さぁ、今すぐ殴って来て下さいな? で、恥をかかされた私を庇って下さった美玲さまには、お礼を言って下さいませね? お会いして、きちんとお礼をですよ? 良いですか? 子供ではありませんものね? 出来ますわよね?」
「……あ、あの……あ、あの……な……」
「出来ませんの? 美玲さまやほうちゃん、私の娘の琉璃には殴ったり、首を絞めたり散々していたでしょう? 同じようにおやりなさいな! 何の罪もない美玲さまと苞ちゃん、琉璃には出来て、自分の浮気を堂々と浮気相手の妻に言い放った人には出来ないの? この、最低男!」

 唇を震わせる彩霞を、優しく肩を撫でる黄承彦。

「彩霞どの。このようなもうすでに関わりのない男の事で、その優しく麗しいお顔が憂いで暗くなるのは私共、特に琉璃が悲しみましょう。さぁ、今すぐお忘れなさい。貴方は私の娘の琉璃の母。それに……この様な所で何ですが、共に様々な街に商売旅行をと申しましたが、私の妻として共に行きませんかな?」
「……えっ?」

 目を丸くする彩霞に微笑む。

「私は月英という大きな息子がおりますが、貴方様は琉璃の母親です。家族でありましょう。月英には一人、琉璃には今度孫が生まれます。先日、月英にはからかわれた後、考えたのですよ。こんな年寄りですが、貴方のように賢く、強く、優しい女性と旅をする……周囲は知人だと言っても、今の貴方が苦しんだ事が、又貴方を苦しめる陰口となっては、私も居たたまれない……しがない商人ですが、嫁や妾などは現在おりません。もし頷いて下さるのなら、金銀財宝など、形あるものよりも、誠意を差し上げましょう。私は生涯強く優しく、そして脆さもあわせ持つ貴方を尊敬し、守り愛する事を誓いましょう……如何でしょう?」

 彩霞は黄承彦を見上げると、瞳を潤ませる。

「こ、この、私を……? もう三十路の……」
「何をおっしゃるのか。女性は年を重ねてこそ、真の美しさが現れるものですよ。貴方は美しい。貴方の微笑みを近くで見ていたいのですよ……」

 震える唇を覆い、涙目で彩霞は囁く。

「わ、私でよろしければ……貴方様と共に、参ります」
「……ありがとうございます。彩霞どの」

 二人は手を取り合い微笑む。
 その様子を呆然と見ていた雲長、驪珠は声をあげる。

「み、認めないぞ! 認めない! 彩霞は私の!」
「お母さま! 私は? 私の……?」

 ぎゃぁぎゃぁと騒ぐ二人を、琉璃を抱いたまま、孔明は近づく。

「黙れ! 義父上方の邪魔だ! ついでにここは黄家の屋敷だ。関係者以外は入ってくるな!」
「そうですよ。不法侵入で、益徳将軍に引き渡しましょう」

 元直は冷静な顔で雲長と驪珠を見る。

「さぁ、参りましょうか? それとも、殿の元にお連れしましょうか?」
「い、いや……そ、それは」

 ジリジリと後ずさる二人に、

「では、お帰り下さい。雲長将軍は怪我の休暇中ですよね? そして、そちらの方は訓練中の逃走は、軍務違反に当たります。厳しい罰が課せられますよ。早く部隊に戻られることをお勧めします」

元直の声に二人は逃げ出したのだった。
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