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桔梗の章
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「ハギ、キキョウ、クズ、フジバカマ、オミナエシ、オバナ、ナデシコ、秋の七草」
持田五月は、細い指を折りながら、呟いた。
隣で文芸部に提出するレポートを書きながら、若林莉愛は見る。
五月の声は容姿にぴったりで、とても澄んでいて可愛らしい。
落ち着いたと言うよりも、少し低い声を気にしている莉愛には羨ましい。
それを表に出さず、そっと問いかける。
「どうしたの?」
「えっ、あ、秋の七草のことを書いてみたくなって……ほら、万葉集の山上憶良が詠んだ和歌が二首あって、
『秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花』
『萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花』
ってあって……雄花はススキのことでしょう? でも、何で朝貌の花がキキョウなのかなと思って。アサガオやムクゲとかヒルガオっていう説もあるのに……」
資料を見ながら首を傾げる五月の前髪が、さらっと揺れた。
まだ眼鏡は外すことができず、前髪も長いままだが、最近はこちらを見てくれるようになった。
怯えたように目をそらす春に比べて、格段に五月は変わり始めていた。
莉愛は、自分の持ち込んでいたノートをめくり、説明する。
「……えっと、アサガオは調べてみたら、熱帯アジア原産ですって。奈良時代か、もしくは平安初期にタネが薬として遣唐使によって持ち込まれたそうよ。ヒルガオは日本に原種があって、現在雑草として扱われているけれど、当時もあったでしょうね。ムクゲは、韓国の国花だけど原産は中国。で、キキョウは日本の絶滅危惧種。でも、元々日本全土にあった花。最近花屋さんに入っているキキョウはトルコキキョウよ」
「えっ! 待って。書き込むから」
「いいわよ」
五月が読みやすいようにノートをずらす。
そして書き込むのを確認し、結論を話す。
「だから、多分、ムクゲは可能性としては少ないわね。七草でしょう? ムクゲは木だから。他の花は木では無いし。アサガオの線も薄いわ。だって、山上憶良が詠むのなら、自然に生えている草花を選ぶでしょうし、だから、ヒルガオかキキョウね」
「へぇ……莉愛ちゃん詳しいね。私はそこまで考えてなかった」
「私の叔母が花道の講師なの。教えて貰ったのよ」
本当は、季節の花などを熱心に説明され、しばらく習っていた。
莉愛は両親にとってただ一人の娘で、花道以外にも色々と習わせてくれたが、ものになったのが弓道のみで、幾つも着物を仕立てたり道具を揃えたり、一緒に可愛いものを買いに行きたかった母が日々嘆いていたりする。
「へぇ、すごいね。私は中学校の時にクラブ活動で茶道を少しだけ。生け花も習ってみたかったけど……」
「難しいのよ……私は母や叔母に諦められたわ。この子には無理って、お転婆だったから」
「えぇ! そうなの? 見えない」
「兄達は柔道とか空手、剣道。私は弓道ね」
「私はなぎなたを習ったことがあるけど、駄目だったの」
五月は照れる。
「余りにもとろくさくて、全然上達しなかったから辞めちゃった」
「薙刀……かなり極端なところに行ったのね」
「合気道や空手、柔道とかは、人に近づかないといけないでしょう? それに、剣道は……男子と同じところで練習するから……」
「暑苦しいわよね。私も兄達がそうよ」
「そう言えば、莉愛ちゃんはお兄さんいるの?」
初めて聞いたと言いたげに目を丸くする。
「何回かお家に行った時、いなかったから一人っ子かと思って……」
「兄達は県外の高校や大学に行っているわ。3人もいたら……考えただけで嫌ね」
顔をしかめる。
「汗くさいし、暑苦しい性格なの。大学生にもなって、朝晩『青春』とか『彼女欲しい』とか叫んで欲しく無いわね」
「……っ……」
五月が噴き出した。
そしてコロコロと鈴の音のような笑い声をあげる。
しばらくして、口を押さえ頭を下げる。
「……ご、ごめんなさい。莉愛ちゃんが、眉をひそめるなんて……お兄さんたち凄いのね」
「本当に同じ血を引いてるのかと思うわ。私は勉強が好きだけど、兄たちは勉強嫌いだから。夏休みも補習と稽古でお盆の数日だけでさようならだったわ。その期間が無駄に暑苦しくて嫌だったけど。夏、暑い上に兄弟よ? あぁ、思い出したくないわ」
「良いなぁ……私は、一人っ子だから」
「私は姉妹が欲しかったわ……五月みたいな。と言うか、母が言うのよね。『また五月ちゃんを連れて来なさい!』って」
莉愛は五月を見つめる。
前に数回家に誘った時に、莉愛の母は大人しく小柄な五月を可愛がり、ちょうど初夏だったこともあり、浴衣を着せたり、莉愛が決して着ようとしなかった夏のひまわりのワンピースを着せて喜んでいた。
丁度花を生けに来ていた叔母も、お弟子さんにするように髪を結い上げたり、写真を撮ったりと五月は母と叔母の着せ替え人形となっていた。
そしてどうせ莉愛が着ないのだからとそのまま車で送り、五月の祖父母は狼狽えていた。
しかし、男3人の母だけに、
「申し訳ありません。私は娘にこういった格好をして欲しいのですけど、着てくれなくて……家のタンスの奥にしまいこんでいたのです。でも捨てるのも惜しくて、つい、今日来ていた五月ちゃんに着てもらったのですわ。そうすると余りにもよく似合うので……もしよろしければ……」
「ですが、ご迷惑では?」
「いいえ、逆に浴衣も喜んでいると思いますわ。うちの莉愛は、金魚とか朝顔とかひまわりを嫌がるんです」
「と言うか、高校生にもなってその柄……恥ずかしいわよ……」
ボソッと呟いた莉愛の口を塞ぎ、莉愛の母はにっこりと、
「やっぱり、女の子は可愛らしい柄がいいと思いませんか? 年よりも、似合う時に似合う柄があるのは素敵ですわね。五月ちゃんはどうかしら?」
「えっ……はい、可愛いです」
「あら、可愛いのは五月ちゃんよ。浴衣やワンピースは五月ちゃんをもっと際立たせるのよ。本当に羨ましい」
「お母さん。私を残念そうに見ないで頂戴」
莉愛は母を睨んだ。
その後、何かお礼と言う五月の祖父母を笑顔で押し切り、莉愛の好みではないワンピースなどを置いて帰った母を、強者と莉愛は思った。
「でも、度々行ったら莉愛ちゃんのお家……迷惑じゃない?」
「逆よ。母が喜ぶのよ。父も帰りは遅いし、私は母の趣味は全く理解できないし、兄達は論外でしょう? 五月が嫌じゃなければ、だけど……」
「ううん、嫌じゃないよ。嬉しい……」
どう表現すれば良いのか解らないと言いたげな、くすぐったそうな笑顔で、五月は笑う。
「今度、行ってもいい?」
「いつでも良いわよ」
「うん。ありがとう。莉愛ちゃん。あ、早く書かないと。文化祭に間に合わないね」
「まだじっくり考えたほうがいいわよ。再提出貰うから」
クスクスと笑いながら忠告する。
「そうだね。先生本当にチェック厳しいもの」
「そうそう。もう少し調べてみたら?」
「そうする。でも、莉愛ちゃんのおかげで少し解った。良かった~」
書き込んだノートを抱きしめる姿を、莉愛は少し羨ましく思ったのだった。
持田五月は、細い指を折りながら、呟いた。
隣で文芸部に提出するレポートを書きながら、若林莉愛は見る。
五月の声は容姿にぴったりで、とても澄んでいて可愛らしい。
落ち着いたと言うよりも、少し低い声を気にしている莉愛には羨ましい。
それを表に出さず、そっと問いかける。
「どうしたの?」
「えっ、あ、秋の七草のことを書いてみたくなって……ほら、万葉集の山上憶良が詠んだ和歌が二首あって、
『秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花』
『萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花』
ってあって……雄花はススキのことでしょう? でも、何で朝貌の花がキキョウなのかなと思って。アサガオやムクゲとかヒルガオっていう説もあるのに……」
資料を見ながら首を傾げる五月の前髪が、さらっと揺れた。
まだ眼鏡は外すことができず、前髪も長いままだが、最近はこちらを見てくれるようになった。
怯えたように目をそらす春に比べて、格段に五月は変わり始めていた。
莉愛は、自分の持ち込んでいたノートをめくり、説明する。
「……えっと、アサガオは調べてみたら、熱帯アジア原産ですって。奈良時代か、もしくは平安初期にタネが薬として遣唐使によって持ち込まれたそうよ。ヒルガオは日本に原種があって、現在雑草として扱われているけれど、当時もあったでしょうね。ムクゲは、韓国の国花だけど原産は中国。で、キキョウは日本の絶滅危惧種。でも、元々日本全土にあった花。最近花屋さんに入っているキキョウはトルコキキョウよ」
「えっ! 待って。書き込むから」
「いいわよ」
五月が読みやすいようにノートをずらす。
そして書き込むのを確認し、結論を話す。
「だから、多分、ムクゲは可能性としては少ないわね。七草でしょう? ムクゲは木だから。他の花は木では無いし。アサガオの線も薄いわ。だって、山上憶良が詠むのなら、自然に生えている草花を選ぶでしょうし、だから、ヒルガオかキキョウね」
「へぇ……莉愛ちゃん詳しいね。私はそこまで考えてなかった」
「私の叔母が花道の講師なの。教えて貰ったのよ」
本当は、季節の花などを熱心に説明され、しばらく習っていた。
莉愛は両親にとってただ一人の娘で、花道以外にも色々と習わせてくれたが、ものになったのが弓道のみで、幾つも着物を仕立てたり道具を揃えたり、一緒に可愛いものを買いに行きたかった母が日々嘆いていたりする。
「へぇ、すごいね。私は中学校の時にクラブ活動で茶道を少しだけ。生け花も習ってみたかったけど……」
「難しいのよ……私は母や叔母に諦められたわ。この子には無理って、お転婆だったから」
「えぇ! そうなの? 見えない」
「兄達は柔道とか空手、剣道。私は弓道ね」
「私はなぎなたを習ったことがあるけど、駄目だったの」
五月は照れる。
「余りにもとろくさくて、全然上達しなかったから辞めちゃった」
「薙刀……かなり極端なところに行ったのね」
「合気道や空手、柔道とかは、人に近づかないといけないでしょう? それに、剣道は……男子と同じところで練習するから……」
「暑苦しいわよね。私も兄達がそうよ」
「そう言えば、莉愛ちゃんはお兄さんいるの?」
初めて聞いたと言いたげに目を丸くする。
「何回かお家に行った時、いなかったから一人っ子かと思って……」
「兄達は県外の高校や大学に行っているわ。3人もいたら……考えただけで嫌ね」
顔をしかめる。
「汗くさいし、暑苦しい性格なの。大学生にもなって、朝晩『青春』とか『彼女欲しい』とか叫んで欲しく無いわね」
「……っ……」
五月が噴き出した。
そしてコロコロと鈴の音のような笑い声をあげる。
しばらくして、口を押さえ頭を下げる。
「……ご、ごめんなさい。莉愛ちゃんが、眉をひそめるなんて……お兄さんたち凄いのね」
「本当に同じ血を引いてるのかと思うわ。私は勉強が好きだけど、兄たちは勉強嫌いだから。夏休みも補習と稽古でお盆の数日だけでさようならだったわ。その期間が無駄に暑苦しくて嫌だったけど。夏、暑い上に兄弟よ? あぁ、思い出したくないわ」
「良いなぁ……私は、一人っ子だから」
「私は姉妹が欲しかったわ……五月みたいな。と言うか、母が言うのよね。『また五月ちゃんを連れて来なさい!』って」
莉愛は五月を見つめる。
前に数回家に誘った時に、莉愛の母は大人しく小柄な五月を可愛がり、ちょうど初夏だったこともあり、浴衣を着せたり、莉愛が決して着ようとしなかった夏のひまわりのワンピースを着せて喜んでいた。
丁度花を生けに来ていた叔母も、お弟子さんにするように髪を結い上げたり、写真を撮ったりと五月は母と叔母の着せ替え人形となっていた。
そしてどうせ莉愛が着ないのだからとそのまま車で送り、五月の祖父母は狼狽えていた。
しかし、男3人の母だけに、
「申し訳ありません。私は娘にこういった格好をして欲しいのですけど、着てくれなくて……家のタンスの奥にしまいこんでいたのです。でも捨てるのも惜しくて、つい、今日来ていた五月ちゃんに着てもらったのですわ。そうすると余りにもよく似合うので……もしよろしければ……」
「ですが、ご迷惑では?」
「いいえ、逆に浴衣も喜んでいると思いますわ。うちの莉愛は、金魚とか朝顔とかひまわりを嫌がるんです」
「と言うか、高校生にもなってその柄……恥ずかしいわよ……」
ボソッと呟いた莉愛の口を塞ぎ、莉愛の母はにっこりと、
「やっぱり、女の子は可愛らしい柄がいいと思いませんか? 年よりも、似合う時に似合う柄があるのは素敵ですわね。五月ちゃんはどうかしら?」
「えっ……はい、可愛いです」
「あら、可愛いのは五月ちゃんよ。浴衣やワンピースは五月ちゃんをもっと際立たせるのよ。本当に羨ましい」
「お母さん。私を残念そうに見ないで頂戴」
莉愛は母を睨んだ。
その後、何かお礼と言う五月の祖父母を笑顔で押し切り、莉愛の好みではないワンピースなどを置いて帰った母を、強者と莉愛は思った。
「でも、度々行ったら莉愛ちゃんのお家……迷惑じゃない?」
「逆よ。母が喜ぶのよ。父も帰りは遅いし、私は母の趣味は全く理解できないし、兄達は論外でしょう? 五月が嫌じゃなければ、だけど……」
「ううん、嫌じゃないよ。嬉しい……」
どう表現すれば良いのか解らないと言いたげな、くすぐったそうな笑顔で、五月は笑う。
「今度、行ってもいい?」
「いつでも良いわよ」
「うん。ありがとう。莉愛ちゃん。あ、早く書かないと。文化祭に間に合わないね」
「まだじっくり考えたほうがいいわよ。再提出貰うから」
クスクスと笑いながら忠告する。
「そうだね。先生本当にチェック厳しいもの」
「そうそう。もう少し調べてみたら?」
「そうする。でも、莉愛ちゃんのおかげで少し解った。良かった~」
書き込んだノートを抱きしめる姿を、莉愛は少し羨ましく思ったのだった。
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