あるバーのマスターの話

刹那玻璃

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第2章

『Love is……』

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 谷本大輔たにもとだいすけは1人店に来ていた。

「谷本さん。今日はお一人ですか?」

 マスターはお腹の大きな妻を気遣いつつ、大輔を迎える。

「あ、はい。今日は森田、祐実ゆみさんと買い物です」
「祐実さんも大分、元気になられたようですね」
「そうですね。それに、森田も笑うようになりました」

 CDをかけつつ、おや? と振り返ると、大輔は首をすくめる。

「森田もあと数日で向こうに戻るんですけど、俺は仕事でしょう? 前までよくつるんでいたのに、つまらないですね」
「……昔の森田くんのようなことを、言われていますね」
「森田が?」

 カウンターに戻ると、微笑む。

「昔、言ってましたよ。谷本さんと美味しいお店を回れなくなったなぁ、と。折角見つけたのにと」
「言ってくれたら……」
「それは、森田くんには無理でしょう。おっとりしていて口数が多い方でもないですし。それに……」
「……解ってます。俺が惚れっぽいんです」

 頭を下げる。

 年末に転勤になったと知ったのは、年を越えて新年。
 年末は何回か何か言いたげな親友と職場で会ったものの、クリスマスや正月に、仕事も溜まっていて、年を越すと森田の姿がなかった。
 家も引き払っていて、慌ててこの店に来た。
 手紙とあの時の衝撃は、思い出しただけで胸が痛む。
 自分の婚約した相手が不実だった……それに、自分も相手を本当に知らなかった。

 恋愛に溺れていた。

 しかし相手は一枚上手で、こちらが仕事で忙しい時に浮気をし、それを責めると豹変し、森田を追いかけて行った。
 森田のことが好きだったのかと思いきや、栄転した森田だったら自分は自由にお金を使い遊び回れるだろうと言う身勝手な理由で追い回し、拒絶した森田ともみ合いになり道路に突き飛ばし逃げた。
 森田は車にはねられ、命に別状はなかったものの足を痛め、杖はつかなくなったが、走ることは難しくなった。

 突き飛ばした遠野は今現在、刑務所に入っている。
 一度日本に帰って来ていたが、再びカナダに行き、そこで捕まったらしい。

「……俺は恋愛運はないのかな……」
「運じゃなく、運命じゃないですか?」

 よっこいしょと大きなお腹を押さえながら、出てくるはるか

「それとか偶然……そう簡単に運命の人に出会えるなんてあり得ませんよ……」
「遼さんとマスターは、どうですか?」
「えっ? どうなんでしょうね?」
「それは、谷本さんには内緒にしましょうか」

 2人は微笑む。

 すると、ドアベルが鳴りながら開かれ、理央と祐実が姿を見せる。
 理央は祐実をエスコートするように、そっと気遣いつつ入ってくる。

 祐実は理央に聞いた所、視力が極端に悪くなり、視野が狭くなった。
 目を使うことや人ごみの多い所では疲れやすく、寝込むこともあるらしい。
 現在は実家でいるのだが、職場には体が良くなってからでも構わない、カナダの支社に戻って欲しいと希望されているらしい。
 それに実家は元婚約者と結婚した幼馴染みの実家に近く、居づらいことも事実。
 でも、いつか失明するかもしれない不安と、1人で向き合うのも辛い……そう漏らしていたらしい。

「森田、祐実さん」
「あれ? 谷本。来てたんだ……祐実さん、カウンター座れる?」
「こっちですよね……」

 白い杖を使いながら、方向を確認する。
 そしてゆっくりと近づいたのを、谷本は、

「俺がこっち側支えているから、森田に手を預けて座って」
「すみません、ここで大丈夫でしょうか」
「大丈夫。ゆっくり座って」

理央の声にゆっくりと座り、ホッとする。

「ありがとうございます。理央さん、谷本さん」

 折りたたみ式の杖を畳み、バッグにしまう。

「本当にすみません……」
「大丈夫ですよ。それより慣れましたか?」
「まだ、変な感じです」

 苦笑する。

「今まで当たり前にできていたことが、こんなにも素晴らしいことだったんだと今更ながら思います。今はまだ、理央さんたちに支えられないと、リハビリにもくじけそうですが……でも、後ろ向きにならず、落ち込まずに根気強く続けて行きたいです」

 サングラス越しの視線がさまよう。

「それにいつか失明しても……大切な思い出が色あせないように……心に仕舞っておこうと思います」
「祐実さん……!」
「理央さん。先生は大丈夫と言ってくれているけれど、最悪の場合よ。もうすでに片目は見えていないし、もう片方も一気に視力が落ちてしまっている。裸眼で1.2はあった私にとって、この視力は恐怖でしかないの」

 理央は手を伸ばし、震えている祐実の手を握りしめる。

「……ありがとう。理央さんたちには本当に沢山、迷惑やお世話をかけて……特に、理央さんには折角の長期休暇を潰してまで……」
「僕がしたかったんだから、良いんだよ」
「優しいです……こんな私に……」
「こんな、じゃないよ。君は君だよ」

 理央はサングラスを外し、祐実の頭を抱き寄せる。

「泣いていいよ。君は君だよ。前から変わらない……優しい人だよ。ちゃんと僕たちは知ってる」
「り、お……さん……」
「もっと甘えていいよ……もう怖くないから……僕も強くなるから」

 よしよしと頭を撫でられ、泣き出す。
 もう一方の腕で祐実の身体を包むと、静かにただ泣かせ続けた。



 しばらくして泣き止んだ祐実は、周囲にマスター夫婦と谷本がいることを思い出し、

「えっ……あっ……す、すみません……」
「温かいタオルと濡れタオルです。使って下さい」
「お、おしぼりで……」
「女の子の顔にそれは駄目。ね?」

遼から受け取ったタオルを顔に乗せる。

「そ、それに、理央さん。ご、ごめんなさい……」
「良いよ。大丈夫」
「大丈夫じゃないです。あぁぁ、スーツ代……化粧が落ちて、その上涙で、クリーニングじゃ落ちないかも」
「……プッククク……」

 理央は吹き出した。

「スーツなんて幾つもあるよ。それ位で慌てなくても」
「でも……」
「それよりも、本当はちゃんと君に伝えたかったんだけど……谷本やマスター、遼さんに立会人になって貰おうと思って……」
「えっ……?」

 冷たいタオルに変え、赤くなった目を冷やしていた祐実の膝に何かを乗せる。

「えっ?」
「君の目が見えなくなっても、手で触れて解るものを贈りたくて……今日届いたんだ」
「箱……」

 片方の手で確認する。

「しっかりしてる……箱……」
「開けるね。待ってて」

 ガサガサと音がして、箱の代わりに乗せられたのは……。

「テディベア?」
「そう。形あるものはいつか壊れる。でも、ここにはテディベアが飾られていて、調べたんだ。テディガールっていうテディベアのことを。100年以上前に作られたテディベアが、今でも綺麗に残っているんだ」
「デッドストック?」
「違うよ。持っていた人が本当に大切にしていて、綺麗に残っているんだ。だから、君に形あるものでも思いが残る……何かを贈りたかったんだ」

 がっしりとした、でも手触りのいいテディベアを撫でる。

「柔らかい……気持ちいい……」
「僕が選んだから、気に入ってくれるか解らないけど……」
「ううん、嬉しい、です……」

 タオルをずらし、テディベアを見る。
 明るい茶色の、大きめのテディベアに目を丸くする。

「可愛い……」
「良かった……それと……」

 持っていた小さい紙袋を差し出す。

「えっと……」
「あ、待って」

 中の小箱を開け、祐実に差し出す。

「……えっと、付き合うとか全くないけれど……一緒に出かけたり、手を繋いで歩いたり……ごく当たり前にあったものが、新しく見えてくるんだ……。カナダに僕と一緒に行ってくれませんか?そして、結婚を考えて欲しいんだ」
「えっ……」

 両手で口を覆い、理央を見つめる。

「あ、の……わ、私……?」
「そう……一緒にいて欲しいんだ。駄目……かな?」
「わ、私で良いのですか?私は……」
「さっきも言ったけど、君は君だよ」

 ゆっくりと繰り返す声に、涙を浮かべる。

「……ありがとう」
「……あ~良かった。緊張した」

 祐実を抱きしめ声を上げる。

「おいおい、指にはめてあげれば良いだろう」
「谷本……だって、サイズきちんと測ってなかったから……」
「そこらへんが抜けてるな」
「い、良いの! 合わなかったら向こうに帰る前に、もう一回直して貰いに行くから」

 友人に言い返す。
 その様子に、マスターは作っていたカクテルを差し出す。

「では、お二人の未来に……祝福を。贈らせて頂きますね」
「ありがとうございます。マスター」
「これは……」
「『ホーセズネック』と言います。カクテル言葉は『運命』です」
「『運命』……」

 2人は目を合わせ、お互いに頬を赤らめる。

「今更照れてどうするんだ?」

 大輔はからかいつつ、

「理央と祐実さんの幸せな未来に」
「ありがとう、大輔」
「ありがとうございます」
「では私たちは、森田くんと祐実さんと谷本くんの将来を」

河村隆一さんの独特のハスキーボイスが流れる店内で、初々しい恋人たちの未来を祝ったのだった。
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