あるバーのマスターの話

刹那玻璃

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第2章

『海の声』

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 祐実ゆみの事件の件で、マスターも一緒に被害届を提出した。
 そして、祐実に暴力を振るおうとしたことも伝え、店も一時的に閉めることになったことも伝えた。

 警察は元恋人の別れ話のもつれと言うことで示談を提示しようとしたが、祐実の怪我と診断書、謝罪もなく、その上結婚式にまで呼んで、体の不調を訴えキャンセルしようとした彼女に無理やり出席させたこと、怪我を知られたくないとサングラスをかけていたのを取り上げたり、精神的にも肉体的にも苦痛を受けた訴えるとやりたい放題にあきれ返り、受理した。
 今度は傷害事件として取り扱うという。

 そして、森田理央もりたりおうは有給休暇も使い滞在を伸ばし、弁護士もマスターより紹介して貰うと一緒についていくと言ってくれた。
 理央の友人の谷本大輔たにもとだいすけは、有給休暇をつぎ込み理央の看病に行っていたので、即仕事だったが、理央は祐実の当座の生活と杖や身の回りのものを揃える手続きも手伝う。

 そして、北山錦きたやまにしきと言う敏腕の美貌の女性弁護士をマスター経由で紹介され、一時休業の店内で会うことになった。
 理央と並び弁護士と会ったのだが、年齢未詳の美形でスタイルが抜群に良い上に、サバサバとした姉御肌の女性だった。
 席に着く前に丁寧に挨拶をするが、今は長期静養中の祐実は過去の名刺を渡した上に、今の住所と電話番号を渡す。
 その横で、理央と大輔が名刺を渡した。
 マスターも自分の名刺に、連絡先を書き込んで渡しておく。
 大輔はカウンターで、三人はテーブルで話をする。

「貴方は被害者。自分を卑下しなくていいのよ。それに、女性を馬鹿にするようなそんなバカは半殺しよ」

と豪快に微笑んで見せた。

「でも、まずは、身の回り……歩くのは不自由じゃない? それに、本当に可愛い顔になんてことを! 本気で半殺しにしたいわ!」
「ありがとうございます。でも、マスターに弁護士さんのお知り合いがいるなんて……」
「いいえ、私は直接の知人ではないのよ。私の同僚が時々ここに来ていたの。当時はこーんな顔をして、眉間にシワだったのだけど、今は子煩悩な親馬鹿してるわ」
「へぇ……どんな人ですか?」

 大輔は聞く。

「あぁ、知らなかったかしら? 大原嵯峨おおはらさがよ。幼馴染みなの」
「大原……」

 考え込む横で、理央と祐実は唖然とする。

「えぇぇ! あの敏腕弁護士ですか!」
「テレビには記者会見のみ、ダンディで格好いいって評判の……そういえば結婚されたとか」
「奥さんと娘さんを本当に溺愛中よ。昔のアレの面影はないわぁ~」

 笑う。

「奥さんや娘さんの前ではデレデレ~ですもの。まぁ、仕事は真面目にしているけれどね」
「そういえば、奥さんにはミモザを差し上げたのでしょうか?」

 マスターの珍しい問いかけに、錦はあらっと言いたげに目を見開き、

「ご存知でしたか? 嵯峨の家にはミモザを始めとして、沢山の花が植えられているんですよ。嵯峨が趣味のガーデニングなんて、口にしたりすることはないのに……」
「いいえ、前にお越しになられた時に、ミモザを生けていたのです。それで……」

微笑むとCDをかける。

「あら? 私、この曲好きよ」

 錦は微笑む。

「CMとかカラオケでも歌うものね。最近の曲にしては懐かしいと言うか……嫌だわぁ、三人に比べておばさんだからかしら」
「若いじゃないですか。それに年齢なんて関係ないと思いますよ」

 祐実も安心したように微笑む。

「私もこの曲好きです。聞いてて安心する感じです」
「でしょう? あ、初めて笑った」

 隣に座っている祐実の頰をつついた。

「笑っていなくちゃダメよ。あ、怪我に響くようならダメだけれどね」
「でも……楽しいことって忘れちゃいました。……あ、時々、この店で会っていた宣子のりこさんたちに、そういえばお会いしていないわ……」
「会って、おしゃべりしなさいな」
「そうですね。でも電話番号とか……携帯を滅茶苦茶に壊されて、保存していたものも全部復元できなかったので……それに、嫌がらせのSNSとか無言電話とか……本当は友人とかから連絡がと思って、持っていたのですが……」
「ちょっと見せて」

 先日、理央や大輔、そしてマスターに見せたスマホと違う、別のスマホを差し出す。
 中を確認すると、

「……非通知ばかりね……所々は、番号があるけれど……」
「……怖くて取れなかったんです」

項垂れる。
 マスターが奥に入り、持って来た携帯を差し出す。

「妻のものですが、宣子さんたちの番号がありますよ。かけられますか?」
「あの、良いのですか? 私の電話で……」
「かけていますから、心配してましたよ」

 スマホを受け取り耳に当てると、

『もしもし? はるちゃん?』
「あ、もしもし、宣子さん……祐実です」
『祐実ちゃん! どうしたの? 最近会わなくて、葛葉くずのはも心配してたわ』
「ご、ごめんなさい……実は、今、マスターのお店にいるの。実は携帯が壊れちゃって……復元できなかったの……」

小声になる。

「それに、嫌がらせの電話がかかってくるから、取れなくて……ごめんなさい」
『嫌がらせですって……ちょっと待ってなさい!』

 その直後、扉が開き、

「祐実ちゃん! 何があったの!」
「休業中にすみません」

入って来たのは宣子と雄洋たけひろである。

「良かった、元気だった……いやぁぁ! 何て酷いことを! 誰がしたの! 2人じゃないでしょうね? 大輔くん、理央くん!」
「宣子さん、俺たちじゃありません」
「だと思ったけど。でも理央くん、体大丈夫?」
「普通に走ったりは難しいですけど、歩いたら大丈夫ですよ」

 理央は微笑む。

「ご心配をおかけしました」
「今度何かあったら、この御局様に言うのよ?」
「御局様って、俺たちよりも年下でしょうに」
「ほほほ、高卒だから、大卒の皆より四年前に社会人よ。その分色々と経験してるもの」

 笑う。

「それよりも……この方は?」
「初めまして。私は弁護士の北山と申します。先日こちらで起こった事件で、被害者である彼女の弁護をさせて頂きますの」

 名刺を受け取り、声を上げる。

「祐実ちゃんの怪我をさせた相手ですか? 祐実ちゃんを傷つけた相手を訴えると言うことですか?」
「そして、このお店に追いかけて来て、この店の備品を幾つか壊したそうですわ」
「備品まで……何か変わっていると思っていたけれど……」
「妻は、あちらに飾っていたエリオットのケースが壊されて、大泣きしていました」

 マスターは口を挟む。
 宣子と雄洋は知っているが、マスターの嫁はテディベアオタクである。

「それとグラスなども砕けましたし……祐実さんが下さった食器をと思いましたが、これは重いとは思いますが、証拠として北山さんにお渡ししてもよろしいですか?」
「食器?」
「祐実さんは、暴力を振るった元婚約者の結婚式に出席させられたのだそうです。花嫁が幼馴染みだったので、是非にと」
「うわぁ……最悪だわ。葛葉の元婚約者以上に」

 宣子は錦の言葉に顔をしかめる。

「元婚約者を式に招待。それに、暴力? 裁判した方がいいわ、私たちも応援するから」
「あの、宣子さん。新しいスマホに、電話番号を入れても大丈夫?」
「当たり前よ。あ、紹介してなかったわね、彼氏なの」
「古西雄洋です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。あの、す、すみません……」

 ガタガタと震える祐実の手を理央が握る。

「大丈夫だよ。確か、古西さんってあの……こちらの西の方にある古西鉄工所の……?」
「えぇ、一応、今は細々と両親がやってます。ご存知だったんですか?」
「いつも近くを通ると、お茶を頂いていました。雄洋さんも知っていますよ。私は転勤でカナダに行ったんです」
「……あれ? 理央くん? 久しぶりで分からなかった」
「……やっぱり、雄洋は交友関係が広すぎるわ。嫉妬したくなるわね」

 宣子はぼやく。

「では、皆さん。再会と祐実さんが元気になれますように……これは差し入れです」

 マスターがカウンターとテーブル席に届けたお酒に、錦は感嘆する。

「素敵ね。余り自分の行くお店を言わないんだけど、ここだけは私や双子に言う訳だわ」
「そうなのですか」
「えぇ。幼馴染みの双子の兄は口数が少ないのよ。弟はうるさいから蹴り飛ばすんだけど。私は唯一女で、馬鹿にされたくないと思っていたけど……そうじゃないのよね」

 グラスを傾け呟く。

「嫌いとか言われていないもの。ただ……性別だけ。知識はそれなりにあるけれど、体力も力もない。私は父親の七光りもあってこの道に進んだけど、何回も試験に落ちるし納得がいかなかった。何とか受かったけれど、このままじゃ駄目だと思った。そうしたら嵯峨が……あいつは一回で受かってたから、先に弁護士として他の弁護士事務所で働いていたけど、やりたい仕事ができないって悩んでて『錦。私と独立しないか』って……父親の事務所でぬくぬくしている性格じゃないから『じゃぁ行くわ』って一緒に開業したのよ」
「へぇ……幾つの時ですか?」
「25ね。最初はどんな仕事でもやったわ。小さい仕事でも。赤字でも言い合いになっても、それでも楽しかった」
「今はどうですか?」

 祐実は問いかける。

「うーん、父が嵯峨と結婚しろと言われて、それだけはゴメンと思ったわね。家の中にまで仕事を持ち込まれたら厳しいわ。で、別の男性と結婚したの」
「結婚ですか……羨ましいです」
「何言っているのよ。祐実さんは可愛いんだから、いい人は絶対に見つかるわよ」
「体が不自由だし……」
「体が不自由でも、心は解放されているのよ。それならいいでしょう?」

 錦はちらっと祐実の手を握る理央を見る。

「貴方は可愛いんだから、もう少し笑うと素敵よ。今は辛いでしょうけど、きっと将来はいいことが沢山やってくるわ。大丈夫よ。お姉さまに任せなさいな」
「ありがとうございます」
「じゃぁ、飲みましょう、マスターも。このお金も、向こうにつけちゃいましょうか」
「そうですねぇ?」
「冗談よ。うふふ。素敵なお酒に、素敵なお店。また来ても良いかしら?」
「えぇ」

 休業の店で楽しい会話が続くのだった。
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