33 / 66
第2章
『My Way(マイ ウェイ)』
しおりを挟む
今日は、遼とのんびりとしていた。
かけていたCDはフランク・シナトラ。
アメリカのジャズやポピュラーソング歌手である。
扉が開き、マスターがこの店を開店させた頃から時々話に来る、現在は杖をついているものの、かくしゃくとしている老齢の男性が久しぶりに姿を見せた。
「照川さま。ようこそ。お待ちしておりました」
「おや? マスターは嫁さんと二人が良かろうが。このクソジジイの悪態を聞くよりも」
「おじいちゃん!」
付いてきていた女性がハラハラと、ペコペコと頭を下げる。
「申し訳ございません」
「いえ。照川さまにもご連絡をと思っていたのですが、私たちの知人が多くて、照川さまが落ち着かないだろうと思っていたのです。そう言えば高坂さんが、照川さまにお会いしたいと言われていましたよ?」
「あぁ、あいつか。うるさいが、義理人情にあつい……時代劇に出そうな」
「ふふふ。本当に。どうぞ。お孫さんですか?」
「はい、要と申します。よろしくお願い致します」
女性は頭を下げる。
「あぁ、孫だよ。孫。息子夫婦がうるさくてなぁ……。わしは何ともないと言うのに、 年より扱いしおって」
「おじいちゃん。無茶しないでよ! いつもふらっと出ていって、心配して探す私たちの身になってよ!」
「あぁ……要は、口うるさいのう。ばあちゃんに似たんか?」
「いつもそんなことばっかり!」
頬を膨らませる要を、目を細めて……何とも目を入れても痛くないと言いたげににこにこと聞いている。
と、曲が変わる。
フランク・シナトラのポピュラーソング『My Way(マイ ウェイ)』である。
1969年に発表されたこの曲は、日本語訳詞で歌われている。
「あぁ、『マイウェイ』か。わしは『今船出が~』と言うのよりも、もう一つの方がえぇわい」
「あぁ、中島潤さんの訳詞は『今船出が~』ですが、『やがて私も~』と始まる岩谷時子さんの訳詞の方ですか?」
「よう知っとるのう? えと、マスターの……」
「はじめまして。遼と申します。照川さま。声楽をかじりではあるのですが、学んでおりまして……私も、岩谷時子さんの歌詞の方が好きなのです」
遼が深々と頭を下げる。
辛口のじいさんと有名だが、初対面の女性には優しいらしく、髭を撫でながら微笑む。
「遼さんか。でも、あの『マイ ウェイ』は渋くないかのう?」
「自分なりに生きていきたい……たとえ、最後に心残りがあったとしても、できる限り努力したと言えるように頑張ろうと、ずっと自分に言い聞かせていたんです」
苦笑とゆらゆらと揺れるような影がにじむ遼に、
「あんたはようやっとるやないか。その無意識やろうけど、マスターをサポートしたり、わしと話すときはきちんと目を向けて話そうとしよる。でも、目が合わんのは辛い思いをしたんやな……」
「あ、あの……昔は辛いことが多かったですが、しょ、マスターと結婚して、今は本当に幸せです」
「……」
遼を見つめた老人は、
「お願いがあるんやけど、遼さんの……あんたの今の『マイ ウェイ』を聞かせてくれんかなぁ? かまんかな?」
「あ、はい、CDの音量を下げて歌いますね」
デッキに向かう遼を追い、照川はマスターを見つめる。
「いつもは、マスターに選んで貰うけど、今日はわしが頼んでもかまんやろか?」
「えぇ。照川さまのお望みのカクテルを」
「ほら、要。座らんか」
自分の横の席を示し座らせると、マスターに、
「ほんなら『ギムレット』を頼むわ」
「……『ギムレット』ですね。かしこまりました」
音を小さくし、一瞬目を伏せると息を吸い、遼は歌い始めた。
その声域に音量に、要は驚くが、老人は、
「ほうほう……見事な声や。そこらの歌手よりもうまいわ」
感心する。
その様子を見つつ、マスターはゆっくりと作っていく。
遼は、フランク・シナトラの歌に添うように伸びやかに歌い上げる。
「おぉ! 素晴らしいわ!」
大きく拍手の音に、恥ずかしそうに、
「ありがとうございます。我流ですが……」
「いやいや。マスターにだけ聞かせるんも勿体無いわ。この店でシャンソンとか歌ったらえぇのに」
「いえいえいえ! まだほとんど覚えていないんです。でも、この曲は思い入れがあるんです……」
赤面症で頬を赤く染めた遼は、深々と頭を下げる。
「聞いて下さってありがとうございます」
「照川さま、要さん。『ギムレット』を……」
マスターは、カウンターにカクテルグラスを二つ並べる。
「本来の『ギムレット』では絞ったライムの酸味が強いかと思いますので、コーディアルライム(ライムジュース)を使わせて頂きました。どうぞ。照川さまのお口に合うと良いのですが……」
「あぁ、ありがとう。要。乾杯しようか」
「おじいちゃん……」
「お前のこれからに……乾杯じゃ。『マイ ウェイ』にもあるだろう? 恋愛をせい。ほら、目の前に理想の二人がおる」
珍しく無表情を取り繕う夫と、孫と飲むのが嬉しいといった雰囲気の照川、そして祖父を心配そうに見つつ、飲んだカクテルに、
「美味しいです……本当に、ちょうどいい美味しいです!」
「要さん、ありがとうございます。音楽と、おじいさまと心ゆくまでお過ごし下さい」
「じゃぁ、マスター! 遼さんに、シャンソンとか唄って貰えんか? 声がいい!」
「いつもはお断りしてますが、照川さまは特別ですよ? ……遼? 歌ってくれるかな?」
「えぇ。歌える曲は限られているけれど……」
その日は、照川のアンコールに遼は知っているだけのミュージカル音楽やシャンソンなどを歌った。
照川は笑い、要はその様子に表情を緩め微笑む。
マスターはノンアルコールカクテルを間に挟みつつ、照川の希望のカクテルを作ったのだった。
タクシーを呼び、照川と要を見送ったマスターは、遼には完全に分かる程暗い顔をしてグラスを洗い、道具を片付け始めた。
遼は、あえて夫に問いかけもせず、ほうきを持ち出しカウンターの外を掃いて、テーブルを拭いたのだった。
数日後、新聞を見ていた遼が、
「彰一さん! き、昨日……照川さまが亡くなったって書かれているのです。……タクシーで帰られる時に住所をおっしゃってました。この方は先日お越しになられた照川さまですか?」
新聞を手に駆け寄る妻に、確認をした彰一は、
「……あの日、珍しくご自分で指名されたカクテルで……何となく理解していたよ」
「えっ?」
「『ギムレット』のカクテル言葉は『長いお別れ』と言うんだ。最後に会いに来られたんだね……」
「……そう、だったんですね……素敵な方でした……」
ただ一度会っただけの照川の死に、涙を流す遼を抱き締め、
「『私は私の道を行く』……照川さまは、長い旅に出たんだ。あの方は好奇心旺盛の方だから、きっと……」
「そうですね……」
夫婦は通夜は仕事の為出られなかったものの、葬儀に参列したのだった。
かけていたCDはフランク・シナトラ。
アメリカのジャズやポピュラーソング歌手である。
扉が開き、マスターがこの店を開店させた頃から時々話に来る、現在は杖をついているものの、かくしゃくとしている老齢の男性が久しぶりに姿を見せた。
「照川さま。ようこそ。お待ちしておりました」
「おや? マスターは嫁さんと二人が良かろうが。このクソジジイの悪態を聞くよりも」
「おじいちゃん!」
付いてきていた女性がハラハラと、ペコペコと頭を下げる。
「申し訳ございません」
「いえ。照川さまにもご連絡をと思っていたのですが、私たちの知人が多くて、照川さまが落ち着かないだろうと思っていたのです。そう言えば高坂さんが、照川さまにお会いしたいと言われていましたよ?」
「あぁ、あいつか。うるさいが、義理人情にあつい……時代劇に出そうな」
「ふふふ。本当に。どうぞ。お孫さんですか?」
「はい、要と申します。よろしくお願い致します」
女性は頭を下げる。
「あぁ、孫だよ。孫。息子夫婦がうるさくてなぁ……。わしは何ともないと言うのに、 年より扱いしおって」
「おじいちゃん。無茶しないでよ! いつもふらっと出ていって、心配して探す私たちの身になってよ!」
「あぁ……要は、口うるさいのう。ばあちゃんに似たんか?」
「いつもそんなことばっかり!」
頬を膨らませる要を、目を細めて……何とも目を入れても痛くないと言いたげににこにこと聞いている。
と、曲が変わる。
フランク・シナトラのポピュラーソング『My Way(マイ ウェイ)』である。
1969年に発表されたこの曲は、日本語訳詞で歌われている。
「あぁ、『マイウェイ』か。わしは『今船出が~』と言うのよりも、もう一つの方がえぇわい」
「あぁ、中島潤さんの訳詞は『今船出が~』ですが、『やがて私も~』と始まる岩谷時子さんの訳詞の方ですか?」
「よう知っとるのう? えと、マスターの……」
「はじめまして。遼と申します。照川さま。声楽をかじりではあるのですが、学んでおりまして……私も、岩谷時子さんの歌詞の方が好きなのです」
遼が深々と頭を下げる。
辛口のじいさんと有名だが、初対面の女性には優しいらしく、髭を撫でながら微笑む。
「遼さんか。でも、あの『マイ ウェイ』は渋くないかのう?」
「自分なりに生きていきたい……たとえ、最後に心残りがあったとしても、できる限り努力したと言えるように頑張ろうと、ずっと自分に言い聞かせていたんです」
苦笑とゆらゆらと揺れるような影がにじむ遼に、
「あんたはようやっとるやないか。その無意識やろうけど、マスターをサポートしたり、わしと話すときはきちんと目を向けて話そうとしよる。でも、目が合わんのは辛い思いをしたんやな……」
「あ、あの……昔は辛いことが多かったですが、しょ、マスターと結婚して、今は本当に幸せです」
「……」
遼を見つめた老人は、
「お願いがあるんやけど、遼さんの……あんたの今の『マイ ウェイ』を聞かせてくれんかなぁ? かまんかな?」
「あ、はい、CDの音量を下げて歌いますね」
デッキに向かう遼を追い、照川はマスターを見つめる。
「いつもは、マスターに選んで貰うけど、今日はわしが頼んでもかまんやろか?」
「えぇ。照川さまのお望みのカクテルを」
「ほら、要。座らんか」
自分の横の席を示し座らせると、マスターに、
「ほんなら『ギムレット』を頼むわ」
「……『ギムレット』ですね。かしこまりました」
音を小さくし、一瞬目を伏せると息を吸い、遼は歌い始めた。
その声域に音量に、要は驚くが、老人は、
「ほうほう……見事な声や。そこらの歌手よりもうまいわ」
感心する。
その様子を見つつ、マスターはゆっくりと作っていく。
遼は、フランク・シナトラの歌に添うように伸びやかに歌い上げる。
「おぉ! 素晴らしいわ!」
大きく拍手の音に、恥ずかしそうに、
「ありがとうございます。我流ですが……」
「いやいや。マスターにだけ聞かせるんも勿体無いわ。この店でシャンソンとか歌ったらえぇのに」
「いえいえいえ! まだほとんど覚えていないんです。でも、この曲は思い入れがあるんです……」
赤面症で頬を赤く染めた遼は、深々と頭を下げる。
「聞いて下さってありがとうございます」
「照川さま、要さん。『ギムレット』を……」
マスターは、カウンターにカクテルグラスを二つ並べる。
「本来の『ギムレット』では絞ったライムの酸味が強いかと思いますので、コーディアルライム(ライムジュース)を使わせて頂きました。どうぞ。照川さまのお口に合うと良いのですが……」
「あぁ、ありがとう。要。乾杯しようか」
「おじいちゃん……」
「お前のこれからに……乾杯じゃ。『マイ ウェイ』にもあるだろう? 恋愛をせい。ほら、目の前に理想の二人がおる」
珍しく無表情を取り繕う夫と、孫と飲むのが嬉しいといった雰囲気の照川、そして祖父を心配そうに見つつ、飲んだカクテルに、
「美味しいです……本当に、ちょうどいい美味しいです!」
「要さん、ありがとうございます。音楽と、おじいさまと心ゆくまでお過ごし下さい」
「じゃぁ、マスター! 遼さんに、シャンソンとか唄って貰えんか? 声がいい!」
「いつもはお断りしてますが、照川さまは特別ですよ? ……遼? 歌ってくれるかな?」
「えぇ。歌える曲は限られているけれど……」
その日は、照川のアンコールに遼は知っているだけのミュージカル音楽やシャンソンなどを歌った。
照川は笑い、要はその様子に表情を緩め微笑む。
マスターはノンアルコールカクテルを間に挟みつつ、照川の希望のカクテルを作ったのだった。
タクシーを呼び、照川と要を見送ったマスターは、遼には完全に分かる程暗い顔をしてグラスを洗い、道具を片付け始めた。
遼は、あえて夫に問いかけもせず、ほうきを持ち出しカウンターの外を掃いて、テーブルを拭いたのだった。
数日後、新聞を見ていた遼が、
「彰一さん! き、昨日……照川さまが亡くなったって書かれているのです。……タクシーで帰られる時に住所をおっしゃってました。この方は先日お越しになられた照川さまですか?」
新聞を手に駆け寄る妻に、確認をした彰一は、
「……あの日、珍しくご自分で指名されたカクテルで……何となく理解していたよ」
「えっ?」
「『ギムレット』のカクテル言葉は『長いお別れ』と言うんだ。最後に会いに来られたんだね……」
「……そう、だったんですね……素敵な方でした……」
ただ一度会っただけの照川の死に、涙を流す遼を抱き締め、
「『私は私の道を行く』……照川さまは、長い旅に出たんだ。あの方は好奇心旺盛の方だから、きっと……」
「そうですね……」
夫婦は通夜は仕事の為出られなかったものの、葬儀に参列したのだった。
0
あなたにおすすめの小説
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
現代文学
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる