あるバーのマスターの話

刹那玻璃

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第1章

『きみと生きたい』

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 今日は、マスターはお店を臨時休業にしていた。
 しかし表のライトは消さず、ただ約束した相手を待ち、大江千里のCDをかけた。

 しばらくして、恐る恐る顔を覗かせたのは、レプリカのテディガール。

「いらっしゃいませ、遼さん、テディガール。どうぞ」

 姿を見せたのは本当にシンプルなと言うか、黒のコートにグレーのフードつきのワンピースにスパッツ姿のはるかで、テディガールは龍の着ぐるみロンパース姿である。
 前回は、ウサギの着ぐるみだったのだが着せ替えしたらしい。
 カウンターの席についた遼と、隣の席にテディガールは座る。

「今日のテディガールは凛々しいですね」
「本当ですか? エヘヘ。本当は蜂さんか、アニメ映画のキャラクターとか悩んだのですが、干支にしました!」
「……遼さん。今年の干支はとりですよ?」
「あれ? そうでした! でも、にわとりさんより、フクロウさんの方が可愛いんですよね。大好きです。でも、餌が怖くて飼えません……」
「あぁ、そうですね。ラットやヒヨコ、ウズラの雛だそうですし……」

 マスターも一応知識はある。

「私も色々な動物を戴いて生きているのですが、解っていてもどうしても無理ですね……」
「そうなんです……」

 二人はずれている話でため息をつく。

「あ、そう言えば、マスター。エリオットも元気そうですね」

 いつもの定位置からカウンターに座っている、高貴なブルーベアに笑顔になる。

「えぇ。あの時に遼さんが治して下さって本当に良かったです。相棒は、嬉しいと思っていますよ」
「本当ですか? でも、本当に良かったです。傷ついた……悲しげな存在を踏みつけには出来ないです」
「……本当に、貴方は優しすぎますよ。何度も傷つくのは貴方なのに……人が思う以上に辛い思いをしているでしょうに……」
「……反抗しても、暴力で追い詰められるので、反抗しないで動く方が楽なんです。本当は嫌で何で自分がって思っても……命令はしても、私が救いを求めても助けはありませんでした……」

 寂しげに笑う。

「マスターや宣子のりこさんのように優しい……優しくされると、もっと我が儘を言いたくなって……そんな自分が重たいのではないかと思って……申し訳なくて……」
「逆に自分に溜め込まれて、泣きそうな顔を見るのも本当に辛いんですよ? 遼さん」
「ごめんなさい……」
「いえ、謝って欲しいのではなくて、ですね……」

 マスターは、小さな本当にごく普通の道端に咲いている花を可愛い植木鉢で育て、それをカウンターに置いた。
 そして、シャンパングラスを二つ準備してカクテルを作り始める。

「あ、菫ですね。あ、紫のと白いのが一緒の鉢に咲いています。可愛いですよね。タンポポとか菫も大好きです。クローバーやレンゲソウも」

 本当に小さく、踏み潰されていることも多い菫だが、花弁が独特の形をしている。

 菫のその形が最近廃れていく昔の大工道具の『墨入れ』に似ていた為、菫とついたと言う説がある。
『墨入れ』もしくは『墨つぼ』と呼ばれる大工道具は、板などに直線を引く時に用いられていた。
 現在では電気工具や、板を切って運び込むことが多い為、見ることは少なくなっている。

 墨入れには紐があり、墨を入れる部分に浸す。
 まずは、定規で板の長さを図り両側に印をつけたあと、その印に合せ紐を伸ばし最後に糸を弾く。
 そうすると、真っ直ぐ墨の印が板に写り、それをノコギリで切っていくのである。

 しげしげと見つめていた遼の前にシャンパングラスを置く。

「どうぞ。遼さん」
「あ、ありがとうございます。あら?」

 新しい曲が流れる。

「これは……」
「大江千里さんの曲です。私の一番好きな曲なんですよ。曲名は『きみと生きたい』です」
「えっ?」

 マスターの顔を見つめ、次第に顔が上気する。

「えと、ど、どういう……」
「このカクテルはブルー・ラグーンと言います。前にカクテルにも意味があるとお伝えしたと思いますが、『誠実な愛』と言う意味があります。そして、菫の花言葉は『誠実』『小さな愛』『小さな幸せ』と言います」

 言葉を切ったマスターは、そっと傷ついた野性の小動物のような眼差しの遼に微笑む。

「私と一緒に居て下さいませんか? 貴方が私の相棒やテディガールに向ける、無邪気で優しい笑顔が私にはとても幸せだと思えるんです」
「あのっ……私は……」

 瞳を潤ませる遼に、

「貴方が貴方であれば、私は嬉しいんです。どんなに優しすぎて自分を苦しめても、人を優先に考える……それをちょっとだけ直して、人ではなく私と共に、二人を優先しませんか? それと相棒やテディガールを大切にしましょう」
「……ま、マスター……あの……」
「何でしょう?」
「わ、私……お返事しようにも、マスターのお名前を聞いていませんでした……」
「あ、そうでしたか? 私は……」



 二人の囁きのバックには、優しい曲。
 そして、二つのカクテルは青く、マスターの青いテディベアと、青い服を着たテディガールが主の将来の祝福をする。

 大きなものではなく、ただお互いが小さく温かい想いを伝えあったのだった。
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