上 下
56 / 102

繭竜の卵

しおりを挟む
「なぁ、琴葉。このお店の名前の【玉響】ってどういう意味なんだ?」

 ヴァーロの後ろから、読み終わった本を戻しにきたラインが尋ねてきた。
 この方は見た目が男装の麗人で、ストイックに自分の技術を高める潔癖なイメージ。
 高いところを飛び、そして獲物に一直線に飛びかかる。
 でも、血生臭さとは遠く、とても静謐で清廉な印象を纏い、俗世と離れたイメージもある。

「あ、この言葉は、【宝玉の響き】と書くのですが、玉……昔の人が神聖な石と言っていた翡翠という石同士がぶつかると音を出します。とても小さな音です。でもすぐに消えてしまう……という意味からしばらくの間とか一瞬という意味なのです。一瞬でも偶然でも出会えたその時に感謝をという意味です」
「ふーん……一瞬か……」
「はい。ラインさん、そういえば、さっきの気功の本やヨガの呼吸法はどうでしたか? 私にはイメージが難しかったのですが、ラインさんならもしかしたらわかるかもと思って。そして、太極拳ですが、気功と太極拳は同じ地域発祥の武術なので……と思ったのですが」

 太極拳は一つの技をゆっくり行いつつ呼吸を整え、静と動の変化としなやかな動きが似合いそうな気がしたのだ。
 あとは空手の形だろうか。こちらは全く型を覚えていないので……。

「うん、結構面白いと思った。練習前に身体動かす時にこの動きもいいかもしれないな。剣を握っている時の動きでは、使わない筋肉を動かしている気がしたし、一通り動いたら、ゆっくりの動きだというのに、息があがったよ。でも、これって初級編だけど、まだ続きがあったり……」
「実はあります。でも、ここでは読むだけで、練習できないと思いますので、お貸ししましょうか? また後日お返しくださったら結構ですので」
「えっ! い、いいのか?」

 目を輝かせるラインに、頷く。

「はい。太極拳には素手だけじゃなく、剣もつかうこともあります、きっとラインさまはすぐに習得されますよ」
「ありがとう! 楽しみだ!」

 段ボールの中から見つけて手渡すと、満面の笑みを琴葉に向けてくれた。
 ヴィルナにはない左上の八重歯が可愛い。

「あ、そうだ! コトハ。押し付けるようになるかもしれないが、貰ってくれないか?」
「えっ?」
「えっとだな……いつ生まれるかわからない、繭竜と呼ばれる、糸を吐く手のひらサイズの生き物だという。竜という名前だが、誰もみたことがないので、姿ははっきりとわからない。でも、世話をすれば美しい声で唄い、繭の糸は最高級のシルク以上の価値があるそうだ」
「えぇぇ! そんな凄いものを? いいんですか?」
「あぁ、実はこの繭竜はカズールで当たり前にいたもので、ヴァーロが生まれる前……この国の戦乱で世界が破壊され、その時に生き残った卵というか繭なんだ。私ではどうしようもできなくてな……」

 寂しそうに笑う。

「オレの姉……のように慕っていた人なら知っていたかもしれないが、その人ももう亡くなり、歴史資料もない。オレも見つけられないかと探し歩いているが……もしよければ。コトハはとても母性というか、女性らしい人だから、これも居心地がいいと思うんだ」

 本を一旦そばのテーブルに置き、そして首にかけていた布袋……お守り袋のような袋の中に、うずら卵より少し小さい卵が二つ入っていた。
 一つ一つ別の布に包まれていたが、とても美しい紅茶色の中にクリーム色の渦のような模様が踊る卵と、もう一つは淡いブルー色の中に白い星が散らばった模様の卵。

「可愛くて綺麗な子ですね。この渦の子がミルクティみたいで、この子は宇宙ですね」
「面白いことを考えるな。ミルクティなんて。まぁ、オレもあれは美味しいと思った」

 紅茶にミルクを入れるという考えの無かった世界に、琴葉はミルクを入れ、甘い砂糖を足した。

「美味しいですよね。砂糖の代わりにハチミツとか、木の甘い樹液もいいんですよ。それに、ミルクは、豆を使って色などが近いものも作れるんです。手間はかかるんですが、体にいいのと、今日お出ししたスープに豆のミルクを入れるとコクが出て旨味も強くなります。牛の乳を使うこともできますが手に入れられる手間を考えると、豆のミルクの方がいいかもしれませんね」
「ふーん……豆ってどの豆だ?」
「えと、植物事典のこの豆ですね。この豆ミルクのものは」

 事典を広げ、説明する。

「こっちの蔓のある豆とこの長い莢の豆は、どちらも莢ごと食べられるもので、こちらは、中の豆を若い時に収穫することもできますし、黄色くなるまで育てて乾燥させて、それを調理に使う方法もあります」
「ふんふん……面白いな! オレはあまり料理っていうのがわかんなかったが、琴葉に種類によって料理に使う部分が違うなんて言われるまでわからなかった……教えてくれてありがたい。あ、もう一つ。この豆ってなんの豆かわかるかな?」

 バッグから出てきた豆というよりタネに、琴葉は目を丸くする。

「えっ? これは……豆というよりも木の実というか……もしかしたらコーヒーの実じゃないでしょうか? 生の実ですから種として植えて、育てるとコーヒーという飲み物に加工できる実が収穫できます。この辺りなら数年育てたら大きくなるかもしれません」
「そうなのか……実は、ちょっと山奥一帯に育ってて、タネをよく拾うんだが何かと思っていてな。勉強になったよ」
「こ、こちらこそ、ありがとうございます! ラインさまはとても優しくてそっと寄り添ってくれる感じがします。それにこんなに素敵なものをありがとうございます!」
「いいんだ。こちらこそありがとう。またここに遊びに来る。その時には色々教えてくれ」
「はい!」

 その後ラインは借りる本以外に、身体の仕組み図鑑を読み耽り、他のみんなも満足するまで遊び読み、昼寝をし……ゆったりとした時間を過ごしたのだった。



 そして、不思議な卵か繭が新メンバーとなり、コーヒーの実を植える前段階である水に浸けて芽吹きの準備を始めることにした。
 後日アルスに相談することにする。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

どうぞお好きに

音無砂月
ファンタジー
公爵家に生まれたスカーレット・ミレイユ。 王命で第二王子であるセルフと婚約することになったけれど彼が商家の娘であるシャーベットを囲っているのはとても有名な話だった。そのせいか、なかなか婚約話が進まず、あまり野心のない公爵家にまで縁談話が来てしまった。

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

大好きな母と縁を切りました。

むう子
ファンタジー
7歳までは家族円満愛情たっぷりの幸せな家庭で育ったナーシャ。 領地争いで父が戦死。 それを聞いたお母様は寝込み支えてくれたカルノス・シャンドラに親子共々心を開き再婚。 けれど妹が生まれて義父からの虐待を受けることに。 毎日母を想い部屋に閉じこもるナーシャに2年後の政略結婚が決定した。 けれどこの婚約はとても酷いものだった。 そんな時、ナーシャの生まれる前に亡くなった父方のおばあさまと契約していた精霊と出会う。 そこで今までずっと近くに居てくれたメイドの裏切りを知り……

【完結】彼女以外、みんな思い出す。

❄️冬は つとめて
ファンタジー
R15をつける事にしました。 幼い頃からの婚約者、この国の第二王子に婚約破棄を告げられ。あらぬ冤罪を突きつけられたリフィル。この場所に誰も助けてくれるものはいない。

処理中です...