涙をそそぐ君へ

花栗綾乃

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2話 

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一瞬間、空気が張り詰めたように駿は感じた。対峙する男性の声音と反して、言っている内容は鋭利な刃物のようだった。

駿はなぜか、胸が苦しくなる。
涙が出るわけではない。
だが、心の奥底のナニカが抜け落ちているかのような、、、忘れてしまったような、そんな気がしただけだ。

「年老い、見るべきものを見た人ならば、おのずと自分の選ぶべき道は分かるものです。ただ、君のように若い人が死ぬと、、、とりわけ今の時代は、自分の生きてきた価値もわからぬまま、ここへやってくるのです」

老いた人の気持ちは分からないが、若い人の気持ちなら理解できるような気がした。

幸せそうな同世代や芸能人を見ると、自然に羨ましく思うときがあった。自分がとんでもなく小さく見えたり、とんでもなく無能に見えたりする。
あの人の幸せが、あの人の笑い声が、あの人の地位が。
良いものが提示されるからこそ、己が悪く見える。

「それで、天国にも地獄にも行くことができずここにいる、ってことですか」
「簡単に言えばそう言うことですね。君もそういう人の一人でしょうから。まぁ、己の道が見つかるまでここにいる人もいますし、もっと別の道を選ぶ人もいます」
?」
「はい。天国にも地獄にも行かずに、人の役に立つ道です」

男性は、駿の手から冊子を抜き取りペラペラとめくると、駿へ見せた。
提示されたそのページだけが異質だった。赤い印やら、説明文やらが載っている。何かの誓約書にも近い。

「ここへ来た人は、誰でも選ぶことができます。自分の身の振り方を決めるまでという、期限付きですが。、、、ひとつ、君には欠けている部分があります。それさえ埋めることができれば」

暖かなオレンジ色の照明が、自分のことだけを照らしているようにも、駿は思った。

“人の役に立つ”

たった六文字の言葉に惹かれる。人の役に立てれば、自分の身の振り方など簡単に決められそうではないか。あと、、、天国に近づくような気がした。
「その、抜けている部分とは?」
駿自身が書いていなくとも、生年月日や年齢が記載されていた。

「あなたの死んだ瞬間を、思い出してください」
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