人魚姫の夜明曲

花栗綾乃

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第一章 再会

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一冴は息を呑んだ。

「ありがとう」と言うように、花那海の口は動いていた。それなのに、声が出ていなかったのだ。しかも開いた口から、ぽこぽこと泡が湧き出ていた。

まるで、声の代わりとでもいうように。

一冴の目の前を、花那海の口から出た泡が、通り過ぎた。夏休み前に行った水泳の授業が、脳裏には蘇っていた。授業の最中に水中で、友達と笑い合ったときのような。肺から漏れ出ていくような、泡。

ようやく、一冴は悟った。一瞬間、泡によって花那海が溺れていくのではないか、、、と不安になったのだと。

呆然としている一冴を見てか、困ったように眉を下げる、花那海。彼女は話すことを諦め、小さなテーブルの上からメモ用紙を剥がし、走り書いた。

“驚いた?”

花那海特有の丸っこい文字は、健在のようだった。皮肉などではない、素直な語句だった。

「そりゃ、驚くに決まってるでしょう。よりにもよって、、、」

“泣いてんの?”

一冴はボロボロと涙をこぼしていた。花那海のベッドの白い布に、シミをつくる。

事実への拒絶反応というのは、どうもこういうものらしい。ドラマやアニメでもよく描かれているようなそれは、痛い、苦しい、もろい、熱い、、、。正も負もごちゃ混ぜになった感情の先は、泣くという行動に結びついているようだ。

“泣かないで”

「ふざけないで。っていうか、筆談やめて」

“こうでもしなきゃ、伝わらないじゃん”

「はぁ?、、、書かなくてもわかるに決まってんでしょ」

一冴は花那海の右手から乱暴にボールペンを奪い取り、床へ投げつけた。カチャン、と声がしたあと、無残にも転がった。

紙がなければ、ボールペンなど何の意味もない。

「、、、ここ最近話題になってる、不治の病。それにかかったんでしょ」

「    」

ゴポゴポゴポと、四文字。花那海の口癖「正解」と言ったのだろう。

一冴の言う不治の病というのは、数ヶ月前から十五歳の少女に現れ始めた病のことだ。正式な病名はまだなく、現れる症状などから、「」と呼ばれている。人魚姫病にかかった患者は、まず、声が出せなくなる。口を動かしても、言葉が泡になってしまうのだ。また、次第に歩けなくなるのも症状の一つ。足の裏に激痛は走るようになるのだとか。

「人魚姫病」というロマンチックな名前が付けられたのには、理由がある。一つは、挙げられている症状が、童話「人魚姫」のそれとよく似ているからだ。
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