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【44話】迷い
しおりを挟むステラに告白されてから、六日が過ぎた。
明日は答えを出す日だ。
答えというのは言わずもがな、告白の返事である。
ステラは天使のように可愛くて、そして、とても優しい性格をしている。
彼女と一緒になって送る人生は、最高に輝いたものになるだろう。
首を縦に振るだけで、まず間違いなく幸せになれる。
こんなチャンスはきっと、一生に一度しかない。
ふいにするなんて馬鹿のやることだ。
そこまで分かっている、それなのに、どう答えるべきかリヒトは考えあぐねていた。
頭の中には、「ばいばい」というリリーナの声が、未だに残っている。
言われてから随分と時間が経ったはずなのに、まったく色あせていない。
「ばいばい」のせいで、リヒトは迷っている。
しかし、その声を消したいとは思わない。
これだけが、リヒトとリリーナを繋ぐ唯一の接点なのだ。
もし告白を受けたら、頭の声が消えてしまう。
そんな気がしてしまうせいでリヒトは、告白を前日に控えた今になってもまだ、決断が下せないでいた。
「つっても、明日には返事しないといけないし……。どうすりゃいいんだよ」
リヒトの深いため息が、夕焼けに照らされた中庭に溶けていく。
放課後の今、中庭の端にある目立たないベンチに、リヒトは一人きりで座っていた。
明日の返事について考えたくてここへ来たのはいいが、悩むばかりで、まったく進んでいない。
ただひたらすらに、時間だけが進んでいっている。
「隣、座らせてもらうぞ」
リヒトの隣に、長身の男子生徒が腰を下ろした。
クロードだ。
声をかけられるまで、まったく気づかなかった。
周囲が見えなくなるほど、リヒトは思い悩んでいた。
「……何か用か?」
ぶっきらぼうな、感じの悪い対応をしてしまう。
これが八つ当たりだということは分かっている。
最低な行為だ。
それでも、いつも通りでいるなんて今のリヒトには無理だった。
「近頃、リリーナの元気が無くてな。お前たち、喧嘩でもしているのか? もしそうなら、早めに仲直りしてくれないくれないか。リリーナが心配なんだ」
「……いや、していない」
一方的に別れを告げられたのだ。
そこで終わっている以上、仲直りなんてものは存在しない。
(ただの喧嘩だったら、どれほどよかったことか)
自嘲的な気分になって、薄ら笑いを浮かべる。
「話は済んだか?」
「まだだ。……以前お前は、こう言ったな。リリーナに恋愛感情は持っていない。俺とリリーナがくっつくのは大歓迎だ――と。その気持ちは、今でも変わりないか?」
「……ああ」
そんなのは今さら聞かれなくても当たり前だ。
そのはずなのに、喉に何かがつっかえたような感覚を覚えたせいで、返事に少し躊躇いが生まれてしまった。
まったく、訳が分からない。
「次のデートで、リリーナに告白しようと思っているんだ。もちろん、応援してくれるよな?」
リヒトの答えは、もちろん決まっている。
リリーナとクロードのサポートをすること。
それがリヒトの役目だ。
だから考えるまでもない。
(…………あれ?)
それなのに、言葉が出てこなかった。
もちろんだ、と答えるという簡単な行為ができない。
クロードが告白すれば、リリーナは必ずや受けるだろう。
これで自分の目的もリリーナの願いも、両方同時に果たされる。
未来が救われる。
だから、大手を振ってクロードを応援すべき。
それは分かっているのに、どうしてもそうできない。
胸が、苦しいのだ。
とてつもなく苦しいのだ。
「それがお前の本心だ、リヒト。自分の気持ちに素直になれ」
「俺の……本心」
自らの心が何を思っているのか。
クロードに言われたことで、リヒトは初めてそれに気がついた。
(馬鹿だよな……俺)
リリーナが好きな相手は自分ではない。
この本心は、初めから叶うはずがないのだ。
それなのに、ステラからもらったチャンスをふいにしようとしている。
幸せになれると分かっているのに、その道を選ぼうとしないでいる。
それでも、諦めきれない。
救いようのない馬鹿でもいいから、正直になりたいと思ってしまうのだ。
「ありがとうな。お前のおかげで、俺は本当の気持ちに気づけたような気がする」
かすみがかっていたリヒトの顔から、迷いが消える。
クロードが現れなかったら、ずっとウジウジ悩んでいたままだったろう。
その状態で明日を迎えたらどうなっていたのか、想像しただけでも恐ろしい。
「ライバルに塩を送ることになるとはな」
「ライバルだ? 馬鹿言え。俺とお前じゃ、色々と差がありすぎるだろ。勝負にすらなんねえよ」
「馬鹿はお前の方だぞ」
肩をすくめたクロードが、深くため息を吐いた。
「俺と二人でいるとき、リリーナがどんな話をするか知っているか?」
「……クラスで起こった話とかか?」
そんなこと考えたこともなかった。
正直、まったく想像がつかない。
とりあえず思いついたことを口にしてみたのだが、「こういうところは察しが悪いんだな」という言葉が返ってきてしまった。
「お前のことだ、リヒト」
「…………え」
「リヒトはデリカシーがない。リヒトに馬鹿にされた。リヒトは私のためにいつも一生懸命――リリーナが話すのは、そんなことばかりだ。俺の隣で、楽しそうに他の男の話をするんだ。リリーナらしいだろ?」
フッと笑う。
その笑みには、たっぷりの自嘲がこめられていた。
「だから、分かってしまう。リリーナの気持ちが、どこに向いているのかがな。……残念ながら、それは俺じゃない」
「……お前、どうして俺を奮い立たせるような言葉をかけたんだよ」
クロードもリリーナのことが好きなはずだ。
それなのに、リヒトに発破をかけるような真似をするなんてのはおかしい。矛盾している。
「矛盾した行動を取っているのは分かっている。俺だけの都合を考えたら、お前にはこのまま落ち込んでいてもらった方がいいだろうな」
「じゃあ、なんでだよ……!」
「決まっている。俺は、リリーナに幸せになって欲しいんだ。人生で唯一、惚れた女だからな」
そう言うなり、小さく息を吸い込んだクロード。
真っ赤な瞳を、まっすぐリヒトへ向ける。
「どこぞの馬の骨ならいざ知らず、お前なら安心してリリーナを任せられる。だから、頼んだぞ」
「……ずいぶんと重いな」
惚れた女を他人に託すなんて決断、クロードはかなり思い悩んだことだろう。
その気持ちは重くて、背負うのは並大抵のことではない。
「けど、任された」
しかしそれでも、リヒトを信頼してくれたのだ。
ならば、全力で応えるしかない。
覚悟は、もう決まった。
ベンチから立ち上がり、リヒトは立ち去っていく。
ここからは、自分の気持ちに正直になって行動を起こす。ただそれだけだ。
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