上 下
13 / 19
第一部 <リデンプション・ビギニング>

ティルズハイムなる者の手記 

しおりを挟む
 早速、俺は須郷に機密書類とやらを見せてもらうことになった。

 トゥピラ達が帰って来た時に邪魔になると思ったので、隣の空き家を使わせてもらうことにした。

 移動する際、須郷の勧めで俺はテーブルに置き手紙を残していったのだが、不思議だったのはぱっと見めちゃくちゃな形の文字をすらすら書けたという点である。

 おまけに、自分がなんて書いたかも理解できる。

 なんとも奇妙な感覚だ。

 例えるなら、ある日突然、勉強した覚えのないアラビア語の読み書きができるようになるくらいには奇妙だ。

 須郷は困惑する俺に気付いたのか、にんまりとした。

「なぜ文字が書けるのか、なぜ文字が読めるのか、よくわからない。こんなところだろう?」

「よくおわかりで。是非とも理由を教えていただけると助かる」

「さあ?」

 この女……。

 怒鳴りつけたい気持ちを抑えつつ、俺は手紙を書き終えた。



 隣の空き家の前に移動すると、須郷は明かりも灯さずに家の奥にずかずかと上がり込んでいった。

 まあ、空き家だしな……。

 彼女に追いついた時には、すでに古びたテーブルの上に書類が広げられていた。

 須郷は静かにそれを見下ろしていた。

「それじゃあ、見せてもらおうか」

「待った」

 須郷は俺を制止すると、広げられた書類のうち何枚かを手に取り、眼前に掲げた。

 そこにはドイツ語が書いてあることには書いてあるのだが、ところどころに意図的に空けたとしか思えない空白があり、文書が飛び飛びになっている。

「連中はこういうところは抜かりない」

「読めないじゃないか。どうするんだ?」

 須郷は書類を机に戻し、ポケットに手を突っ込む。

 そして、小さな瓶を取り出した。
 どういう原理かわからないが、青白く光っている。

「ガジュの光はな、こうやって特殊な瓶に集めることができる。こいつを振りかけてやればいい」

「あの月光には文字を出現させる力があると?」

「いや、ペンが特殊なんだ」

 須郷は言った。

「レギィという木の樹液から作るインクは、ガジュの光を浴びると色がつく。それ以外の時はずっと透明なんだよ」

「なるほどなぁ……」

 普通のペンと特殊インクのペンをいちいち持ち替えながら行う書類作りはさぞ面倒なことだろう。

 そのまま過労死すればいいのに。

 須郷は瓶の蓋を開けると、封じ込めた光を空白だらけの書類に振りかける。
 粉雪が降っているような情景だった。

 すると、どうだろう。
 今まで空白だらけだった紙に、滲むようにしてドイツ語が浮かび上がってきた。

 一気に、紙が文字で染まる。

「……! 読める! 読めるぞ……!」

「ふざけていないで、もっとよく読んでみろ」

「あぇ? 俺はドイツ語読めないんだが」

「いいから」

 俺は渋々須郷に従った。
 目を細めて、ドイツ語の書類と睨み合う。

 …………"偉大なる総統フューラーに捧ぐ未踏の地の記録"。

 はい?
 目をガシガシ擦って、もう一度その文を読む。

 …………"偉大なる総統フューラーに捧ぐ未踏の地の記録"。

「なぁっ! 読めた! 読めたぞ!」

「これでお前もバイリンガルだな」

「なぜか俺の頭が勝手に日本語に訳してくれる! なんという摩訶不思議な感覚だ! ドイツ語なんて読めないのに! 何でだ!」

 須郷は冷静だった。
 混乱する俺を宥めるわけでも怒鳴って黙らせるわけでもなく、完全に無視だった。

 やがて俺も落ち着きを取り戻し、疑問と混乱を残しつつも書類に目を通し始めた。

 読み進めてわかったが、これは書類というより手記に近かった。



 ★★★★★★



 偉大なる総統フューラーに捧ぐ未踏の地の記録。

 エリッヒ・フォン・ティルズハイム


 我々、最後の大隊の面々は、トラブルに見舞われながらも未踏の地に到着し、予定通り米英ソの悪魔の軍靴に踏み荒らされていない土地へ踏み込むことができた。

 大隊長ハインリヒ少佐が敗北主義者と化し射殺される事態も発生したが、我々は現地の調査を続行することとなった。

 大隊というのは名ばかりであり、もはや中隊規模まで兵士は減っていたが、ドイツ帝国への忠誠心がある者ばかりが残ったのは幸いと言えるだろう。

 死者は覚悟が足りなかったのだ。

 第三帝国の軍人として、総統と国民の期待に応えるためにも死力を尽くすと、Z31型駆逐艦の艦上で誓いのワインを飲み交わしたのである。

 我々は3週間の航海の末、とある島を発見した。

 島民に聞いたところ、そこはルクハント島という島であり、多数の小国が乱立する混沌とした島なのだそうだ。

 ユーラシア大陸、ヨーロッパの混沌ぶりにはとても敵わないとは思うが、ここも十分酷かった。

 我々は島に上陸して海岸に拠点を構え、我々は調査を開始した。

 結論から言うに、この土地の文明ははるかに遅れている。

 電気の存在も知らないようなあんぽんたんと、剣で殴り合うことしか頭にないボンクラ兵士しかいないのである。

 大半の国家と人々は銃に触れたがらなかった。
 銃という存在そのものは認知しているようだが、悪霊でも見たかのような顔で逃げていくのである。

 我々も奇妙に思ったので、言語学者に現地語を学ばせ、尋ねてみた。

 帰ってきた答えは、銃火器をはじめとした科学文明の産物は神の教えによって禁じられているのだという。

 この神の教えというのが、この地の文明を大いに遅らせた原因のひとつであると考えるのが妥当だろう。

 正直なところ、我々は嘲笑を堪えるのに必死であった。

 いわゆる阿呆だらけだったのだ。

 リゥべという国は、活動家上がりの平和主義社が政権を取ったことで滅んだ。
 軍備を全て廃棄したからである。
 隣国から攻め込まれて抵抗すらできずに占領された。

 その国の人々は降伏すれば安全だと教え込まれていたそうだが、待っていたのは強制労働と避妊処置であったそうだ。

 ゴッゾという国は面白かった。
 今まで差別されていたという耳の長い種族の活動家が政治に口を挟みすぎたことで混乱に陥っている。
 彼らの言い分を全て通したことにより、耳長族による犯罪が増加。
 糾弾しようにも差別禁止の法律を理由に加害者が庇われる始末。

 おかげで耳長への憎しみが溜まりに溜まり、さらなる差別が起こっているという。

 総統はこの現状をどう思われるか。
 きっと我々と共に嘲笑ってくださるだろう。



 さて、話は変わるが、私はこの地を遅れていると言った。
 しかし、弱いかと聞かれればナインいいえと答えるしかない。

 彼らは不思議な力を持っているのだ。

 光り輝く球を手から放ったり、物を浮かせたり、水を生成したりする。

 御伽話のようだが、現実なのだ。

 我々はこの目で見たのだから。
 これを仮に、魔法と呼ぶことにする。

 魔法。そう、魔法だ。

 我々が神から授かることのなかった力を彼らは授かっている。
 妙な話である。
 ゲルマン民族は誰しもが認める最優の民族ではなかったのか。

 魔法を使えないという点で我々は劣っていた。

 総統フューラーよ、想像できるだろうか。
 目の前で私の部下が宙に浮かび、四散する様を。
 地面が大きく盛り上がって人の形となり、駆逐艦に乗り込んできたあの時の恐怖を。

 総統フューラー、我が総統フューラーよ。

 ゲーリング閣下のような巨漢でも軽々持ち上げられる小童が走ってくるのだ。
 ロンメル将軍の戦車部隊を一瞬で灰に変える炎を放つ幼気な少女が丘の上にいるのだ。

 ドイツ国防軍と親衛隊の力を結集させたところで、到底敵うまい!
 勝てても大損害は必至であろう。

 イギリスのチャーチルも、アメリカのルーズベルトも、ソ連のスターリンだって恐れるに決まっている。

 同時に、その魅力に取り憑かれていくだろう。

 かく言う私も魔法の虜となっている。
 そのような魔法をかけられた覚えはないのだが。

 あの力があれば、第三帝国は真の意味で無敵となる。
 ベルリンからスターリンを爆発することも可能だろう。

 得体の知れない光で、ロイヤルネイビーを破壊し尽くすこともできる。

 総統フューラー、お土産が増えることとなった。

 帝国へ帰還した暁には、500人の魔法使いを献上することをここに誓おう。

 そして、こうも誓う。
 我々が帰還したその時、我らの勝利が約束されるであろう!



 魔法の他にも不思議なことがある。

 死人がそこにいるのだ。
 全てではないものの、確かに死んだはずの者がその地に生きていたのだ。

 総統は覚えておいでか。
 エーベルハルト大尉の上官、エッカルト・ヨハン・スコルツェニーという中佐がいたのを。

 彼はたしかにスターリングラードで死んだ。
 だが、生きていた。

 我々と確かに合流して、共に任務を遂行している。
 妙な話だ。

 しかし、あり得てしまっている。
 あり得ないと断じることが不可能だ。

 奴は死人としてではなく、生者としてそこにいる。
 死人が蘇ったというより、生きたままここに来たと考えるのが妥当かも知れない。

 だが、それならどうやって。

 今、この手記を書いている時も疑問が湧いて止まらない。

 細かいことは後ほど問い詰めてみようと思う。



 さて、私はこの島には多数の小国が乱立していると先述した。

 その中にも、大国と呼ぶべき国家がいくつかある。

 まず、ヴァング=イリューシェン王国。
 議会制の民主主義国家だ。

 王は最終決定権を持つ君主として君臨している。

 総統フューラーは民主主義がお嫌いだろうが、この国はその方式を採用している。

 各小領地の支配貴族を民意の元選出し、選ばれた貴族達が党を組んで議会でくだらない答弁を行って政策を決める。

 領土は広く、他の国家を大きく凌駕する軍事力を持つ。

 しかし、数多の問題を抱えている。

 全ての原因は愚かな政争。
 民主主義の弊害だ。

 貴族共は呆れるほどどうでもいいことで、日々その舌をフル稼働させている。

 後述する国家から圧力をかけられても、領土を奪われても、野党は与党の架空の汚職を追及することしかできない。

 与党も与党で弱腰がすぎる。

 暇なのだろうか、というのが私の本音だ。

 戦争が絶えないというのに呑気なものだ。


 次に、クウィックリィ帝国。
 こちらは独裁国家である。

 オーガとかいう種族が支配していたはずだ。

 王国の方に負けず劣らずの軍隊を持っている。
 不思議なものだ。
 両国とも文明は遅れているのに常備軍は持っているのだから。

 帝国は王国に対し侵略戦争を起こしており、他の小国そっちのけで泥沼の戦争を続けている。

 百年戦争の英雄も驚くほどの激しい長期戦である。

 エーベルハルト大尉は介入も考えていたそうだが、ケーニヒグレッツ行進曲の演奏を聴いているうちに考えを改めた。

 今のところ、戦争の終わりは見えそうにないだろう。


 次に、自由貿易連合。
 これは現地に足を運んではおらず、噂で聞いただけである。

 この国は中立を貫いていながら、圧倒的な経済力を武器に国家の形を保っている。

 詳しいことは後日調査しようと思う。


 最後に、異形種同盟。
 これを国家と言っていいものかは判断しかねるが、奴らが国家を自称するので国家とする。

 この国は1番露骨な侵略政策を行なっており、この島が混沌としている原因ともいえる。

 頂点に立つのは、魔王と名乗る男。
 全ての人々の共通の敵だという。

 できるだけ友好でありたいものだ。


 これらの大国の他にも、科学財団という反社会的な非合法組織も存在するが、ここでは詳細を省く。

 この組織のことは別の手記で述べておくとしよう。

 ここでは語り尽くせないほど素晴らしい連中であるからだ。



 ★★★★★★



 ここまで読んで、俺は一旦手記から目を離した。

「なんとなくわかった。この世界には魔法があって、異世界転生者が他にもいて、大国が戦争をしてて、魔王が侵略を進めていると」

「そうだな。ここから先には、各種族や国家の特徴が細かく書かれている。全部は盗み出せなかったが、これだけでも十分利になる。ここには持ってきていないが、ナチスの計画の全容なんかも持っている」

 須郷は言った。
 変わらず、冷静な口調だった。

「何か知りたかったら、私に聞け」

「じゃあ早速。この書き方だと、ドイツ軍は生きたままこの世界にやって来たみたいだな。どういうことだ」

「そのままの意味だ。彼らは生きてここに入ってきた。だから、反対に生きてここを出る方法もある」

「……」

「私はその方法を知っている。今のナチスには2度と実践できない方法だ」

「……なるほど?」

「鍵を見つければいい。その鍵の関係者がこの島に何人かいる。そいつらに鍵について聞き出す以外に方法はない。ただ、連中は私を見ると襲ってくるかもしれない。なにしろ、己の体を狙われるのだからな」

「当事者からすれば理不尽の権化だろうな」

「木佐岡利也三等陸曹。お前は勇敢か? それとも無謀か? これから起こるであろう混乱を受け入れて立ち向かえるのか? それは勇敢さ故か無謀さ故か。少し、お前を見極めさせろ」

 須郷はにこりともせず告げる。

 俺の頬を、冷たい汗が流れていくのがわかった。

 嫌な予感がする。
 この女、何をするつもりだ。

 目で訴えても、須郷は光のない目でこちらを見つめるだけだった。
しおりを挟む

処理中です...