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第一部 <リデンプション・ビギニング>
いざ我々反撃せん
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ストエダの右頬が落ちていく。
乾ききった砂のようにポロポロと、床に向かって崩れていく。
皮膚の変色は止まらず、瞬く間にストエダの顔面の半分が灰色に染まった。
俺達は言葉も発せないまま、その様子を眺め続ける。
スコルツェニーだけが大笑いしていた。
下品なギャグ漫画を読んで笑い転げる小学生のようなけたたましい笑い声であった。
「死への恐怖とはァァァァ! いざ迫ってみないとわからないィィィッ! 迫ってみた感想はァァァァ、聞きたくもない! そのまま死んでくれェい! 墓標くらいは立ててやるぜェェ!」
背中を思い切り反って、頭を地面につけてヒーヒー言っている様は狂気的であり、俺達が口を開けない要因となった。
「ヵ……ヵヵヵヵ……」
ストエダは喉を押さえてその場に蹲った。
対するスコルツェニーは腹を押さえながら、親衛隊員を呼び寄せる。
「ハハハーッ、蹲ったな! もういい、飽きた! お前、こっちに来るのだ! 他の者も戻ってこい! 頬を狙うのだ! 皮膚が脆くなっている、つまり銃弾は通る! 射殺してしまえェい!」
ゴアンスとゾーリンゲンと戦っていた隊員も、2人を突き飛ばして指揮官のもとに戻って行った。
「コラァ、逃げんなぁ!」
「どう、どう」
引き際を弁えているのか、ゴアンスは突撃しようとするゾーリンゲンを羽交い締めにして後退してきた。
2人がテーブルのところまで戻ってきたタイミングで、俺は小声で隣のマーティンとトゥピラに言った。
「備えろ」
「は?」
「んぇ?」
「あの女、多分まだくたばらない」
「お、おいもそんな気がするでごわすよ……」
暴れるゾーリンゲンを押さえつけながら、ゴアンスが頷く。
空になった弾倉を取り外しながら、俺はナチスの動向を見守った。
3名の親衛隊員が蹲るストエダを囲み、指揮官であるスコルツェニーは少し離れた位置に控えている。
「血には触れるなよ。皮膚にさえ触れなければ問題はないのだ」
スコルツェニーは勝利を確信していた。
頬の刀傷の原因となったフェンシングの試合より簡単な勝利だ。
バカ笑いするのはやめたが、やはり感情は押さえられない。
肩がふるふる震えている。
スコルツェニーの心は歓喜に支配されている。
部下を殺した女を自分が追い詰めたのだ。
これで部下に顔向けができる、と喜んでいるのだ。
祖国の発展の障害を排除した、という歓喜もある。
第三帝国の繁栄に、このような女は邪魔だ。
魔王とかいう得体の知れない奴に祖国の繁栄が阻まれてはたまらない。
隊員がストエダを蹴り飛ばし、仰向けに倒す。
スコルツェニーは鼻で笑った。
「魔王だと? シューベルトの真似事か? だったら攫う相手を間違えておるな。大人しく、雨の中で小便ちびりの小僧っ子をこそこそ連れ去っておればよかったのだ。くだらない」
ストエダの肩がぴくりと動く。
そんなことお構いなしに、親衛隊員達は正確に銃の狙いをつけた。
「ドイツの躍進を阻む者無し! いたとすれば徹底的に殺すのみ! 死ねィ!」
「……今、侮辱しましたねえ」
ストエダの口が動いた。
「あん?」
「残念ながら、人間程度があ、コケにできるお方ではありませんよお」
ストエダの長い舌が胸元に素早く伸びる。
「カエルか貴様ぁ!」
スコルツェニーを無視し、ストエダは自身の血をぺろりと舐めた。
それから起きた出来事は、ほんの一瞬である。
ストエダがガバッと起き上がると、1人の親衛隊員の銃を掴んで引っ張った。
バランスを崩した親衛隊員とストエダの顔が一気に近くなる。
ストエダはニヤリと笑い、自身の長い舌で親衛隊員の顔を舐めた。
「ペロロぉン」
「あッ……!」
呆然とする隊員を、ストエダは別の隊員に向けて突き飛ばした。
言葉を発する間もなく、親衛隊員の頭が破裂する。
人の頭のはずなのに、果実のように簡単に頭は弾け飛んだ。
が、それだけでは終わらなかった。
飛び散った血が、別の隊員の顔にかかった。
隊員は顔をしかめて血を拭った。
その直後──。
「ゔぇぷ!」
突然奇声を発した方かと思えば、隊員の顔が破裂した。
その血が残りの隊員の体にもかかり、再び爆発が起こった。
これには、スコルツェニーも大声をあげる。
それは歓喜ではなかった。
驚愕だ。
「な、何ィィィィィィ! 馬鹿な! ストエダの血は部下に触れちゃいないぞ! なのになぜ死んだ! わけがわからんんん!」
「あなたの推察通りですう。私の血はあ、皮膚にさえ触れなければ大丈夫です。皮膚に触れるとお、毛穴などの小さな隙間から体内に入り込んでえ、内側から爆破するんですよお。それはつまりい……飛び散った血には私の血もふんだんに含まれているんですよお」
「な、なんという……。いや、待て。貴様、顔の崩壊が止まっておるなぁ! どういうことだぁ!」
ぬらりと立ち上がったストエダの顔は、これ以上崩れることはなかった。
顔の右半分は灰色に染まっているが、それが広がることはなく。
「ああ、なんか止まっちゃいましたあ。私ってば、もう免疫を獲得して……強すぎい」
部下は全滅し、毒矢も無効化された。
震える右手でモーゼルを発砲するが、弾は大きく外れて壁に穴を開ける。
今のスコルツェニーに、打つ手はなかった。
一部始終を見届けた俺は、舌打ちして銃を構え直す。
「やっぱりな。バトンをこっちに投げつけてきやがった」
「どうする気?」
「ゴアンスとゾーリンゲンには働いてもらったからな、トゥピラとウィル、そして俺で攻める。マーティンは2人の怪我をみてやれ」
「う、うん。このパーティの医療班は僕なんだから、やるしかないよね」
マーティンは頷いて、ゴアンスとゾーリンゲンと共に俺達の後ろに回った。
「トゥピラ、お前は魔法使いだな?」
「うん。級は低いけど」
「水の魔法は使えるか? 滝みたいな」
「そこまでは無理だけど……1人の汗を一気に吹っ飛ばすくらいの水光線なら撃てるわ」
「期待以上だな。ウィル、あの白くなっているところに当てられるか」
無口なエルフから頷きが返ってきた。
無言で矢をつがえ、引き絞る。
「合図したら射るんだ。いいな」
再度、頷き。
俺も小さく首を縦に振って、ストエダに視線を戻した。
「それじゃあ、いざ我々反撃せん」
「お、おい日本人! こいつと戦う気なのか! 勇敢と無謀は似て非なるものなのだ! よせ! 惨めに逝くことになるぞ!」
スコルツェニーの叫びを聞き流し、俺は親衛隊員の死体に屈み込むストエダを睨みつけた。
ストエダは首のない死体に向かって舌を伸ばし、床一面に広がった血をぺろりと舐める。
そして、高級料理を口にしたかのように顔を綻ばせた。
「んンー、いけるう。この血はいけますう。良質な血ですねえ。外面は汗臭い男の方なのにい、内側はクリームのように甘くてえ、美味しいというこのギャップがあ、たまらないんですう」
「ほら見ろッ! この女は頭がどうかしておるのだ! この時点で我々は奴に劣っている! 勝てる算段はない! 健常者は精神異常者に勝てないのだ!」
「そうかい。あいにく、異常さなら俺も負けてないつもりだ」
「何ィ?」
目を見開くスコルツェニーに、俺は出来る限り感情を押し殺した瞳を向けた。
「俺はガキの頃から、人を傷つけるのに躊躇したことがない。何かと理由をつけるからな」
「うむ! 異常だ!」
「そして、今回あの女を撃つ理由は……」
視線をストエダに戻す。
イカれた女と目が合った。
「自衛権を行使するくらいには危なっかしいからだ」
「武力の乱用はあ、よくありませんよお」
彼女の舌はまだ死体の血を舐めている。
それが、ますますストエダという女の異常さを際立たせる。
「そのご様子ですとお、まさか私を倒す気でいるのですかあ?」
「ああ。倒す」
「無理無理い。貴方が死んでも保険金は出ませんのでえ、お命は大切になさった方があ、良いのではあ?」
「それはお前さんも同じなんじゃあないのか? 魔王が何者かは知らんが、保険金を遺族に払ってくれるほどの名君なのか?」
「ええ。魔王様は優しいですよお」
ストエダは舌を引っ込めて、ゆっくりと立ち上がる。
「その昔い、私達は国家によって差別されてきましたあ。そこにいるエルフもそう。舌が長い、耳が長い、それだけでウジと同格にされました。人間ではない種族はみいんな差別の対象でしたあ。異形種と蔑まれる私達を受け入れてくれたのがあ、先代の魔王様なんですよお」
女の体がプルプル震え始める。
体ごと感情を押さえつけるかのように、ストエダは自分の体を抱きしめた。
「先代が王国の兵隊に討たれた後はあ、ご子息が跡を継ぎましたあ。そのお方もまた本当に本当に、格好いいお方なんですう。私ってば、恋する乙女ぇ……」
今度は頬を赤らめた。
「あのお方のためなら、私はあ、命だってえ投げますしい、魔力を全て吸い尽くされても構いませんン……」
「その恋、成就するといいな。バレンタインにチョコレートでも作りな」
「…………はいぃ?」
俺の言葉にポカンとするストエダ。
当然だ。
異世界人がバレンタインもチョコレートも知っているはずがない。
この一瞬の隙を、俺は逃さなかった。
「トゥピラ!」
「も、もうどうにでもなれっ!」
トゥピラは絶叫と共に、杖を頭上に掲げた。
それと同時に、彼女の周囲に自然豊かな山の川のように透明な水の球が多数出現した。
水の球から文字通りビームが放たれる。
濁流のように激しくありながら、晴れ渡った野原を流れる小川を思わせる美しさを放つ水の光線だ。
幻想的であるとすら、俺は思った。
「おお、魔法が下手くそなことで有名なぺったんこがやりやがった!」
ゾーリンゲンの入れる茶々を無視して、トゥピラは叫ぶ。
全力で集中し、限りある力を振り絞って。
「いっけええええ!」
8本の水流が集まってひとつの巨大な流れとなり、ストエダに向かって突っ込んでいく。
危険を察知したスコルツェニーは咄嗟に回避し、壁に激突した。
「あらあらまあ……」
ストエダは直立不動。
その場から動かなかった。
水流はストエダの体に直撃し、上半身にべっとりとついていた血を巻き込んで小屋の外に飛び出していく。
水流は同時にストエダの視界も奪っていく。
俺はウィルに合図し、テーブルの陰から飛び出した。
極力体勢を低くして、注目を集めぬよう気を配りながら。
「馬鹿者共! 水鉄砲で殺人鬼が殺せるかァ!」
罵り声をあげるスコルツェニーであったが、水流に巻き込まれる血に気づき、ほほうと手を打った。
「なるほどな! 奴の武器は血だ! 鳥の白い糞の付いた愛車を洗車するように、ストエダの血を洗い流そうということか! 貴様ら、策士であるな!」
「攻撃手段を奪う作戦でごわすか!」
しかし、マーティンだけが浮かない表情だった。
「その場の凌ぎにはなる。でも……」
「また体をちぎればいい話い……! それに、傷口がある限り、血は流れるう!」
目を閉じながら、ストエダは叫ぶ。
水流がだんだんと弱まっていく。
トゥピラの全身から汗が吹き出していた。
激しかった流れは、市販のジョウロのように弱々しく情けない威力となり、やがて水の流れそのものか消滅する。
「貴方達、賢者のようで愚者ですねえ! 後先考えて行動した方がいいですよお!」
再び血が流れ始めた胸元に手を伸ばすストエダ。
今度はトゥピラが、引き攣った顔で直立不動になる番だった。
勝ち確。
ストエダの顔はそう言っている。
逆に、俺の顔はこう言っている。
全て予定通りだ。
「ドグサレクソチビにはあ、死をお!」
「……そうかい」
俺の呟きは、乾いた銃声が掻き消した。
弾丸はストエダの右のこめかみに向かって真正面から突撃し、脆くなった皮膚をぶち抜く。
続いて弦が震える音と共に矢が飛翔し、追い討ちをかけるように頬にめり込む。
ほんの一瞬の間に、1本の矢と3発の弾丸がストエダのこめかみと右頬を貫いたのである。
「……は?」
水浸しのストエダは、口から大量の血を吐いて倒れる。
彼女を含め、全員の視線が俺とウィルに集まった。
テーブルの陰から飛び出した俺達は、左側、つまりストエダの右に移動していたのである。
「い、いつのまに私の右側にいい……!」
「恐ろしく簡単な話さ。お前が俺達の狙いを勝手に勘違いしただけだ。俺は初めからあんたの視界を奪うことだけを考えていた」
「なあっ……!」
「ストエダが水流によって目を瞑っている間に、奴の弱点付近に移動したかッ! 愚者のようで賢者であるぞ、日本人!」
今度はスコルツェニーの乾いた拍手が響く。
冒険者達は静かに見守っていた。
俺が再度引き金を引こうとしたその時。
ストエダがガバッと起き上がり、血の混じった痰を口から飛ばしてきた。
咄嗟に顔を庇い、血が皮膚に触れる事態は避けた。
だが……。
「あっ、逃げるぞ!」
「おぉいコラ! 住所教えてぇん!」
俺が顔を覆った一瞬のうちに、ストエダは小屋を飛び出していた。
それもマーティンやゾーリンゲンの声でわかったことであり、視線を戻した時には既に彼女はいなくなっていた。
現れた時のように、颯爽と消えていた。
「弾丸を通さない皮膚、毒さえすぐ克服する免疫力。それでも、俺達は弾丸と矢を通した。しかし、それでも死なないお前はすげえよ。しぶとすぎて苛立ちすら覚える。正直、あのままやり合っても勝てる気がしなかった」
俺は舌打ちと共に、銃を下ろした。
乾ききった砂のようにポロポロと、床に向かって崩れていく。
皮膚の変色は止まらず、瞬く間にストエダの顔面の半分が灰色に染まった。
俺達は言葉も発せないまま、その様子を眺め続ける。
スコルツェニーだけが大笑いしていた。
下品なギャグ漫画を読んで笑い転げる小学生のようなけたたましい笑い声であった。
「死への恐怖とはァァァァ! いざ迫ってみないとわからないィィィッ! 迫ってみた感想はァァァァ、聞きたくもない! そのまま死んでくれェい! 墓標くらいは立ててやるぜェェ!」
背中を思い切り反って、頭を地面につけてヒーヒー言っている様は狂気的であり、俺達が口を開けない要因となった。
「ヵ……ヵヵヵヵ……」
ストエダは喉を押さえてその場に蹲った。
対するスコルツェニーは腹を押さえながら、親衛隊員を呼び寄せる。
「ハハハーッ、蹲ったな! もういい、飽きた! お前、こっちに来るのだ! 他の者も戻ってこい! 頬を狙うのだ! 皮膚が脆くなっている、つまり銃弾は通る! 射殺してしまえェい!」
ゴアンスとゾーリンゲンと戦っていた隊員も、2人を突き飛ばして指揮官のもとに戻って行った。
「コラァ、逃げんなぁ!」
「どう、どう」
引き際を弁えているのか、ゴアンスは突撃しようとするゾーリンゲンを羽交い締めにして後退してきた。
2人がテーブルのところまで戻ってきたタイミングで、俺は小声で隣のマーティンとトゥピラに言った。
「備えろ」
「は?」
「んぇ?」
「あの女、多分まだくたばらない」
「お、おいもそんな気がするでごわすよ……」
暴れるゾーリンゲンを押さえつけながら、ゴアンスが頷く。
空になった弾倉を取り外しながら、俺はナチスの動向を見守った。
3名の親衛隊員が蹲るストエダを囲み、指揮官であるスコルツェニーは少し離れた位置に控えている。
「血には触れるなよ。皮膚にさえ触れなければ問題はないのだ」
スコルツェニーは勝利を確信していた。
頬の刀傷の原因となったフェンシングの試合より簡単な勝利だ。
バカ笑いするのはやめたが、やはり感情は押さえられない。
肩がふるふる震えている。
スコルツェニーの心は歓喜に支配されている。
部下を殺した女を自分が追い詰めたのだ。
これで部下に顔向けができる、と喜んでいるのだ。
祖国の発展の障害を排除した、という歓喜もある。
第三帝国の繁栄に、このような女は邪魔だ。
魔王とかいう得体の知れない奴に祖国の繁栄が阻まれてはたまらない。
隊員がストエダを蹴り飛ばし、仰向けに倒す。
スコルツェニーは鼻で笑った。
「魔王だと? シューベルトの真似事か? だったら攫う相手を間違えておるな。大人しく、雨の中で小便ちびりの小僧っ子をこそこそ連れ去っておればよかったのだ。くだらない」
ストエダの肩がぴくりと動く。
そんなことお構いなしに、親衛隊員達は正確に銃の狙いをつけた。
「ドイツの躍進を阻む者無し! いたとすれば徹底的に殺すのみ! 死ねィ!」
「……今、侮辱しましたねえ」
ストエダの口が動いた。
「あん?」
「残念ながら、人間程度があ、コケにできるお方ではありませんよお」
ストエダの長い舌が胸元に素早く伸びる。
「カエルか貴様ぁ!」
スコルツェニーを無視し、ストエダは自身の血をぺろりと舐めた。
それから起きた出来事は、ほんの一瞬である。
ストエダがガバッと起き上がると、1人の親衛隊員の銃を掴んで引っ張った。
バランスを崩した親衛隊員とストエダの顔が一気に近くなる。
ストエダはニヤリと笑い、自身の長い舌で親衛隊員の顔を舐めた。
「ペロロぉン」
「あッ……!」
呆然とする隊員を、ストエダは別の隊員に向けて突き飛ばした。
言葉を発する間もなく、親衛隊員の頭が破裂する。
人の頭のはずなのに、果実のように簡単に頭は弾け飛んだ。
が、それだけでは終わらなかった。
飛び散った血が、別の隊員の顔にかかった。
隊員は顔をしかめて血を拭った。
その直後──。
「ゔぇぷ!」
突然奇声を発した方かと思えば、隊員の顔が破裂した。
その血が残りの隊員の体にもかかり、再び爆発が起こった。
これには、スコルツェニーも大声をあげる。
それは歓喜ではなかった。
驚愕だ。
「な、何ィィィィィィ! 馬鹿な! ストエダの血は部下に触れちゃいないぞ! なのになぜ死んだ! わけがわからんんん!」
「あなたの推察通りですう。私の血はあ、皮膚にさえ触れなければ大丈夫です。皮膚に触れるとお、毛穴などの小さな隙間から体内に入り込んでえ、内側から爆破するんですよお。それはつまりい……飛び散った血には私の血もふんだんに含まれているんですよお」
「な、なんという……。いや、待て。貴様、顔の崩壊が止まっておるなぁ! どういうことだぁ!」
ぬらりと立ち上がったストエダの顔は、これ以上崩れることはなかった。
顔の右半分は灰色に染まっているが、それが広がることはなく。
「ああ、なんか止まっちゃいましたあ。私ってば、もう免疫を獲得して……強すぎい」
部下は全滅し、毒矢も無効化された。
震える右手でモーゼルを発砲するが、弾は大きく外れて壁に穴を開ける。
今のスコルツェニーに、打つ手はなかった。
一部始終を見届けた俺は、舌打ちして銃を構え直す。
「やっぱりな。バトンをこっちに投げつけてきやがった」
「どうする気?」
「ゴアンスとゾーリンゲンには働いてもらったからな、トゥピラとウィル、そして俺で攻める。マーティンは2人の怪我をみてやれ」
「う、うん。このパーティの医療班は僕なんだから、やるしかないよね」
マーティンは頷いて、ゴアンスとゾーリンゲンと共に俺達の後ろに回った。
「トゥピラ、お前は魔法使いだな?」
「うん。級は低いけど」
「水の魔法は使えるか? 滝みたいな」
「そこまでは無理だけど……1人の汗を一気に吹っ飛ばすくらいの水光線なら撃てるわ」
「期待以上だな。ウィル、あの白くなっているところに当てられるか」
無口なエルフから頷きが返ってきた。
無言で矢をつがえ、引き絞る。
「合図したら射るんだ。いいな」
再度、頷き。
俺も小さく首を縦に振って、ストエダに視線を戻した。
「それじゃあ、いざ我々反撃せん」
「お、おい日本人! こいつと戦う気なのか! 勇敢と無謀は似て非なるものなのだ! よせ! 惨めに逝くことになるぞ!」
スコルツェニーの叫びを聞き流し、俺は親衛隊員の死体に屈み込むストエダを睨みつけた。
ストエダは首のない死体に向かって舌を伸ばし、床一面に広がった血をぺろりと舐める。
そして、高級料理を口にしたかのように顔を綻ばせた。
「んンー、いけるう。この血はいけますう。良質な血ですねえ。外面は汗臭い男の方なのにい、内側はクリームのように甘くてえ、美味しいというこのギャップがあ、たまらないんですう」
「ほら見ろッ! この女は頭がどうかしておるのだ! この時点で我々は奴に劣っている! 勝てる算段はない! 健常者は精神異常者に勝てないのだ!」
「そうかい。あいにく、異常さなら俺も負けてないつもりだ」
「何ィ?」
目を見開くスコルツェニーに、俺は出来る限り感情を押し殺した瞳を向けた。
「俺はガキの頃から、人を傷つけるのに躊躇したことがない。何かと理由をつけるからな」
「うむ! 異常だ!」
「そして、今回あの女を撃つ理由は……」
視線をストエダに戻す。
イカれた女と目が合った。
「自衛権を行使するくらいには危なっかしいからだ」
「武力の乱用はあ、よくありませんよお」
彼女の舌はまだ死体の血を舐めている。
それが、ますますストエダという女の異常さを際立たせる。
「そのご様子ですとお、まさか私を倒す気でいるのですかあ?」
「ああ。倒す」
「無理無理い。貴方が死んでも保険金は出ませんのでえ、お命は大切になさった方があ、良いのではあ?」
「それはお前さんも同じなんじゃあないのか? 魔王が何者かは知らんが、保険金を遺族に払ってくれるほどの名君なのか?」
「ええ。魔王様は優しいですよお」
ストエダは舌を引っ込めて、ゆっくりと立ち上がる。
「その昔い、私達は国家によって差別されてきましたあ。そこにいるエルフもそう。舌が長い、耳が長い、それだけでウジと同格にされました。人間ではない種族はみいんな差別の対象でしたあ。異形種と蔑まれる私達を受け入れてくれたのがあ、先代の魔王様なんですよお」
女の体がプルプル震え始める。
体ごと感情を押さえつけるかのように、ストエダは自分の体を抱きしめた。
「先代が王国の兵隊に討たれた後はあ、ご子息が跡を継ぎましたあ。そのお方もまた本当に本当に、格好いいお方なんですう。私ってば、恋する乙女ぇ……」
今度は頬を赤らめた。
「あのお方のためなら、私はあ、命だってえ投げますしい、魔力を全て吸い尽くされても構いませんン……」
「その恋、成就するといいな。バレンタインにチョコレートでも作りな」
「…………はいぃ?」
俺の言葉にポカンとするストエダ。
当然だ。
異世界人がバレンタインもチョコレートも知っているはずがない。
この一瞬の隙を、俺は逃さなかった。
「トゥピラ!」
「も、もうどうにでもなれっ!」
トゥピラは絶叫と共に、杖を頭上に掲げた。
それと同時に、彼女の周囲に自然豊かな山の川のように透明な水の球が多数出現した。
水の球から文字通りビームが放たれる。
濁流のように激しくありながら、晴れ渡った野原を流れる小川を思わせる美しさを放つ水の光線だ。
幻想的であるとすら、俺は思った。
「おお、魔法が下手くそなことで有名なぺったんこがやりやがった!」
ゾーリンゲンの入れる茶々を無視して、トゥピラは叫ぶ。
全力で集中し、限りある力を振り絞って。
「いっけええええ!」
8本の水流が集まってひとつの巨大な流れとなり、ストエダに向かって突っ込んでいく。
危険を察知したスコルツェニーは咄嗟に回避し、壁に激突した。
「あらあらまあ……」
ストエダは直立不動。
その場から動かなかった。
水流はストエダの体に直撃し、上半身にべっとりとついていた血を巻き込んで小屋の外に飛び出していく。
水流は同時にストエダの視界も奪っていく。
俺はウィルに合図し、テーブルの陰から飛び出した。
極力体勢を低くして、注目を集めぬよう気を配りながら。
「馬鹿者共! 水鉄砲で殺人鬼が殺せるかァ!」
罵り声をあげるスコルツェニーであったが、水流に巻き込まれる血に気づき、ほほうと手を打った。
「なるほどな! 奴の武器は血だ! 鳥の白い糞の付いた愛車を洗車するように、ストエダの血を洗い流そうということか! 貴様ら、策士であるな!」
「攻撃手段を奪う作戦でごわすか!」
しかし、マーティンだけが浮かない表情だった。
「その場の凌ぎにはなる。でも……」
「また体をちぎればいい話い……! それに、傷口がある限り、血は流れるう!」
目を閉じながら、ストエダは叫ぶ。
水流がだんだんと弱まっていく。
トゥピラの全身から汗が吹き出していた。
激しかった流れは、市販のジョウロのように弱々しく情けない威力となり、やがて水の流れそのものか消滅する。
「貴方達、賢者のようで愚者ですねえ! 後先考えて行動した方がいいですよお!」
再び血が流れ始めた胸元に手を伸ばすストエダ。
今度はトゥピラが、引き攣った顔で直立不動になる番だった。
勝ち確。
ストエダの顔はそう言っている。
逆に、俺の顔はこう言っている。
全て予定通りだ。
「ドグサレクソチビにはあ、死をお!」
「……そうかい」
俺の呟きは、乾いた銃声が掻き消した。
弾丸はストエダの右のこめかみに向かって真正面から突撃し、脆くなった皮膚をぶち抜く。
続いて弦が震える音と共に矢が飛翔し、追い討ちをかけるように頬にめり込む。
ほんの一瞬の間に、1本の矢と3発の弾丸がストエダのこめかみと右頬を貫いたのである。
「……は?」
水浸しのストエダは、口から大量の血を吐いて倒れる。
彼女を含め、全員の視線が俺とウィルに集まった。
テーブルの陰から飛び出した俺達は、左側、つまりストエダの右に移動していたのである。
「い、いつのまに私の右側にいい……!」
「恐ろしく簡単な話さ。お前が俺達の狙いを勝手に勘違いしただけだ。俺は初めからあんたの視界を奪うことだけを考えていた」
「なあっ……!」
「ストエダが水流によって目を瞑っている間に、奴の弱点付近に移動したかッ! 愚者のようで賢者であるぞ、日本人!」
今度はスコルツェニーの乾いた拍手が響く。
冒険者達は静かに見守っていた。
俺が再度引き金を引こうとしたその時。
ストエダがガバッと起き上がり、血の混じった痰を口から飛ばしてきた。
咄嗟に顔を庇い、血が皮膚に触れる事態は避けた。
だが……。
「あっ、逃げるぞ!」
「おぉいコラ! 住所教えてぇん!」
俺が顔を覆った一瞬のうちに、ストエダは小屋を飛び出していた。
それもマーティンやゾーリンゲンの声でわかったことであり、視線を戻した時には既に彼女はいなくなっていた。
現れた時のように、颯爽と消えていた。
「弾丸を通さない皮膚、毒さえすぐ克服する免疫力。それでも、俺達は弾丸と矢を通した。しかし、それでも死なないお前はすげえよ。しぶとすぎて苛立ちすら覚える。正直、あのままやり合っても勝てる気がしなかった」
俺は舌打ちと共に、銃を下ろした。
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この作品は、小説家になろう様カクヨム様にも投稿しています。
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