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第一部 <リデンプション・ビギニング>

ホームレス自衛官

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「──おーい、大丈夫かよ、緑のお兄さん」

 強気な女の声に、壁にもたれて座る俺は顔を上げて応じる。

 夢を見ていたのか。
 何だか幸せな夢だった気がする。

 目を覚ました今となってはよく覚えていないが、

 それに対して現実は非情だ。

 それは目の前にいる珍集団が証明してくれている。

 俺の前には、さっきの声のイメージ通りのオラオラ系女と、そいつの仲間と思われる男が2人いた。

 恐らく、冒険者というやつだろう。

「変わったファッションセンスだね」

「ほっとけ」

 俺は上目遣いに彼女を睨む。
 殴り合いも辞さない、という意思を隠すこともせず。
 自衛官としてあるまじき態度だが、これまでの出来事から俺の心はかなり荒んでいた。

「……喧嘩?」

「ち、違えよ! こんな路地裏で怪我人が座り込んでたら誰でも心配すんだろうが」

「やっぱ姉御はコワモテだからナー」

「うるっせ……!」

 彼女の言う通り、ここは路地裏だ。
 ここは大きな街のようで、明るい方からは賑やかな喧騒がはっきりと聞こえてくる。

 俺のことなんておかまいなしだ。

 この路地裏で、絡んでくるのはネズミに似た獰猛な生き物と柄の悪いゴロツキくらいである。

 冒険者の女が俺を怪我人と思ったのは、顔にそれなりの傷ができていたからだろう。

 というのも、ゴロツキに絡まれて揉み合いになった際、相手が石を掴んで俺の顔面を殴ってきたのである。

 あれは効いた。

 軽く処置はしたが、はたから見れば只事ではないと思われても仕方ないだろう。

「……傷か? 心配はいらんよ。大した傷じゃない」

「あたしは大した傷に見えるんだけどな……」

 女は大袈裟に顔を顰めてみせた。

「家とかはないの?」

「昔はあった。今はない」

「なるほどねぇ。ホームレスってわけかい?」

「それに近いな」

 女は男達と顔を見合わせる。
 しばらく目でやり取りをした後、女は手にしていたカバンから妙な形状の果物を取り出した。

 桃にメロンのヘタが生えたような見た目で、ところどころに白い線がとぐろを巻いている。

 女はそれを俺に向かって差し出している。
 受け取れ、とでもいいたいのか。

「……なんだそれ」

「やるよ。最近は物騒だしな、あんたも気をつけなよ? 特に銃を持ったヤツにはな」

 果実を投げて寄越すと、女達はそそくさと路地裏から出ていった。

 女からもらった果物を見つめながら、俺は女の言葉を独り繰り返す。

「銃を持ったヤツ、か……」

 地面に座り込む俺の隣には、カビたボロ切れが広げられている。

 それが不自然に膨らんでいることに、あの女が気づかなかったのはラッキーだった。

 人目につくことを恐れた過去の自分に感謝したい。
 女の話が本当なら、である俺はどうなっていたか。

 この世界の警察に連行されるか、はたまたそれ以上のものが出張ってくるか。

 なんにせよ、公権力のお世話にはなりたくはない。

「幸運、万歳」

 俺は果物を齧る。
 驚くほどにしょっぱくて、吐き気すら覚えてしまった。



 ★★★★★★



 遡ること3日前。
 俺こと木佐岡利也キサオカトシヤの身に起きた出来事を、世間一般では殉職というのだろう。

 自分自身が1番理解している。
 俺は確かに死んだ。

 名前こそ出ないだろうが、翌日のニュースには「自衛官2名が死亡」という文字がデカデカと踊るのだろう。

 正直、いい気分はしない。

 あの時何が起きたか。
 思い出したくもないが、軽く触れておく。

 テロリズムだ。
 どんなルートで入ってきたか不明だが、世界的に指名手配されていた武装組織"EoJ正義の執行者"が日本に侵入し、関東のどこかを燃やすと犯行声明を出したのである。

 警察の奮闘も虚しく、犯行は起こってしまった。
 
 国会が襲撃され、国家のリーダーたる総理大臣が惨殺される大惨事を招いたのである。

 テロリストはそれだけでは飽き足らず、警察の包囲を破って東京駅を占拠し、「環境破壊の停止」を日本政府に要求した。

 その後も関東の各地でテロが起こり、日本は戦場となんら変わらない姿へ変貌を遂げ始めた。

 政府は、野党や市民団体の猛反対を受けながらも自衛隊を出動させ、鎮圧に当たらせた。

 出動した部隊には、俺だけではなく小学校からの付き合いである親友や教育隊の地獄を共に乗り越えてきた同期がいた。

 詳しいことは後々語るとして、俺はその制圧作戦中に死んだ。
 そしてあろうことか、親友も目の前で死んだ。

 痛くて熱くて、2度と味わいたくもないような苦痛と共に、俺の意識は闇の中に飲み込まれる。



 ──はずだった。



 目が覚める、という言い回しが該当するのかはわからないが、それに近い感覚だったと思う。

 俺は薄暗い路地裏に立っていた。

 消えると思われていた意識ははっきりしており、四肢もしっかりついている。

 これといって特徴のない平坦な顔や剃り忘れた顎の無精髭もそのままであった。
 俺の体には迷彩柄の戦闘服やヘルメットがしっかりと装着されていた。

 手には、死の間際まで握っていた89式小銃が変わりもしない姿でしっかりと存在していた。

 初めのうちはぼんやりと周囲の様子を見渡していたが、情報は全く入ってこなかった。

 何せ困惑していたのだ。
 この時の俺に簡単な足し算をやらせたら理解不能な答えが返ってくるだろう。

 とにかく、なんとか頭を整理して文字通り光の差す方へと歩いていく。

 視界に飛び込んできたのは、見知らぬ土地だった。

 というのも、見知らぬ土地と表記した通りのだ。

 中世ヨーロッパ風の街並みに、古臭いファッションの通行人達。
 時代遅れのロングソードやアーマーを装備した連中が俺の前を次々に横切っていく。

 我が日本には劣りはするものの、それなりに綺麗に舗装された道を駆け抜けていくのは、馬に似た生物(顔は疑いようもなく馬なのだが、足が8本あった)とそれが引っ張る木製の車である。

 彼らの格好と俺の格好を見比べれば、俺が浮いていることなど一目瞭然だ。
 銃を持っている奴もいない。

「……マジかよクソッタレ」

 皆が俺に気づく前に、俺は路地裏に引っ込んだ。

「なんだよ? なんなんだよ……? ここはどこだ?」

 仲間への通信を試みたが、無駄な努力だった。

 途方に暮れて空を見上げている時に、俺はようやく親友あいつがこの場にいないことに気がついた。

 声をできるだけ立てずに、親友を探した。
 それでも、彼女は見つからなかった。
 自ら出てくることもしなかった。

「おーい、どこ行ったよ……? 隠れてねえで出てこいよ。悪戯にしちゃ悪質すぎんぞ……」

 声を発しても無駄であった。
 親友が姿を現すことはついぞなかったのである。

 周囲を彷徨きまわって約1時間。

 猛烈な脱力感に襲われ、俺はその場にへたり込んだ。

 栗色の短い髪と、男が卒倒するほどの可愛らしい笑顔が何度も脳裏にちらつく。
 会いたいと何度も願った。

 それが叶うことがないまま、俺はこの3日間を路地裏で過ごした。

 路地裏には典型的なチンピラがうろうろしており、しょっちゅう絡んできた。

 当然、徒党を組んで金品をたかる輩に根性などあるわけもなく、1発反撃すればどこかに逃げていった。

 食糧はなかったが、水に関しては2日目に降った雨でどうにかなった(匂い等を確かめた上での毒味の結果、安全と判断)。

 3日も経てば、状況もなんとなく察せる。

 ここは日本ではない。
 それでいて、アメリカでもイギリスでもドイツでもない。
 中国やロシアでもない。

 地球でもないだろうし、同じ銀河に存在するかもわからない。


 ここは異世界だ。
 俺はたった1人で、この見知らぬ土地に放り込まれたのだ。


 今日も俺は、両膝に顎をうずめて親友と謳歌した日々を思い浮かべるのである。

「……何でお前は来なかった」

 理不尽な文句を、死者に向かって放ちながら。



 その夜。

 建物の屋根が俺の世界でいうところの月光を遮ってしまうので、元々暗かった路地裏はほとんど闇に包まれてしまう。

 ゴロツキは夜に多く湧いてくる。
 さっさと暗闇に目を慣らして警戒しつつ、俺は蹲って動かなかった。

「……こんな夜には修学旅行を思い出すな。ホテルであいつ、女子のくせに夜の男子の部屋に堂々と入ってきやがって……。ゲームしたっけなあ……」

 未熟だと思う。
 同僚の死が戦場では日常茶飯事だということくらい理解すべきだろうが、俺にはできなかった。

 今もこうして引きずり続けている。

 世間一般ではたった1人の自衛官の死。
 自衛隊という組織全体では1名の隊員の戦死。
 俺の中ではかけがえのない人物の死。

 第三者には決して理解されない感情がそこにはある。

「こんなところにたった独りで放り出して、神様は俺に何をさせたいんだか。世界を救え? 馬鹿言え、俺の仕事は日本国の防衛だぞ? 荷が重すぎらぁ」

 そんな独り言をただ繰り返す。
 ここ最近のルーティーン。

 俺の状況ははっきり言ってどん底だ。
 勇猛果敢な三等陸曹は見る影もなく、ここにいるのは帰らない死人にすがり続ける哀れな男。

 一体誰が、こんな奴に手を差し伸べてくれるのか。

「おいコラ! 逃げてんじゃねえよ!」

 暗闇の中から声が聞こえた。
 続いて、幾人かの足音と、人を殴打する音。

 またゴロツキが通行人に金品をたかっているのか。
 3日しか経っていないというのに見慣れてしまった光景だ。

 暗闇に慣れた目は、小柄な人影を壁に押さえつける2人組をしっかりと捉える。

「も、もう勘弁してよ……!」

 女の声だ。
 襲われているのは女の子か。

 見た感じ、中学生か高校生くらいの少女だ。
 流石に細かい特徴は捉えられなかったが、この闇の中でも目立つくらいには可愛い顔つきをしている。

「うるせえー。お前らはな、一生俺たちにカネを提供し続ける運命なんだよ。逃げんじゃねえぞ」

「そうだそうだ! グズは負け犬に成り下がるのがお決まりィー!」

 どうやらただのカツアゲではなさそうだ。
 ヤクザの取り立てか、いじめの類か。

 どちらにせよ、放っておくのも気分が悪い。
 俺は立ち上がって奴らに近づいた。

「おい、あんたら」

「あぁー? なんだてめー」

「見てやがったのかァ?」

 女の子を押さえつけたまま、2人組が俺を睨みつけてくる。

「早いこと消えな。マックスさんを敵に回したくはねえだろ?」

「そのマックスさんが誰かは知らんが、そういう行為は生産的じゃないな。大人しくハローワーク行ってこいよ」

 ぽかんとしているのか、奴らの動きが止まった。
 そのうち、少女の口から声が小さく漏れる。

「た、助けて……くれるの……?」

「そのつもりだが、事は荒立てたくない。自分から民間人に手を上げるのは褒められた行為じゃない」

「その言い方から察するに……あなた、軍人?」

「それに近い者だ」

 男達の体が強張る気配がした。

「……どうする?」

「いや、やろう。女にセクハラしようとしてた悪徳兵士をぶちのめしたって兵舎に突き出せばいいィ!」

「それもそうだな。オイ、軍人に近い存在の兄ちゃん」

 1人が少女から手を放し、俺の側に近寄ってくると肩に手を回してきた。
 酒臭い息が顔にかかるが、俺は平静を装う。

「重要な話し合いの結果、てめえをぶちのめすことにしたぜ。そのムカつく鼻をもぎ取って、汚え豚公の鼻と取り替えてやるぜ」

「残念だったな! 喧嘩を売ったお前が悪いィィ!」

「ここじゃ暗くてよく見えねえ。ガジュの光の下に来な。気色悪い顔をじっくり見てやるからよお」

 男に引っ張られるようにして、俺は月光(?)の下に出た。

 月はガジュというのか。
 勉強になった。
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