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若女将に

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「一体何が?」

 2人の冒険者も女将さんも目を覚ました。そして当然ながら3人揃って呆気に取られているわ。
 無理も無いわ、寝て起きたら瀕死の重傷が綺麗さっぱり治っているんだから。

「ナンシー、確かここの温泉の効能は?」

「はい、打ち身や切り傷に効能が有ると評判ですね、お嬢様」

 私もナンシーも声が自然と高くなるわ。誤魔化そうとすると自然とこうなるから困り物ね。

「温泉のお湯を掛けただけであんな傷まで治るなんて凄いわよね!」

「はいお嬢様、まさに奇跡の名湯です!」

 聖女の能力で怪我は治ったけど、血で汚れていた冒険者を洗い場に移動させてお湯を掛けて洗ったわ。それでこの流れになったの。

「確かに切り傷に効能は有るけれどさ、ウチのお湯であんな怪我が?」

「論より証拠ね。ナンシー」

「畏まりました」

 ナンシーは右手に持った短剣で自分の左手に傷を付ける。すると白い肌を侵食する様に鮮血が広まっていく。

「ちょっとあんた、何をしているんだい!」

 女将さんが悲鳴を上げているけどそれは無視よ。当の本人は顔色一つ変えてないし。

「そろそろじゃない?」

「畏まりました」

 ナンシーは予め桶に汲んであったお湯に患部を浸したわ。
 当然ながらこのお湯には私が聖女の能力を付与してあって、ナンシーの傷は最初から無かったかの様になったわ。

「えぇ、こんな事が」

 女将さんが首を傾げるのも無理は無いわ。あんな死にそうな怪我がこんな短時間で完治する温泉は考えられないわよね。
 でももう、この筋書きしか無いのよ!

「まぁまぁ、誰も損していないんだから良いじゃないの。それよりも女将さん、ご新規2名様ご案内よ!」

「えっ、ああ」

 3人は狐につままれた様な表情をしてフロントに向かった。


◯▲△


「で、さっきの事だけどさ」

 2人の冒険者が部屋に去った後、女将さんが私達に近付いて来たわ。

「あんた、もしかして隣国の聖女様じゃないのかい?」

「えっ?」

 バレた?
 拙いわ。流石にナイフとフォークは手放したけどナンシーは素手でも簡単に人一人なんて殺れるのよ。
 今の私には不安事が2つ有る。聖女だとバレてどうするかと、ナンシーがこの女将さんを殺るのか。
 
「なんてね。聖女様並の効能が有るなんてね、ウチの自慢の温泉は凄いでしょ!」

「そっ、そうね」

 そうよ、これは温泉の効能よ!
 満面の笑顔の女将さんに何とか応えたけど、不意にその笑みが消える。

「そんな訳が無いでしょう。何年このお湯を守ってきたと思っているのさ」

 私は咄嗟にナンシーの前に腕を出す。こうでもしないと女将さんの生命がいつ失われるか私にも判らないから。
 
「それでどうします?」

「どうするって?」

 咄嗟に質問に質問で返されたわ。こっちに余裕なんか無いって事は今の声色でバレバレだろうけど。
 
「私がヒュンダルン王国で処刑された筈の聖女ならどうします?」

「処刑された筈の聖女様がこんな辺ぴな所に居るんだ。何か事情が有るんだろ?」

 一転して今度はニコッと微笑む。私はこれまでの事を掻い摘んで話してみる事にした。


◯▲△



「それは大変だったね。それでこれからはどうするんだい?」

「何も決めてないわ。何処かに落ち着きたいけど」

 これは本音よ。何処か私を知る人が居ない所で落ち着きたいわ。

「それじゃさ、この『一角竜』で働かないかい?」

「ここで?」

 瞳を輝かせて迫って来る女将さんに引き気味になりながら聞き返す。

「そうだよ、ここなら目立たないから隠れるには好都合だろ?」

「確かに。ある程度栄えている町でしたらヒュンダルンでお嬢様を見た事が有る者が居る可能性がございます」

 そうだった。国境近くの町を聖女として訪れると、国境を越えてまで治癒を受けに来る人も大勢いたからね。
 私の事を知っている人がこのラビーワ王国に居ても不思議は無いわ。

「でもこの辺境の寂れた宿屋じゃお客さんは魔の大樹海で素材を採集する冒険者、それも結構マニアックな人だけって訳ね」

 それなら聖女だとバレる心配は無いかも。

「……あんた、どさくさに紛れて結構な事を言うね」

「ごめんなさい」

 つい本音が出てしまったけど、これで落ち着けるかな。

「フッ、倅も娘もこの宿を継がないからね。私がくたばったらここの一切をあんたにやるよ」

「お子さんが居るのに?」

「倅は出て行っちまうし、娘も王都から戻る気は無いんだとさ。私もそろそろ引退してこのまま潰すしか無いと思っていた所にあんたが来た。これも何かの縁なんだろうね」

「縁もゆかりも無い私が後継者で本当にいいの?」

「その代わりお客さんで一杯になる宿にしておくれ。その、万病に効く名湯で!」

「はい!」


◯▲△


 それから宿屋の従業員となった後に女将は大女将、私は若女将となり『一角竜』の立て直しに努めた。古かった建物もあっちこっちリノベーションしたわ。
 そして程無くして大女将は事実上の引退をして第一線を退いたわ。今では半年おきに湯治のお客様として来館するの。

「それで大女将、私に息子さんからの嫌がらせが有るかもって忠告に来たのですか?」

「忠告って言うよりも正確にはお願いだね。バカ息子でも生命だけは…」

 それについては担当者ナンシーが不在なので善処しますとしか言えないわ。

「それだけで来たのですか?」

「実はこっちが本命なんだけどさ…」 

 大女将が口籠るなんて珍しいわね。

「エマ、少しばかりヒュンダルンに行ってくれないかい?」

「はい?」

 一体何が求められているのかしら?
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