ホムンクルス

ふみ

文字の大きさ
上 下
14 / 97
-1-

14

しおりを挟む
「はる姉、勝負しない?」
 一通り遊び倒したテントの中。仰向けになっていると、ちーちゃんが顔を覗き込んできた。
「勝負?」
 寝返りを打って起き上がる。ちーちゃんがテントの入り口を開けて、ビーチの端を指さした。
「両端に赤い旗が立ってるでしょ?」
 小さな指の先、遊泳区域を知らせる赤いフラッグがはためいている。
「端から端まで、どっちが早く泳げるか勝負しようよ」
「勝負、か。私って泳ぎはどうだったの? 得意だった?」
「得意な人に勝負を挑むと思う? くくくっ」
 まるで悪者のような笑み。これは年上として黙っていられない。受けて立とうじゃないの。
「その勝負受けるわ。ねえ、罰ゲームを付けましょう?」
「えー?」
 笑みを残しながら顔をしかめるちーちゃん。こういうのが大好きだともうわかっているから、もう一押し。
「負けたらアイスをおごるっていうのはどうかしら」
「意外に軽いんだね」ちーちゃんがまばたきを繰り返した。
「もっと重い罰がいいの?」
「冗談だって。はる姉の重い罰は怖いし。スタート地点あっちね」
 そう言い残し、ちーちゃんが背を向け遠ざかっていく。急いで追い掛けないと、また何を言われることやら。
 テントの入り口を閉め、ちーちゃんの足跡を踏んでいく。記憶を失う前も、こうやって遊んでいたのだろうか。
 それにしても、速さ勝負か。となればもちろんクロールよね。得手不得手は覚えていないけれど、泳ぎ方は頭に入っている。後は運動神経を信じるしかない。
 気合を入れ直すように、髪をポニーテールに――。
「あれ?」
 立ち止まった足が砂に沈む。まるで周囲の時が止まったように自分の中へと入り込んでしまった。
 どうして髪を結おうとしたのだろう。記憶をなくしてから今の今まで、この腰まで掛かる髪を結ったことなどない。それなのに、まるで当たり前のように手で髪をまとめていた。
 まさか記憶を失う前、日常的に行っていた癖が体に現れた? そうだとすれば、記憶を取り戻す大きな一歩になりえる。
「はる姉、立ち止まってどうしたの?」先に行ったはずのちーちゃんが戻ってきていた。
「少し、思い出したかもしれない」
「うそ、ほんとに?」
「これから泳ぐからって、無意識に髪を結おうとしたの」
 ちーちゃんに髪をまとめて見せた。
「それが、どうしたの」
「今までポニーテールになんかしたことないでしょう? きっと体が覚えていたのよ。記憶を失う前、私ってポニーテールに――」
「してなかったよ」
 ひどく冷たい言葉に胸を貫かれた。ちーちゃんから柔らかい表情が消えている。敵意すら見え隠れするその目で、私の背後にある何かをじっと見つめている。
「無意識でやったのよ。きっと何かの手掛かりになると思うの」
「そんなこと言われても見たことないもん」
「でも」
「きっと気のせいか何かの勘違いだって」
 ちーちゃんが私の手に触れた。
「どうせ泳げないんだから結わなくていいよ。ほら、さっさと始めよう」
「ちょっと。私って泳げないの?」
「記憶をなくして、ひょっとしたら泳げるようになっているかもね。とにかく行こう。ほらほらっ」
 笑顔を取り戻したちーちゃんに手を引かれる。沈んでいた足が再び動きだした。二人の間にあった疑問は、波にさらわれたようにどこかへ消えていった。
 だけど、あのしぐさは気のせいなんかじゃない。無意識に、とっさに、流れるように。普段からしていないと決して出ない癖のようなものだった。
 それでも、ちーちゃんは知らないと断言した。見たこともない怖い顔で。まるで何かを恐れているようにも見えたけれど、まさか私が記憶を取り戻すことを拒んでいる、とか。
「ちーちゃん」
「ん?」
 ちーちゃんは振り返らない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

シチュボの台本詰め合わせ(女性用)

勇射 支夢
恋愛
書いた台本を適当に置いておきます。 フリーなので好きにお使いください。

一寸先は闇

北瓜 彪
現代文学
奇想天外、シュルレアリスム絵画のような非合理な美しさ、異質なホラー…… 様々な味わいが楽しめる短編をご提供していければと思っております。どうぞお気軽にお立ち寄り下さい。

【完結】遍く、歪んだ花たちに。

古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。 和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。 「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」 No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。

怪異語り 〜世にも奇妙で怖い話〜

ズマ@怪異語り
ホラー
五分で読める、1話完結のホラー短編・怪談集! 信じようと信じまいと、誰かがどこかで体験した怪異。

本当にあった怖い話

邪神 白猫
ホラー
リスナーさんや読者の方から聞いた体験談【本当にあった怖い話】を基にして書いたオムニバスになります。 完結としますが、体験談が追加され次第更新します。 LINEオプチャにて、体験談募集中✨ あなたの体験談、投稿してみませんか? 投稿された体験談は、YouTubeにて朗読させて頂く場合があります。 【邪神白猫】で検索してみてね🐱 ↓YouTubeにて、朗読中(コピペで飛んでください) https://youtube.com/@yuachanRio ※登場する施設名や人物名などは全て架空です。

ドラゴンさんの現代転生

家具屋ふふみに
ファンタジー
人が栄え、幸福に満ちた世界。それを遠くから見届け続けた始祖龍のレギノルカは、とても満足していた。 時に人に知恵を与え。 時に人と戦い。 時に人と過ごした。 この世に思い残す事などほぼ無く、自らの使命を全うしたと自信を持てる。 故にレギノルカは神界へと渡り……然してそこで新たなる生を受ける。 「……母君よ。妾はこの世界に合わぬと思うのだが」 これはふと人として生きてみたいと願ったドラゴンさんが、現代に転生して何だかんだダンジョンに潜って人を助けたり、幼馴染とイチャイチャしたりする、そんなお話。 ちなみに得意料理はオムライス。嫌いな食べ物はセロリですって。

処理中です...