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「はる姉、勝負しない?」
一通り遊び倒したテントの中。仰向けになっていると、ちーちゃんが顔を覗き込んできた。
「勝負?」
寝返りを打って起き上がる。ちーちゃんがテントの入り口を開けて、ビーチの端を指さした。
「両端に赤い旗が立ってるでしょ?」
小さな指の先、遊泳区域を知らせる赤いフラッグがはためいている。
「端から端まで、どっちが早く泳げるか勝負しようよ」
「勝負、か。私って泳ぎはどうだったの? 得意だった?」
「得意な人に勝負を挑むと思う? くくくっ」
まるで悪者のような笑み。これは年上として黙っていられない。受けて立とうじゃないの。
「その勝負受けるわ。ねえ、罰ゲームを付けましょう?」
「えー?」
笑みを残しながら顔をしかめるちーちゃん。こういうのが大好きだともうわかっているから、もう一押し。
「負けたらアイスをおごるっていうのはどうかしら」
「意外に軽いんだね」ちーちゃんがまばたきを繰り返した。
「もっと重い罰がいいの?」
「冗談だって。はる姉の重い罰は怖いし。スタート地点あっちね」
そう言い残し、ちーちゃんが背を向け遠ざかっていく。急いで追い掛けないと、また何を言われることやら。
テントの入り口を閉め、ちーちゃんの足跡を踏んでいく。記憶を失う前も、こうやって遊んでいたのだろうか。
それにしても、速さ勝負か。となればもちろんクロールよね。得手不得手は覚えていないけれど、泳ぎ方は頭に入っている。後は運動神経を信じるしかない。
気合を入れ直すように、髪をポニーテールに――。
「あれ?」
立ち止まった足が砂に沈む。まるで周囲の時が止まったように自分の中へと入り込んでしまった。
どうして髪を結おうとしたのだろう。記憶をなくしてから今の今まで、この腰まで掛かる髪を結ったことなどない。それなのに、まるで当たり前のように手で髪をまとめていた。
まさか記憶を失う前、日常的に行っていた癖が体に現れた? そうだとすれば、記憶を取り戻す大きな一歩になりえる。
「はる姉、立ち止まってどうしたの?」先に行ったはずのちーちゃんが戻ってきていた。
「少し、思い出したかもしれない」
「うそ、ほんとに?」
「これから泳ぐからって、無意識に髪を結おうとしたの」
ちーちゃんに髪をまとめて見せた。
「それが、どうしたの」
「今までポニーテールになんかしたことないでしょう? きっと体が覚えていたのよ。記憶を失う前、私ってポニーテールに――」
「してなかったよ」
ひどく冷たい言葉に胸を貫かれた。ちーちゃんから柔らかい表情が消えている。敵意すら見え隠れするその目で、私の背後にある何かをじっと見つめている。
「無意識でやったのよ。きっと何かの手掛かりになると思うの」
「そんなこと言われても見たことないもん」
「でも」
「きっと気のせいか何かの勘違いだって」
ちーちゃんが私の手に触れた。
「どうせ泳げないんだから結わなくていいよ。ほら、さっさと始めよう」
「ちょっと。私って泳げないの?」
「記憶をなくして、ひょっとしたら泳げるようになっているかもね。とにかく行こう。ほらほらっ」
笑顔を取り戻したちーちゃんに手を引かれる。沈んでいた足が再び動きだした。二人の間にあった疑問は、波にさらわれたようにどこかへ消えていった。
だけど、あのしぐさは気のせいなんかじゃない。無意識に、とっさに、流れるように。普段からしていないと決して出ない癖のようなものだった。
それでも、ちーちゃんは知らないと断言した。見たこともない怖い顔で。まるで何かを恐れているようにも見えたけれど、まさか私が記憶を取り戻すことを拒んでいる、とか。
「ちーちゃん」
「ん?」
ちーちゃんは振り返らない。
一通り遊び倒したテントの中。仰向けになっていると、ちーちゃんが顔を覗き込んできた。
「勝負?」
寝返りを打って起き上がる。ちーちゃんがテントの入り口を開けて、ビーチの端を指さした。
「両端に赤い旗が立ってるでしょ?」
小さな指の先、遊泳区域を知らせる赤いフラッグがはためいている。
「端から端まで、どっちが早く泳げるか勝負しようよ」
「勝負、か。私って泳ぎはどうだったの? 得意だった?」
「得意な人に勝負を挑むと思う? くくくっ」
まるで悪者のような笑み。これは年上として黙っていられない。受けて立とうじゃないの。
「その勝負受けるわ。ねえ、罰ゲームを付けましょう?」
「えー?」
笑みを残しながら顔をしかめるちーちゃん。こういうのが大好きだともうわかっているから、もう一押し。
「負けたらアイスをおごるっていうのはどうかしら」
「意外に軽いんだね」ちーちゃんがまばたきを繰り返した。
「もっと重い罰がいいの?」
「冗談だって。はる姉の重い罰は怖いし。スタート地点あっちね」
そう言い残し、ちーちゃんが背を向け遠ざかっていく。急いで追い掛けないと、また何を言われることやら。
テントの入り口を閉め、ちーちゃんの足跡を踏んでいく。記憶を失う前も、こうやって遊んでいたのだろうか。
それにしても、速さ勝負か。となればもちろんクロールよね。得手不得手は覚えていないけれど、泳ぎ方は頭に入っている。後は運動神経を信じるしかない。
気合を入れ直すように、髪をポニーテールに――。
「あれ?」
立ち止まった足が砂に沈む。まるで周囲の時が止まったように自分の中へと入り込んでしまった。
どうして髪を結おうとしたのだろう。記憶をなくしてから今の今まで、この腰まで掛かる髪を結ったことなどない。それなのに、まるで当たり前のように手で髪をまとめていた。
まさか記憶を失う前、日常的に行っていた癖が体に現れた? そうだとすれば、記憶を取り戻す大きな一歩になりえる。
「はる姉、立ち止まってどうしたの?」先に行ったはずのちーちゃんが戻ってきていた。
「少し、思い出したかもしれない」
「うそ、ほんとに?」
「これから泳ぐからって、無意識に髪を結おうとしたの」
ちーちゃんに髪をまとめて見せた。
「それが、どうしたの」
「今までポニーテールになんかしたことないでしょう? きっと体が覚えていたのよ。記憶を失う前、私ってポニーテールに――」
「してなかったよ」
ひどく冷たい言葉に胸を貫かれた。ちーちゃんから柔らかい表情が消えている。敵意すら見え隠れするその目で、私の背後にある何かをじっと見つめている。
「無意識でやったのよ。きっと何かの手掛かりになると思うの」
「そんなこと言われても見たことないもん」
「でも」
「きっと気のせいか何かの勘違いだって」
ちーちゃんが私の手に触れた。
「どうせ泳げないんだから結わなくていいよ。ほら、さっさと始めよう」
「ちょっと。私って泳げないの?」
「記憶をなくして、ひょっとしたら泳げるようになっているかもね。とにかく行こう。ほらほらっ」
笑顔を取り戻したちーちゃんに手を引かれる。沈んでいた足が再び動きだした。二人の間にあった疑問は、波にさらわれたようにどこかへ消えていった。
だけど、あのしぐさは気のせいなんかじゃない。無意識に、とっさに、流れるように。普段からしていないと決して出ない癖のようなものだった。
それでも、ちーちゃんは知らないと断言した。見たこともない怖い顔で。まるで何かを恐れているようにも見えたけれど、まさか私が記憶を取り戻すことを拒んでいる、とか。
「ちーちゃん」
「ん?」
ちーちゃんは振り返らない。
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