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2巻
2-3
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「キュウ……?」
その翌日。
店を閉めてからデザートの試作をしていると、ツキネが厨房の外に歩いていく。
「どうした? ……ああ、フレジェさん」
ツキネの後をついていくと、淡いピンクの髪が美しい、丸眼鏡の女性が扉をノックしていた。
転生初日からいろいろとお世話になったグラノールさんの秘書的ポジション、フレジェさんだ。
「すみません、取り込んでいて気付きませんでした」
「いえ。こちらこそ、作業を邪魔してしまいましたか?」
「いえいえ、全然大丈夫ですよ! どうぞお入りください」
フレジェさんを店内に招き入れ、奥のほうのテーブル席に座ってもらう。
「砂糖の件ですよね? ちょっと待っててくださいね。キッチンを片付けてきますから」
急ぎ厨房に戻った俺は、さっと作ったクッキーと紅茶をビアに運んでもらい、試作に使っていた食器類を片付ける。
砂糖の件というのは、グラノールさんの店に砂糖を卸す契約の話だ。
以前お礼として渡した俺の砂糖に感銘を受け、ぜひ今後も卸してもらえないかとのこと。
現在、彼らの店である『美食の旅』にて新メニューを開発中らしく、そのメニューの中で俺の砂糖を使う予定のようだ。
俺としても恩人の彼らに卸す分には問題ないし、料理人ギルドとも納品の話を進めている。
甘いもの好きなフレジェさんは開店後もプライベートで来てくれるので、彼女とも契約の話を進めていた。
「お待たせしました」
数分で片付けを終えた俺は、フレジェさんの対面に腰かける。
ビアにも隣に座ってもらい、ツキネは膝上にちょこんと乗せた。
「いえいえ。クッキーと紅茶を出していただきありがとうございます。相変わらず素晴らしい味ですね」
恍惚とした顔で紅茶を口にするフレジェさん。
五枚のクッキーが置かれていた皿はすでに空っぽである。
「ありがとうございます。それで、砂糖の契約についてですが、来週あたりから納入の目途が立ちそうです」
「来週……そんなに早く納入いただけるのですか?」
「ええ、『美食の旅』に卸すくらいの量であれば、それほど難しくはありませんから」
料理人ギルドが求める量の砂糖はともかく、特定の一店舗が求める量なら大した負担にはならない。
「早ければ来週の頭には作れると思うのですが、用意しておきましょうか?」
「助かります。それでは――」
フレジェさんはそう言って、鞄から契約書を取り出す。
契約書と言っても簡単なもので、彼女が念のためにと作成したものだ。
書かれているのは、砂糖の買取額等の基本事項。
金額はギルドへの売却予定額から約二割引きとなっている。
彼らは俺の恩人だし、個人的にはもっと安くて構わないのだが、あちら側の総意で決められた額とのこと。
納入頻度については二週に一度を想定しているが、状況次第で臨機応変に対応できるのであくまで目安という感じだ。
契約書に目を通した俺は、同一内容の二枚にサインをし、フレジェさんと一枚ずつ分け合う。
「では、来週頭までに用意しておくので、時間がある時に取りに来てもらえれば大丈夫です」
「わかりました。夕方頃取りに来ますね」
そう言って席を立とうとするフレジェさんだったが、俺はそれを見て試作デザートの件を思い出した。
せっかくの機会だし、彼女に意見を訊いてみるのもありかもしれない。
「あ、フレジェさん。実は今、新作のデザートを作っている最中なのですが――」
「新作デザートですか!?」
俺が言い終わる前に、食い付いてくるフレジェさん。
「ええ、よければ味見していきませんか? フレジェさん、甘いものに詳しそうですし、モニターとして意見をもらえると嬉しいのですが」
「食べます! 食べさせてください!」
キラキラと目を輝かせて言った彼女は、前のめりになった自分に気付いたように姿勢を正す。
「コホン……申し訳ありません。食べさせていただいてもよろしいですか?」
「もちろんです。すぐ用意しますね」
俺はツキネを抱いて立ち上がり、ビアと共に厨房へ向かうのだった。
「これが新作デザートですか……」
その数分後。
深めの小皿に入ったデザートを見つめ、フレジェさんが呟く。
「予想していた通りですが、やはり見たことのないデザートですね……」
「ジェラートというデザートです。冷たいのでさっぱりすると思いますよ」
いくつか試作してみた結果、俺が選んだデザートは『ジェラート』。イタリア語で『凍った』を意味する氷菓子である。
作りやすいという理由もあるが、日替わりフレーバーを採用する点でもジェラートは優秀だ。元々たくさんのフレーバーが存在するし、新しい味も取り入れやすい。
ビアとツキネの反応も良かったため、新メニューの筆頭候補である。
イメージの基盤にしたのは、前世で訪れた複数のジェラート専門店と、イタリア遠征で食べた本場のジェラート。
それらの味をベースに置きつつ、フレンチの名店で食べたソルベ、個人喫茶のアイスクリーム等、過去に感銘を受けたアイス類を参考にしている。
メニュー名としては『ジェラート』だが、実際には様々なアイス要素が混ざった感じだ。
ちなみに、基本フレーバーはミルクとなっており、味覚パラメーターは次の通り。
味覚名:ミルクジェラート
要素1【ミルク】 →タップで調整
要素2【甘味】 →タップで調整
消費魔力:145
→タップで【味覚チェック】
→タップで【味覚の実体化】
要素は至ってシンプルだが、【ミルク】の中でも【コク】や【まろやかさ】の調整を念入りに行い、【甘味】の要素も上品な後味を実現するために調整を重ねた。
今回フレジェさんに出したのはこの『ミルクジェラート』と、派生フレーバーの『みかんジェラート』。
深めの小皿に白と黄の球体が仲良く並べられている。
「二色でとても綺麗ですね。それぞれ違う味なのですか?」
「ええ、二種類の異なるフレーバーを用意しました。白いほうが基本のミルクフレーバーで、黄色いほうが甘酸っぱい果実のフレーバーです。時間が経つと溶けてしまうので、早いうちにお召し上がりください」
「時間が経つと溶けるんですか!?」
「ええ。氷をベースにした菓子ですから」
「氷をベースに……変わったデザートですね」
驚いた様子で言いながら、フレジェさんはスプーンを握る。
ビアも言っていたのだが、この世界には氷菓子の概念がないようだ。
「それではまず、こちらの白いほうから……」
期待半分、不安半分の表情でジェラートを口にしたフレジェさんの顔が驚きに染まる。
「なんですか!? この素晴らしいデザートは!!」
そう叫ぶや否やすぐさま次のひと口に移るフレジェさん。
「メグルさんの言ったようにとても冷たくて、口の中ですっと溶けていきます……! ミルクの濃厚な旨味と甘味も絶妙で、溶けた後に残る余韻も心地よいです。なんと魅惑的なデザートなんでしょう……」
モニターの役目を意識してか、しっかりと感想を述べてくれる。
恍惚とした表情を浮かべた彼女は、みかんジェラートにもスプーンを入れた。
「……っ!! こちらも素晴らしい味ですね。フルーツ特有のほのかな酸味と優しい甘味……豊潤な香りが鼻に抜けて、驚くほどさっぱりしていますね」
「気に入っていただけたようでよかったです」
上品な所作でどんどんと食べ進めていき、あっという間に完食するフレジェさん。
「はぁ……最高の味でした」
ハンカチで口元を拭った彼女は、紅茶を飲んで目を細める。
「店のデザートメニューに加えるつもりなんですけど、他のデザートと比べてどうでしたか?」
「文句の付けようがない、素晴らしいデザートだと思います。メグルさんのデザートはどれも美味しくて甲乙つけがたいのですが、このジェラートもまた食べたことのない新鮮な美味しさで驚かされました。この店に来る楽しみがまた一つ増えそうです」
フレジェさんはそう言って微笑む。
「ところでジェラートは、この二つのフレーバーをセットで出すんですか?」
「いえ、実はデザートのレパートリーを増やすべく開発したメニューでして、さっきの二つ以外にもいろいろなフレーバーのものを試作しているんです」
ミルクジェラートを基本メニューとして置き、その他のフレーバーは日替わりで出していくつもりだと伝える。
「日替わりで……? 何種類くらいのフレーバーを用意するつもりなのですか?」
「そうですね……現時点では六、七種類ほど試作していますが、新たな味ができればその度に追加する予定です」
現時点で試作したのは、ミルクとみかんに加え、ピスタチオ、抹茶、メープル、マンゴー等々。
開発に伴う魔力負担が少ないため、定番から変わり種まで気になったものはなんでも試作できる。
「お客さんを飽きさせないため、少なくとも十種類程度の日替わりジェラートを作りたいと思っています」
「十種類! それは素晴らしいですね……通う回数を増やさねば」
「はは、お待ちしております」
満足げな表情で出て行くフレジェさんを見送りながら、新作デザートの手応えに安堵する。
先ほどの反応からすれば、さっそくから明日からメニューに加えられそうだ。
「そうと決まれば、できるだけクオリティを高めておきたいな」
開発コストが低いといっても、味に妥協するつもりはない。
ビアとツキネにおやつのミルクジェラートを作った後、厨房で再びブラッシュアップを開始した。
閑話 覆面調査員
王都料理人ギルドには、通常の職員以外にも、覆面調査を専門とする特殊な部門が存在する。
一定期間ごとに対象の店を訪れ、料理やサービスのクオリティチェックを行うための部門だ。
調査部門に所属するためには、調査員だとバレないための口の堅さや、自然に振る舞う演技力が必要で、変装の上手さも求められる。
今朝方に調査の仕事が入り、街に繰り出したグリルも、覆面調査員を五年間続ける変装の達人であった。
(さてと、今日の仕事は新店の評価か。区外の店は久しぶりだな)
目的の店に向かいながら、顎髭を指で摘まむグリル。
今の彼の見た目は、五十歳かそこらのベテラン商人といったところだ。
街行く人々も特に違和感を覚えることもなく、まさか彼の中身が二十代の調査員だとは思いもしない。
(新店フェスね……店にとっては厳しい戦いだよなぁ)
新店フェスに参加できるのは、開店から約半年以内の新店だけ、それも覆面調査員のお墨付きを得た一握りの実力店に限られる。
新店は日々途切れずに生まれ続けているので、その中で参加権を勝ち取るのは容易ではない。
(今日の店は区外にあるし、正直かなり厳しいだろうな。特に今回のフェスは粒ぞろいみたいだし、区外の店の出場なんて夢のまた夢だろう)
区外の店だからダメだということはないが、本心を言えば期待できないというのも事実。
グリルの仕事は公平に評価することであり、どんな店であろうと真剣に臨むつもりだが、彼とて心を持った一人の人間だ。区内の素晴らしい店に比べればモチベーションも低くなる。
(へえ……素朴な見た目のレストランだな)
数十分歩いた後、ようやく目的の店――『グルメの家』に到着する。
苛烈な生き残り競争に打ち勝つべく、新店というのは派手にしがちだが、このレストランはその対極を行く外観だ。
(これでやっていけるのか……って、な!?)
不安を覚えつつ扉を開けたグリルは、思わず足を止める。
「いらっしゃいませ! おひとり様ですか?」
「あ、ああ……」
「こちらへどうぞ!」
快活な店員――ビアに案内され、テーブル席に通されるグリル。
「こちらサービスのお冷とメニューです! 注文の品が決まったらお呼びください!」
「ああ……わかった」
メニューを受け取ったグリルは、気取られないよう目線だけで店内を見回す。
(まさか、あの外観でこれほど客がいるとはな……驚いた)
グリルが調査を依頼されたのは、『グルメの家』がオープンして一週間と数日が過ぎた頃。
満席というほどではないが、常連客も着実に増えており、客席の三、四割が埋まりはじめた時期である。
外観からガラガラの店内を想像したグリルは、思わぬ賑わいに意表を突かれた形だ。
(さて、気を取り直してメニューを見てみるか)
調査員モードに頭を切り替え、メニューの紙を見るグリル。
「む……」
そしてすぐに、小さな驚きの声を漏らした。
(知らないメニューばっかりだな……異国の料理を出す店なのか? 値段も区外の新店にしては高めだが……)
これまで幾多もの店を訪問してきたグリルだが、どのメニューも知らないという経験は初めてだった。
住所と新店という情報しか知らされていない彼は、メグルが持つ星の数なども当然知らず、店の賑わいを不思議に思う。
(それに……この水)
メニューと一緒にサービスのお冷を置かれたが、区外の店でお冷を出す場所は多くない。
浄水の魔道具はかなり値が張るため、出すにしても基本は有料なのだ。
実際にはメグルが生み出した水なのだが、そんなことなど知る由のないグリルは、喉を潤しながら気前の良さに感心した。
(とりあえずメニューについて尋ねてみるか)
メニュー内容がわからないため、店員を呼んで聞いてみることにする。
「すまない、聞きたいことがあるんだが」
「はいはい! なんでしょう?」
「どうやら、私の知らないメニューばかりのようなのでね。何かおすすめの料理はあるか?」
「おすすめの料理ですか? うーん、どれもおすすめなんですが……」
(ほう、ずいぶん自信があるようだな……)
目を細めつつ、グリルは頷く。
「ボク個人のおすすめで言うと、豚の角煮とかですかね。肉料理の中だと一番安いですし。あとは麺料理のカルボナーラも、モチモチの食感で美味しいですよ!」
「ふむ……ではそのカルボナーラというのを頼む」
「かしこまりました! サラダやスープもありますけど、いかがですか?」
「そうだな、じゃあ――」
グリルはフィーリングで胡麻ドレサラダとコーンスープを注文する。
「かしこまりました!」
注文内容を繰り返した店員が去った後、再び店内を見回すグリル。
(それにしても、皆美味そうに食っているな)
茶色いスープ状の料理や白いソースがかかった肉料理等、どれもグリルの知らない料理ばかりだが、どの客を見ても幸せそうに食べている。
(変わっているが、面白い店だな……)
内心でほのかな期待を抱きつつ、グリルは料理の到着を待つ。
それから約二、三分で、ビアが料理を運んできた。
「お待たせしました! コーンスープと胡麻ドレサラダです!」
「おお、ありがとう」
お冷を口にしながら、料理を観察するグリル。
(スープは割と普通の見た目だな。サラダのほうは見慣れないソースがかかっているが)
突飛な料理が出るのではと不安な気持ちも多少あったが、美味しそうな見た目で安心する。
(……飲んでみるか)
もう一口お冷を飲んだグリルは、手始めにコーンスープを試すことにした。
他の料理よりもシンプルなスープだからこそ、店の実力が表れるというのがグリルの持論だった。
とろみのある黄色いスープを掬い、ゆっくりと口を付ける。
「…………っ!!」
直後、グリルは思わず絶句した。
(なんだこのスープは!!)
そのスープはあまりにもクリーミーで、すっと喉に溶けていった。
舌の上を駆け巡った衝撃に驚きながら、さらにもう一掬いして味わう。
(美味い! なんてなめらかなスープなんだ……!! 見た目も味もシンプルなのに、どこまでも優しく奥深い……)
『グルメの家』のコーンスープは、シンプルな美味しさを追求した粒無しタイプ。
コーンの甘味とミルクのまろやかさ、バターのコクとわずかな塩味……それら全てが一体となって織りなす究極の味わいは、数々の名店を担当してきた調査員であるグリルをも魅了した。
(くっ……! もう半分も残っていない!! まだまだ飲んでいたいのに!)
残りは後に取っておこうと思いとどまり、胡麻ドレサラダに移行するグリル。
(このサラダもめちゃくちゃ美味い!!)
箸休めのつもりで食べたサラダの味に、またしても衝撃を受ける。
優しく甘酸っぱい絶妙な味と、焙煎された胡麻の香り。
葉野菜も臭みのない新鮮な味で、シャキシャキ感とドレッシングの粒感が歯を楽しませる。
(おいおい、なんだこの店は!! 区外にできた普通の新店じゃなかったのか!?)
人生史上でもトップクラスの品々に、グリルの手が止まらない。
どちらも完食寸前といったところで、メインのカルボナーラが到着する。
「おお……!」
グリルの口から、感嘆の声が漏れ出した。
(これがカルボナーラ……)
ゴクリと唾を呑み込み、ぎゅっとフォークを握るグリル。
テーブルに置かれた平皿の上では、平たく延ばされた珍しいタイプの麺に、黄色味を帯びたソースがたっぷり絡んでいる。
ホカホカと湯気の立つその姿を見た瞬間、グリルは『美味い』と直感した。
(いくぞ……!!)
フォークで一気に麺を絡め取り、躊躇なく口に運んだグリルは、咀嚼した瞬間に目を見開く。
スープとサラダのレベルからメインへの期待は高まっていたが、その味は期待のさらに向こう側に達していた。
その翌日。
店を閉めてからデザートの試作をしていると、ツキネが厨房の外に歩いていく。
「どうした? ……ああ、フレジェさん」
ツキネの後をついていくと、淡いピンクの髪が美しい、丸眼鏡の女性が扉をノックしていた。
転生初日からいろいろとお世話になったグラノールさんの秘書的ポジション、フレジェさんだ。
「すみません、取り込んでいて気付きませんでした」
「いえ。こちらこそ、作業を邪魔してしまいましたか?」
「いえいえ、全然大丈夫ですよ! どうぞお入りください」
フレジェさんを店内に招き入れ、奥のほうのテーブル席に座ってもらう。
「砂糖の件ですよね? ちょっと待っててくださいね。キッチンを片付けてきますから」
急ぎ厨房に戻った俺は、さっと作ったクッキーと紅茶をビアに運んでもらい、試作に使っていた食器類を片付ける。
砂糖の件というのは、グラノールさんの店に砂糖を卸す契約の話だ。
以前お礼として渡した俺の砂糖に感銘を受け、ぜひ今後も卸してもらえないかとのこと。
現在、彼らの店である『美食の旅』にて新メニューを開発中らしく、そのメニューの中で俺の砂糖を使う予定のようだ。
俺としても恩人の彼らに卸す分には問題ないし、料理人ギルドとも納品の話を進めている。
甘いもの好きなフレジェさんは開店後もプライベートで来てくれるので、彼女とも契約の話を進めていた。
「お待たせしました」
数分で片付けを終えた俺は、フレジェさんの対面に腰かける。
ビアにも隣に座ってもらい、ツキネは膝上にちょこんと乗せた。
「いえいえ。クッキーと紅茶を出していただきありがとうございます。相変わらず素晴らしい味ですね」
恍惚とした顔で紅茶を口にするフレジェさん。
五枚のクッキーが置かれていた皿はすでに空っぽである。
「ありがとうございます。それで、砂糖の契約についてですが、来週あたりから納入の目途が立ちそうです」
「来週……そんなに早く納入いただけるのですか?」
「ええ、『美食の旅』に卸すくらいの量であれば、それほど難しくはありませんから」
料理人ギルドが求める量の砂糖はともかく、特定の一店舗が求める量なら大した負担にはならない。
「早ければ来週の頭には作れると思うのですが、用意しておきましょうか?」
「助かります。それでは――」
フレジェさんはそう言って、鞄から契約書を取り出す。
契約書と言っても簡単なもので、彼女が念のためにと作成したものだ。
書かれているのは、砂糖の買取額等の基本事項。
金額はギルドへの売却予定額から約二割引きとなっている。
彼らは俺の恩人だし、個人的にはもっと安くて構わないのだが、あちら側の総意で決められた額とのこと。
納入頻度については二週に一度を想定しているが、状況次第で臨機応変に対応できるのであくまで目安という感じだ。
契約書に目を通した俺は、同一内容の二枚にサインをし、フレジェさんと一枚ずつ分け合う。
「では、来週頭までに用意しておくので、時間がある時に取りに来てもらえれば大丈夫です」
「わかりました。夕方頃取りに来ますね」
そう言って席を立とうとするフレジェさんだったが、俺はそれを見て試作デザートの件を思い出した。
せっかくの機会だし、彼女に意見を訊いてみるのもありかもしれない。
「あ、フレジェさん。実は今、新作のデザートを作っている最中なのですが――」
「新作デザートですか!?」
俺が言い終わる前に、食い付いてくるフレジェさん。
「ええ、よければ味見していきませんか? フレジェさん、甘いものに詳しそうですし、モニターとして意見をもらえると嬉しいのですが」
「食べます! 食べさせてください!」
キラキラと目を輝かせて言った彼女は、前のめりになった自分に気付いたように姿勢を正す。
「コホン……申し訳ありません。食べさせていただいてもよろしいですか?」
「もちろんです。すぐ用意しますね」
俺はツキネを抱いて立ち上がり、ビアと共に厨房へ向かうのだった。
「これが新作デザートですか……」
その数分後。
深めの小皿に入ったデザートを見つめ、フレジェさんが呟く。
「予想していた通りですが、やはり見たことのないデザートですね……」
「ジェラートというデザートです。冷たいのでさっぱりすると思いますよ」
いくつか試作してみた結果、俺が選んだデザートは『ジェラート』。イタリア語で『凍った』を意味する氷菓子である。
作りやすいという理由もあるが、日替わりフレーバーを採用する点でもジェラートは優秀だ。元々たくさんのフレーバーが存在するし、新しい味も取り入れやすい。
ビアとツキネの反応も良かったため、新メニューの筆頭候補である。
イメージの基盤にしたのは、前世で訪れた複数のジェラート専門店と、イタリア遠征で食べた本場のジェラート。
それらの味をベースに置きつつ、フレンチの名店で食べたソルベ、個人喫茶のアイスクリーム等、過去に感銘を受けたアイス類を参考にしている。
メニュー名としては『ジェラート』だが、実際には様々なアイス要素が混ざった感じだ。
ちなみに、基本フレーバーはミルクとなっており、味覚パラメーターは次の通り。
味覚名:ミルクジェラート
要素1【ミルク】 →タップで調整
要素2【甘味】 →タップで調整
消費魔力:145
→タップで【味覚チェック】
→タップで【味覚の実体化】
要素は至ってシンプルだが、【ミルク】の中でも【コク】や【まろやかさ】の調整を念入りに行い、【甘味】の要素も上品な後味を実現するために調整を重ねた。
今回フレジェさんに出したのはこの『ミルクジェラート』と、派生フレーバーの『みかんジェラート』。
深めの小皿に白と黄の球体が仲良く並べられている。
「二色でとても綺麗ですね。それぞれ違う味なのですか?」
「ええ、二種類の異なるフレーバーを用意しました。白いほうが基本のミルクフレーバーで、黄色いほうが甘酸っぱい果実のフレーバーです。時間が経つと溶けてしまうので、早いうちにお召し上がりください」
「時間が経つと溶けるんですか!?」
「ええ。氷をベースにした菓子ですから」
「氷をベースに……変わったデザートですね」
驚いた様子で言いながら、フレジェさんはスプーンを握る。
ビアも言っていたのだが、この世界には氷菓子の概念がないようだ。
「それではまず、こちらの白いほうから……」
期待半分、不安半分の表情でジェラートを口にしたフレジェさんの顔が驚きに染まる。
「なんですか!? この素晴らしいデザートは!!」
そう叫ぶや否やすぐさま次のひと口に移るフレジェさん。
「メグルさんの言ったようにとても冷たくて、口の中ですっと溶けていきます……! ミルクの濃厚な旨味と甘味も絶妙で、溶けた後に残る余韻も心地よいです。なんと魅惑的なデザートなんでしょう……」
モニターの役目を意識してか、しっかりと感想を述べてくれる。
恍惚とした表情を浮かべた彼女は、みかんジェラートにもスプーンを入れた。
「……っ!! こちらも素晴らしい味ですね。フルーツ特有のほのかな酸味と優しい甘味……豊潤な香りが鼻に抜けて、驚くほどさっぱりしていますね」
「気に入っていただけたようでよかったです」
上品な所作でどんどんと食べ進めていき、あっという間に完食するフレジェさん。
「はぁ……最高の味でした」
ハンカチで口元を拭った彼女は、紅茶を飲んで目を細める。
「店のデザートメニューに加えるつもりなんですけど、他のデザートと比べてどうでしたか?」
「文句の付けようがない、素晴らしいデザートだと思います。メグルさんのデザートはどれも美味しくて甲乙つけがたいのですが、このジェラートもまた食べたことのない新鮮な美味しさで驚かされました。この店に来る楽しみがまた一つ増えそうです」
フレジェさんはそう言って微笑む。
「ところでジェラートは、この二つのフレーバーをセットで出すんですか?」
「いえ、実はデザートのレパートリーを増やすべく開発したメニューでして、さっきの二つ以外にもいろいろなフレーバーのものを試作しているんです」
ミルクジェラートを基本メニューとして置き、その他のフレーバーは日替わりで出していくつもりだと伝える。
「日替わりで……? 何種類くらいのフレーバーを用意するつもりなのですか?」
「そうですね……現時点では六、七種類ほど試作していますが、新たな味ができればその度に追加する予定です」
現時点で試作したのは、ミルクとみかんに加え、ピスタチオ、抹茶、メープル、マンゴー等々。
開発に伴う魔力負担が少ないため、定番から変わり種まで気になったものはなんでも試作できる。
「お客さんを飽きさせないため、少なくとも十種類程度の日替わりジェラートを作りたいと思っています」
「十種類! それは素晴らしいですね……通う回数を増やさねば」
「はは、お待ちしております」
満足げな表情で出て行くフレジェさんを見送りながら、新作デザートの手応えに安堵する。
先ほどの反応からすれば、さっそくから明日からメニューに加えられそうだ。
「そうと決まれば、できるだけクオリティを高めておきたいな」
開発コストが低いといっても、味に妥協するつもりはない。
ビアとツキネにおやつのミルクジェラートを作った後、厨房で再びブラッシュアップを開始した。
閑話 覆面調査員
王都料理人ギルドには、通常の職員以外にも、覆面調査を専門とする特殊な部門が存在する。
一定期間ごとに対象の店を訪れ、料理やサービスのクオリティチェックを行うための部門だ。
調査部門に所属するためには、調査員だとバレないための口の堅さや、自然に振る舞う演技力が必要で、変装の上手さも求められる。
今朝方に調査の仕事が入り、街に繰り出したグリルも、覆面調査員を五年間続ける変装の達人であった。
(さてと、今日の仕事は新店の評価か。区外の店は久しぶりだな)
目的の店に向かいながら、顎髭を指で摘まむグリル。
今の彼の見た目は、五十歳かそこらのベテラン商人といったところだ。
街行く人々も特に違和感を覚えることもなく、まさか彼の中身が二十代の調査員だとは思いもしない。
(新店フェスね……店にとっては厳しい戦いだよなぁ)
新店フェスに参加できるのは、開店から約半年以内の新店だけ、それも覆面調査員のお墨付きを得た一握りの実力店に限られる。
新店は日々途切れずに生まれ続けているので、その中で参加権を勝ち取るのは容易ではない。
(今日の店は区外にあるし、正直かなり厳しいだろうな。特に今回のフェスは粒ぞろいみたいだし、区外の店の出場なんて夢のまた夢だろう)
区外の店だからダメだということはないが、本心を言えば期待できないというのも事実。
グリルの仕事は公平に評価することであり、どんな店であろうと真剣に臨むつもりだが、彼とて心を持った一人の人間だ。区内の素晴らしい店に比べればモチベーションも低くなる。
(へえ……素朴な見た目のレストランだな)
数十分歩いた後、ようやく目的の店――『グルメの家』に到着する。
苛烈な生き残り競争に打ち勝つべく、新店というのは派手にしがちだが、このレストランはその対極を行く外観だ。
(これでやっていけるのか……って、な!?)
不安を覚えつつ扉を開けたグリルは、思わず足を止める。
「いらっしゃいませ! おひとり様ですか?」
「あ、ああ……」
「こちらへどうぞ!」
快活な店員――ビアに案内され、テーブル席に通されるグリル。
「こちらサービスのお冷とメニューです! 注文の品が決まったらお呼びください!」
「ああ……わかった」
メニューを受け取ったグリルは、気取られないよう目線だけで店内を見回す。
(まさか、あの外観でこれほど客がいるとはな……驚いた)
グリルが調査を依頼されたのは、『グルメの家』がオープンして一週間と数日が過ぎた頃。
満席というほどではないが、常連客も着実に増えており、客席の三、四割が埋まりはじめた時期である。
外観からガラガラの店内を想像したグリルは、思わぬ賑わいに意表を突かれた形だ。
(さて、気を取り直してメニューを見てみるか)
調査員モードに頭を切り替え、メニューの紙を見るグリル。
「む……」
そしてすぐに、小さな驚きの声を漏らした。
(知らないメニューばっかりだな……異国の料理を出す店なのか? 値段も区外の新店にしては高めだが……)
これまで幾多もの店を訪問してきたグリルだが、どのメニューも知らないという経験は初めてだった。
住所と新店という情報しか知らされていない彼は、メグルが持つ星の数なども当然知らず、店の賑わいを不思議に思う。
(それに……この水)
メニューと一緒にサービスのお冷を置かれたが、区外の店でお冷を出す場所は多くない。
浄水の魔道具はかなり値が張るため、出すにしても基本は有料なのだ。
実際にはメグルが生み出した水なのだが、そんなことなど知る由のないグリルは、喉を潤しながら気前の良さに感心した。
(とりあえずメニューについて尋ねてみるか)
メニュー内容がわからないため、店員を呼んで聞いてみることにする。
「すまない、聞きたいことがあるんだが」
「はいはい! なんでしょう?」
「どうやら、私の知らないメニューばかりのようなのでね。何かおすすめの料理はあるか?」
「おすすめの料理ですか? うーん、どれもおすすめなんですが……」
(ほう、ずいぶん自信があるようだな……)
目を細めつつ、グリルは頷く。
「ボク個人のおすすめで言うと、豚の角煮とかですかね。肉料理の中だと一番安いですし。あとは麺料理のカルボナーラも、モチモチの食感で美味しいですよ!」
「ふむ……ではそのカルボナーラというのを頼む」
「かしこまりました! サラダやスープもありますけど、いかがですか?」
「そうだな、じゃあ――」
グリルはフィーリングで胡麻ドレサラダとコーンスープを注文する。
「かしこまりました!」
注文内容を繰り返した店員が去った後、再び店内を見回すグリル。
(それにしても、皆美味そうに食っているな)
茶色いスープ状の料理や白いソースがかかった肉料理等、どれもグリルの知らない料理ばかりだが、どの客を見ても幸せそうに食べている。
(変わっているが、面白い店だな……)
内心でほのかな期待を抱きつつ、グリルは料理の到着を待つ。
それから約二、三分で、ビアが料理を運んできた。
「お待たせしました! コーンスープと胡麻ドレサラダです!」
「おお、ありがとう」
お冷を口にしながら、料理を観察するグリル。
(スープは割と普通の見た目だな。サラダのほうは見慣れないソースがかかっているが)
突飛な料理が出るのではと不安な気持ちも多少あったが、美味しそうな見た目で安心する。
(……飲んでみるか)
もう一口お冷を飲んだグリルは、手始めにコーンスープを試すことにした。
他の料理よりもシンプルなスープだからこそ、店の実力が表れるというのがグリルの持論だった。
とろみのある黄色いスープを掬い、ゆっくりと口を付ける。
「…………っ!!」
直後、グリルは思わず絶句した。
(なんだこのスープは!!)
そのスープはあまりにもクリーミーで、すっと喉に溶けていった。
舌の上を駆け巡った衝撃に驚きながら、さらにもう一掬いして味わう。
(美味い! なんてなめらかなスープなんだ……!! 見た目も味もシンプルなのに、どこまでも優しく奥深い……)
『グルメの家』のコーンスープは、シンプルな美味しさを追求した粒無しタイプ。
コーンの甘味とミルクのまろやかさ、バターのコクとわずかな塩味……それら全てが一体となって織りなす究極の味わいは、数々の名店を担当してきた調査員であるグリルをも魅了した。
(くっ……! もう半分も残っていない!! まだまだ飲んでいたいのに!)
残りは後に取っておこうと思いとどまり、胡麻ドレサラダに移行するグリル。
(このサラダもめちゃくちゃ美味い!!)
箸休めのつもりで食べたサラダの味に、またしても衝撃を受ける。
優しく甘酸っぱい絶妙な味と、焙煎された胡麻の香り。
葉野菜も臭みのない新鮮な味で、シャキシャキ感とドレッシングの粒感が歯を楽しませる。
(おいおい、なんだこの店は!! 区外にできた普通の新店じゃなかったのか!?)
人生史上でもトップクラスの品々に、グリルの手が止まらない。
どちらも完食寸前といったところで、メインのカルボナーラが到着する。
「おお……!」
グリルの口から、感嘆の声が漏れ出した。
(これがカルボナーラ……)
ゴクリと唾を呑み込み、ぎゅっとフォークを握るグリル。
テーブルに置かれた平皿の上では、平たく延ばされた珍しいタイプの麺に、黄色味を帯びたソースがたっぷり絡んでいる。
ホカホカと湯気の立つその姿を見た瞬間、グリルは『美味い』と直感した。
(いくぞ……!!)
フォークで一気に麺を絡め取り、躊躇なく口に運んだグリルは、咀嚼した瞬間に目を見開く。
スープとサラダのレベルからメインへの期待は高まっていたが、その味は期待のさらに向こう側に達していた。
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