――デビュー後は順調でしたか?
それが、デビュー後も読み切りが2回ほど載ったのですが、なかなか波に乗れず、どれも連載までいけませんでした。描いては直し、直しては描きの連続で頑張っていたのですが徐々にネームに疲弊してしまい、行き詰ってしまいました。
――どうやってその行き詰まりから脱出したのですか?
頑張っていた雑誌の読者年齢層は青年向け、それと自分の描く作品の方向のずれが、行き詰りの原因だと思えたので、心機一転するために少年向けの作品を描き、特に絵柄を丁寧に、目に留まるようにと気合を入れて、手塚賞に挑戦。それが佳作になりました。
――どんな作品だったのですか?
サンタクロースの跡継ぎである姉弟のファンタジー作品です。サンタクロースは男しかなれず、姉はあきらめざるを得ないのを見て、ちょっと弱いダメ弟が奮闘する話を描きました。私の持ち味はやはり絵で、可愛い女の子とちょいダメな、でも元気で頑張る男の子の表情と感情を最大限に出しました。それで賞をとれたことは大きかったです。これで作画に目覚めたというか、作画に集中するためにはどうすればいいかと考え始めたきっかけの作品でもあります。漫画家として生きるために「自分の武器はなんだ?」と必死で考えに考えました。もしかしたら漫画にしっかりと向き合ったのもこの時期かもしれません。今までイラストの仕事をもらうまでのつなぎ的な心がどこかにあったのかも、と反省もありましたし。でもやりたいと思っていた原作付きは、特に少年誌では当時あまりなく、その後いろいろ紆余曲折あって、こちらもうまく進めることが出来ませんでした。
――そのあとは経歴をみますと再び青年誌にいっていますね。
はい、ヤングガンガンさんの漫画賞で奨励賞をいただきました。その当時は、まだ青年誌と少年誌の間のような読者層でしたので合いそうだと考えたのと青年誌寄りの雑誌の方が原作付き作品が多いのでチャンスもあるかなと思い、可愛い女の子の作画に気合をいれました! そこの編集さんと打ち合わせ中に作画に集中してみたいと言ってみたところ「こんな原作があるんだけど作画しない?」という流れで、話をいただき、それが連載デビュー、コミカライズデビューとなりました。考えていたことが偶然にもすぐに訪れた。なんて運がいいんだと感謝しました。
――読者層と自分の持ち味をうまく考慮したのですね。運がいいとおっしゃいますが、その運を引き寄せるために考えて発言してますし、また実力がなければ連載は続けられませんから、運だけではなく実力もついてきていたのだと思いますね。連載はどうでしたか?
月一、たまに隔月掲載もありで、連載のペースになれるのが大変でした。時間に追われながら、毎回描き終わって掲載雑誌を見ると、ここもっといい表情にできたかも?とか、もっと感情を入れられたかな?とか課題が噴出でした。でもそれを次回はクリアするぞ、さらに良くするぞと頑張っていましたね。海外の翻訳コミカライズでしたので、とにかく読者に読みやすく、分かりやすく、そしてかっこよくをモットーに3年ほど走り続けました。
――その後が「THE NEW GATE」ですね!
はい、連載が終わりかけていて次はどうしようかなと考えていたところ、お声かけていただきました。
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