――専門学校に入られて、絵の勉強はどうでしたか?
それまで自己流だったので、絵を描く道具の名前すら知らず戸惑いました。それと絵を仕上げる工程の多さ! それまでは鉛筆とかボールペンでガリガリ一発描きで描いていたので、アタリ⇒下絵⇒ペン入れ⇒仕上げ⇒完成、という工程すらもおぼつかずの状態でした。周りは普通に知っていることが私には、初めてのことばかりで、本当に何も知らなかった。
――なるほど覚えなければならないことが多かったのですね。絵を描く方はどうだったのですか? 実技の授業とか?
知識はあれでしたが、人物のデッサンの授業とかは、バランスやパースが最初から取れました。これは、小学生の頃からの落書きが役に立っていたと思います。アニメだと絵が動くのでじっくり見て描くことが出来ない。パッと見た場面を覚えて、それをザッザッと描いてゆくというのを繰り返していたのですが、それのおかげか授業でもパッと見てそのまま描くことができました。周りが苦しむ俯瞰や煽りの構図なんかも見たままをそれほど苦なく描くことができましたし、何より「授業中に絵を描いて怒られない」環境(笑)が楽しく、それでますます絵を描くことが好きになって、絵の描き方の知識が増えるとどんどん試して、卒業までに絵の力をかなり上げることができました。
――まさに好きこそ物の上手なれ、だったのですね! そしてここで漫画に出会うと。
はい、漫画を描く授業があってそこで初めてネームやコマ割というものを知りました。正直に大変でした。特にネームが! 私はビジュアルから入るので、カッコいいシーンや綺麗なシーンのエピソードを延々と考えてしまい、あっちもこっちも手を広げてまとまらないんです。コマ割とかも最初は引き出しがなさ過ぎて同じパターンのコマを何ページも並べてしまって単調に。自分は漫画を描くの下手くそだなぁと落ち込むことがよくありました(泣)
――あまりいい出会いではなかったのですね、でも今漫画の仕事についていますが、何か漫画に向かうきっかけがあったのですか?
授業の時に先生から「最初からイラストでは食べていけない。漫画を描いて有名になってからやっとイラストの仕事が回ってき始める。だから、まず漫画を描けるようになりなさい」って言われたんです。確かに当時、ゲームも小説も今ほど隆盛ではなく、イラストの仕事は少なかったし、先生も元々が漫画出身だからよけいにそういう話になって「あー、こりゃ漫画描くしかないのか」って。それで漫画の勉強をするために専門学校の先生で現役で仕事していた方のところに手伝いに行っていたら、卒業後に専属アシスタントに採用されたんです。
――アシスタントではどんな仕事を担当していたのですか?
最初は、枠線引きにベタ、消しかけ、効果線、慣れてくるにしたがって背景も描くようになりました。
――苦労した想い出などありますか?
先生の描いた人物がいて、その後ろに背景を描いたんですがパースが合わず人物が巨人になったり小人になったり。また先生の絵の線の太さと合っていなくて、それもショックでした。でも落ち込んでいても次の仕事はどんどんくる。同じことをしてはまずい、次はもっとよくしようとパースの本を読み漁って線の使い方を覚えたり、背景を指が裂けそうになるほど描き続けたりして、どんどん直していって、数ヶ月でなんとかOKを出してもらえるレベルに持っていきました。絵だけが取り柄だったので必死でした。
――まさに、下積み時代。描きつづけて体に覚え込ませたのですね。ではアシスタントをしながら自分の作品を投稿していたのですか?
そうですね、アシスタントをしつつ投稿をして4年目くらいにやっと商業誌デビューし、上京するまでお世話になりました。漫画の基礎などいろいろ覚えさせていただき、とても感謝しています。
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