――漫画家インタビュー4人目は、2016年10月にコミックス第2巻が刊行された「月が導く異世界道中」(以下、「月が導く」)を手がける、木野コトラ先生に登場していただきました! まずは漫画との出会いを教えてください。
母がかなり漫画を読む人だったんです。家には漫画雑誌や単行本がたくさんあったので、物心がついた時には漫画に囲まれていました。幼稚園時代には、すでに少女コミック誌の「花とゆめ」(白泉社)を読んでましたね。もう少し育つと、親の部屋にあった青年向けコミック誌もこっそり読み……(笑)。よく置いてあったのは「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)です。そのような感じで、家にあるものはジャンルを問わず、なんでも読んでいました。
――筋金入りの漫画好きですね。では絵を描くことはどうだったんでしょうか?
お絵描きは、幼稚園に入るよりも前から好きでしたね。1歳くらいの時、絵を描いている最中に「自分は右利きだ」って自覚した記憶があるんです。たぶん、最初は両手で絵を描いていたんですが、右手の方が描きやすいって気づいて。それからは右手で描くようになりました。
――それはすごい記憶ですね。子供のころはどんなものを描いてたんでしょうか?
とにかく女の子をたくさん描いていました。あとはお花とか身の回りのものも。毎日、チラシの裏から教科書まで、いろんなところにお絵描きしてましたね。小学4〜5年生以降は、好きなアニメや漫画の絵の模写も始めました。当時大好きだった「V-K☆カンパニー」(山口美由紀/白泉社)は、ヒロインやまわりの男の子はもちろん、脇役のキャラクターもみんな個性があって、漫画の表現力のすごさを感じたんです。それで真似してみようかなって。他にもアニメの「魔神英雄伝ワタル」(サンライズ)のヒミコとか、「聖伝-RG VEDA-」(CLAMP/新書館)も描いてました。
――好きなキャラクターを模写していたんですね?
好きというよりは、練習としての意味合いが強かったと思います。高橋留美子先生の絵については、足先や指先を真似して描いていたり。今でもそうですが、上手だと思ったり、自分のツボにはまった絵は、自分の中に取り込みたいんですよね。だから目を描く練習をし始めると、紙一面が目ばかりになって怖いという(笑)
――完成した絵を、誰かに見せたりは?
完全に自己満足だったので、見せてなかったです。中学生の時、初めて絵を描く友達ができて、完成した絵や落書きを見せ合い始めましたけど……彼女たち以外の人には見せられなかったです。
―絵を見せるのが恥ずかしかったとか?
恥ずかしいというか……。絵や漫画って、描き手の考えや気持ちが反映されるじゃないですか。自分の内面を見透かされそうな気がして、怖かったんです。他人に見せるために描いた絵なら、エロい絵でも全然平気なんですけどね(笑)。そんな状態だったから、漫画家を目指すなんて考えてもいませんでした。限られた仲間内で交換漫画みたいなものを描いたり、トーンとかツヤベタを試したりとかしていれば、それで満足だったんです。たとえ見せたとしても、目ばっかりとか手ばっかりとかの絵が多いから、見せてもしようがないですし(笑)
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