――イゾ先生は高校生になってから、どんなことに熱中していたんですか?
イゾ申し訳ないのですが急にオタクであることが恥ずかしくなり、アート路線に転向しました(笑)。振り返って考えてみると、「みんなと違うものが好きな自分はイヤ」という、いわば「逆厨二病」だったように思います。美術系大学を目指して予備校に通ったりして……。
――美術大学の受験を目指したということは、専門の予備校ですね。
イゾはい。なんとか現役で多摩美術大学に合格して上京したのですが……入学したら、周りは才能があって尖った人だらけ! 私も絵はそこそこ描けたし、地元では少し粋がっていましたが、大学に入ってからは「私って凡庸な人間だなぁ」って衝撃を受けました……。こんな人たちの中でどうしようって思っていたら、中学時代の“オタクの師匠”が、近くの美大に進学してきて(笑)。“師匠”のつてで、同人誌を描いている人と友達になり、原稿を手伝うようになり、さらにコミックマーケット(以下、コミケ)にも行くようになったんです。自分で作品を発表できる場があるならと、私も同人誌を作って参加するようになりました。
――当時はどんな同人誌を作ったのでしょうか?
イゾオリジナルのファンタジーものです。のちに双葉社さんで連載させていただいた作品と同じ、「魔法精錬」というタイトルでした。その時に講談社の編集さんに声をかけていただいたんです。「作品を持って一回編集部に来ない?」って誘われたから作品を持っていったら、「漫画家の先生のアシスタントに入って勉強をしながら、新人賞を目指そう」ってことになり……。気づいたら就職活動もせず、大学を卒業していました(笑)
――どのような先生のもとでアシスタントをなさっていたのですか?
イゾその時は、「金田一少年の事件簿」(原案・原作:天樹征丸/原作:金成陽三郎/講談社)の作画をされていた、さとうふみや先生です。さとう先生には、結局2年くらいお世話になりました。その後、長くご挨拶もできず不義理を働いていたのですが……「魔法精錬」のコミックス第1巻が出る時に、帯に応援コメントを寄稿してくださったんです。さとう先生には心から感謝しています。
――なお先生とも、その頃知り合われたわけですね。
イゾはい、ちょうどその頃です。なおさんに「漫画のアシスタントって、どんなことをやってるの?」みたいなことを聞かれたから、現場で聞きかじったことをドヤ顔で教えたりしていましたね(笑)
――なお先生はイゾ先生と知り合った頃、すでに絵や漫画を描かれていたのですか?
なお絵を描いてはいましたが、まだ趣味の段階を出てはいなかったですね。物心がついた時から、何か絵を描く仕事がしたいとは思っていたし、ずっと描いてはいたのですが、プロになる方法がさっぱりわからなくて……。イゾと知り合ってから、一緒に同人誌を作ってコミケに出ようって話になり、サークル活動を始めたんです。イゾはそれよりも前に、講談社の編集さんから声がかかっていたから、新人賞の原稿を手伝ったりもしましたよ(笑)
――サークルはおふたりで始めたのですか?
なおいえ、イゾを紹介してくれた友人と3人です。コミケに向けて3人で1冊の合同誌を作ったんですが、漫画形式の作品を描いたのはこの時が初めてでした。ジャンルはオリジナルでしたね。そうしたら、イゾのほうに執筆の依頼が来たんです。
イゾゲームのアンソロジーコミックを制作していた編集プロダクションの方に、スカウトしていただきました。それがデビューのきっかけです。さらに当時はアンソロジーコミックのブームで、私の他にも描き手を探しているということだったので、なおさんを紹介したんです。
なおサークルで初めて漫画を描いたのに、その後すぐに仕事がいただけるようになったので、驚きましたがありがたかったです。
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