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1巻
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しおりを挟むプロローグ 王子様、死にました
森の奥で、ひっそり暮らす一人の魔女。彼女の名は、エヴァリーナ・シーカという。
黒髪に若草色の瞳を持つ平凡な顔立ちの娘だが、その力は他に類を見ない非凡さだった。その強い力故に他の魔女からのやっかみも大きく、彼女は人里離れた森の奥で暮らしている。
そんな彼女のもとに、ある日突然、国王の使者が現れた。そして、彼女は着の身着のまま王宮に連行されたのである。
エヴァリーナにできたことといえば、兎人族である弟子のリオネロの長い耳を引っ掴み、一緒に連れて来たことくらいだ。
常ならば、こんなことは絶対にあり得ない。エヴァリーナは城内のピリピリした気配を感じながら、ただならぬ事態であることを察知した。
すぐさま謁見の間に通された二人は、国王と対面する。
「そなたが博識の魔女・エヴァリーナか」
まさか国王が自分の二つ名を知っているとは思わず、エヴァリーナの肩がびくりと震えた。
目の前の玉座には在位十年目を迎える、エンランジェ王国国王・アドルフォが座っている。齢三十一歳の国王は、金の髪に青い瞳をした美丈夫だ。彼は、エンランジェという富国を円熟に向かわせた賢君と言われている。
アドルフォは、視線を真っ直ぐエヴァリーナに向けて静かに口を開いた。
「そなたは異世界から召喚ができるそうだな」
「……」
エヴァリーナは表情こそ変えなかったが、背中に汗が伝うのが分かった。
異世界からの召喚――そのような奇跡を起こせる〝魔女〟は、王国広しといえどもエヴァリーナくらいだろう。
だがその実、エヴァリーナの召喚は異世界から気に入った物を取り寄せる程度のものだった。
そもそも異世界と言っても、こちらより文化の発達した世界だということしか分からないのだ。
まさか異世界から、勇者を召喚しろなどという到底無理なことを言われるのではないかと身構えた瞬間、アドルフォはまったく予想外のことをエヴァリーナに問うた。
「異世界にさえ手を伸ばせる魔女ならば、人の命もその手に戻せるか?」
「は……?」
言われていることが理解できずに、思わずエヴァリーナは顔を上げた。貴人の顔を直接見ることは不敬と取られる。だが、それを咎めることなく、アドルフォははっきりとエヴァリーナに命じた。
「魔女エヴァリーナ。その力をもって、死んだ人間を生き返らせよ」
「お、恐れながら国王陛下……そのような命の理を無視した魔法は……」
死んだ人間を生き返らせるなど、さすがのエヴァリーナだってしたことはない。
「異世界に通じるそなたであれば、人を生き返らせる魔法も知っているのではないか?」
(そんな無茶な!)
異世界と死後の世界を一緒にするなと、心の中でエヴァリーナは叫んだ。だが、アドルフォの目はどこまでも真剣だった。
じわり、とエヴァリーナの額に脂汗が滲む。
どうしようもなく嫌な予感がした。
「我が弟であるデメトリオが、昨晩何者かによって殺された」
「っ!」
エヴァリーナの横で縮こまっていたリオネロの耳が、ビッと伸びた。エヴァリーナに長い耳があったなら、きっと同じような反応をしていただろう。
それ程、アドルフォが口にしたことは衝撃的だった。
「デ、デメトリオ殿下が……ですか……」
この国の王家は三人兄弟だ。長子であるアドルフォが国王となり、次男と三男が文武の立場でそれを支えている。アドルフォ同様に二人の弟も聡明で、彼の治世は盤石だと言われていた。
それが何をどうして、弟王子の死――しかも殺人という衝撃的な事態になっているのか。
「犯人は未だ見つかっていない。そなたには、一刻も早くデメトリオを生き返らせてもらいたい」
アドルフォが国王としてエヴァリーナにそう命じる。だが、その内容はどう考えても無理としか言いようがないものだ。
「お、恐れながら国王陛下……もう一度お聞かせください」
不敬だとは思ったが、それでも確かめずにはいられなかった。
「うむ。なんだ?」
「本当に……デメトリオ殿下がお亡くなりになったのですか?」
エヴァリーナは、震える声で問いかける。
アドルフォは片眉をわずかに持ち上げ、怪訝そうな顔でエヴァリーナを見下ろす。そして、再びはっきりと告げた。
「ああ。デメトリオは背後から首を刺されて絶命した」
一瞬で、サアッと血の気が引いていく。
目の前が真っ暗になり、貧血のような立ちくらみを感じたが、エヴァリーナはすんでのところでよろめくのを堪えた。
(デメトリオ殿下が死んだ――!?)
エヴァリーナはデメトリオに会ったことはない。だが、彼のことはとてもよく知っていた。
それは、彼が自国の王子だったという理由からだけではない。
エヴァリーナは、彼に対して一方的に強い思い入れがあったのだ。もしデメトリオに会うことができたら、どうしても一言伝えたいことがあった。
その相手が死んでしまったという事実に、例えようもない喪失感を覚える。
「エヴァリーナ様……」
エヴァリーナの動揺に気づいたリオネロが、心配そうに見上げている。エヴァリーナは大きく息を吐いて気持ちを落ち着けると、リオネロに大丈夫だと告げた。
いくらエヴァリーナといえども、人を生き返らせたことは一度もない。
そんなことができるのかさえ、分からない。
だが、デメトリオを生き返らせることができる可能性が少しでもあるのなら、自分は成し遂げなくてはならない。
エヴァリーナはぎゅっと強く拳を握りしめると、目の前の玉座に座る国王を見上げ、はっきりと宣言する。
「博識の魔女・エヴァリーナ。謹んでその王命、お受けいたします」
「うむ。頼むぞ」
並々ならぬ国王の期待に、エヴァリーナは「御意にござります」と短く返事をした。
1 王子様、生き返りました
国王との謁見を終えた二人は、すぐさまデメトリオの遺体が安置されている塔へと案内された。
彼の死は城内でも極秘らしく、異様な厳戒態勢の中を歩いていく。デメトリオの遺体の周辺は、厳重に警備され、王城の端に位置する〝星見の塔〟と呼ばれる高い塔の、一番上の部屋に安置されていた。
塔の上にしては随分と広い円形の部屋の中央に、ポツリと置かれた寝台。彼は、誰にも死を悼まれることなくひっそりとそこにいた。
その光景を見た瞬間、エヴァリーナの胸に鋭い痛みが走る。
(ああ、本当に……)
血の気のない真っ白な顔は、まるで人形のようだ。
夜会服を着ている彼は一見とても綺麗だが、その首には包帯が巻かれていた。きっと、刺された傷痕を隠すものだろう。
エヴァリーナはこの身体に、彼の魂を呼び戻さなければならない。
「エヴァリーナ様、本当に死んだ人を生き返らせることなんてできるんですか?」
リオネロはエヴァリーナが魔女になった時からずっと一緒にいる相手だ。
当然、エヴァリーナの能力も、その魔法の可能性も、十二分に理解している。そんな彼が心配そうに自分を見ていた。彼も、この王命の難しさを痛感しているのだろう。
「たぶん、大丈夫」
「たぶんってなんですか! この仕事を失敗したらヤバいって分かってて、その適当さなんですか!?」
声を荒らげる弟子に、エヴァリーナはため息をつきつつ言った。
「まあ、ヤバいだろうねぇ……でも、必ず生き返らせるわ、大丈夫、大丈夫」
「一体、その自信はどこからくるんですか……我が師匠ながら本当に適当なんだから……」
リオネロはまだ何か言いたげだったが、エヴァリーナの緩さに毒気を抜かれたらしく、それ以上は何も言ってこなかった。
エヴァリーナは部屋の中央まで行くと、寝台に横たわるデメトリオを確認する。
国王と同じ金色の髪だが、長めの髪を後ろで結っている国王とは異なり、デメトリオの髪は短い。彼の顔は、寝ているようにしか見えなかった。しかし、呼吸でその胸が上下している様子はまったくない。
(本当に死んでいるんだ……)
デメトリオとは、一生会うことはないと思っていた。遠目からでも見られれば幸運、万が一にも面会できたならば、それは奇跡とさえ思っていた。
こんな形で、彼と顔を合わせようとは夢にも思わなかった。
だが、これはただの悪夢でしかない。死んだ彼では意味がないのだ。
(本当に、あなたじゃなかったら絶対に引き受けたりしなかったけどね!)
エヴァリーナはぎゅっと拳を固く握り、リオネロに言う。
「これから、デメトリオ殿下の魂を現世に呼び戻します。リオネロ、下がっていなさい」
「……はい」
リオネロがその言葉に従い、部屋の隅に立つ。
魔法を使う際、必要なのは魔力と言葉だ。そこに面倒な準備など必要ない。
常にそこには、魔法が発動するか、しないかの、二極しかない。
だから今も、エヴァリーナはなんの下準備もなく、魔法に取り掛かる。
緊張を解き解すように大きく息を吸う。そして、吐き出す息とともに、エヴァリーナは魔力を込めた文字と数式を言葉に乗せていく。
魔女は、〝魔法式〟と呼ばれる魔力を込めた文字と数式を言葉に乗せて、魔法陣を描く。魔法陣には、魔法式が複雑な文様で刻まれており、魔法が発動する仕組みとなっていた。しかし、エヴァリーナの魔法はかなり特殊だった。普通、大きな魔法であればある程、魔法式も長くなる。当然それに応じて、唱える言葉も長くなるものだ。だがエヴァリーナは、数え数字と二文字の熟語に、膨大な魔法式を乗せることができた。
それがエヴァリーナの非凡さであった。
「ひとつふたつみっつよつ、『甦生』」
エヴァリーナがそう呟いた瞬間、デメトリオを中心に、文字と数式によって形作られた魔法陣がバババババッと宙に現れる。
青白い光を放つ魔法陣は、天井まで届く程の大きさで、禍々しい雰囲気でもって部屋の中を支配した。
壁際のリオネロが息を呑んだのが分かる。
その魔法陣の前に立ち、エヴァリーナは全身全霊で強く祈った。
(どうか……どうか……生き返って――!)
魔法陣がゆっくりと回転し始めた。バチバチと常ならばあり得ない音を立てて回りながら、デメトリオを包むように、小さな竜巻がいくつも現れては消えていく。
「エヴァリーナ様、何か様子がおかしいです……!」
血相を変えたリオネロが、部屋の隅から駆け寄ろうとした。
「近づいては駄目!」
エヴァリーナは咄嗟に弟子の動きを止める。
ドッドッドッと心臓があり得ない速さで脈打つ。
(身体が熱い――)
自らが紡いだ魔法陣だというのに、エヴァリーナには何が起こっているのか分かっていない。
だが、常ならぬ凄まじい何かが、デメトリオと自分を中心に起ころうとしている――それだけは分かった。
現れては消える竜巻の間で、バチバチッと青い稲妻が走る。
エヴァリーナは、息を詰めてデメトリオを見守った。
死んだ人間を生き返らせる。
そのようなことが本当にできるのか――
いや、生き返らせなければならない。
不遇の死を遂げた王子を、なんとしても生き返らせたいという強い願いが、エヴァリーナの中にあった。
その時、小さな赤い稲妻が、エヴァリーナの胸の中心からデメトリオの胸の中心に向かって伸びる。
「え……?」
次の瞬間、急激に自分の中の何かが失われていくのを感じた。
「エヴァリーナ様!」
ふらついたエヴァリーナに、リオネロが再度声を上げた。だが、彼は駆け寄ってこようとはしなかった。
リオネロも、今が一番重要な時だと分かっているのだろう。
エヴァリーナとデメトリオを繋ぐ赤い稲妻は、しばらくの間、強い光を放っていたが、やがて小さな火花を散らして消えていった。
それと同時に、魔法陣がゆっくりと宙に溶けるように霧散した。
魔法陣が全て消えたのを確認したリオネロが、すぐさまエヴァリーナに駆け寄ってきた。
よろりと体勢を崩したエヴァリーナの身体を、リオネロが支える。
「エヴァリーナ様、大丈夫ですか?」
「ありがとう……リオネロ、魔法陣の魔法式は確認できた?」
「ええ……一応。ですが、とても複雑すぎて全て解読できるかどうか……」
本来魔女は、自分がこれからどんな魔法陣を描くか理解して魔法を紡ぐ。
だが、エヴァリーナは魔女でありながら、ある理由でそれを理解することができなかった。前人未到の魔法を使う偉大な魔女でありながら、彼女の名が広く知られていない理由がそこにある。
そんな彼女を、サポートしているのが、弟子のリオネロだった。彼は、エヴァリーナに代わって彼女の魔法陣を読み解く役割を担っている。
しかし、リオネロはその表情を曇らせた。
「甦生の意味を持つ魔法陣であることに間違いはないのですが、組み込まれた文字の中に〝生贄〟や〝代替〟という物騒な文字が入っていて……」
リオネロは不安げに眉を寄せた。そう言われても、感覚で魔法式を作るエヴァリーナには、よく分からない。
「っ……」
その時、小さな呼気の音が聞こえて、二人は息を呑んで目の前の遺体を見た。
人形のように動かなかったその指が、わずかにピクリと動く。
「エヴァリーナ様っ……!」
リオネロが驚愕を素直に声に出した。
エヴァリーナも目を見開いて目の前のデメトリオを食い入るように見つめる。
「ふ……」
デメトリオが小さく息を吐いたので、リオネロが思わず声を上げる。
「本当に、生き返った……!」
言葉には出さなかったが、エヴァリーナの胸にも熱い思いが湧き上がってくる。
その間にも、デメトリオの胸が静かに上下し始め、氷のように強張っていた身体がわずかに身じろぎをする。
そして、固く閉じていた瞳が、ゆっくりと開いた――
そこに現れたのは、デメトリオ本来の紺碧の瞳ではなかった。
まるで、地平線を染める鮮やかな夕焼けのような色をした双眸がそこにはあった。
「ここは……?」
初めて聞く王子の声。エヴァリーナはおもむろにドレスローブの裾を持ち上げ、恭しく頭を下げた。
「おはようございます。デメトリオ殿下」
「おはよう? 私は一体……それにここは?」
はっきりとしたデメトリオの応答に、胸が震える。
成功した。死んだ人間を生き返らせた!
大きな喜びがエヴァリーナの胸を占めたが、極力それを表に出さないように抑えた。
彼女は、上体を起こしたデメトリオに言う。
「ここは、星見の塔の最上階です。あなた様は一度お亡くなりになり、魔法によって生き返られたところです」
簡潔に状況を説明すると、デメトリオがパチパチと目を瞬かせた。そして、しっかりとエヴァリーナを視界に捉える。
その姿に、思わず息を呑んだ。
間近で見ると、デメトリオの迫力はかなりのものだった。
死んでいた時も美しいと思ったが、確かな意志をもってこちらを見つめるデメトリオは、赤紫色に変わった瞳の色も相まって妖しげな魅力を醸し出していた。
また、騎士として鍛え上げられた肉体は、細身ではあるが、がっしりとしており、背筋がピンと伸びている。上体をただ起こしただけの姿だというのに、デメトリオには王子の風格というものが備わっていた。
「あなたは魔女か?」
彼は、エヴァリーナの言葉から彼女を魔女と判断したらしく、そう問いかけてきた。
思考力もしっかりとしている。その様子に、エヴァリーナは魔法の成功を確信しつつ、淑女の礼でもってデメトリオに応えた。
「はい、博識の魔女・エヴァリーナと申します」
「弟子のリオネロと申します」
二人の挨拶を聞き、デメトリオが小さくうなずく。
「私はデメトリオ・エンランド・ファウネルで合っているか?」
彼は二人を見ながら、そう確認してきた。
「はい」
「私が一度死んだとあなたは言ったが……」
自らの首に手を当てたデメトリオが、エヴァリーナを見つめて問いかける。
「あなたが生き返らせてくれたのか?」
「はい、デメトリオ殿下」
エヴァリーナはしっかりとうなずいた。
彼を生き返らせることができたという喜びが、じわじわと胸を占めていく。
「エヴァリーナ……」
「はい」
名前を呼ばれたので返事をすると、その手をぐっと掴まれる。
「――え?」
気がついた時には、身体をデメトリオに引き寄せられており、そして――
デメトリオの唇がしっかりとエヴァリーナの唇と合わさっていた。
いきなり力強い腕の中に抱きしめられたエヴァリーナは、ただ目を見開いて呆然と目の前の麗しい顔を見つめる。
彼は、冷たい舌で彼女の上唇を舐めると、そのまま口腔に舌を滑り込ませてきた。
「ん……? んんっ?」
(え? え? ええ?)
何が起こっているのか理解できないエヴァリーナは、身を強張らせる。
その間も、デメトリオの舌は明確な意思をもって、エヴァリーナの口腔を蹂躙した。
項を冷たい手で優しくなぞられ、ぞくぞくした感触に肌が粟立つ。咄嗟に逃げようとしたが、上手く逃げられない。
エヴァリーナはただ驚き、与えられる行為を甘受するしかなかった。
(何これ……何これ――!?)
エヴァリーナの熱を奪うように、デメトリオの冷たい舌が悪戯に口腔を刺激する。
「ふぁっ……」
今まで感じたことのない刺激に、エヴァリーナの口から甘い声が漏れた。
そこで最初に我に返ったリオネロが、慌てて叫んだ。
「エ、エヴァリーナ様!」
その声でハッと正気に戻ったエヴァリーナは、ようやく自分に何が起こったのか理解した。
(私、キスされている――!)
信じられない事実に、ただただ、驚愕するしかない。
チュ、と音を立てて唇を離したデメトリオは、熱に浮かされたような濡れた瞳でじっと彼女を見つめてくる。
そして――
「すまない、欲情した」
「きゃ――っ!!」
バチン! と大きな音を立てて、エヴァリーナの手がデメトリオの頬を打った。
その音は、悲鳴とともに部屋中に響き渡る。それだけ音が響けば、当然外で待機していた騎士たちの耳にも届くというもので――
「魔女殿、どうされましたかっ!?」
外に控えていた二人の騎士が、勢いよく扉を開けた。
そこで、上体を起こしているデメトリオを確認し、息を呑む。
だが、さすがと言うべきか、デメトリオの死を秘匿する任務に就いている騎士だけあって、二人は騒ぎ立てるようなことはしなかった。
そんな優秀な騎士たちは現状把握能力も優れていた。
「魔女殿、それは一体どういうことですか?」
二人の騎士たちが険しい顔でエヴァリーナとデメトリオを交互に見つめる。
彼らの視線の先には、はっきりと赤い手形のついたデメトリオの頬。それは、誰が見ても叩かれた痕だとすぐに分かる。
エヴァリーナは赤らめていた顔を一瞬にして青ざめさせた。
「こ、これは……」
「まさか、デメトリオ殿下の頬を打たれたのですか……?」
じりじりと騎士たちが近づいてくる。
相手はこの国の王子だ。下手をすれば不敬罪だ。
いきなりキスをされたから叩いた――では理由にならないことは分かっている。
だけど……!!
「ご、誤解です……! これには深い理由があって」
しどろもどろに言い訳をするが、到底通じるものではなかったようだ。
騎士たちは互いに顔を見合わせて小さくうなずくと、すぐにエヴァリーナとデメトリオを引き離した。
「今すぐ陛下にデメトリオ殿下が生き返られたことを報告します。殿下はその間、別室にて医師の診断をお受けください。魔女殿たちは……しばらく、こちらの部屋でお待ちいただけますでしょうか?」
一気にそうまくし立てた騎士は、エヴァリーナに笑顔を向ける。一応、問いかけの体ではあるが、否は許さない雰囲気に、「はい」と小さく返事をするしかなかった。
かくして、世紀の大魔法を成功させた魔女は、塔のてっぺんに監禁される羽目になってしまった。
※ ※ ※
高い場所から見下ろす景色は素晴らしい。月のない夜空いっぱいに無数の星が瞬いている。
「塔のてっぺんにこんな大きな窓って物騒よね。うっかり腰掛けてよろめきでもしたら、地面に真っ逆さま。ああ、でも魔法を使えばここから逃げられるかしら……」
大きな窓から真っ暗な外を見下ろし、エヴァリーナがぼやく。そんな彼女に、リオネロが冷ややかな声で言い返した。
「エヴァリーナ様が逃げられても、僕は逃げられないんですが」
「あなたは入り口から出ればいいじゃない」
「出られないことはご存じでしょうに!」
リオネロは固く閉ざされた部屋の扉を睨みつける。
エヴァリーナは、部屋の中にいても外の様子が魔法で分かる。同じように、リオネロは長い耳を伸ばして周囲の物音を確認していた。
それで分かったのは、扉の前に一人、塔の下に二人、常に見張りの騎士が立っているということだ。彼らが身につける鎧と紋章から、デメトリオの統括する近衛隊の者たちと分かる。
「どうしてこうなってしまったのかなぁ……」
「どうしてって、エヴァリーナ様が王子様の頬をぶったりするからでしょうが!」
極力目を背けてきた事実を、リオネロがずばりと突きつけてくる。
「だってっ! ああ~、私の初めてのキス……」
窓の縁に突っ伏し、エヴァリーナは呻いた。
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