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1巻

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   第一章 理不尽な家族との決別けつべつ


 最初の結婚では、結婚式を挙げなかった。
 私の生家であるクリプト伯爵家は、私にお金をかけることを嫌がったし、結婚相手であるマルクス伯爵家は、お金がなく貧しかった。
 両親の愛情は、全て可愛い妹の物だった。
 昔から私のモノは、妹が欲しがれば全て妹のモノになった。
 お菓子も玩具も友人も恋人も、何もかも。逆らえば頬を叩かれ、食事を取り上げられ、何日も部屋に閉じ込められる。
 でも、私は不幸じゃなかった。
 私には、幼馴染のカインがいたから。同じ伯爵位を持つマルクス伯爵家の跡継ぎで私の大好きな幼馴染、カイン=マルクス。彼だけは、いつも私の傍にいてくれた。
 だから、彼からプロポーズを受けた時、本当に嬉しかった。
 家族の誰からも祝福されなかったけど、私は貴方と一緒になれるだけで嬉しかった。
 私をあの家から救い出してくれたと思った。
 たとえ、子供を授かることが出来ず、義母から嫁失格とののしられて全ての家の管理を丸投げされようとも、義父からマルクス伯爵家の事業全般を丸投げされようとも、私は貴方さえいてくれれば、それで幸せだったのに。

「今、なんて言ったの?」

 仕事を終え家に帰ると、そこにはカインと腕を組む妹の姿があった。

「ルエルお姉様、ごめんなさぁい。私、カイン様との子供を授かったんです」

 お腹をさすりながら幸せそうに呟く妹。
 まだお腹は膨らんでいないから、赤ちゃんが出来たばかりなのかしら。
 なんて、茫然ぼうぜんとした頭で思った。

「すまない、ルエル。君の事は愛しているんだ。でも、僕はマルクス伯爵家のためにどうしても跡継ぎが必要なんだ! だから、君と離縁し、僕の子供を宿してくれたエレノアと再婚する!」
「お姉様ったら、結婚して三年も経つのに、子供の一人も作れないんですもの。可愛くないだけじゃなくて、女としてもダメなんだねぇ。可哀想なお姉様」

 頭痛がする。愛していると言いながら、別の女を――よりにもよって、妹を選んだカイン。
 形だけの謝罪の言葉と共に、私を傷付ける言葉を平気で吐くエレノア。
 私は、貴方を深く愛していた。
 たとえ子供が出来なくても、貴方と二人なら一生幸せだと思っていた。
 それなのに、カインも結局、私を裏切るのね。
 エレノアは、結局私から全てを奪うのね。
 それなら、もういいわ。全部、いらない。絶対に許さないわ。
 ……ねぇ、見て。私は、貴方と離縁してから一年後の今日、結婚式を挙げるの。
 二回目の結婚は、式を挙げるわ。
 豪華で皆に祝福された幸せいっぱいの、私の結婚式。
 そこで爪を噛みながら、私の幸せを目に焼き付ければいいわ。
 私、貴方と離縁出来て、幸せよ。ざまぁみろ。


 ◇


 クリプト伯爵家、長女。ルエル=クリプト。それが、私の名前。
 クリプト家は、伯爵家の中でもそれなりに裕福な家だった。
 でも、両親が私にお金をかけてくれたことは一度だってない。

「ルエル! あなた、ベール様と仲良くしているらしいわね⁉」
「は、はい。ベール様は私の友人です」
「あなたなんかが侯爵令嬢と仲良くするなんて、おこがましい! ベール様の友人の座を、エレノアちゃんに今すぐ譲りなさい!」
「譲るなんて……友達は物じゃないですし、出来ません」
「口答えしない! 姉なら、妹が欲しがるモノは無条件に譲るのが普通でしょう! 第一、ベール様は本当はエレノアちゃんと仲良くしたかったのに、あなたが横からしゃしゃり出てきたんでしょう? 図々しいわね、エレノアちゃんは泣いていたのよ⁉ 可哀想に!」

 母は、私の言うことを何一つ聞いてくれない。信じない。妹の言い分を全て信じて、頭ごなしに私を叱る。
 私の妹であるエレノアは、両親の良い所だけを集めて出来た、自慢の可愛い娘。
 対して私は、両親のどちらにも似ておらず平凡な容姿をしていた。そんな私を産んだ母は、親族から不貞ふていを疑われ、肩身かたみの狭い思いをすることになった。時が経ち誤解は解けたものの、当時の恨みからか母は私を極端に避けるようになっていた。
 そして、エレノアが産まれてからは、母はより一層私を嫌いしいたげるようになり、全ての愛情は可愛い妹に注がれることになったのだ。
 母にしいたげられる私を見て育ったエレノアは、私を自分より格下の見下すべき相手だと思うようになった。私の物であっても欲しがれば全て手に入れるのが当然で、私が妹より幸せになることは許されなかった。
 妹は、私が親しい友人を作ろうとすると必ず壊しにくる。
 だから私は、いつしか友人を作ろうとしなくなった。作ってもすぐに取り上げられてしまうから、私はずっと一人ぼっちだった。

「ルエル、大丈夫? 元気ない?」
「カイン」

 ――幼馴染である、カインを除けば。
 不思議なことに、エレノアはカインとの仲だけは壊さなかった。
 マルクス家は伯爵家の中でもお金がなく、伯爵としての地位も危うい程貧乏な家。
 その子息であるカインは私と同じように一人でいることが多くて、一人でいる者同士、私達は自然と会話をするようになった。
 カインと一緒にいる時だけが、私が幸せだと思える時間。
 彼からプロポーズを受けた時は本当に嬉しかった。やっとこの家から離れて、好きな人と一緒に暮らせるんだと思った。
 分かってはいたけど、家族の誰からも祝福されず、援助も一切しないと言い切られた。幸いエレノアが賛成したことで母も反対することはなく、父も援助なしならばと頷いてくれたのだ。
 それでも構わない。カインと結婚出来るなら、それだけでこれ以上ない幸せだと思った。
 カインとの結婚が決まり、ほぼ身一つで家を出る時。エレノアが何故、私とカインの仲は壊さず、結婚についても賛成していたのか、その理由を教えてくれた。

「あんな没落ぼつらく寸前の伯爵家にとつぐだなんて、ルエルお姉様にお似合いよ」

 ああ、この子は私が不幸になれば良いと思って、カインとの仲を邪魔しなかったんだ。
 でも、私にとっては理由がどうあれ、とてもありがたかった。私はカインと一緒になれるのなら、たとえ貧乏でも、爵位を取り上げられ平民になっても良いと思っていたから。
 私は、彼の傍にいられるだけで幸せなの。


 ◇


 ――結婚して三年後。

「ルエルさん、あなた、子供はまだなの⁉」
「はい、お義母様」

 お義母様からのいつもの小言を聞きながら、朝・昼の食事の支度をする。

「もう三年よ⁉ いい加減、跡取りを産んでもらわないと困るのよ!」
「はい……申し訳ありません」

 耳が痛くなるくらい、同じ台詞セリフで責められる。言われなくても私が一番傷付いているのに、追い打ちをかけるような容赦ようしゃない言葉を浴びせられる。

「こんなハズレ嫁を貰って、カインが可哀想だ!」

 お義父様からも大きな声で責められた。
 食事の支度を終えると、今度は家を出て、馬車に乗り込み仕事に向かう。
 結婚当初から、私はお義母様とお義父様にはこんなハズレ嫁を貰うなんてと歓迎されず、冷たい扱いを受けた。
 貧乏だったマルクス伯爵家は、裕福なクリプト伯爵家からの援助を期待していたのに、私がクリプト伯爵家で冷遇れいぐうされていて思うようにならなかったことが要因だろう。
 クリプト伯爵家から見放されている私をどう扱っても問題ないと判断したお義母様は、私に掃除そうじ、洗濯、料理、全ての家事を押し付けた。
 お義父様さまからは、マルクス伯爵家が行っていた廃業寸前のボロボロの事業を押し付けられた。
 実家でも家事はしたことがなく、初めは食事の味付け、洗濯物の干し方、掃除そうじの順序。全てにおいてお義母様に怒鳴られ、寝る間も惜しんで床を磨かされたこともあった。
 事業を行ったことも勿論なかったが、お義父様はなんの引継ぎもせずに私に押し付け、業績が悪いのはお前の所為せいだと責めた。

「今日は会議が二件、来客対応が一件……後は、少し慈善活動じぜんかつどうの様子も見て回ろうかしら」

 この帝国では、貴族女性が事業を行うことも珍しくない。
 義両親になんとか認めて欲しかった私は身を粉にして働き、その結果、没落ぼつらく寸前のマルクス伯爵家の財政は持ち直し、業績はうなぎ登りになった。
 今はもう使用人を雇うお金は十分にあるし、私が家事をする必要はないはずだが、お義母様は嫁の務めをサボるなとお許しにならなかった。それでも、仕事を理由になんとかメイドを雇う許可を得て掃除そうじと洗濯を任せ、夕食の時だけ料理人を雇う方向で落ち着いた。
 マルクス伯爵家のために出来ることは全てやっているつもりだが、義両親の最大の望みである子供が出来ない私は、今もずっとハズレ嫁のまま。

「今日はなんとしてでも、早く仕事を終わらせなくちゃ」

 仕事に向かう最中なのにもう帰りの事を考えてしまうのは、今日が、領主であるお義父様に代わり出かけていたカインが帰ってくる日だから。
 最近は、カインがお義父様の仕事を手伝う事も多くなって、今日みたいに一週間泊まりがけで出かける日が増えた。私と同じようにカインも頑張ってるんだなって思うと、自分ももっと頑張らないといけないと自然とやる気がでるから不思議。

「早く、カインに会いたい」


 急いで仕事を終わらせて、いつもよりも早い時間に帰路きろにつく。
 急いでいるのに気づかれて、皆には気を使わせてしまった。旦那様が帰ってくるならと私の分の仕事を引き受けてくれた皆には、改めてお礼をしなくちゃ。
 馬車に揺られ家に着くと、そこには見慣れた馬車が一台停まっていて、ドクンッと心臓が大きく鳴った。

「これ、クリプト家の……私の実家の馬車?」

 どうしてここにいるの? 今更、なんの用があるの?
 実家を出てから一度も、両親とも妹とも顔を合わせていない。
 私は恐る恐る、玄関の扉を開けた。

「カイン様ぁ、大好きです」
「ああ、僕も好きだよ」

 聞きたくもない声が耳に届く。
 いっそ耳を塞いでおきたいのに、どうしても聞き逃せない。
 玄関に入り、二階にある私達の部屋に向かえば、そこには、エレノアがカインの首筋に手を回し、カインがエレノアの腰に手を回し……顔を近付け、口付けを交わす二人の姿があった。
 ――どうして?
 驚きと衝撃で、私はしばらくただ茫然ぼうぜんとその場に立ち尽くした。
 そんな私と視線が合ったエレノアは、笑みを強め、まるで私に見せ付けるように口付けを深めた。

「カイン……どうして……」
「ルエル⁉ え、なんで⁉ 今日はいつもより帰りが早いんだな!」

 貴方に早く会いたいから、仕事を切り上げて帰ってきたのよ。
 私の姿を見たカインは慌ててエレノアから体を離そうとしたが、エレノアはそれを許さなかった。ギュッとカインの腕に手を絡ませ離れられないようにすると、上目遣いで甘えるように声を発した。

「ルエルお姉様、ごめんなさぁい。私が悪いんです。私がカイン様を好きになってしまったから!」
「そんなっ、エレノアは悪くないよ! 僕の方こそ、妻がいる身でありながら君を好きになってしまったんだ! 君は悪くない!」
「カイン様ぁ」

 浮気女の口先だけの謝罪に、それを信じ庇う夫。
 三文芝居さんもんしばいを見せられているようで、胸がムカムカする。


「ルエルお姉様。見てお分かりになるように、私とカイン様は愛し合ってしまったんです。ルエルお姉様なら、私にカイン様を譲ってくれるわよね? 私のお姉ちゃんだもん。お姉ちゃんは、可愛い妹が欲しがるモノはぜーんぶ、あげないといけないのよ」

 私の嫌いな笑顔で、いつもの理不尽な台詞セリフを吐く。
 いつも可愛がられ優先され続けてきた妹は、自分が欲しいと思った物を全て私から奪っていく。
 そうやって貴女は何度、私から大切なモノを奪うの?
 奪われる度に悔しくて、悲しんで、諦めて、やっと手に入れた幸せすら奪っていくの⁉

「どうして、どうしてなのエレノア⁉ 貴女、カインに興味なかったじゃない。それなのに――」
「えーだってカイン様、今、凄いお金持ちじゃない。色々と評判も良いし。それなら、ルエルお姉様より私の方がカイン様に相応しいわよね」

 マルクス伯爵家の財力が持ち直したから?
 没落ぼつらく貴族ではなくなったから、私から奪いにきたの?

「それは、私が頑張ったからよ!」
「ルエルお姉様、しつこい。もう諦めて下さい。私のお腹の中にはカイン様との子供がいるんだから! それにもう手続きだって進んでいるのよ」
「……今、なんて言ったの?」

 子供? カインと、エレノアの?
 私が傷付いた表情を浮かべる度に、エレノアはとても嬉しそうに微笑んだ。
 カインもまた、謝罪と愛の言葉を告げながらも開き直った態度で私との離縁を宣言する。
 どの口が、その言葉をつむぐの?
 愛してると言いながら他の女を、よりにもよって妹を妊娠させて離縁を告げるの?
 再婚を宣言するの? それはもはや、愛ではないでしょう?

「子供のことは私だって気にしていたわ。でも、それならっ! せめて私とちゃんと離縁してから、子供を作るべきだったんじゃないの⁉」
「僕は君が好きだったんだ! 今だって君が好きだ! 僕だって君と離れるのは辛い。君が、子供さえ産めたなら、僕が裏切ることもなかっただろう?」

 まるで、悲劇の主人公みたいなことを言うのね。
 私が悪いの? 私を責めるの? 貴方が、私を傷付けたのよ。
 子供が出来なくて、ずっと申し訳なかった。
 でも、貴方は私を愛してると言ってくれた。だから、ずっと頑張ってこれた。
 たとえ、お義母様やお義父様からハズレ嫁とののしられ、本来お義母様がやるべき家の管理を丸投げされようとも、お義父様に奴隷どれいのように働かされようとも、私は貴方さえ傍にいてくれれば、なんにでも耐えられるし幸せだった。
 それなのに、貴方は一番最低な形で私を裏切った。
 それなら、もういいわ。全部、いらない。絶対に許さないわ。

「分かりました――離縁を受け入れます。それしかないのでしょう?」
「本当か⁉ ありがとうルエル! やっぱり君は、僕の幸せを一番に考えてくれるんだな!」

 今まで大好きだったその笑顔が、今は殺したくなるくらい、憎らしい。

「ありがとうルエルお姉様。そんな優しいルエルお姉様のために、良い縁談えんだんを用意したの」
「……は? 縁談えんだん?」
「そうよ。ルエルお姉様、もしかして実家に戻れるとでも思ってるの? 実家にお姉様の居場所なんてないのに」

 そうでしょうね。両親はきっと私の味方なんてしない。
 不貞ふていを働いたエレノアを責めるどころか味方をし、私が悪いと責めるでしょう。

「帰る場所のないお姉様のために、お父様に頼んだのよ。数日後にはとつぎ先に行ってもらうわね。それまではお姉様をここに置いてあげてって、お義母様とお義父様に頼んでいるから安心して」

 そう言って、エレノアは私にお見合い写真と一枚の紙を手渡した。
 まるで、良いことをしてあげたみたいに、恩着せがましく言う貴女が心底嫌いだわ。

「カイン様、寂しいけど今日はもう帰りますね。この一週間、ずっと一緒で、ずーっと愛してくれて幸せでした。この指輪も大切にしますね」

 薬指の宝石の付いた豪華な指輪をわざとらしく私に見せつける。私には一度だって贈り物をくれたことがないのに、エレノアには贈り物をするのね。
 傷付いた私を堪能し終えた様子のエレノアは、カインの頬にキスをして部屋を出た。

「えっと。いや、エレノアが、領主の仕事をしてる僕を見てみたいって言ったからさ。指輪も、エレノアが欲しいって言うから――」

 残されたカインは、最後にエレノアが残した言葉に焦ったように言い訳を並べた。
 仕事で忙しかったのだと思っていたのに、それも嘘だったのね。私が仕事や家の事に追われていた間、貴方はただエレノアと甘い休日を過ごしていた。
 でも、そんな嘘、もうどうだっていいわ。

「ルエル? やっぱり怒ってるの?」

 うつむき何も話さない私に、カインはまるで何もなかったかのように、普段通りに手を伸ばした。頬に手を当てて、自分の方に顔を向けさせる。
 それは、いつも彼が私の機嫌を伺う時にする行為。

「触らないで」

 聞いた事がないであろう私の冷たい声に、彼はビクッと体を揺らした。

「やっぱり怒ってるんだ」
「怒らないとでも思うの⁉ 貴方は私を裏切ったのよ⁉」
「違うよ! 僕は、本当に君が好きなんだ! 愛してる! でも、君が――」

 子供が出来なかったから?
 好きも、愛してるも、貴方の口から出るその言葉が何よりも嬉しかったのに、今は嫌悪感しかない。吐き気がする。

「出ていって。顔も見たくない」

 そう言うと、カインは渋々だけど部屋から出ていった。
 ここは私達夫婦の部屋だけど、これ以上彼といたら自分が何をするか分からない。

「っ」

 頭が痛い。辛くて、今にも崩れ落ちてしまいそうな体を必死で支える。大きな声で泣き叫んでしまいそうな口を、必死で閉じている。私には落ち込む暇なんてないの。

縁談えんだん……ターコイズ男爵」

 妹に渡された縁談えんだん相手の写真と、一枚の紙を見る。
 紙には、ターコイズ男爵の名前と住んでいる場所だけの、簡易な紹介文のみが書かれていた。これでは、普通の令嬢なら彼がどんな人物なのかは分からないだろう。
 だけど私は、ターコイズ男爵のことを知っている。
 ターコイズ男爵は、御年五十歳。写真ではまだ若く見えるけど、きっと昔の写真を使っているのでしょう。私は今二十歳だから、三十も歳が離れた人。
 それに、ターコイズ男爵には離縁歴が三回ある。全て彼の乱暴な性格が原因だ。妻を道具のように扱い、意に反する事をすれば暴力にうったえる。
 ターコイズ男爵と結婚すれば、どこにも逃げ場のない私は、一生逃げられない。

「あちらからすれば、新しいおもちゃが出来るのは願ったり叶ったりだものね」

 ターコイズ男爵には離縁した妻との間に既に六人の子供がいるから、私と結婚をしても問題がない。対して実家は、厄介者を追いやれる上に結納金ゆいのうきんまで手に入る。私は一体、幾らで売られたのかしら。

「なんとかして、この縁談えんだんを回避しなきゃ」

 私は、絶対にあの二人を許さないと決めた。とことん苦しめてやる。
 だから、このままターコイズ男爵にとつぐわけにはいかない。

「でも、どうしよう……」

 エレノアの言う通り、私は実家には戻れない。
 母親は無条件にエレノアの味方で私を毛嫌いしている。父親は仕事ばかりで、娘である私にそもそも興味がない。出戻りの娘がいると世間体が悪いとでもエレノアに言われ、新しい縁談えんだんを用意したんだろう。

「……絶体絶命ね」

 頭をフルで回転させるも中々良い案が思い浮かばず、落ち着くために、部屋にある小さな椅子いすに腰掛けた。この椅子いすは、結婚当初にカインと一緒に選んだ物――ううん、そんな感傷に浸っている場合じゃない。
 離縁の手続きが進んでいるということは、私が家を追い出されるまで時間がないだろう。仕事はしているけど、元々マルクス伯爵家の事業だから、離縁すれば私には仕事をする権利も立場もなくなる。今だって、事業の利益は全てマルクス伯爵家に入っていて、私個人には銅貨一枚だってない。

「そういえば明日、大きな商談があったっけ……」

 仕事で思い出したけど、明日はとある大物との大切な商談の日。
 ずっとこの日のために準備を重ねて、カインのためにも絶対に成功させてみせる! って強い意志で臨んできた。

「今となっては虚しいだけだけど」

 今更、私が頑張って仕事をする意味なんてない。

「……ルーフェス公爵様」

 私達が暮らすハーレン帝国は近隣国からの侵略しんりゃくもなく、一見、なんの問題もない平和な国に見える。しかし、この国には魔物――人を襲い、街を破壊する凶悪な存在がいるのだ。
 ある年、帝国に魔物が大量に発生した。魔物に襲撃された幾つかの地方の被害はとても大きく、このままでは帝国全体に拡大する――そう危惧きぐされていた。
 そんな中、ルーフェス公爵家当主であるメト=ルーフェス様は、帝国に大きな被害を与えた魔物達を、部下達を率いて瞬く間に殲滅せんめつした。
 この一件で皇帝陛下から深い信頼を勝ち得たルーフェス公爵様は、帝国の平和を守る為にと、あらゆる地方に領地を与えられ、この帝国で一番領地を有する貴族となった。
 魔法、剣技の才能はもちろんのこと、商売の才能もあって、この国で多くの事業を展開している天才。切れ者で役に立たない人間には容赦ようしゃなく冷たい言葉を投げかけるとか、そんな怖い話を聞いたりもしたけれど、美形で身分もあって帝国一番のお金持ちで、そして、独身。
 従業員達も皆揃って、あんな人と結婚したい! って騒いでたっけ。
 実家にいる時は、誰とも関わらずに生きてきたから外の情報をまったく知らなかったけど、仕事をしていると色々な話を自然と耳にする。
 特にルーフェス公爵様は、今後仕事のお付き合いをしていきたい大切なお客様だったから、よく調べたのだ。彼が何故独身でいるのかも。

「――あった! あった! 私が助かる唯一の道!」


 ◇


 次の日。私は早速、義実家の誰にも会わないうちに職場に向かった。もう朝食の準備も昼食の準備もする必要がないから、しない。
 どうせお義母様もお義父様も、私との離縁を手放しで喜んで、エレノアを迎え入れるに違いない。待望の孫を授かっているし、私と違ってクリプト伯爵家から愛されているエレノアなら、カインに相応しいと思っているでしょう。

「――ようこそいらっしゃいました。ルーフェス様」
「ああ」

 今日の大切なお客様、メト=ルーフェス公爵様。
 淡い水色の瞳に、艶やかな黒髪。細身で長身な彼は、上品な黒を基調きちょうとした服装に、瞳と同じ色の宝石のついた高価そうなブローチを身につけていた。
 噂通りに綺麗な顔で、その装いから相当お金持ちなのが分かる。
 きっと、一筋縄ではいかない。でも、私は今からこの人を口説き落としてみせる!
 事前に用意した資料を並べ、今日のために考えておいた新規事業について提案し、マルクス伯爵家とルーフェス公爵家が業務提携ぎょうむていけいすることで生まれる利益と、それに伴うリスクも全て伝える。
 リスクを伝えずに契約することもできるだろうが、後でバレた時に信頼関係を損なう可能性がある。全て伝え、その上で納得して手を取ってもらう。
 これが、私の仕事に対する考え方。

「いかがでしょうか?」

 全てのプレゼンを終え、ルーフェス様の顔色をうかがう。
 ただ黙って、用意した資料に目を通すルーフェス様。
 この緊張の瞬間、いつになっても慣れない!


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