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4巻
4-1
しおりを挟む第一章
爆発的な大人気を誇った異世界召喚系乙女ゲーム『竜の神子』。
その世界の舞台であるラディア王国に、おれ――四ノ宮鷹人は、神子として召喚された妹――四ノ宮貴音に巻き込まれて異世界転移した。そして、転移してから一年が経った。
この国では今、大きな変化が起きている。
国の暗部に根を張っていたゼナード伯爵が隣国の貴族と良からぬ取引をしていたことが明るみになった。
ラディア王国で一番重要な儀式である『竜王の儀』。伯爵はその準備が進む裏で色々と悪意のある策略を巡らせていたようだが、捕縛されたことで全てが暴かれた。彼が操っていた奴隷狩りと奴隷商人も次々と捕まり、少しずつその実態の調査が進んでいる。
神子である貴音は、竜王に力を注ぐ竜王の儀で神子としての役目を無事に終えることができた。
肝心の竜王は儀式の終わりに肉体を持って復活し、同じく身体を復活させた番の神竜を伴って旅に出てしまった……が、時々神殿に戻ってくる約束を交わしたため問題ない、ということになったらしい。
そして、神竜の魂の宿主としての役割から解放されたおれはというと……
「ふーん……確かに神竜の言う通り、孕めるようだぞ」
「う、うそ……」
「残念ながらと言うべきか、幸運なことだと言うべきか分からないが、事実だ」
サファリファスの部屋で検査をしていたおれは、その言葉を聞いて頭を抱えた。サファリファスから同情的な視線を向けられている気がする。
これまで神竜の魂を身体に同居させていた影響で、子どもを産めるような身体になってしまった……だなんて、サファリファスに断言されてもまだ信じられないよ。
「神竜が言うことだから本当かもとは思ってたんだ……思ってたんだけどぉ……!!」
「なら、魔術塔で検査を受けるか? ボクの父親、魔術塔の室長や前に呼んだ竜の専門家に聞けば、もっと詳しく分かると思うが、どうする?」
サファリファスの提案に、すぐに頷くことはできなかった。
サファリファス個人ではなくもっと大きい組織、魔術塔が主導となって検査を行えば、その結果はまさしく魔術塔お墨付き。それを受け入れる覚悟は、正直なところまだできていない。
「ちょっと……考える時間ください」
「それはいいが、できるだけ早く決断することを勧める」
「はい……」
お医者さんが言うような台詞に見送られて、おれはサファリファスの部屋を出た。
扉が閉まると同時に、思わずため息が零れる。
「タカト、検査はどうだったんだ?」
「あ、オウカ」
検査の間、護衛として部屋の前で待ってくれていたオウカは、おれの零したため息の重さが予想以上だったのか、どことなく不安げな表情を浮かべている。
おれは慌てて笑みを浮かべた。
「あ、はは。検査は無事に終わったよ。……神竜の言ってたことは本当だったみたい」
「ってことは……」
「でも前代未聞だから、魔術塔で精密検査することを勧められたんだ。魔術塔の室長とか竜の専門家とかにも診てもらったら分かることはもっとあるかもしれないって」
魔術塔の上層部に位置するサファリファスの工房から長い階段をゆっくり下りながら、サファリファスに言われたことをオウカにも伝える。
この前の誘拐事件を引きずっているのか転移魔法で宿舎に戻ろうとしたオウカを止めて、一緒におれの思考と感情の整理に付き合ってもらうことにしたのだ。
「じゃあまた検査するのか?」
「返事は待ってもらったんだ。ちょっと考えたくて……いや、受け入れる時間が欲しいって言うのが本音かな。急に男だけど孕める身体になったって言われても信じられないよ……」
「それはまぁ……そうだな」
「神竜から聞いた時はまさかって思ったけど、本当にそのまさかなんだもん。女性と同じように出産するわけじゃないって言われても、よく分からないし……。ただ、人間だけど出産の仕方は竜っていうところはホッとしたけど」
「そう……なのか?」
ダレスティア率いる『竜の牙』が、竜たちを連れて任務に出ていた日。
いつも通り子竜たちの世話をしながら騎士団の帰りを待っていると、旅から気まぐれに戻ってきた神竜ハクロがおれのところにやってきた。そして爆弾発言をかましてきたのだ。
曰く、古代竜であり『雌』である神竜の魂を宿していた影響で、男ながらに孕める身体になっている。
知らぬ間に身体が改造されていたおれの気持ちよ……
そうしておれは今日、稀代の天才魔術師であるサファリファスを医者より信頼して検査を受けに来たのだけれど、結果はハクロの言っていることが正しかったということが証明されただけだった。
サファリファスの検査を受けることになった原因を思い出しておれはぼうっと遠くを見る。そんなおれを見て何か言いたげに、オウカは尻尾と耳を忙しなく動かしている。
言いたいことがあれば、言えばいいのになぁ。
「……子どもを産むの、嫌なわけじゃないよ?」
オウカが足を止めた。おれが振り返ると、忙しなく動いていた耳と尻尾をピタッと止めてこちらを見ていた。
「なんで考えてることが分かったかって?」
「……おう」
「オウカは変なところでヘタレだからねぇ~。こういう時何を考えてるかなんて、何となくだけど分かるよ」
どうせ、おれが嫌がるならとか考えてたんだろうな。
怖くないわけじゃない。戸惑いもある。
だけど嬉しくもあるんだ。
「とんでもないことになったなぁって思ったけどね。でも他でもない好きな人達との子どもを産めるってなったら、それはもうとんでもない幸運でしょ」
「……お前は変なところで度胸あるよな」
「そうかな?」
「そうだよ。ハクよりも度胸あるんじゃないか? あいつは鷲だが、突撃は苦手なんだよな。猛禽類の名が泣くぜ」
「あはは」
暗に度胸がないと言われてしまったハクに同情の念を飛ばしたおれは、再びオウカと共に階段を下り始めた。
◇◇◇◇
「検査してもらったらいいじゃない」
もはや日課となりつつある、貴音の妃教育の息抜き担当としてお茶に呼ばれたおれは、魔術塔による検査のことを貴音に相談していた。
妃教育の賜物か、貴音は優雅な所作でお茶を飲む。しかし話の内容はおれの身体についてである。
神竜がおれの身体の変化について暴露した時に貴音も側にいたから経緯を知っているけれど、なんだか誰よりも前のめりだと思うのは、おれの気のせいか?
「全身診てくれるんでしょ? なら、健康診断だと思えばいいのよ。お兄ちゃん、元々社畜だったせいで生活習慣は乱れまくりでボロボロだったでしょ。ちょっとこっちで健康的に過ごしてるって言っても、一度崩れた健康はすぐには戻らないんだから」
「う……それを言われるとちょっと気まずい……」
「なら、さっさと検査を受けてきてよ。ガロンさんだっけ? 竜の生態に詳しい人。あの人を呼ぶのにも時間がいるだろうし」
「……はい」
貴音が言うことももっともだ。
けど、この世界に来てからは大変なこともあったけれど基本的に健康的な生活を送っていて、身体に不調は感じていないんだけどなぁ。
「そもそも、考える時間をくれって言った原因はもう解決してるじゃない。子どもを産めるって事実を受け入れる覚悟ができたんなら、悩む必要なんてないと思うけど」
「ああ、うん、それはそうなんだけどさ。健康診断って言われると余計に二の足踏んじゃいそうになるっていうか……」
「簡潔に言って?」
「不健康だって言われて病気を宣言されるのが怖い」
「お兄ちゃん……」
そんな呆れた目で見ないで……
健康だと思ってたのに実は病気がありましたって言われるのが怖くて、おれは会社の健康診断もできれば行きたくなかったくらいだ。あのブラック会社のなけなしの良心が健康診断だったのは、複雑な気分だったんだけどな。
「それはビビりって言うんだよ、お兄ちゃん……。もし病気だったとしても、早期発見できるんだからいいことでしょ。なんなら、私も一緒に受けてもいいよ?」
「貴音も?」
「魔術塔で検査ってなかなかない経験だと思うし、私もブライダルチェックだと思えばいいわけだし。それならお兄ちゃんもリラックスできるでしょ?」
「貴音~!」
持つべきものは頼りになる妹だな!
そうして「貴音と一緒に魔術塔で検査受けます!」とサファリファスに頼みに行ったおれは、呆れたような目を向けられて「兄思いの妹だな」と言われてしまった。流石に恥ずかしくなり、せめて採血は我慢して一人で頑張ろうと決意した。
その決意空しく、結局オウカに片手で目隠し、もう片手で手を握ってもらうことになり、しばらく貴音にネタにされたのはおれの悲しい黒歴史だ。
サファリファス親子主導で行われた魔術塔による検査の結果を聞きに来たおれは、初めて案内された魔術塔の室長の工房に緊張していた。更に、サファリファスの父で室長のエイベルが神妙な表情でおれの検査結果だろう書類を見ているから、不安になっていたというのに――
「うーん……おめでとう!」
「いやまだ妊娠してないですよね、おれ」
にっこりと微笑まれながら祝福されても困ります。なんかドッと疲れた気分だ……
そんなおれを余所に、オウカがエイベルへ神妙な目つきで問う。
「旦那様、タカトの診断結果はどうだったんですか?」
「うん。まず、孕めることは確定ね。いやー、これには私も感動だよ。まさか人間の身体に竜の器官ができるなんてね」
「竜の器官?」
「それは私がご説明いたしますね」
「ガロンさん」
神竜の卵、そして竜達の発情期の時にお世話になった竜の専門家であるガロン。
人間を検査するだけなのに竜の専門家を呼ぶ意味はあったのかと思ったが、彼の説明が必要になるとは、本当に『まさか』だ。
「タカト様の身体にある竜の器官とは、魔力炉と呼ばれるものです。竜が魔力を溜めて使う器官と言われています。それがお腹の上方にあると思われます」
「魔力炉……」
てっきり子宮があると言われるのだと思っていたけれど、なんだか予想もしていなかった部位の名前が出てきたぞ……? そんな魔法みたいなものがおれのお腹に?
思わずお腹を摩っていると、ガロンが黒板のようなものに竜の絵を描き始めた。地味に上手い。
「魔力炉は、竜のこの辺り……人間で言うと鳩尾辺りにあるとされています。ちょうどタカト様の身体にある位置と同じです。場所が不確定なのは、目に見える器官ではないので死亡してしまった竜では解剖しても見つけられないからです。かといって、生きている竜だと人間に慣れていても触られるのを本能的に嫌がってしまって危険で……なので、魔力量の測定ができる魔道具を使って調べた結果、この辺りにあるのではないかとされているわけです。魔力炉は魔力の塊のようなものですから」
「なるほど……でもなんでそれが、神竜が言っていた『孕める』ってことに関係あるんですか?」
「実はそれは私達にも謎でして……」
「え、謎ってどういうことですか!?」
思わず前のめりになるおれを見て、ガロンは困ったように頬を掻きながら目を逸らした。
「竜の生態については未だ謎が多くてですね……これまでどこで卵を生成していたのかも分からなかったんです。ふと目を離した隙に卵が産まれていますし、雌雄同体であるのに、解剖してもそれらしき器官が見つからなかったので……ですがタカト様のおかげでそれが解明されそうなんです!!」
「つまり、その魔力炉が子どもを宿す器官かもしれないということですか?」
「そうです! 神竜様が仰った『子どもを作れる』という言葉と、タカト様の身体にできた魔力炉という竜の器官。それから導き出されるのは、魔力炉が孕むための器官である可能性が高いということなのです!」
これは大発見ですよ! と、鼻息荒く興奮した様子のガロンの姿は、まさしく研究者のそれだ。新たな発見というものはこれほどまでに研究者を熱くさせるものらしい。いつもの落ち着きのある彼はどこに行ってしまったのかと思うほどだ。
「ハクロが言うには、魔力を捏ねてお腹に入れて性行為をすれば赤ちゃんの魂が宿るってことらしいんですけど……竜に聞いたら、竜はこの段階では魂は宿らないそうです」
「竜の場合は卵を産んでから両親の魔力を注いで心臓を動かす魔力の核を育て、卵が孵る時に子に魂が宿るのだと以前タカト様を通じて竜から聞きましたが、人間は卵を作っても殻を作るということはありませんよね。人間であるタカト様には竜の魔力炉があり出産の方法が人間とは違っても、生まれる子は竜ではなく人間。その違いなのだと思います」
「人間の女性がお腹で子を育てるように、魔力で作られた卵の中で子が育つ。最初のうちは魔力炉で育て、ある程度経ったら卵が体外に出てくるんだろう。竜と人間の性質を併せ持ったタカトくんでなければできない出産方法だ」
まさに奇跡だねとエイベルは微笑んだ。
「人間は受精してから胎内で成長し、産まれるまでの間に魂は宿る。少なくとも、母親のお腹の中で動くのだから、身体のほとんどの部位が出来上がればそれはもう一人の人間として見ていいと私は思っている。タカトくんが産む子が、竜のように卵から産まれたとしてもね」
エイベルの言葉を聞きながら、オウカはふむふむと頷く。
「要約すると、産まれ方も魂の宿る定義も違う。けれど、タカトが子を宿せるというのは間違いないということですね?」
「うん。だから言っただろう? オウカ。おめでとうって」
「あ、ありがとうございます……?」
さっきの『おめでとう』ってそういう意味だったの!?
反射的にお礼を言ったのだろうオウカの声も照れているように聞こえて、おれは顔が熱くなった。
なんだかほっこりとした空気になってない? 顔を上げられないからやめてくれ……
「魔力を捏ねてお腹に入れるっていうのは、子宮の役割を果たす卵を作るためなんだろうね。受精の仕組みは人間の男女と変わらないはずだよ。竜だって卵を作る時は交尾をするんだから」
何事もないかのようにそのまま話を進めるエイベルは、サファリファスよりスルースキルが高い。サファリファスだったら「惚気るのは余所でやれ甘ったるくてかなわない」とでも言うんだろうな……
今ここに彼がいなくて良かった。
「神竜の卵は参考にならないだろうね。自分の産んだ卵に自分の魂を入れて自分の肉体を再び作り出すという、まさしく神にしかできない荒業なんだから」
「そうですね。ですが、卵が孵る時に魂が宿るというところは参考になるかもしれません。神竜様にも聞ければ良いのですが……」
「ハクロは……ちょっと前にまた旅立ってしまいまして」
神竜ことハクロは、夫である竜王と共に今度は南の熱帯雨林に住む竜の住処に遊びに行くと言っていたから、数か月は帰ってこないかもしれない。
肝心な時にいないんだからアイツは……!
「それは残念です……。しかし、ちょうどいいのかもしれませんね」
「え?」
「そうだね。期間は神竜が戻るまで、かな」
おれ達そっちのけで意味深な話し合いをしているガロンとエイベルに、おれとオウカは互いに顔を見合わせた。何の話だろう。
「その間に私も色々と調べてみたいと思います」
「助かるよ。私も息子も竜のことは詳しくないからね。さて、タカトくん」
「え、あっ、はい」
急に名前を呼ばれてびっくりした。
驚いてドキドキしている胸をぐっと抑えようとしているおれを知ってか知らずか、エイベルはにっこり微笑んだ。
「君、最低でも神竜が戻ってくるまで性行為禁止ね」
「え」
思ってもいなかった言葉に、おれはエイベルの顔をぽかんと見つめた。
「ふふっ。君達、まったく同じ顔するね。よっぽど相性が合うみたいだ。うんうん。良いことだよそれは」
『君達』と言われて、再びオウカと顔を見合わせた。おれ、オウカと同じ表情してた。
けれど先に頬を赤く染めて顔を背けたのはオウカのほうだった。
「えっと……ちょっと待ってくださいエイベル様」
「なんだい? オウカ」
「その、性行為禁止というのはどういうことでしょうか」
「言葉通りの意味だけど。あ、これについてはアリスが自分に説明させてくれって言ってたんだった」
「坊ちゃんが?」
「ああ……ちょうど来たようだよ」
エイベルが面白そうに目を細め、ガロンが苦笑いを浮かべたと同時に、背後に気配を感じる。振り返る前に、エイベルがおれの後方に視線を向けた。
「アリス、部屋の中に直接転移するのはやめなさいと言っただろう?」
「名前で呼ぶのをやめてくれたらボクもやめます」
「父親が息子を名前以外でどうやって呼ぶというんだ……?」
息子に難題を突き付けられて真剣に悩む父親を無視して、サファリファスはおれの後ろから前に回る。そして持っていた紙束でおれの額を軽くはたいた。
「いたっ!?」
「坊ちゃん!?」
突然はたかれて呆然としているおれと、そんなおれを「ふんっ」と見下ろすサファリファス。おれは何かサファリファスが怒るようなことをしてしまったのか?
おれはエイベルに助けを求める視線を向けたが、息子の暴挙に思考が戻ってきたらしい彼は「あらら」とただ困ったように笑うだけだ。
「タカト」
「は、はい……」
「お前、元の世界で一体どんな生活していたんだよ」
「へ?」
おれのとぼけた返事にイラっとしたのか、サファリファスはまた書類の束を振りかぶる。反射的に額を両手で覆うと「チッ」と舌打ちされた。ひどい。
「アリス、怒りたい気持ちは分かるが落ち着きなさい」
「……チッ」
怖いってば!!
慄くおれを余所に、サファリファスは眉根を寄せて、苛立たしげに口を開いた。
「タカト、お前の身体は一言で言えば不健康。少なくとも健康的とはお世辞にも言えない」
「……え?」
「坊ちゃん、タカトはそんなに悪いのか!?」
オウカは顔を真っ青にして、サファリファスに詰め寄っている。
なるほど、サファリファスの機嫌が悪いのは、おれの健康状態がとんでもなく悪かったからかぁ……
「傍目には健康に見えるだろうな。騎士団宿舎で満足な食生活を送れているし、運動も十分に行っている。夜の運動だろうけどな」
一言多いです、サファリファスさん……
「これ以上ないほど健康的な生活を送っているのに……どうしてこんなに身体の内側がボロボロなのだろうな?」
「え、えっと……」
「もちろん、神竜の宝玉代わりになっていたことも原因の一つではあると思う。新たな器官も知らぬ間に増えていたくらいだもの。けれどそれ以外にも原因があると思える結果がこれなわけだよ」
そう言いながら、エイベルが書類を一枚オウカに手渡す。それを見て、オウカは眉を顰めた。
更に一枚、また一枚……とエイベルとサファリファスからおれの検査結果を手渡されてはじっくりと眺め、眉間の皺を深めていく。
その様子を眺めて、おれの不安は段々と増していっていた。
「ねぇ、オウカ。おれってそんなに悪いの?」
「……これまで健康的な生活を送ってきたにしては、悪いと思う」
「研究中は不健康代表と言われる魔術塔の魔術師達でもここまではなかなかならないぞ。相当キツイ生活をしていたんだろう。身体的にも精神的にもな」
確かにおれは、この世界に来る前はブラック企業で働く社畜だった。毎日無理をしていた自覚はある。
ギリギリなんとか働けている状態で、貴音が時々様子を見に来てくれなかったら、この世界に来る前に身体を壊していた可能性は否定できない。
けれど、この世界に来て健康的な生活を送っているうちにそんな生活のことは忘れていたくらいだ。だから、その時の無茶が今ここでおれに襲い掛かってくるなんて、思いもしなかった。
「魔力炉に問題があるわけじゃないけど、総合的に見て今の状態では子どもを宿すことは危ないかな」
「竜達も卵を産んだ後は疲弊しています。タカト様は通常の妊娠出産とは違いますが、気力と体力が必要なことは違いありません。ですから、身体の内側を治す療養が必要だと私達は判断いたしました」
「お前に必要なのは休息だ。過度な運動は禁止であって、性行為は最も避けるべき過度な運動だ。だから、自然的に湧き起こる性欲を処理する以外の性行為を禁止する」
できないとか言わないよな、と言わんばかりにサファリファスに睨みつけられて、おれとオウカは首を縦に振る以外の選択肢を奪われた。
こうして、おれ達の『えっち禁止期間』が突然始まってしまった。
ちなみに貴音は超健康だったため、兄妹でここまで違うのはどうしてかと更にサファリファスに睨まれることになった。
「しばらくエッチ禁止です。ごめん」
ベッドの上で深々と土下座して謝罪するおれ、を見ているロイとダレスティア。
今日も任務に出て頑張ってきた二人が、任務の後処理を終えて落ち着いた頃にオウカに呼んできてもらった。そして二人が部屋に入ってきた瞬間、土下座をかましたのである。
呆気にとられていた二人だったが、段々頭をシーツにめり込ませていくおれに気が付いて、おれの両肩に慌てて手を当てて、姿勢を戻そうとした。
「あ、謝らないでください!」
「ああ、そうだ。謝る必要はない」
手を取って、背中をさすって、頭を撫でて。
困惑しているだろうに何も聞かずにただ甘やかしてくれる二人に、おれは感激のあまり泣いた。
「二人とも優しすぎるってぇ……! うわぁぁん!!」
「……っ!?」
「うわっ!?」
感情が高まるままに二人の首に抱きついて、その勢いのまま押し倒してしまった。
ベッドに三人で転がる。そのまま猫のように首に懐いているおれの頭の上で、二人がくすっと小さく笑った。
「何やってんだ?」
「オウカぁ~」
「この少しの間に何があったらこんな状況になるんだよ……」
びしょびしょに泣いているおれと、首に抱きつかれて押し倒されているダレスティアとロイを呆れた表情で見下ろしたオウカは、静かに開けたままの扉を閉めた。
「タカト、二人を放してやれ。話ができないだろ」
「私はこのままでも構わない」
「同じく」
俺が気にするわ! というオウカの渾身のツッコミを聞いて、涙が引っ込んで笑いが出てきた。だって、このやり取りを聞いて笑わないほうが難しいでしょ。
ダレスティアとロイの首から腕を外して起き上がると、二人は少し残念そうにおれを見上げた。さっきの言葉は本当だったのか。それにしてもイケメン二人を見下ろすのは眼福すぎるな……
「タカト、坊ちゃんから貰った薬を飲まないといけないだろ。水持ってきたから先に飲め」
「あ、忘れてた」
オウカに言われて、おれは慌ててベッドから降りた。絶対に飲み忘れるなと言われて渡された薬の存在を忘れるなんて……危ないところだった。
ベッドサイドにある棚の引き出しから薬が入った紙袋を取り出しているおれの後ろでは、オウカがダレスティアとロイに詰め寄られていた。
「薬を飲まないといけないほど、タカトの体調は悪いのか?」
「あの薬は、サファリファス殿が作られたのですか? 危険性は一つもありませんよね?」
「あー! それも全部これから説明するっての! とりあえずタカトが薬飲んでる間にこれに目を通しておけ!」
「これ」とはもしかして……検査結果かな……
今から飲む分の薬を用意して振り返ると、ダレスティアとロイはそれぞれ見覚えのある紙束を無言で見ていた。早いスピードで捲られていく紙の音だけが響いている。
オウカを見ると、水が入ったコップを渡された。
なんでおれの検査結果を見せるの! と目で訴えてみたけれど、さっさと薬を飲めと視線で返されただけで、黙って目を逸らされてしまった。
見られてしまったものは仕方がない。おれはできるだけ二人から目を逸らして薬を飲み、無駄にゆっくり残りの水を飲み干した。
「飲んだな?」
「うん」
おれがコップをテーブルに置いたことを確認したオウカは、薬袋に入っていた紙に印をつけた。飲み忘れていないかの確認用らしい。
ちなみに、サインはダレスティアかロイかオウカのものしか認められていない。特別配合の薬だからという理由もあると聞いた。
「タカト、こちらに」
「……はい」
真剣なロイの声が聞こえて、覚悟を決めて彼のほうを見る。声と同じく真剣な表情をしたロイがおれを見つめていた。ダレスティアも検査結果の紙に向けていた顔を上げ、おれに目を向ける。
先ほどまで二人とおれとの間にあった甘い雰囲気は、完全にどこかに行ってしまった。
竜の牙の団長と副団長からの無言の圧は、恋人という関係もあって怖くはないものの居心地が悪い。お説教の気配だ。
「タカト」
「……はい」
「まずは、貴方が壊れる前にこの世界に来られたことを褒めたいと思います」
「……え?」
思いもしていなかった言葉に、伏せかけていた目を反射的に上げると、ロイは微笑みを浮かべていた。いつもロイがおれに向けてくれる表情だ。
その笑みに毒気を抜かれて、肩の力が抜けた。そんなおれを見て、ロイが微笑みを苦笑いに変えた。
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