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1巻

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   プロローグ 前世の記憶を取り戻した代償 


 ――ごめんなさい、お父さん! いっぱいいっぱい謝るから! 
 だからお願い、ここから出してー! 怖いよー!! お腹すいたよー!!


「お願いっ、誰か助けてー!」


 はぁっ、はぁっ、はぁっ。
 ああ、夢か……
 怖かった。まだ手が震えてる……顔も汗でベタベタだ。
 一体あの夢はなんだったんだろう……
 ものすごく怖かった。
 僕はふらふらの身体でベッドから降り、近くにあった姿見に自分の身体を映した。
 その瞬間、自分の頭の中に大量の情報が流れ込んできた。


「思い出した……あれは、僕だ……」


 僕はカイト。
 どんな漢字だったかも覚えていないけれど、僕は確か十八歳で生涯を終えたんだ。
 物心ついた時にはお母さんと二人っきりで過ごしていた。十二歳の時にできた新しいお父さんになかなか馴染むことができなくて、毎日毎日泣いて謝ってばかりだった。
 最初は僕の味方をしてくれていたお母さんも、弟が生まれた頃から僕よりも弟ばかりに目を向けるようになった。
 お父さんは、中学校に通い始めて少し身長が大きくなった僕が気に入らないと言って、顔を合わせるたびに僕を殴りつけた。虐待していることがバレると面倒だと思ったようで、その傷が治るまでは外に出してもらえず、学校も休みがちになった。
 その後、お父さんは僕の食事が多すぎるから成長するんだとお母さんを怒鳴りつけた。そのせいで、食事はほとんどもらえなくなった。満足に通えないままに中学校を卒業した後は、完全に外の世界と切り離され、小さな納戸で生活させられるようになった。
 扉には鍵がかかり、窓も電気もない真っ暗な部屋の中で放置された。扉につけられた猫用の小さな出入り口から猫まんまのような食事を与えられるだけの日々。
 最初は夢で見たようにここから出してほしいと泣き叫んだ。でもどれだけ叫んでも出してもらえないとわかってからは、もう声を出すことも諦めた。
 耐え切れないほど気温が高い日は裸で床に寝転んで涼を取り、息が白くなるような寒い日は納戸に置いてあったボロボロの段ボールを身体に巻きつけ、部屋の隅で丸くなって過ごした。
 もはや自分が人間であることも忘れるほどの生活の中で、けれど僕はしぶとく生きていた。
 しかし、何年か経つ内に一日一度あった食事が数日置きになり、最後には水すらも与えてもらえなくなった。
 指一本さえ動かせなくなり、床に倒れたまま動けず僕はここで死ぬんだ……そう思った瞬間、数年ぶりに納戸の扉が大きく開いた。
 やっと出してもらえる。そんな希望に最後の力を振り絞って必死に腕を伸ばしたけれど、
 ――どうだ? 成人を待たずに死ぬのは。お前の誕生日なんてもう一生来ないんだよ! 
 という大声と共に、伸ばした腕を蹴り飛ばされて僕はそのまま命を落とした。
 あの継父の嘲笑あざわらう顔がカイトの人生の最期の光景だった。


 そんな記憶が一気に甦ってきて、僕は震えが止まらなかった。
 震える身体で僕はもう一度鏡を見た。
 鏡に映る今の僕の髪はふわふわとして柔らかな金色だ。瞳も薄い茶色。
 夢の中で見たカイトは真っ黒な髪で真っ黒な瞳をしていたけれど、鏡に映る僕はどう見ても日本人じゃない。でも、顔はなんとなく似ている気がする。
 そうか、僕は死んでこの子に生まれ変わったんだ。
 カイトの頃の記憶を思い出したせいか、この子がどんな子だったか、今はまだ思い出せない。
 名前はなんだったっけ……
 必死に今の自分の名前を思い出そうとしながら、よろよろとベッドへ戻った。その時突然部屋の扉が叩かれ、僕は驚きのあまりベッドからドシーンと大きな音を立てて落ちてしまった。
 その音に扉の向こうにいた人も驚いたのか、慌てて部屋に入ってきた。

「ルカさまっ! 大きな物音がいたしましたが、お怪我はございませんか?」
「驚かせてごめんなさい。ベッドから落ちてしまっただけなので大丈夫です」
「はっ? ル、ルカさま?」

 その人は目を見開いて驚きつつも僕の手を取って身体を引き上げ、ベッドに寝かせてくれた。

「ありがとうございます」
「あ、あの……ルカさま。どこかお具合でも?」

 ただお礼を言っただけなのに、ものすごく心配そうな顔をしている。
 一体どうしたんだろう? 
 それにさま? ルカってきっと僕の名前なんだろうな。
 優しそうなおじいさんだけど、この人は誰だっけ?

「大丈夫です。ちょっと怖い夢を見ただけなので心配しないでください」
「怖い夢を? それでそんなに汗をかかれているのですか?」

 汗? そういえばベタベタしているかも。

「ルカさま、そのままではお風邪を引いてしまいます。お風呂に参りましょう」
「はい。お願いします」

 急いで起き上がっておじいさんを見ると僕の言葉にひどく驚いているようだった。

「ルカ、さま……あの、本当に……ルカさまでございますか?」
「――っ!」

 思わずビクッとしてしまった。
 やっぱり僕がいつもの様子と違うと気づかれちゃったんだ。もしかして追い出されちゃう?

「あの、僕……」
「お顔立ちはルカさまに間違いございませんが、いつものルカさまとは、その……明らかに違いすぎて、何かお心当たりがおありでしたら、どうかこの爺にお話しいただけませんか?」

 さっきまでの驚いた表情からこちらを気遣うような柔らかな表情へと一気に変わったおじいさんを見てホッとする。

「あの、信じてもらえないかもしれないんですが……」

 僕はついさっき夢で思い出した前世の自分の記憶と、そして今の記憶が全くないことを説明した。


「カイトだった頃の記憶が戻ったからか、その、ルカ? だった頃のことが思い出せなくて……あなたのことも全然覚えていないんです。本当にごめんなさい」
「まさか、そのようなことがあろうとは……。それにカイトさまがそんなにもお可哀想な目に遭われていらっしゃったなんて……。さぞお辛かったことでしょう」

 おじいさんは汗まみれの僕の身体を気にする素振りもなく抱きしめてくれた。
 その温もりになんとなく懐かしく、そして嬉しい気持ちになった。

「あの、信じていただけるのですか?」
「もちろんでございますとも!! あなたさまがルカさまであろうと、カイトさまであろうと、私はあなたさまが幼き頃より見守り続けてまいりました爺でございますぞ」
「嬉しいです。ありがとうございます」
「くっ――!!」

 涙を潤ませながらお礼を言うと、おじいさんはなぜか息を詰まらせて顔を真っ赤にした。

「あの? おじいさん? 僕、何か変なこと言っちゃいましたか?」

 気になって尋ねたけれど、おじいさんは顔を横に振っただけで、すぐに笑顔に戻った。

「ルカさま。私のことはセスとお呼びくださいませ」
「セス、さん?」
「セスだけでよろしゅうございますよ。それではお風呂に参りましょうか」
「あ、はい」

 セスに手を引かれ、僕は寝室の隣にあるお風呂場へと連れていかれた。
 自分で脱ごうとしたら、セスが僕の服のボタンに手をかけ始めた。

「な、何をするんですか?」
「……? お風呂に入られますのでいつものように私がお手伝いを……」
「だ、大丈夫です! 自分で脱げます」
「ですが、お一人では危のうございます」
「で、でも……ルカって、今いくつですか?」
「ルカさまは明日で十八歳におなりになります」
「十八? じゃあ、一人で入れるから大丈夫です!」
「ですが、お風呂にはお手伝いの者と共に入り、おぐしとお身体を洗わせていただく決まりとなっております」

 ええーっ、そんな決まりがあるの?? 
 いやいや、さすがに恥ずかしいってば。カイトの時だって小学生になったら一人で入ってたのに。

「無理です、無理です! あの、本当に一人で入れますから大丈夫です!!」

 必死に抵抗すると、セスもしぶしぶ諦めてくれた。

「畏まりました。それではお風呂から出られましたら、お声がけください」

 ふぅ……よかった。もうすぐ十八歳になるっていうのに、人前で裸になるどころか身体を洗われるなんて恥ずかしすぎる。
 しかも今は自分自身でさえ見慣れない身体だし……
 僕はセスがお風呂場から出ていったのを確認して、服を脱いだ。
 自分の身体だけど、他人の身体を覗き見しているようで申し訳なくなる。脱衣所にあったタオルで身体を隠しながら中に入った。

「わっ! 広いっ!」

 そこにはまるで銭湯のように広々とした浴槽があり、洗い場も含めて想像以上の広さに驚いてしまった。
 これが普通の家のお風呂?? ああ、だから湯船が広すぎて溺れるってこと? 十八にもなって危ないってそういうことなのかも。
 そうか、そういうことなら余計に気をつけないと! 溺れてセスに来てもらう事態になったらもう一人で入るなんてできなくなるかもしれない。
 さっと汗を流し、溺れないように足元を確認しながら湯船に浸かった。
 手足を大きく広げてもまだあり余るほど広い浴槽に感動しながら、僕はルカという人物を思い出そうとした。
 けれど、やっぱり何一つ思い出せない。
 どうしたらいいんだろう……。ルカのお父さんとかお母さんは息子が自分のことを忘れていたらショックだろうな。でも正直に話したほうがいいんだよね。
 セスは信じてくれたけど、自分たちの息子が記憶喪失なんて信じたくないと思っちゃうかもな。
 はぁーっ。これからどうなるんだろう。
 悩んでいても答えは出ないけど、何かしら考えずにはいられない。
 とりあえず本当のことを話すしかないか。よし、やるしかない。
 僕はザバッと勢いよくお風呂から出て、脱衣所へ向かった。大きくて綺麗な肌触りの良いバスタオルで身体を拭きながら、着替えがないのを思い出した。

「あ、あの……せ、セス……」

 身体をバスタオルで包み込んで小声で呼ぶと、すぐにセスがやってきた。

「はい。ルカさま、お風呂はお済みになりましたか?」
「は、はい。あの、着替えが……」
「お着替えはこちらにご用意いたしました。お召替えのお手伝いをいたします」
「えっ? いや、自分でやります」
「ですが、こちらの服はお一人では難しいかと存じます。それでは下着だけお着けください」

 セスは僕に下着を渡すと後ろを向いてくれた。
 下着だけでも穿いていたら恥ずかしさも半減だよねとほっとしつつ、急いで下着を着けセスに声をかけた。
 セスは表情を変えずにさっと服を着せてくれて、僕はあっという間に王子さまのような服装を身に着けていた。

「さぁ、これでよろしゅうございます」
「あ、ありがとうございます」

 なんだか恥ずかしがってる僕がおかしいみたいだ。慣れたら僕も恥ずかしいと思わなくなるのかな? それにしてもこの衣装、すごすぎなんだけど……

「あの、ここってどういう家なんですか?」
「どういう家、と申しますと?」
「あ、いや……部屋も浴室もあまりにも豪華だし、洋服もすごすぎて一般人ではないみたいだから……どんな方のお家なのかなって」
「ここはユロニア王国唯一の公爵家、フローレス家のお屋敷でございます。ルカさまはこのフローレス家のご嫡男でございますよ」
「ええーーっ?? こ、公爵って……確か、王家の次に偉いんじゃなかったですか?」
「はい。よくご存じでございますね。現国王さまでいらっしゃるグレン国王陛下はルカさまのお父さまのお兄さま、つまりルカさまの伯父さまでございます」
「――っ!!」

 こ、国王さまが……伯父さま。
 な、なんで僕がそんなすごい人のところに生まれ変わったんだ?

「あの、ルカさま? どこかお具合でも?」
「だ、大丈夫です。ちょっとあまりにも以前の僕の境遇と違いすぎて驚いただけです。あの、セス……それで、僕のお父さんとお母さんはどちらにいらっしゃるのですか?」
「ただいま旦那さまは外に出られております。奥さまは……ルカさまをお産みになってすぐに逝去せいきょされました」
「えっ、それって、もしかして、僕が、生まれたせい……ですか?」
「いいえ、滅相もございません。奥さまは元々お身体が弱かったのですよ。それでもルカさまがお生まれになったのを、それはそれは喜んでおいででございました。ですから、そのようなことを仰せられましたら奥さまがお怒りになりますよ。ルカさまがお幸せになることを奥さまはずっと望んでいらっしゃいましたから」
「はい、ごめんなさい……」
「今のルカさまは、本当に聞き分けが良くていらっしゃる」
「それって、どういう意味ですか?」
「いいえ、なんでもございません。そろそろ旦那さまがお戻りになられますよ」
「お父さん……。いえ、お父さまにも本当のことを言ってもいいですか?」
「はい。でもルカさまが仰らなくても、旦那さまはすぐにお気づきになりますよ」

 そうか、そうだな。心が通った家族ならすぐに僕の変化に気づくはずだ。
 だって、僕はルカとしての記憶が一切ないんだもん。

「ルカさまはお部屋でお待ちくださいませ。旦那さまがお戻りになりましたら、すぐにご報告に参ります」
「わかりました。ありがとうございます」

 何から何まで優しいセスに笑顔でお礼を言うと、セスはまた少し赤い顔をしながら頭を下げ、部屋を出ていった。




   第一章 婚約者と初めましてのご挨拶


   ウィリアムサイド


「ウィリアム団長、父上の突然の呼び出しはなんだったんだ?」
「アシュリー特別顧問」
「おい、その呼び方はやめろ。私たちは従兄弟だし、実力はお前のほうが上だろうが!」

 アシュリーの母ミア王妃と私の母エマは非常に仲のよい姉妹で、同じ年でもあったアシュリーとは兄弟のように育てられた。
 王子であるアシュリーは共に王国騎士団に在籍し、特別顧問として団長である私をうまく導いている。公の場では私がアシュリーを「王子殿下」と敬称をつけて呼ぶことを渋々認めているが、それ以外の場所ではアシュリーのほうが私を「団長」とからかい混じりに呼んでいる。
 それはアシュリーが私の実力を認めてくれていることの表れでもあった。

「わかったよ」
「それで、父上の呼び出しはなんだったんだ?」

 訓練中に陛下からの火急の話があるという知らせが届き、私が飛び出していったから気になっていたんだろう。早く教えろと言わんばかりにせっついてくる。

「縁談だ」
「ああー。お前、結婚には興味がないから誰でもいいと父上に話していたもんな。それで、誰を紹介されたんだ? 前からお前に言い寄っているトレス伯爵家のリリアか? それともこの前騎士団の練習を見にきて、お前にアピールしまくっていたハリス子爵家のなんていったか……ああ、サレイシャ?」
「ルカさまだ」

 私が端的に名前を告げた途端、アシュリーの表情から笑顔が消えた。

「……はっ? ちょっと待て。今、ルカって聞こえたが、私の聞き間違いか?」
「間違いじゃない。フローレス公爵家のルカさまだ」
「はぁっ?? うそだろっ?? ウィリアム! なんでお前があいつなんかと!」
「アシュリー、あいつなんて言うな。陛下とフローレス公爵さま直々のお話だぞ。断る理由もないだろう」
「だからって、なんでお前があんなやつと! あいつの酷い性格をお前だって知っているだろう? ルカはお前の相手にふさわしくない! 父上に文句を言ってくるからそこで待ってろ!」

 力強い足取りで陛下の元へ向かおうとするアシュリーの腕を慌てて掴まえ、なんとかその場に留まらせた。

「やめろ、アシュリー。もう決定したことだ。今更お前が話したところで覆りはしない」
「お前、それでいいのか? あのルカだぞ! そりゃあ顔は驚くほど美人だから見ている分には悪くないが、公爵だって匙を投げるほどわがままなやつだぞ。お前なんか、選ぼうと思えば選び放題なのに、父上はなんでお前にあのルカのお守りをさせるんだ?」

 アシュリーがここまで怒りをあらわにするのも無理はない。フローレス公爵家のルカさまといえば、一人息子で溺愛されて育ったためにわがまま放題の暴君だと言われている。
 以前、王家主催のパーティーでもジェラール伯爵家のレジーを相手に、無理やり土下座をさせた騒ぎを起こしているため、それが噂ではないのは明らかだ。そんな相手が私の縁談の相手だというのがアシュリーには許せないのだろう。
 私自身、陛下から話を賜った時は驚きもしたが、フローレス公爵さまからこの話を受けた後は、すぐにでも公爵家に入って婚約者として生活を共にしてほしいとまで言われた。そうなれば、もう受け入れる選択しかあり得なかった。

「公爵家との縁談は身分の制約もある。伯爵家以上の子息女たちの中でルカさまを大人しくさせられる者がどれだけいると思う? 陛下と公爵さまが私しかいないとお考えくださった上での縁談ならば、その命を全うするだけだ。そうだろう?」
「はぁーっ。ウィリアム……。お前のお人好しな性格はわかっていたよ。仕方がない。せいぜいルカがおかしなことをしないように私も目を光らせてやるさ」
「ありがとう。だが、ルカさまは……」
「んっ? なんか言ったか?」
「いや、なんでもない。じゃあ、ちょっと準備があるのでこれで失礼する」

 アシュリーはまだ何か言いたげだったが、私には時間がない。すぐにでもフローレス公爵家で生活を共にする準備に入らなければならない。私は急いで自宅へ向かった。

「父上。少し急ぎのお話が……」
「なんだ、ウィリアム。突然帰ってきたかと思えば騒々しい。今月は戻らないのではなかったか?」
「はい。ですが、少し……いや、かなり状況が変わりまして」
「どうした? 詳しく話しなさい」

 私はできるだけ父上を驚かせないように努めて冷静に話をしたのだが、

「……お、お前が……あの、ルカさまと……結婚? フローレス公爵家に婿に行くというのか?」

 父上は半分血の気が引いた表情で問いかけてくる。

「はい。陛下とフローレス公爵さまからの直々のお話でしたのでお受けいたしました。相談もせず、申し訳ありません」
「……いや、お前が決断したことであれば、私は特に何も言うつもりはない。フローレス公爵がお前に頼むくらいだ、ルカさまの所業によほど困り果てておいでなのだろう。お前がそこまで見込まれたということだろうな。だが、後継はどうなさるおつもりだ?」
「それは……問題ないと仰っておいででした」

 この縁談話では私もそこが気になった。公爵家を存続するには必ず跡取りが必要だが、フローレス公爵家にはルカさましかお子がいない。
 けれど、男でも孕むことができる王家の秘薬があると公爵は仰っていた。私もその存在を初めて知ったことを考えれば、おそらくその秘薬は王族でもごく一部の者だけが知りうるものなのだろう。
 だからこそ、私は父に秘薬の存在を今は黙っていることにした。

「そうか、それなら良い。まぁ、アシュリー殿下にお子が生まれれば、公爵家の後継にもできよう。お前が公爵家に婿に入ることで丸く治まるというのならば、私としても鼻が高い」
「父上、ありがとうございます。それで、フローレス公爵さまはすぐにでも公爵家に入り、ルカさまと生活を共にしてほしいと仰っていまして、私もそうしようと思っています」
「そうか、わかった。結婚前から生活を共にするのは極めて異例ではあるが、公爵さまにも何かお考えがあるのだろう。お前はすぐに荷物を纏めなさい。あちらで必要なものがあればすぐに連絡をしてくれ。オルグレン侯爵家として、お前を送り出すのに必要なものは用意しよう」
「何から何までありがとうございます」
「いや、私にできることはそれくらいだからな。お前も頑張るのだぞ」
「はい。ありがとうございます」

 父上がこうもすんなり了承するとは思っていなかったが、相手がフローレス公爵家で、しかも陛下からの直々の縁談とくれば仕方のないところもあるのだろう。
 これで憂いなく公爵家に行くことができる。
 しかし、肝心のルカさまは私が婿だと了承するだろうか。それだけが心配だ。


   * * *


 しばらくして、部屋の外が騒がしくなった。きっと、お父さまが帰ってきたんだ。
 お父さまって、どんな人だろう……
 カイトの記憶にあるあの怖い継父とは絶対に違うとわかっているけれど、どうしても気になって仕方がない。
 僕はそっと部屋から出て音の聞こえるほうに向かうと、階段の下でセスが誰かを迎え入れているのが見えた。

「旦那さま、おかえりなさいませ」
「ああ、セス! これで我が公爵家も安泰だ」

 あの人が、ルカのお父さま……。ものすごく笑顔だし、優しそう。

「何か良いお話でもございましたか?」
「ああ。部屋で話そう」

 お父さまは嬉しそうな表情を見せると、すぐにセスと一緒にどこかに行ってしまった。
 そのままここにいるわけにもいかなくて、僕はそっと部屋に戻った。
 部屋にいても落ち着かないのは、ここが自分の部屋だという感覚がないからだろう。僕はソファーに小さくなって座った。
 お父さまとセス……今頃、なんのお話をしているんだろう。
 なんだかドキドキしてきちゃったな。
 すると突然部屋の扉が叩かれ、思わず声を上げてしまった。

「ひゃいっ!」
「ルカさま? 何かございましたか?」
「あ、違うんです。ちょっとびっくりしちゃって……」
「驚かせてしまいまして申し訳ございません」

 セスは何も悪くないのに頭を下げるので困ってしまう。

「そんなっ、僕が勝手に驚いちゃっただけですから、気にしないでください」
「承知しました。それでは旦那さまがお帰りになりましたので、ご案内いたします」
「は、はい」

 とうとうお父さまと会うんだ。そう思ったら、身体が震えてきた。


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