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   第一章 借金のカタとして、結婚します


 太陽の光を浴びて、長い金色の髪がきらきらと輝く。
 ゆるく波打つ髪がふわりと風に吹かれてなびき、大きなエメラルド色の目が楽しそうに細められる。
 女性としては平均的な背丈に、きゃしゃな身体つき。
 見る者を魅了するような愛らしさが彼女にはあった。
 そんな彼女は姉のお下がりのワンピースが汚れるのもお構いなしに、飛びついてくる大きな犬を受け止めた。

「ふふっ、アルフったら!」

 犬――アルフの頭をわしゃわしゃとでると、「わんっ!」と嬉しそうな鳴き声が返ってくる。
 彼女はセレニア・ライアンズ。
 リリー王国の由緒ある貴族、ライアンズ侯爵家の次女として生を受けたセレニアは、おてんで自由な性格をしていた。加えて結構なお人好しで、捨てられた犬や猫などを拾っては甲斐甲斐しく世話をするのだ。
 現在ではアルフのほかに、犬と猫が三匹ずつ。さらに鳥も三羽飼っていた。セレニアにとってはそのすべてが、大切な家族である。
 彼女の表情は、さいなことでころころ変わる。特に動物たちとたわむれている時のセレニアは、輝かんばかりの笑顔だ。そうしていると、まるでおとぎ話に出てくるお姫さまのようだった。
 しかし、現実は非情である。

「……あぁ、でも。お姉さま方に見つかってはいけないわ」
「わふぅ」
「アルフ、いいこと? あちらには近づいてはダメよ」

 肩をすくめながら、まだ新入りのアルフに言い聞かせる。
 セレニアが示したのは、ライアンズ侯爵家の屋敷である。そこにはセレニアの両親と姉アビゲイルの三人が住んでいた。
 一方で、セレニアは『離れ』と呼ばれる別邸で動物たちと暮らしている。
 別邸に、侍女や従者はいない。自分のことはできるだけ自分で面倒を見なければならない生活だ。
 だが侯爵家の使用人たちは休憩時間を削ってでもセレニアの世話をしに来てくれていた。

「お姉さまは今日もパーティーですって。本当、派手なことがお好きよねぇ」

 ころころと笑いながら、セレニアはアルフをわしゃわしゃとでる。
 セレニアの姉アビゲイルは、多彩な才能と美しい容姿に恵まれていた。ゆえに幼少期から大層期待されて育ってきたのだ。
 周囲はアビゲイルのことを才色兼備と評する。
 対してセレニアは、ひそかに『ハズレ』と呼ばれてきた。
 なにをやらせてもアビゲイルに及ばなかったためだ。
 幼い頃、両親はセレニアにもアビゲイルと同じように教育を施した。だが年齢を重ねるほど、二人の差は広がっていくばかり。
 家庭教師たちは口をそろえて「お姉さまが同じくらいの頃にはできましたよ」とセレニアに言う。
 両親はそんなセレニアを見て、教育する価値もないと判断したらしい。
 いつしかセレニアに期待するのをやめ、離れに追いやってしまったのだ。
 かといって、それがセレニアにとって不幸だったかは、また別だ。
 セレニアは離れでの生活をまんきつしていた。元々勉強や淑女教育は好きではない。ずっと叱責されてきたせいで、すっかり苦手意識がこびりついていた。
 大人しくしゅうをしているくらいならそこら中を駆けていたい。学ぶのは自分のペースで、自分のやりたいことを重点的にやりたい。
 それに侯爵家の使用人たちは優しく、放置されるセレニアのことをいつも気にかけてくれる。
 特に侍女頭であるカリスタと執事のジョールは、甲斐甲斐しくセレニアの世話を焼いた。
 両親に愛されなくても、使用人たちのおかげで愛情に飢えることもなかった。幸せだった。
 むしろ、重すぎる期待をかけられなくなって清々しているところもあるほどだ。
 年に数回屋敷に呼び出されることもあるが、その時はただ大人しくしていれば問題ない。
 ただ、アビゲイルのかんしゃくに付き合わされた場合は少々面倒だった。
 両親はいつだって姉の味方だから、セレニアが口答えなどしようものなら、ひどい叱責が飛んでくるのだ。その後、長々とした説教がはじまるのがお決まりだった。
 セレニアはそれを知っている。
 だから、嵐が過ぎ去るのを大人しく待つ。今までも、それでうまくやりすごしてきた。
 そんなことを考えていると、遠くから「セレニアお嬢さま!」と名前を呼ばれた。
 視線を向けると、侍女頭のカリスタがこちらに駆けてくるところだった。
 セレニアは小首をかしげて彼女を見つめる。

「どうしたの?」

 問いかけるセレニアの髪には、いつの間にか新緑の葉が絡んでいる。

「だ、旦那さまが、お嬢さまをお呼びでございます……!」

 セレニアの気持ちが一気に沈む。
 ……あぁ、ついさっきまでアルフと遊んで、気分がよかったのに。
 肩を落としそうになるが、カリスタに心配をかけるわけにはいかない。
 セレニアは軽くワンピースのすそをはたいた。

「アルフのことをお願いね。お部屋に戻してあげて」
「は、はい」

 できる限り明るく笑うと、カリスタの顔つきが暗くなる。
 その表情にはやるせなさが見え隠れしている。

「セレニアお嬢さま……」
「……どうしたの?」

 彼女の沈んだ声を怪訝けげんに思い、セレニアが問いかける。
 カリスタはセレニアの目を真っ直ぐに見つめた。

「このカリスタ、一生セレニアお嬢さまの味方ですので」

 力強く、芯の強そうな声だった。


 数カ月ぶりに屋敷に入ると、執事のジョールが出迎えてくれた。
 労いの言葉をかけると、彼もまたどうしてか表情をくもらせる。

「……セレニアお嬢さま」

 彼の口調は寂しげだ。それはまるで一生の別れを覚悟するもののようで、嫌な予感がむくむくと膨れ上がる。
 いや、父からの呼び出しという時点で嫌な予感はすでに天井を突破しているので、今さらだが。
 屋敷の中をゆっくり歩いて、父の執務室を目指す。
 廊下には相変わらず趣味の悪い骨董品が飾られていた。それを見るたびに、セレニアの胸の中に申し訳なさが募っていく。
 趣味が悪いだけなら別に問題ではない。しかし、これは領民から徴収した税金で買っているのだ。

(いずれ反乱でも起こされるんじゃないかしら)

 他人事のようにそう思いながら歩いて、執務室の前に辿りつく。
 室内からなにやらガタンガタンと大きな音が聞こえた。もしかしたら、暴れているのかもしれない。
「入りたくない」という気持ちが芽生えて、これまた膨れ上がっていく。
 けれど、入らなければ入らないで、後で怒りの矛先を向けられるのはセレニア自身だ。
 セレニアは深呼吸をして、扉をノックした。

「お父さま、セレニアです」

 ゆっくり声をかけると、執務室の中から「入れ!」と怒鳴り声が聞こえてきた。
 声量に顔をしかめるものの、すぐにその表情を消し去って扉を開く。
 散らかった室内。それに気を留めるそぶりも見せず、部屋の中央に視線を向けた。
 そこにはごうしゃな衣装に身を包んだ父――ジェイラス・ライアンズがいた。
 彼はセレニアの顔を見て、にんまりと笑みを浮かべる。

「おぉ。しばらく見ないうちに、それなりに見栄えがするようになったじゃないか」

 セレニアの背筋に、ツーッと冷たいものが走る。

「……どうかなさいましたか、お父さま?」

 引きつりそうな笑みをごまかし、セレニアは問いかけた。
 ジェイラスが執務椅子にドカンと腰を下ろした。木のきしむ音が響く。

「あぁ、実はお前に一つ頼みがあるんだ」

 数年間まるでかえりみることのなかった娘に頼みとは、ろくなものではないのだろう。

「今日、名のある伯爵家のパーティーに参加してきた」
「……さようで、ございますか」
「そこである男爵と会話をしてな」

 そこまで言って、父が露骨に顔をしかめる。
 ジェイラスは自分たちと同等か、もしくは目上の相手としか会話をしない主義だ。
 主義といえば聞こえはいいかもしれないが、ごうまんなだけとも言える。
 セレニアは笑みを貼り付けたまま首を縦に振った。

「名はなんと言ったか……。あぁ、そうだ。メイウェザー。ジュード・メイウェザーだ」

 ジュード・メイウェザー。
 その名前は、社交界にうといセレニアでも聞いたことがある。
 服飾業で富を成し、王国から爵位をたまわったという新進気鋭の貴族だ。
 子爵、男爵家の令嬢たちがこぞって彼の妻の座を狙っているのだと、若いメイドが話していた。
 なんでも相当やり手の実業家で、加えてそれはそれは見目麗しい、と。

「その成金男爵が、お前をぜひ嫁に欲しいというんだよ」

 ジェイラスが深いため息をつく。
 セレニアは大きな目をさらに見開いた。

(私を嫁に?)

 ジュードと自分に面識はない。
 それ以上に、成金だとさげすむ相手に、ジェイラスが自分の娘を嫁がせるとは考えにくい。
 いかにかえりみることのない子供といっても、貴族にとって娘は他家との縁を繋ぐための大切な道具。セレニアを嫁がせるなら、侯爵家と同等の貴族だろうと思っていた。

「まったく嘆かわしい話だが、先日大きなもうけを得られると聞いて投資していた事業が突然立ちいかなくなってしまってな。おかげで大きな損失を出してしまった。それを埋める必要があるんだよ」

 ジェイラスはやれやれと肩をすくめた。
 ……それは、いわゆる投資詐欺というものでは?
 そう思うセレニアをよそに、ジェイラスは反省するそぶりもない。

「このままではアビゲイルの将来が危ういではないか」

 彼はさも当然のようにアビゲイルの名前を口にした。

「アビゲイルなら王家か、それに連なる家に嫁ぐことも望めよう。いや、嫁いでもらわねばならん。だが持参金が用意できないとなれば、それは叶わない。だからセレニア。成金男爵のもとに嫁ぎ、我が家に富をもたらしてくれるな?」

 にやにやと笑みを浮かべるジェイラスを見て、セレニアは自分が姉のために売られるのだと悟った。
 父の頭の中には、アビゲイルのことしかないのだ。
 彼女を良い相手に嫁がせれば、落ちぶれはじめたライアンズ侯爵家を立て直せる、と。
 実際、そんな簡単に解決できる話とは思えないが。
 とはいえ、自分がなにを言ったところで考えを変える相手ではない。
 だからセレニアは、静かに笑みを浮かべた。

「かしこまりました」

 ジェイラスは満足そうにうなずく。
 口答えなどする気はない。そんなことをしたら叱責が飛んでくるし、機嫌が悪ければせっかんを受けることもあるのだから。
 ただただ従順に振る舞い、嵐が過ぎ去るのを大人しく待つのが正しい選択だ。

「そうか。いやぁ、ものわかりのいい娘がいて、私は幸せ者だな」

 彼はそう言うが、セレニアは決してものわかりがいいのではない。すべてを諦めているだけだ。
 セレニアはニコニコと作り笑いを貼り付け続ける。
 内心では呆れ果てて、その笑みもそろそろ剥がれ落ちてしまいそうだったが。

「一カ月後、お前には成金男爵と結婚してもらう。せいぜい可愛がってもらうことだ。お前のような出来の悪い娘をもらってくれるというのだから」
「はい。承知いたしました、お父さま。では、失礼いたします」

 ――もうこれ以上ジェイラスの話に付き合わされるのはごめんだ。
 セレニアはぺこりと頭を下げて執務室を出ていった。
 扉を閉めると、すぐにカリスタとジョールが早足でやってくる。

「セレニアお嬢さま」

 不安そうな声だった。セレニアは彼らの不安を取り除くように、笑顔を作った。

「大丈夫よ。……でも、あなたたちは知っていたの?」
「旦那さまが投資詐欺に遭われたことは、私たちも存じていましたので……」

 彼らは悔しそうに顔をゆがめる。セレニアは「はぁ」と小さくため息をついた。

「ひとまず移動しましょう。ここで長話をするわけにはいきません」

 こんな話をジェイラスに聞かれるわけにはいかない。ジョールもわかっているのだろう。
 離れに移動しながら、彼は事の顛末てんまつを教えてくれた。
 なんでもジェイラスはつい数カ月前、新しい事業への投資を持ちかけられたらしい。相手の言葉を信じ込んで多額の金をつぎ込んだが、利益どころか注ぎ込んだ金をまるまる失い、おまけに話を持ってきた相手も雲隠れしてしまったのだと。

「今の侯爵家は、借金で首が回っていないのです」
「……そうなの」
せんえつながら、国に被害届を出したほうがよろしいとも申し上げたのですが……。旦那さまは『そんな恥をさらすようなことはできん!』の一点張りで……」

 見栄っ張りなジェイラスらしい答えだ。

「……お父さまったら、どうしてそんな詐欺になんて」
「お相手の口車に、うまく乗せられてしまったのでしょうね」

 カリスタのその言葉は、妙に納得できる。
 ジェイラスは褒められると調子に乗りやすい。もしかしたら相手はジェイラスの性格を知った上で近づいたのかもしれない。

「ところで、メイウェザー男爵という方のことを知っているかしら?」

 ふと思い出して、尋ねてみた。
 すると二人は顔を見合わせ、おずおずと口を開く。

「とてもお美しい殿方だと、耳に挟んでおります」

 言葉のわりに、表情は暗い。

「年齢は二十五。たった一代で巨大な富を築いた、やり手の実業家だ、と」
「そうなのね」
「噂によると、商売のために高位貴族との繋がりを求めているそうです。どこからかライアンズ侯爵家の窮状きゅうじょうを聞きつけ、借金を肩代わりすると申し出たのだとか。しかしその条件というのが……」

 カリスタの声が震え、話が途切れる。
 条件とは、『娘をよこせ』というものだったのだろう。
 やはり、セレニアは売られたのだ。姉とこの家の輝かしい未来のために。

「そう」

 口をついて出た声は、自分でも驚くほどに冷めていた。
 誰に嫁ぐことになろうと、関係はない。
 この家にいたところで良い扱いを受けることなど一生ないのだ。どこかの老貴族の後妻になることも覚悟していた。それを思えば、成り上がりとはいえ若く、それに見目麗しい男性に嫁げるというのだから……まぁまぁ、良い話ではないだろうか。

「どうせ望まぬ相手に嫁ぐ未来しかなかったのだから。これくらい、なんてことないわ」

 心の底からの言葉を呟くと、ついにはカリスタが泣き出してしまった。

「あぁ、どうしてセレニアお嬢さまがこんなにも苦しまなければならないのですか……」
「カリスタ」
「セレニアお嬢さまは優しいお方です。私たちは、セレニアお嬢さまを大切に思っております。アビゲイルお嬢さまよりも……アビゲイルお嬢さまは、我々使用人どものことも物以下だとおっしゃって、人間として扱うことがございません」

 カリスタの口からアビゲイルのぼうじゃくじんぶりが語られる。普段接することはなくとも、セレニアにとっては予想のはんちゅうだった。

「お姉さまだもの、仕方がないわ」

 わかってはいても、セレニアにそれを止めることはできない。
 自分によくしてくれたカリスタたちに報いることができないのは心苦しいところだが、こればかりはどうしようもないのだ。

(お姉さまがこのままなら、ライアンズ家に仕えようという人はいずれいなくなってしまうかもしれないわね)

 心の中でそう呟くものの、口には出さない。もしもアビゲイルの耳に入れば、彼女は烈火のごとく怒り出すだろう。

「私はいなくなるけれど、どうか元気にね」
「……はい」
「ああ、そうだ。申し訳ないのだけど、アルフたちのことをお願いできるかしら?」

 嫁ぎ先に動物たちを連れていくなど、許されるわけがない。
 セレニアがおずおずと願うと、ジョールは自身の胸を叩いた。カリスタも大きくうなずく。

「もちろんです。私どもにお任せくださいませ」
「えぇ、私たちが必ず守ってみせます。セレニアお嬢さまの心配事は、私たちが取り除きますわ」
「ありがとう。頼もしいわ」

 そんなやりとりを終えて、セレニアは離れの扉を開ける。
 アルフが嬉しそうに駆け寄ってきた。
 その頭をわしゃわしゃとでていると、なんとも言えない寂しさが込み上げる。

「あなたたちともお別れね」

 アルフは言葉の意味がわかっていないのか、「わふぅ?」と鳴いた。
 そんな姿が愛おしくて、セレニアはアルフを力いっぱい抱きしめる。

「どうか残りの時間は、あなたたちをたくさん甘やかさせてね」

 嫁入りまでの一カ月。この時間で、たくさんの思い出をアルフたちと作ろう。
 セレニアがそう誓っていると、アルフが頬をぺろりと舐めた。
 自然と、笑みがこぼれた。


 それからの一カ月は、とても慌ただしかった。
 ジェイラスははじめこそ娘を成金男爵のもとに嫁がせることを外聞が悪いといらっていたが、先方が見るからに高価なプレゼントを贈ってくるようになると、態度を一変させた。
 プレゼントはドレスも宝石も、当然すべてセレニアへ贈られたものだ。
 しかし、ジェイラスはそれらを一つ残らずアビゲイルのものとした。
 セレニアは呆れたものの、いつも通り、なにを言うこともなく粛々しゅくしゅくと従うだけだった。
 そうして訪れた、結婚式当日。
 セレニアは朝から侍女たちに入念に身体を磨かれ、純白のウェディングドレスを身にまとっていた。
 このウェディングドレスも、用意したのは花婿のジュード・メイウェザーだ。
 添えられていたメッセージカードには、まだ世界で一点しかない特別なものだとつづられていた。
 だが服飾業で財を成したという話にふさわしく、ゆくゆくはこれも商品に加えたいと思っているそうだ。
 さすがのジェイラスも、このウェディングドレスだけはアビゲイルのものにはできなかった。
 まぁ、当然のことではあるのだが。

「セレニア、よろしいこと? あなたはアビゲイルと違って要領が悪いのですから、どんな手を使ってでも気に入られなさい」
「……はい、お母さま」

 母バーバラの言葉に、セレニアは作り笑いを浮かべてうなずいた。
 気に入られてこい、というのは、実家にお金を入れてもらえるようにしろという意味だ。
 アビゲイルだけでなく、バーバラも大層な浪費家だ。以前から侯爵家の家計は常に火の車だった。

「これでアビゲイルも良い相手に嫁ぐことができるわ。成金男爵には感謝もしたくないけれど、それなりに役には立つものね」

 バーバラはころころと笑い声をあげる。
 彼女はアビゲイルが気に入らなかった贈り物を売り払い、自身のドレス代にしたそうだ。
 それを知った時、セレニアはこれ以上ないほどに呆れ果てた。だが文句を言う気力もなく、静かに笑ってやりすごした。

(波風を立てないためとはいえ、ジュードさまに申し訳ないわ………)

 心の中でジュードに謝罪をしていると、セレニアとバーバラのいる控室の扉がノックされた。
 訪れたのは、この教会のシスターだった。彼女は眉一つ動かさず、静かに用件を告げる。

「ジュードさまがセレニアさまにお会いしたいとおっしゃっております」
「まぁまぁ、成金とて礼儀は弁えているようね」

 シスターの言葉に、バーバラが反応する。
 セレニアは眉をひそめるものの、そっと母の様子をうかがった。
 こういう時に勝手に返事をしてしまうと、機嫌を損ねるのだ。

「では、私は外に出ています。セレニアは成金男爵と少々お話しなさい」
「……承知いたしました、お母さま」

 どうやらバーバラは初対面の場に同席するつもりはないらしい。
 それに安心しつつ、セレニアはバーバラが控室から出ていくのを見送り、シスターに了承の返事をした。

「かしこまりました」

 シスターは頭を下げると、ジュードを呼びに向かう。
 花嫁の控室に、セレニアは一人残された。

「お母さまと一緒だと、気がってしまうわ」

 自然とそんな言葉が口から漏れる。
 バーバラのいない控室は、とても快適だ。気を遣うことなく、のんびりお茶を飲むこともできる。
 しばらくして、再度扉がノックされた。
 どうやら、ジュードが来たらしい。
 セレニアは紅茶の入ったカップをテーブルの上に戻し、入室の許可を出す。
 一拍置いて、扉がゆっくりと開く。
 顔を見せたのは――穏やかそうな顔立ちの男性だった。
 少し癖のある茶色の短い髪。おっとりした印象の、黒曜石のような瞳。色彩こそ派手ではないが、その顔立ちは恐ろしいほどに整っている。
 セレニアは思わず息を呑んだ。

(いけないわ、ごあいさつをしなくては)

 すぐに立ち上がり、淑女の一礼を披露する。

「はじめまして、ジュードさま。ライアンズ侯爵家の次女、セレニアでございます」

 軽く結い上げた金色の髪の毛を揺らしながら、自己紹介を口にする。
 彼――ジュードは愛想よい笑顔で答えた。

「お初にお目にかかります。ジュード・メイウェザーと申します」

 柔らかくて、心地のいい声だと思った。

「どうか、頭を上げてください。俺は、あなたに頭を下げられるような身分の人間ではありません」

 セレニアは恐る恐る頭を上げる。視界に入ったのは、柔らかな笑み。
 その笑みはなぜかセレニアの心をかき乱した。


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