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2巻

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   第一章 パパはママが好き


「ねぇ、ねぇ、ママ、ママ」

 銀色の髪に銀狼ぎんろうの耳が生えた男の子が、重厚なソファーに座っている。隣の高貴な女性に上目遣いで甘えるように笑いかけた。
 男の子の名前は、ニーシャ・フローズヴィトニル。年は七歳だ。
 ギムレン王国の人々はもともと獣人じゅうじんだったこともあり、子どもには獣性じゅうせいと呼ばれる獣の性質と、獣だったころの名残である耳や尾などがいまだに残っている。そのため、十二歳で獣性じゅうせいを抑え大人になるための儀式――成人秘蹟せいじんひせきを受ける風習だ。ニーシャはまだ幼いため、銀狼ぎんろうの耳と尾が残っているのだ。
 彼はギムレン王国の三大侯爵家のひとつ、『武のフローズヴィトニル』の令息である。勇猛果敢ゆうもうかかんと称されるフローズヴィトニル侯爵家は、代々王国の剣として王国を守る。もともとの獣性じゅうせい銀狼ぎんろうだ。
 現在の当主ディアミドは、ニーシャの亡き父の弟にあたる。つまり叔父だ。ディアミドは正式な後継者であるニーシャに家門を譲るべく、孤児だった彼を捜し出し、自身の養子にしたのである。
 ニーシャのもちもちとした頬は桃のような赤みが差し、サラサラとした髪は月の光のように柔らかい。愛らしい幼子の澄み切った青空のような視線を受けて、女性はデレリと鼻の下を伸ばした。

(はぁん! 可愛い! 大好き!! 私の推し、今日も最高ですぅ……!)

 心の中で雄叫びをあげる女性の名は、ブリギッド・フローズヴィトニル。癖のある亜麻あま色の髪に、気の強そうな琥珀色の瞳を持つ。元やり手の女家庭教師ガヴァネスであり、現在はニーシャの継母である。
 実は、ブリギッドは転生者で、この世界は前世で読んでいたWeb小説なのだ。彼女は小説の中で非業ひごうの死を遂げる悪役ニーシャのオタクで、前世の記憶を使い、ニーシャを幸せに導くために目下奮闘中なのである。
 貧乏没落子爵令嬢だった彼女は、家族を養うため守銭奴しゅせんどと呼ばれつつ働いていた。
 この国では、貴族女性が仕事をすることは卑しいとされているのだ。理不尽りふじんなセクハラに耐えながら仕事をしてきたのは、大切な家族を養い、推しであるニーシャに課金するためだった。
 彼女はニーシャの継母になるために、『鉄壁侯爵』という異名を持つディアミド・フローズヴィトニルと、愛のない偽装結婚までしたほどのニーシャ強火担つよびたんなのである。
 先日、成人秘蹟せいじんひせきと同様に獣性じゅうせいを抑える力を持つ『あかつきの乙女』だと判明したが、それは彼女の安全を守るため秘密にされている。
 そんな彼女の心中は、可愛い推しの仕草に千々ちぢに乱れていた。しかし、そんな心の内を気取られぬように、優しい継母の笑顔をニーシャに向ける。

「なぁに? ニーシャ」

 するとニーシャはウフフと笑い、ブリギッドにもたれかかった。

「呼んでみたかったの」

 ブリギッドはキューンと胸を射貫かれる。

(はい、かわいい。はい、天使。私の推しは大天使ぃっ!)

 ブリギッドが思わず胸を押さえると、ニーシャが心配そうな顔で尋ねる。

「ママ、どうしたの? 胸が痛いの?」
(推しが! 推しが! 私なんぞの心配をしているっ!)

 ニーシャを心配させてはいけないと、ブリギッドはブンブンと首を横に振り、ニーシャの肩を抱いた。

「っ! 違うのよ。幸せだなぁ……って思ったの」
「幸せ?」
「うん。ニーシャにね、ママって呼ばれて幸せだなって」
「呼ぶだけで幸せなの?」
「そうよ。幸せなの」
「なら、僕、たくさん言うね。ママっていっぱい呼ぶね」

 ニーシャの言葉にブリギッドは悶絶もんぜつする。

(なんて可愛いの! いつまでも見ていられるわ)

 笑い合うふたりの声、明るい日差し。多幸感に包まれている天国のようなこの場所は、フローズヴィトニル侯爵家の侯爵夫人の部屋である。
 嫁いできたばかりのころは東棟の客間に住んでいたが、今は西棟にある侯爵夫人の部屋に移っていた。
 侯爵夫人の部屋は侯爵夫妻の寝室につながっており、そのさらに先はディアミドの部屋である。契約結婚のため、夫妻の寝室は使われていないが。
 ソファーの上でイチャイチャとくつろいでいるふたりの前には、柔らかな生地が広げられていた。

「これが新しい布?」

 ニーシャが布のひとつを広げる。柔らかく厚みのある生地だ。

「そうよ」
「これも、ママたちの布と違って伸びるのね。不思議でおもしろい!」

 ニーシャはそう言って、布を引っ張る。クシャクシャに丸めてもしわにならない。

「ニーシャのお洋服に使っている生地は、特別な作り方をしているの」

 この世界には子ども用の服という概念がない。子ども服は大人服のサイズを縮めただけで、活発な子どもにとっては窮屈で動きにくい。
 それではニーシャが不憫ふびんだと、ブリギッドは前世の知識を利用して、メリヤス生地のスーツを作ったのだった。

「ママのおかげで僕、とっても動きやすいの。ありがとう、ママ!」

 ブンブンと尻尾しっぽを振りつつ、ブリギッドの膝に手をつくニーシャ。
 あまりの可愛らしさにブリギッドは悶絶もんぜつする。

「ニーシャが喜んでくれるなら、ママも幸せよ」

 ブリギッドはデレデレと口元が緩みっぱなしだ。
 最近、ブリギッドがニーシャのために開発した子ども用のメリヤス生地のスーツが、小さな子どもたちのプレップお茶会で話題になっているのだ。頼まれて、ほかの子どものために作ってあげることもある。
 ちょうど新しい布が手に入ったので、今度はどんなデザインにしようかとふたりで話し合っているところだ。
 まったりとしたふたりの蜜月を、ドアのノックが打ち破った。

「奥様、お手紙を持ってまいりました」

 そう声をかけ、部屋に入ってきたのはフローズヴィトニル侯爵家の執事である。老年でありながらもマッチョな執事は、仕事ができて頼りになる。
 彼が運んできたプレートの上には、手紙の山がどっさりと盛ってあった。

「何事ですか?」

 ブリギッドは目を剥いた。
 当分パーティーの予定はない。侯爵夫人といっても、偽装結婚なので、夫人としての責務は最小限に抑えている。ニーシャが王立魔法学園中等部に入学する七年後に離婚する予定なので、どうしても断れないパーティー以外には参加しない方針なのだ。

「パーティーへの招待なら、いつもどおりお断りでかまわないのだけど」

 ブリギッドが言うと、執事は白髪交じりの眉を困ったように下げた。

「パーティーのお誘いではなく、お坊ちゃまのお洋服に関するお問い合わせです」
「これ全部?」

 ブリギッドは驚いた。

「ニーシャの服を見たことがあるのは、プレップお茶会の参加者だけなのに……。どうしてこんなに問い合わせが来るのかしら?」

 明らかに多すぎると、ブリギッドは首をかしげる。

「そっか!」

 ニーシャがうれしそうにソファーから飛び降りた。

「プレップお茶会のお友達にも作ってあげたでしょ? きっと、その子たちも僕と一緒で自慢したんだと思う!」

 フンスと鼻息荒く力説するニーシャが、とてつもなく可愛らしい。手紙の山がニーシャの洋服自慢の結果かと思うと、うれしくもあり照れくさくもある。
 ニーシャは以前教会で開かれたプレップお茶会で新しい友人を作った。
 特に、スレイプニル侯爵家の娘であるモリガンは熱烈なニーシャファンらしく、ことあるごとに声をかけてくれる。
 スレイプニル侯爵家は、ギムレン王国の三大侯爵家のひとつであり、『義』の家門と呼ばれている名家だ。モリガンの義姉にあたるエクネはブリギッドの学生時代の友人ということもあり、ニーシャに目をかけてくれているのだ。
 ニーシャもスレイプニル侯爵家主催のお茶会には安心して参加していて、それをきっかけに貴族子弟とも交友を深めつつあった。
 孤児院でひとり歌を歌っていたニーシャが、新しい世界に飛び込んでいく様子をブリギッドは頼もしく思っていた。

(こんなに話題になるほど、お話ししてくれたのね)

 そう考えると手紙の山もむげにはできない。

「そうねぇ……でも、今は生地がないから……」

 ブリギッドが思案しながらつぶやく。
 すると、ニーシャは困ったように耳を垂らし、ブリギッドの膝にあごを乗せた。

「僕、ママ困らせてる?」

 上目づかいの青い瞳で小首をかしげるニーシャは天使だ。

(私の推し、最強に可愛いわぁぁぁぁぁ!!)
「んんんっ!」

 叫びたい気持ちを抑えるためにブリギッドは唇を噛むしかない。
 そのとき、部屋のドアが開いた。
 ツカツカとブリギッドへ近づいてくるのは、ディアミド・フローズヴィトニル侯爵だ。脇には二冊の冊子を挟んでいる。
 ちなみに、ブリギッドの契約夫で、ニーシャの継父である彼は、王国元帥と、聖騎士隊の隊長を兼任している。そのうえソードマスターでもあり、剣を握らせたら並ぶ者などいない。有能な男なのだ。
 そのうえ、長身で筋肉質、狼のように精悍だ。強面こわもてではあるが、見目は麗しい。そんな彼は、男女ともに人気が高かった。
 しかし、ディアミド自身は、無口で女嫌いだった。ブリギッド以外の女性は冷たくあしらい、鉄壁侯爵と噂されているのだ。
 銀狼ぎんろうの家系でありながら、黒い狼として生まれた彼は自分に侯爵家を継ぐ資格はないと考えていた。
 さらに、成人秘蹟せいじんひせきを受けたにもかかわらず獣性じゅうせいを抑えられなかったため、子どもを残すべきではないと思いつめ、ニーシャを後継者としたのだ。
 ブリギッドのあかつきの乙女の力により、獣性じゅうせいを抑えられるようになったディアミドだったが、ニーシャの継父としてブリギッドとの偽装結婚を継続中だ。
 ディアミドは乱暴にブリギッドの隣に腰を下ろすと、長い足を組んだ。闇を閉じ込めたような黒い前髪の下から、金色の瞳が獰猛どうもうに光っている。
 ニーシャとのラブラブタイムを楽しんでいたブリギッドは、思わず顔をしかめる。

「なんの用ですか? お仕事では」
「今日は休みだ。用がなくては妻の部屋に来てはいけないのか」

 ディアミドはぶっきらぼうに答える。
 ディアミドとブリギッドは、ニーシャを養子に迎えるために手を組んだ偽装夫婦だ。ブリギッドはふたりの間に恋愛感情はなく、自分はお飾りの妻だと信じ込んでいた。
 しかし、ブリギッド以外の者から見ると、ディアミドがブリギッドに特別な感情を持っていることは明らかだった。

「……そんなことはないですけれど……。最近ニーシャとディアミドはふたりきりで訓練していて、ニーシャと私がふたりきりになる時間が少ないように感じます。不公平だわ」

 ブリギッドが不満げに答えると、ニーシャはブリギッドの腰にギュッと抱きついた。

「ママ、寂しい?」
「ええ、寂しいわ」
「でも、僕、ママを守るために強くなりたいの。だって、ママが一番好きだから!」

 ニーシャの答えにブリギッドはキュンとする。小さな男の子の大きな決意に胸を打たれた。

「ニーシャ……! ママもニーシャが大好きよ!!」
「ゴホン!!」

 ふたりのイチャイチャが繰り広げられ、ディアミドは大きく咳払いをした。

「あ、いたのを忘れてたわ……」

 ブリギッドが思わず零すと、ディアミドはガクリと肩を落とす。

「ここに来たのは、ブリギッドに渡したいものがあったからだ」
「はぁ、渡したいもの」

 ブリギッドは、推しグッズ以外はあまり興味がない。そして、最愛の推しは自分の膝に頭を乗せているのである。
 かりそめの夫に無関心な妻を見てディアミドはため息をついた。

「これだ」

 ディアミドがそう言って手渡したのは、革張りの薄い冊子だった。

「なんですか?」

 ブリギッドは受け取り、開けてみる。透かしの入った紙に、住所のようなものが書かれていて、侯爵家の印が赤々と押してある。

(……これは私が見ていいものじゃないわ)

 ブリギッドは思わずパタンと閉じた。

「編物工房の権利書だ」

 ディアミドが言い、ブリギッドは長考した。

(うん、そんな気がした。そんな気がしたけど、いったいどうしてこうなった?)

 無言のブリギッドを見て、ニーシャが不思議そうに小首をかしげる。

「編物工房?」

 ニーシャの声にブリギッドはハッと我に返る。

「普通、スーツの生地は機織はたおりで織るものなのだけど、ニーシャの生地は編物工房で作ってもらっていたの。メリヤス生地といって、主に男性用の下着に使われている素材ね。だから、柔らかくて伸びがいいのよ」
「でも、下着みたいに薄くないよ?」

 ニーシャが尋ねる。

「一台の編み機だけ、特別に厚く作ってもらっているのよ。ニーシャだけのための素材なの」

 ブリギッドの答えに、ニーシャは驚いたように目を輝かせた。

「最近、その素材で別の者にも作ってやっていると聞いた。一台では心許ないだろう? だから工房の権利を買ったのだ。ブリギッドにやろう」

 ディアミドがサラリと付け加えた。
 ブリギッドは頭を抱えてのけぞる。

「……!! 何を、言ってるんです?」
「編物工房をやる」

 馬鹿のひとつ覚えのようにディアミドが答え、ブリギッドは理解に苦しむ。

「そうだけど、そうじゃない!」
「そうじゃなくはない、そうだ」
「いや、そうなんですけど、何やってるんですか!」

 ディアミドはキョトンと小首をかしげた。
 鉄壁侯爵の異名からは想像できないその仕草が、あまりにニーシャとそっくりでブリギッドは思わずキュンとときめく。

(くっ! 可愛い! 恐るべし狼のDNA!)

 ブリギッドは人知れず唇を噛みしめた。

「ニーシャの服のために工房の権利を買ったのだ。だからあなたにプレゼントする。今は一台しか使えないだろう? こうすればほかの機械も自由に使えるからな」

 ドヤ顔で権利書を差し出すディアミドは、褒めてくれと言わんばかりで、ブリギッドは呆れた。尻尾しっぽを振る幻影すら見えてきた。

(……いや……、狼というより大型犬ね……)
「工房の権利だなんて、私の身に余ります」

 ブリギッドは遠慮して、権利書を押し返した。

「侯爵夫人ならこれくらい持っていてもおかしくない」

 するとディアミドも押し戻してくる。

(侯爵夫人と言ったって、期間限定の偽装結婚なのに! あとになって、返金しろとか言われたら困るのよ~!!)

 ブリギッドは困惑した。
 ディアミドは何かと言うとブリギッドに物を与えたがる。しかも、断れないようにニーシャに絡めてくるからたちが悪い。
 契約夫婦なのに過分だとブリギッドは感じているのだ。しかし、ニーシャの前では偽装結婚だとは口が裂けても言えないので、断るのも一苦労である。

「いやいやいや、おかしいですって」
「そんなことはない。大丈夫だ」

 ふたりで押し合いをしていると、ニーシャが困ったようにブリギッドを見つめた。

「僕、お洋服自慢しちゃダメだった?」

 シュンとして尻尾しっぽを下げるニーシャを見たら、ブリギッドはお手上げである。

(もうもうもうもう、なんて可愛いの!! こんなの見せられたら、降参デス)
「そんなことはないのよ。うれしいんだけど……」
「そうだろう。うれしいだろう? そう思って、ブティックも買っておいた。デザイナーも店員もいるから、すぐにでも新商品を売り出せるぞ」

 ディアミドがたたみかけてきて、ブリギッドは目を剥いた。

「は? ……ブティック……?」
「工房があっても売る場所がなくては困るからな」

 当然だと言いたげな顔で、もう一冊の権利書を押しつけてきた。

「ふぁ!? この場所、王都の目抜き通りじゃ……」
「ああ。ちょうど新しくできたばかりのブティックがあったからな」
「ひっ! できたてのブティックの権利を買った?」

 ブリギッドは青ざめる。

(それほどよい場所にブティックを出すんだから、きっとその人の夢だったでしょうに! なんてこと!!)
「ダメですよ、ディアミド! 早くもとにあった場所に返してきなさいっ!」

 まるで子どもに言い聞かせるような口調で、権利書を押し返すブリギッド。

「俺が返したら、相手は資金繰りに困るぞ。俺は別に奪ったわけじゃないからな。相手は納得して売ったんだ」

 ディアミドの言葉で、ブリギッドは冷静になる。
 権利を売るということは、経営に困っているということなのだろう。

「人助けだと思えばいい」

 ディアミドはそう言うと、二冊の権利書をブリギッドに押しつけた。

「……まぁ、店をやりたくないのなら無理にとは言わないが」

 ディアミドがシュンとして付け加えた。
 ニーシャは窺うようにブリギッドを見上げる。

「ママ、大変?」

 心配そうなニーシャの顔を見て、ブリギッドはブンブンと頭を左右に振る。

「大変じゃないわよ」

 安心させるようにニーシャの頭をヨシヨシと撫でる。
 お金やしがらみのことを抜きに考えるなら、チャレンジしてみたいことだった。ニーシャの服を考えるのは楽しいし、何より子どもたちにはもっと楽な格好でのびのび生活してほしい。
 しかし、本当に受け取っていいと思えない。

「興味はあるんです。でも、私、持参金すらない没落貴族の出身で、こんなことをしてもらってもお返しなんてできないから……」
「馬鹿にするな。見返りがほしくてするんじゃない」

 ブリギッドの言葉に、ディアミドがムッとする。

「……だったらどうして?」

 ブリギッドは困惑する。
 ディアミドはそれ以上何も言えずに、目を逸らし口を閉じた。ほんのりと色づいた首筋に汗が光っている。

「パパがママを好きだからでしょ? 好きな人には喜んでほしいもん!」

 ニーシャが当たり前のようにサラリと答える。
 ブリギッドとディアミドはバッとニーシャを見た。同じ行動をしたことに驚き、相手を見る。思わず目が合って、カッと顔を赤らめた。

「違うの?」

 ニーシャが純真無垢じゅんしんむくな目でふたりを見て、小首をかしげる。
 ディアミドは顔を真っ赤にしながら、コクリとうなずき胸を反らした。

「そうだ。当たり前だ。俺はブリギッドを愛しているからな!」

 声を張りあげる姿がおかしくて、ブリギッドは思わず噴き出した。

(相変わらず、演技が上手なんだから)

 笑うブリギッドを見て、ニーシャはホッとしたように息をつく。そして、ブリギッドの手を取った。

「よかったね。ママ! 僕も一緒にお手伝いするね!」

 ニーシャの応援を受け、ブリギッドは俄然やる気が湧いてくる。

「ええ! 一緒に頑張りましょうね!」

 手を取り、微笑み合うふたり。
 ディアミドはふたりには聞こえない声でぼやかずにはいられない。

「店の権利を与えたのは俺のはずだが……?」

 そんなディアミドの隣で、執事が微笑む。

「よろしいではないですか。奥様を笑顔にしたのは紛れもなく旦那様なのですから」
「……そうか……?」

 執事に取りなされて、ディアミドがまんざらでもないように唇の端を上げた。


  
   第二章 編物工房プロジェクト


 ブリギッドとニーシャは編物工房へやってきた。
 靴下や下着の生地を編んでいる小さな工房だ。
 ニーシャのジャージースーツの布は、下着用の編み機でいつもより太い糸で編んでもらっている厚手のメリヤス生地だ。単純なことだが、靴下用の糸で洋服の生地を編む発想はこの世界になかった。
 そこでブリギッドが提案し、執事を通して布の発注依頼をしたのだ。
 しかし、工房を訪れたのは初めてだった。
 小さな工房の中に、使い古された編み機がところ狭しと並べられている。手入れのゆき届いていない工房だ。
 木製の編み機の前には疲れ切った男性が座り、ペダルを踏んで生地を編んでいる。
 編み機の操作には力がいるため、男性の仕事なのだ。機械の調子が悪いのか、バシバシと機械を叩いている男もいる。みんな汗だくだ。
 部屋の隅では、女たちが糸をつむいでいた。賑やかな音のなかで黙々と働く人々。
 しかし、顔には覇気はきがない。
 ブリギッドはいぶかしむ。


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