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1巻

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   プロローグ


 初めて国王シエル・ラズライトに出会ったとき、その気高さと美しさに驚愕した。
 黒髪に真紅の瞳、すらりとした長身に凛々しい顔つき。
 こんなイケメンだなんて聞いてない! 
 事前情報によれば、シエルは非常に戦闘能力にけている、いくさの神と呼ばれている方で、好きなものは酒と戦場、嫌いなものは女と子供だそうだ。
 それでも跡継あとつぎをもうけなければならないから、仕方なく側妃を五人もめとったという。
 ちなみに正妃はまだいない。
 こんな王様だから、いかつい顔つきと筋肉もりもりの体をしているのかと思いきや、背が高く引き締まった肉体と整った容姿なのだった。
 恋愛なんて今までまったく縁のなかった私でも、これほど理想にぴったりなお相手なら心も揺れるというものだ。
 しかし、シエルは私と初対面にもかかわらず、挨拶もなく単刀直入に言い放った。

「必要なものは与える。しかし俺がお前を愛することはない。おおやけの場で妃として振る舞っていればそれでいい」


 つまり、夜の生活は一切なしということだ。
 私はどう反応していいかわからず、ただ黙ってうつむいた。わずかに手が震える。
 周囲の者たちは私がショックを受けていると思ったようで、気の毒にという視線を肌に感じた。
 けれどそうではなかった。
 むしろ最高にいい条件を提示され、感激で身震いしていたのだ。
 うっかりにやけてしまいそうになるのを堪えるのに必死だった。
 なんとか平静を保ち、顔を上げてまっすぐシエルの顔を見つめる。
 国王陛下、私はあなたの素敵なお姿を遠くから眺めているだけで結構です。
 ですからどうかこのまま放っておいてくださいね。
 白い結婚、大歓迎です! 
  


   第一章


「喜ぶがいい、アクア。お前は新しい王の五番目の妃に選ばれたのだぞ」

 それは三カ月前のことだ。
 今まで私にまったく興味のなかった父が急に呼び出すものだから一体何事かと思ったら、そんな話だった。
 正直驚いたし、王の妃になるような器でもないのになぜ私が?
 社交界でそれほど華やかな活動もしていないし、家では本を読んでばかり。たまの外出では平民たちと露店で手作りのアクセサリーを売ったりして商売人の真似事なんかをしているくらいだ。
 まあ、私に無関心な父は、娘が平民と仲良くしていることなんか知りもしないだろうけど。
 王宮入りなんて面倒だなと思った。当たり前だけど妃教育なんて受けていない。
 けれどこれが国王の命令なら、私はおろか父にも拒否権などない。

「喜んでお受けいたします、お父様」

 そう返事をするしかなかった。
 こうしてクオーツ伯爵家の長女である私、アクアオーラ・クオーツはよわい十七で王宮入りすることになった。

「お姉様、王様と結婚するの?」
「素敵! お姉様はお姫様になるのね!」

 この知らせを耳にした妹たちは、目を輝かせながら無邪気に喜んだ。
 私にとって腹違いの妹、オーロラオーラとローズオーラ。
 ふたりとも金髪に深いみどりの瞳をした、美しい容貌を持つ自慢の妹たちだ。
 対する私はふたりとは似ても似つかず、淡黄色の髪に薄水色のくすんだ瞳で、痩せた体と地味な服装のせいで貧相に見える。それもそのはず、継母が私には綺麗なドレスや宝石を与えることを渋るからだ。それどころかこの家で私が自由にできる場所は書庫しかない。勉強をしているときだけは、罵声を浴びることがなかった、というぐらいだ。
 幼い頃はなぜ継母にこれほど差別をされるのか不思議でたまらなかったけど、最近理由を知った。
 実は父と継母は結婚前に恋人同士だったけど、平民出身の継母とは身分違いで結婚できず、父は渋々私の母と結婚したようなのだ。
 私の母の死後、父は男爵家の養女となっていた継母とすぐに再婚した。
 継母は恋人と引き裂かれる原因となった私の母を恨んでおり、当然再婚後も娘である私に対して冷たく接した。
 だけど、そんな大人の事情など私の知ったことですか。
 父は継母にはかなりの大金を使って高価なドレスや宝石を与えたが、私にはほとんど着るものを与えてくれなかった。
 幼い私を置いてふたりで旅行三昧だったし、妹たちが生まれると彼らは私の存在などないように扱った。
 家族と呼べるのかわからない状況で過ごしてきた私にとって、家を出ることは寂しくも何ともない。むしろ「やったあ!」と万歳して喜ぶべきことだ。
 これが王宮入りでなければなおよかったのに。
 さて、問題は妹たちである。

「いやーっ! お姉様っ! 行かないでえ!」
「あたしもお城に行くーっ! 連れてってえ!」

 そう。この妹たち、私にベタベタに懐いているのだ。
 最初はお姫様だとか素敵だとか言っていたくせに、いざ私がいなくなることを実感したとたん泣きついてきて困ってしまう。
 父と継母は困惑した。それもそうだろう。
 ふたりは娘たちを放置してデート三昧、そのあいだは私が妹たちの世話をしていたのだから。
 妹たちも当たり前だが両親より私に懐いている。

「オーロラ、ローズ、ふたりで仲良くね。何があってもふたりで乗り越えるのよ」

 私にはふたりの妹たちを抱きしめて慰めるしかすべがなかった。
 それに妹たちのことも気になるけど、私にはもうひとつ気がかりなことがある。
 それはひそかに慕っている人のことだ。
 恋愛に興味のなかった私でもつい半年ほど前に気になる人ができたのだ。
 王宮入りするとなれば、万が一どこかで会えたとしてもその頃の私は王の妻という立場だ。
 気軽におしゃべりすることだってできないだろう。

「もう一度くらい、会いたかったなあ」

 自室の窓から夜空の星を眺めては、彼のことを思い出した。


   ◇


「クオーツ伯爵家のご令嬢ですね」

 半年前の夜のことだ。
 パーティーに疲れきった私が人気ひとけのないバルコニーで空を眺めていると、ひとりの男性に声をかけられた。
 銀髪碧眼で、ほっそりとした美しい容姿の人だった。
 その微笑みからは甘く優しい雰囲気が漂っていて、私は一瞬で心を奪われた。

「はい、そうですけど」

 少し緊張しながら返答した。
 だって、ついこのあいだ読んだ本に出てきた美麗な男性像そのものだったから。

「僕はノゼアンと言います。あなたとお話がしたかった」
「えっと、どちらのお方ですか? ごめんなさい、存じ上げなくて……」

 今まで見たこともない人物だから慌ててしまう。
 貴族の中に、これほど美しい男性がいただろうか。

「失礼しました。僕はノゼアン・ノーズライトと申します」
「そうですか」

 頭の中で必死に覚えた家名を思い浮かべるもどこの家門かわからなくて、あっさりした返答になってしまった。
 いくら私が社交界に疎いとはいえ、一応貴族の家門くらい記憶しておいたはずなのに、ノーズライトという家名についてはこのとき初めて知った。
 彼は、そんな不愛想な私にも負けず、さらに笑みを深めた。

「あなたの噂をよく耳にするんですよ。とても賢明で勉強家なのだとか」
「いえ、ただ読書が好きなだけです。社交界での情報もやっとついていけるほどでして……、ノーズライト様のことも存じなくて、申し訳ありません」
「それは気になさらないでください。僕はそういった女性のほうが好きですね」

 ふわっとした笑顔を浮かべて、さらりと、彼はとんでもないことを口にした。
 もしかしてこれは口説かれているのだろうか? 
 人生でこんなことは初めてだ。貴族の令息は華やかで美人でおしゃべりが上手な令嬢を好むから、本好きで基本ひきこもりの私に声をかけてくる人なんてほぼいないのだけど。
 めずらしい人だなあと思った。
 だけど、悪くない。私のことを好きだと言ってくれる稀有けうな男性で、そのうえ綺麗だし優しそうだし、仲良くなってもいい。
 そう思っていたら、彼からお決まりのお誘いを受けた。

「よかったらお茶でも飲みながらお話ししませんか?」

 もちろん了承した。
 ノゼアンはとても紳士的で、がつがつしてこなかった。お茶を飲みながら私の好きな本の話題を持ち出してくれるし、私の知らない社交界での話もしてくれた。
 夜会が終わる頃には私たちはお互いに名前で呼び合い、まるで昔からの友人のように親しく話した。
 あっという間に時間が経ち、名残惜しい気持ちをいだきながら彼と別れた。

「あなたにはいつかまた会えると思っています」

 そんな意味深な言葉を、彼は残していった。


   ◇


 そんなパーティーの夜から、私の心の中にはずっと彼がいる。
 ほんの二時間程度だったのに、数カ月が経った今でも彼の姿や声や、仕草や、何を話したのかさえ鮮明に思い出せる。
 日が経つにつれて忘れるかと思いきや、頭の中でどんどん彼が美化されていくのだ。
 いつか会えるっていつなんだろう? 
 そんなことばかり考えてしまって、読書をしても内容が頭に入ってこない。
 夜空を見上げるたびにノゼアンの顔が浮かんでくる。
 もしかしてこれが恋なのかなと思ったりしたが、よくわからなかった。
 誰かと恋愛について語ったりしたことなどないし、だいたい親から愛情をろくに受けていないのだから、誰かを愛する気持ちなど理解できない。
 ただ、あの美しい彼に会いたい気持ちだけが強かった。
 けれど、この半年間まったく彼と再会することはなくて、いい加減に諦めなきゃいけないというときに、王宮入りが決まった。
 これはいい機会なのかもしれない。
 もう会えない人をきっぱり忘れ、毒親たちと離れられる。
 私の新しい人生がスタートするのだ。

「――そういえば王宮の書庫は広いのかしら? うん、きっと広いわね」

 少しだけ痛む胸は、読書でまぎらわせることにしよう、と私は小さく頷いた。


 そして王宮に向かう前日の夜、クオーツ伯爵家には人があふれていた。私の王宮入りを祝うという名目で、今までほとんど関わったことがない親戚たちがどっと押し寄せてきたのだ。

「このたびはおめでとうございます」
「ありがとうございます」

 私は父のとなりですべての客に対応しなければならなかった。
 長時間にわたって笑顔を作り、そろそろ表情筋がりそうだ。
 こんなことをしている暇があったら何冊本が読めるだろう? 
 私は笑顔を保ったまま胸中で何度もため息をついた。
 父は偉そうに胸を張って「娘がこれほど聡明に育って私も誇らしい」などと言っている。
 ――いやいや、あなた、私のことほとんど知りませんよね。なんなら私がどんな本を好み、学校で何を学んだのかも、商売人の真似事をしていたけど成績が学年トップだったことだって知らないでしょう。
 本当におめでたい人ですね。
 冷めた目で父を見つめていたら、今度は継母が口を出した。

「立派に育ってくれて、わたくしも感動しておりますわ。血のつながりがなくてもアクアはわたくしの娘に違いませんもの」

 一体どの口が言っているのだろうと呆れる。
 外面だけは完璧ですね、お継母かあ様。
 私が着飾ることをあれほど嫌がっていたのに、今日は高級衣装店でオーダーした立派なドレスを着せてくれたのだから。
 今日私が着ているのは、淡いブルーの生地に細かい刺繍と宝石がちりばめられ、シンプルで清楚なドレスである。
 そんな私のとなりで継母は真っ赤なドレスを着て、かなり目立っている。ネックレスや宝石もきらびやかで、一体どちらが主役なのかと問いたいが、面倒なので言わない。
 とりあえず、この芝居じみた家族ごっこが早く終わってくれないかと、そればかり願っていた。
 そんなときだ。

「あはははっ、お母様のほうが目立ってる!」
「ほんとだあ。お姉様のお祝いなのに!」

 遅れてやってきた無邪気な妹たちが、見事な突っ込みをしてくれた。
 客たちは苦笑し、継母は真っ赤な顔をしてふたりに「黙りなさい」と注意した。しかしあまりに恥ずかしかったのか、彼女は急いで自室へ戻っていった。おそらく黒のストールでも巻いて目立たなくするつもりだろう。
 大声を上げて笑いたくなるのを堪える。

「――あなたたち、ほんと最高だわ。だけど、あまりお母様のご機嫌を損ねないようにね。約束できる?」

 自分の子どもにも無関心な女だ。今後私がいなくなって妹たちがつらい思いをするのではないか、それが気がかりだった。使用人たちにくれぐれもよろしくと伝えてはいるが、それでも心配だ。
 笑顔と少しの不安を込めてふたりの頭を撫でると、妹たちは目をキラキラさせながら頷いた。

「うん。オーロラいい子だよ。お姉様との約束守る!」
「ローズもいい子だよ。お姉様!」

 ふたりの視線があまりにもまっすぐで、私は胸がぎゅっとなり、妹たちをそっと抱きしめた。


 私の王宮入りの祝いと称した夜会は、夜遅くにようやくお開きとなった。結局父も継母も自慢をしたいだけで、私はただ人形のようにその場にいるだけだった。
 寝る支度をして自室のベッドに座ると、疲れがドッと押し寄せて息を吐いた。
 そこへノックの音がして眉をひそめた。
 何か用事でもあっただろうか、と思いながらドアを開く。
 するとなんとそこにいたのは継母だった。当たり前だけどそんなことは初めてで驚いてしまう。

「……早朝に出発するので早めに休みたいのですが?」

 今夜の夜会への苦言か何かだろうか。
 最後まで嫌な思いをしたくない。話があるならさっさと終わらせたい。
 顔をしかめながらそう言うと、継母は思いがけない行動に出た。
 いきなり私に頭を下げたのだ。

「今までのおこないを謝るわ。だから許してちょうだい」

 一瞬何が起こったのか理解できず、固まってしまった。
 しかし、継母がわざわざそんなことをした理由はすぐにわかった。
 明日、私は国王の妃となる。そんな私に今まで意地悪をしていたという噂が、社交界で出回るのを恐れているのだろう。
 それに気がついた瞬間に、すっと頭が冷えた。
 父と会話をする私が気に入らないからと私の頬をぱたいたこと。
 父に見えないところで怒鳴ってきたこと。
 一緒に食事をしたくないからと私だけ部屋に閉じ込めたこと。
 私の子供の頃のドレスをすべて捨てたこと。
 その中でも一番つらかったその思い出に、私はぎゅっと目をつぶった。
 捨てられたものの中には、亡くなった実の母が買ってくれたドレスもあった。
 今さらそれを責めたところでドレスが戻ってくるわけじゃない。
 それでも、これで最後だし一発くらい、いいかなと思った。

「顔を上げてください」

 そう言って継母が顔を上げた瞬間、私は彼女の頬を思いきりぱたいてやった。
 結構いい音がした。
 驚いて固まっている彼女に、私は告げる。

「子供の頃叩かれたので、お返しです。だけど、あなたにされたことがこれだけで帳消しになるとは思えないので、許すつもりはありません」
「そ、そんな……」

 継母の目が見開かれる。その表情を見ても、別にスッキリはしなかった。

「ご安心ください。私はあなたに一切関心がありませんから。王宮入りしてもあなたの話題を持ち出すことはないでしょう」
「あ、そう……そうよね」

 継母はあきらかに安堵の表情になった。
 結局、彼女は自分の体裁が悪くなるのを恐れているだけだ。詫びる気持ちなど欠片かけらもない。本当に自分のことしか考えられない人なのだ。
 もう一発くらい殴ってもいいのかもしれないけど……

「あなたはもっとオーロラとローズに目を向けてあげてください。まだまだ母親が恋しい年齢です。では、もう寝ますから出ていってください」

 こんな人でもふたりの子の親なのだから、しっかりしてほしい。
 それだけを祈って言うと、継母はばつが悪そうにわずかに頷いて、そそくさと部屋を出ていった。
 もう二度と、継母と会うことはないだろう。父とは王宮で会うだろうけど、こちらも遠慮したいくらいだ。この家を出ることに寂しさを感じるような愛情を、父たちから受けることはなかったのだから。
 はぁ、疲れた。
 そのままベッドにうつ伏せになると、思ったよりも継母との会話に体力を使っていたのか、私の意識はすぐに闇に溶けていった。


 翌日、王宮から立派な馬車が迎えに来た。
 世間体のためか、家族全員と使用人たちが私の見送りをした。
 父は「立派にやりなさい。お前なら正妃の座を勝ち取れる」などといかにも自分が立派に育てたと言わんばかりに私の肩を叩こうとする。
 とりあえずその手をかわして、控えめに笑って「はい」と返事をしておいた。
 継母は私の目を見ようともせず、「お元気で」と言った。
 それにも笑みを作って「はい」と返事をした。

「お姉様っ! 行かないでえっ!」
「寂しいよおっ! お姉様っ!」

 オーロラとローズは泣きながら飛びついてきた。ようやく私は張りつけた笑みを緩めて、二人を抱きしめた。

「手紙を書くからね」
「絶対よ!」
「あたしもお手紙を書くから」

 ふたりの額にお別れのキスをする。それから、馬車に乗り込んだ。
 馬車の窓から見える、今まで暮らしていた伯爵領の景色が遠ざかっていく。町を出る頃までは妹たちのこと、これからの生活のことが少し不安だった。
 けれど、しばらく馬車を走らせ、王都が見えてくるうちに、私は息を深く吸い込んだ。
 もう、家を出てしまった私がこれからできることは限られている。
 王宮入りに際して、私に命じられたのは王の五番目の妃になること。
 つまり側妃になることだ。
 王宮にはすでに四人もの妃がいて、そのどれもが側妃であり、正妃はまだいない。
 なぜ四人も妃がいて、さらに私が選ばれたのかは定かではない。
 けれど、それだけ妃がいれば権力争いが勃発しているだろうことは想像に難くない。
 正妃がいない、ということは、どの妃も次代の国王を生む国母になりうるということだ。おそらく四人の妃たちは半端ではない重圧を抱えているだろうが、はっきり言って私には関係ない。
 クオーツ伯爵家がどうなろうと知ったことではないし、一応命令どおり嫁いだ身ではあるが、私は正妃の座に興味がない。
 私としては権力争いに巻き込まれないようにひっそりと身をひそめ、大好きな本を読みながら優雅にお茶でも飲んで暮らしていきたい。
 つまり、まずは妃たちに私は無害だということを証明しなければならない。
 それには王の寵愛を受けるようなことがあってはならなかった。

「ふっ……すべて今まで読んできた本の受け売りだけどね」

 とはいえ、私物を王宮に軽々しく持ち込むわけにもいかない。何冊か持っていた本は実家に置いてきてしまった。
 鞄の中に潜ませておいた、分厚い革綴かわとじの冊子を取り出す。ただパラパラとめくってもそこには何も書かれておらず、白紙のページが続くだけ。
 これは雑記帳だ。
 本の代わりに、王宮のリアルをここにつづって楽しむために持参した。
 そう。私は目立たずひっそりと過ごしながら王宮で起こった面白い出来事を記し、平穏な暮らしに刺激を加えながらあくまで傍観者として楽しい王宮暮らしを満喫するのだ。
 私は妃教育を受けていないので早々に正妃争いから離脱します。というよりも、最初からそのステージには上がりません。
 この態度をあからさまにしておけば、他の妃たちから恨まれたり疎まれたりしないだろう。
 これは幼少期からつちかってきた災いを避ける方法だ。
 継母のおかげでこんな知恵がついたので、そこには感謝すべきかもしれない。
 はたして、ずっしりと重たい冊子が埋まるまで王宮に居るのだろうか、などと思っているあいだに王都の賑やかな中心部に差しかかった。
 民たちの拍手や歓声が聞こえる。国王が新しい妃を迎えるということで、町はお祭り騒ぎだった。
 シルバークリス王国の王都、セントプラチナは白い建物が多く、淡いブルーの屋根が並ぶ独特の町だ。太陽光のある昼間には町全体が輝いて見えるので【宝石の町】と呼ばれている。
 そもそもこの国は、【生命の石ラピスヴィータ】と言われる守護宝玉の不思議な力に守られている。このおかげで豊富な資源と温暖な気候に恵まれ、人々は豊かに暮らしている。
 ところが、この宝玉を狙う他国から幾度となく攻め込まれそうになった。それを退しりぞけていたのが国王、シエル・ラズライト陛下である。
 彼は神殿から【生命の石ラピスヴィータ】の祝福を受けた正式な王国騎士でもある。王になる前は騎士として戦場で数々の武功を上げたいくさの神と呼ばれる人物だ。
 ――一体どんな人だろう?
 馬車が進むごとに、さすがに緊張も高まってきて、荷物に冊子をしまいなおす。
 王城に到着すると、侍従や侍女たちによる盛大な出迎えを受けて、謁見えっけんの間へと連れていかれた。
 扉が開かれると、謁見えっけんの間の中には険しい顔つきの騎士たちがずらりと並び、重臣たちは全員硬い表情をして直立不動の姿勢を保っていた。
 そして一段上がった中央には玉座がしつらえられ、国王陛下が座している。
 国王への拝謁など初めてのことで、パーティーも苦手な私にはかなりハードルが高い。
 それでもなんとか作法を思い出しつつ、こうべれた。

「顔を上げよ」

 命じられ、ゆっくりと見上げると、視線の先にはつややかな黒髪に燃えるような真紅の瞳があった。
 ――これが、いくさの神ともいわれるシエル陛下。


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