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1巻

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   プロローグ


 彼に他に好きな人がいるのはわかっていた。

「ロバート様とキャロライン様、お似合いよね」
「お二人とも頭が良くて、並んでいると華があるものね」
「でも結婚はなさらないみたいよ」
「そうなの? 残念」
「あなたたち、私語をするならここから出て行きなさい」

 司書の先生に注意され、おしゃべりな女の子たちが図書室を後にすると、気配を消すようにして本を読んでいた女子生徒――シンシア・メイソンはようやく自由になれた気がした。

(お似合い、か……)

 彼女たちが話していた相手はシンシアの婚約者だった。
 ロバート・カーティス。
 さらさらとした黒髪に神秘的な紫色の瞳を持った、端整な顔立ちの男子生徒で、頭も運動神経も良く、男女問わず慕われていた。
 代々受け継がれる高貴な血を引く王侯貴族や、商売で巨額の富を築いた金持ちの子どもが通う学園において、彼のように注目を集めることはなかなか難しい。それだけ彼が優秀だとも言えた。
 対してシンシアは、少しウェーブがかった亜麻色の髪に、平凡な茶色の瞳をした、特にこれといった特技を持たない地味な少女だった。親しい友人も、一人もいない。
 自分とは正反対の学園の人気者である彼が、シンシアと婚約していることを、ほとんどの人間は知らない。
 なぜなら学園にいる間、ロバートがシンシアに話しかけることはなく、彼女も極力彼の視界に入らないよう気をつけていたから。二人とも、互いが婚約者であることを隠していた。

「結婚するまでは、好きにさせてほしい」

 それが、婚約者となったロバートと最初に交わした約束だった。
 彼が自分と結婚するのは、父であるメイソン伯爵から頼まれたからだ。
 ロバートの実家――カーティス侯爵家はメイソン家と古くから深く結びついている。窮地におちいった時はメイソン家が支援した過去もあり、現在も両家が共同で進めている事業があった。
 もたらされる利益は莫大ばくだいなもので、カーティス家がさらなる富と名誉を得るためにもメイソン家とのつながりは絶対に絶ち切るわけにはいかなかった。
 だからロバートは、シンシアのことが好きでなくても、本当は他の女性と結婚したくても、我慢するしかないのだ。

「もう閉館ですよ」
「あ、はい」

 シンシアは全く内容が頭に入ってこなかった本を棚に戻し、帰り支度を済ませて図書室を後にする。

(あ、ロバート様だ……)

 三階の渡り廊下で背の高い男子生徒の姿が偶然目に留まり、シンシアは足を止めた。
 ロバートの隣には腰まで真っ直ぐに伸びた赤髪の美しい女性がいた。
 キャロライン・スペンス。
 ロバートの好きな人。彼が本当に結婚したい人だ。
 二人は親密な様子で語り合い、口もとには笑みを浮かべていた。そうしてロバートが顔を寄せたかと思うとキャロラインが身を引き、そんな彼女を逃がさないように彼が強く抱きしめた。
 シンシアは見てはいけないものを見てしまったと、すぐにその光景から目を逸らした。その場に腰をおろし、かばんを強く握りしめる。

(ごめんなさい……)

 婚約者が他の女性と逢引あいびきしている場面を見たにもかかわらず、彼女の胸に湧いたのは罪悪感だった。
 自分の価値は、自分が一番よく理解している。
 ロバートに釣り合うものを、キャロラインにかなうものを、シンシアは何一つ持っていなかった。


「お帰りなさいませ、お嬢様」

 誰にも見つからないよう、細心の注意を払いながら寮の自室へ帰ってきたシンシアを、メイソン家からついてきたメイドが出迎えた。彼女はシンシアの身の回りの世話をするだけでなく、日頃の素行を親へと報告する大事な役目も任されている。
 貴族の淑女にとって、貞潔を守ることは何より大事なことだから。
 他の子たちも同じで、異性と間違いを犯さないよう、一日中男性の従者が見張っている場合もある。もちろん彼らが手を出すのは決定的な時だけであり、それ以外は他人の振りをしておくのが暗黙の了解であった。

「旦那様から、週末にはお帰りになられるよう手紙が届いております」
「……そう」

 メイドの言葉にシンシアは憂鬱ゆううつな気分になる。
 学園に通う者は普段寮住まいであるが、週末には届け出を出して家へ帰ることができる。家族に会えることを楽しみにして、大半の生徒は喜んで実家へ帰っていく。
 しかしシンシアは家へ帰るのが億劫おっくうであった。後妻となった継母と顔を合わせることもだが、父と話さなければならないことが特に。
 父は厳格な性格で、間違いを犯す者に理解を示さないという冷淡さを持っている。
 シンシアが幼い頃に母を病気で亡くし、隣国の貴族だった継母と再婚して以来、父が苦手だと思う感情に拍車がかかった。継母との間に半分血のつながった妹や弟ができると、いよいよ自分の居場所がなくなった気がした。

(ロバート様のことで、呼び出されるのかしら)

 婚約者が愚かな道を突き進まないよう、きちんと心をつかんでおけと。でも心配しなくたって、彼はきちんと約束を守るはずだ。もし破られたとしても、シンシアは別に構わなかった。

(そうなった方が、むしろいいのかもしれない)

 ロバートとの結婚生活が上手くいくとは、到底思えなかった。きっと彼はキャロラインのことを忘れられない。それに、親になる自信もなかった。
 今の自分はあまりにも頼りなく、誰かを守れるほど強くなかったから。


(あ――)

 放課後、いつものように図書室で本を開いていると、会ってはいけない人たちが足を運んできた。

「ロバート、見て。児童書があるわ」
「キャロラインは子どもっぽいな。児童書なんて子どもが読むものだろ」
「そんなことないわ。大人が読んでも面白いものよ」

 どうしてここに。……いや、二人だって図書室に来ることくらいあるだろう。

(見つかったら、お互いに気まずくなる)

 だからその前に図書室を出ようと、シンシアは入り口を目指す。大丈夫。二人とも自分の存在などまるで気づいていない。もう少し。あと少しで――

「ねぇ、待って」

 ぎくりとする。つかまれた手を振り払うこともできず、恐る恐る振り返れば、自信に満ちあふれた顔がこちらを見つめていた。

「これ、あなたの本ではなくて?」
「……いいえ。もとから置いてあったものです」

 か細く、震えそうな声で返答する。ロバートの方を見ることは、当然できなかった。

「あら、そうなの。引き止めてごめんなさい」
「いいえ、気になさらないで」

 まだ何か言いたそうなキャロラインから逃げるように背を向ける。
 心臓がばくばくとうるさく鳴り響いていた。

「なんで話しかけたんだよ」
「だって、どんな子か知りたかったんだもの」

 聞きたくないのに耳に届いてしまう。せめて図書室を出るまで待っていてほしいのに。
 自分がいないところでなら、いくら馬鹿にしても、嘲笑あざわらっても、構わないから。

「でも、案外普通の子ね」

 恥ずかしいという気持ちが胸にあふれて、泣いてしまいそうになった。唇を噛んで、必死にこらえる。

「あなたの婚約者だから、もっとすごい人かと思っていたわ」

 自分もそう思う。

(なんでわたしなんかがあの人の婚約者になってしまったんだろう……)

 みじめで、消えてしまいたかった。



   第一章 結婚生活


「ロバートとは上手くやっているのか」

 週末。メイソン家へ帰宅すると、シンシアは父の書斎に呼ばれた。

「はい、お父様」

 父と話す時、いつも緊張する。失敗するな。失望させるな――そう、彼の目は告げているから。
 だから到底上手くいっているとは思えなかったけれど、はいと答えるしかなかった。

「では、なぜもっと一緒にいない」
「結婚するまでは、お互いの時間を大切にしようと二人で話し合ったんです」

 あらかじめ考えていた台詞セリフを答える。父は嘘をついていないかどうか、じっと見定めてくる。

(知らない人みたい……)

 父の容姿は、シンシアとほとんど似ていない。唯一の共通点と言えば、茶色の瞳くらいだろう。その他は何もかも違う。何でも完璧にこなし、他者を服従させる圧倒的な強さがある。
 弱味を少しでも見せれば、シンシアは見放されるようなおびえを抱いてしまう。異母妹や異母弟は何の緊張もなく無邪気に父に接しているが、自分にはとても無理だった。
 今だって、気の利いた一言さえ発することができないのだから。

「そうか。だが、もう少しロバートと話す機会を増やしなさい」
「はい。そうします」
「他に困っていることはないか」
「いいえ。特にありません」
「……では、もう部屋へ戻りなさい」

 父はこれ以上話しても時間の無駄だと判断したのか、話を打ち切った。
 シンシアは重い足取りで父の書斎を後にする。途中でふと足を止めて窓の外を見れば、継母の子である弟や妹たちが楽しそうに遊んでいる光景が目に映った。

「あら、お姉様。帰ってきてたの?」

 ぼんやりと眺めていたら、シンシアの向かいから妹の一人が駆け寄ってくる。

「ええ。お父様とお話しすることがあって」
「ロバート様のこと?」
「えっと……」
「あーあ。いいなぁ、お姉様は。あんな素敵な人の奥さんになれて。私がロバート様の花嫁さんになりたかった」

 シンシアがどう答えるか迷っていると、たしなめるように妹の名前が呼ばれた。振り返れば、美しく着飾った女性が眉根を寄せて近づいてくる。

「めったなことを言うものじゃありません」
「でもお母様。メイソン家の娘なら、私が選ばれてもいいでしょう?」
「あなたとロバート様だと歳が離れているから、シンシアの方がちょうどいいんですよ」
「ロバート様みたいな方だったら、歳の差があっても別に構わないわ」
「またそんなことを言って……心配せずとも、あなたにもとびっきりの婚約相手をお父様が見つけてくれますよ」
「本当?」
「ええ。当たり前でしょう。あなたは私たちの可愛い娘なのだから」

 母親の言葉に妹はくすぐったそうに頬をゆるめ、はにかんだ。

「ふふ。じゃあ楽しみにしているわ」
「ええ、楽しみにしていらっしゃい。それより、そろそろお食事の時間だから、食堂へ行きなさい」
「はーい」

 ぱたぱたと駆けていく妹は、まだ淑女ではなく、少女の段階だ。ぼんやりとその後ろ姿を見ていると、継母が申し訳なさそうな口調で謝ってくる。

「ごめんなさいね、シンシア。あの子が失礼なことを言ってしまって」
「大丈夫です。気にしていません」
「そう? ならいいんだけれど……」

 ふと沈黙が流れ、継母が必死で会話を探そうとしているのが伝わってくる。

「それで……夕食はどうしましょうか。私たちと一緒に食べるなら、すぐに用意させるけれど……」
「いいえ。せっかくですけれど……疲れてしまったので、夕食はいりません」

 そう言うと、彼女は露骨にほっとした表情を浮かべた。

「わかったわ。じゃあ軽いものだけでも後で部屋へ運ばせるわ」
「ええ。そうしてもらえると助かります」

 継母と別れると、シンシアはもう一度窓の外へ目をやった。
 子どもたちはまだ遊んでいたが、ちょうどナースメイドが終わりを告げたようだ。ボールやラケットを放り出し、彼女の腕の中へ飛び込んでいく。そして嬉しそうに顔をほころばせて、何かを一生懸命伝えていた。この後彼らは食堂へ行き、そこでまた両親に今日一日の出来事を語って聞かせるはずだ。
 シンシアは目を閉じてその先を想像しまいとしたが、まぶたの裏に弟妹たちの笑顔が勝手に描かれていく。我が子の話に真面目な顔で耳を傾ける父と、優しい目をして相槌あいづちを打つ継母の姿も。
 幸せな、家族の光景だった。

(早く帰りたい……)

 帰る場所もないのに、シンシアはそう思うのだった。


     ◇


「シンシア。少しいいか」

 放課後、帰ろうとしたシンシアは、突然ロバートに呼び止められた。彼は人気ひとけのないところまで行くと、シンシアの目を真っ直ぐに見つめながら口を開く。

「メイソン伯爵に何か言った?」

 シンシアはロバートの目が怖くて、うつむきがちになって答えた。

「……あなたと上手くやっているかどうか、聞かれました」
「ああ、それでか」

 一人納得した様子でロバートは苦い顔をする。
 怒らせてしまったと思い、シンシアは言い訳の言葉を探す。

「上手くいっていると、答えたんですけれど……」
「きみの言葉より、メイドからの報告を信用するだろう。きみの父親は」
「そう、ですよね……ごめんなさい」

 ロバートはため息をつき、くしゃりと前髪をかき上げた。

「面倒なことになったな……」
「あの、ごめんなさい」
「謝っていても、解決にはならないだろう」

 その通りなので、何も言えない。彼はしばらく考えていたが、仕方がないというように提案した。

「きみと過ごす時間を作ろう。そうすれば、メイドもその通りに報告するはずだ」

 シンシアは顔を上げて、首を横に振った。

「そんな、悪いです。あなたの時間が無駄になってしまう……」
「きみの父親の機嫌を損ねればもっと面倒なことになるから、無駄ではないさ」
「でも……」
「きみは放課後、何をしているの?」

 うじうじと悩むシンシアを放って、ロバートはさっさと話を進めていく。

「図書室で過ごしています」
「毎日?」

 こくりと頷く。婚約者なのに、互いが何をしているか全く知らない。ロバートはシンシアに興味がないから。

「じゃあ俺もその時間、一緒に過ごそう。しばらく毎日二時間くらいそうして過ごせば、十分だろう」
「……キャロライン様は、いいんですか?」

 シンシアが思いきって尋ねれば、ロバートは眉根を寄せた。
 聞いてはだめだったのかもしれない。でも、彼女の気持ちを無視してしまえば、もっと怖いことが起こりそうで、シンシアは引けなかった。

「わたしと一緒に過ごせば、きっと彼女は――」
「彼女のことはいい」
「でも」
「仕方がないことだと、理解している」

 それ以上彼女のことには触れるなという拒絶を感じて、シンシアは口を閉ざすしかなかった。


 それからロバートと一緒に過ごす時間が増えた。
 彼はたいてい遅れて図書室にやってきた。シンシアは毎回早く席について彼を待っていた。面倒事に付き合わせてしまって、申し訳なかったから。
 彼を入り口で見かける度、教師が入ってきたかのような気持ちになる。
 何か言葉をかけようかと悩んでも、何も言わなくていいと目で制されて、結局じっと本の文字を眺めていた。
 会話することはほとんどなかった。はたから見ても、ただ近い席に座っているだけに見えたことだろう。息が詰まりそうだった。読んでいる本の内容なんか、ちっとも頭に入ってこない。
 けれど苦痛を覚えているのはロバートも同じだろう。
 時間が来ると、サッと立ち上がって、何も言わず一人図書室を出て行ったから。その後ろ姿は退屈な授業がやっと終わり、颯爽さっそうと講義室を出て行く生徒たちとそっくりだった。
 図書室の外にはキャロラインがいた。ロバートの顔を見ると、ほっとしたように頬をゆるませる。こちらからは見えないが、きっと彼は申し訳なさそうな表情をして微笑んでいるはずだ。

(こんなことをして、意味があるのかしら)

 父だってわかっているはずだ。結婚と恋愛は別。
 籍を入れるまでは誰と付き合おうと黙認するのが、この学園での常識だと。
 無理矢理引きがそうとすればするほど、相手への気持ちが抑えきれなくなって、選択を誤ってしまう危険があることを、大人である父はわかっていない。

「――シンシアさん。ちょっといいかしら」

 ある日の放課後。とがめるような鋭い声で呼びとめられ、シンシアはびくっと肩を震わせた。振り返り、キャロラインの姿に驚くも、心のどこかではやっぱりと思う自分もいた。

「話したいことがあるんだけど」
「……はい」

 キャロラインはシンシアを人気ひとけのないところへ連れていった。ロバートと同じだ。
 しかし彼と違い、なかなか用件を言い出さなかった。ようやく口を開いたかと思えば――

「あなたみたいな人、私嫌いだわ」

 端的に、そう告げられた。
 いつかこういう日が来ると覚悟していたが、攻撃的な言葉――キャロラインには一切そうしたつもりはなく、ただ事実を述べているだけかもしれないが、シンシアは心臓にいきなり刃物を突きつけられた気分だった。

「何の努力もしないで、ただ家の関係だけでロバートと一緒になることができる。それならそれで喜べばいいのに、自分は不幸ですって暗い顔をしている」

 頭の中が真っ白になって、馬鹿みたいな表情で彼女の顔を見つめることしかできない。

「あなたみたいな人と結婚しなければならないロバートが可哀想」
(わたしも、そう思う……)
「黙ってないで、何か言ったらどう?」
「……ごめんなさい」

 何か言わなきゃ、と思って絞り出した言葉は、かえってキャロラインをいらつかせるだけだった。

「またそうやって卑屈になって。謝れば済むと思っているの?」

 違う。そんなこと思っていない。

(どうすればいいかわからないの)

 そうした気持ちを説明できないシンシアに、キャロラインはもういいと言うようにため息をついた。

「とにかく、もう少し努力してよ。そうでないと納得できないし、諦めきれないわよ」

 言いたいことをすべて言い終わると、キャロラインは颯爽さっそうと去っていた。
 シンシアは力が抜け落ちたようにその場にうずくまり、涙を膝の上に落とした。
 助けてほしいと思っても、そばには誰もいてくれない。

(そもそもわたしは、何を助けてほしいんだろう……)

 それすらわからない今の自分の状況に、乾いた笑いが漏れた。


「ロバート様」

 その日、キャロラインは図書室の外にいなかった。
 だからシンシアはロバートに少しだけ時間を作ってもらった。

「何だ」
「……わたしと、本当に結婚なさるつもりですか」

 ロバートは何を今さらと呆れた様子でシンシアを見る。

「これは家同士が決めたことだ。俺に決定権はない」
「わかっています。でも」
「キャロラインだって、俺以外のやつと結婚する」

 シンシアは目を見開いた。

「そんな……」

 てっきり彼女はロバートへの気持ちをつらぬくと思っていた。そんなシンシアの考えを、ロバートは笑った。

「きみは子どもだな」
「わたしは……」
「大人はみんな割り切って生活している。きみの父親だって、そうだったろう?」

 母が亡くなって、後妻をめとった父。二人の間にはたくさんの子どもたちがいる。子の数が愛情のあかしだとは思わないが、父と継母が何度もそういった行為をしたことは確かだった。

「……そう、ですね」
「だろう。俺の家はきみとの結婚で得られるものに不満はない。きみの家だって、そうだ」
(他に好きな人がいても? わたしを愛していなくても?)

 けれどそうした疑問を、彼はうとましく思うだろう。だから何も言わず、黙って頷いた。

「結婚して、子どもを産んだら、自由にしていい。だからそれまでは我慢してくれ」

 それはロバートにも言えることで、シンシアはもう何も返せなかった。
 結局それから、父はロバートと上手くやっているようだと判断し、義務的な交流は毎日ではなく、週に何度かのものとなった。
 それも次第に途絶え、ロバートとキャロラインの仲がまた学園内で話題になったが、二人にそれぞれ婚約者がいることが発覚して、非難する者たちも少なからずいた。
 しかし同じことをやっている者は他にもおり、学園に在籍している間の、ほんの束の間の自由に溺れる時間を止めることは誰にもできなかった。


     ◇


 卒業して一年後、シンシアはロバートと結婚した。

「きみには友人があまりいないんだな」

 結婚式を終えて、寝台に腰掛けたロバートが口を開く。

「ええ。あまり話すのが得意ではなくて……」

 たくさんの視線にさらされて身も心も疲れ果てていた。それでもまだすべきことが残っていた。これを果たさなければ彼の妻になったとは認められない。

「社交界で苦労するんじゃないか」
「あなたのお義母様かあさまに紹介していただいたご友人がいるから……たぶん、大丈夫です」
「たぶん、か……」
「その……」
「きみはいつも自信がないな」
「ごめんなさい……」
「すぐに謝るところもそうだ」

 頬に触れられ、顔を上げさせられた。
 彼の瞳は真っ直ぐに自分を見つめており、シンシアは逃げ出したくなる。

「逸らさないで」

 彼の端整な顔が近づいてくる。息を肌に感じる。唇がほんの一瞬触れたかと思うと、もう一度押し付けられ、どんどんとその時間が長くなっていく。

「口を開けて」

 言われた通り、彼女はおずおずと口を開いた。


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