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2巻
2-1
しおりを挟む第一章 王都への旅
ブラック企業勤めのサラリーマン、高橋渉は、「異世界に行きたい」と口に出したことがきっかけで、女神アリーシャによって異世界のバーナード伯爵家次男アレクへと転生した。
しかしその伯爵家では、使用人も含め家ぐるみで、妾の子であるアレクを迫害してくるという環境だったため、アレクはすぐにその環境からの脱出を決意する。
なお、転生した際に与えられた5つのスキル――〈全知全能薬学〉〈薬素材創造〉〈調合〉〈診断〉〈鑑定〉――に当初アレクは不安を覚えていたが、それらはチートと言っていい最強スキルだった。
〈全知全能薬学〉〈薬素材創造〉〈調合〉は、あらゆる薬の知識を閲覧し、その素材を生み出し、調合するという一連の流れを完璧に行うことができる。そして〈診断〉〈鑑定〉を使えば、対象の病気や状態を高い精度で確認することができるのだ。
アレクはそんな最強スキルを活かし、伯爵家への復讐心を抱えながら脱出したのだった。
そうして、伯爵家で唯一アレクのことを気にかけていた専属メイドであるナタリーとともに馬車で旅をしている途中、アレクはオークに襲われていた老人を救う。
その老人はなんとヨゼフ・フォン・ヴェルトロ子爵で、アレクは養子として子爵家に入るよう提案され、それを受け入れた。
こうして転生早々に大きく環境を変えたアレクだったが、そんな彼の複雑な身の上に同情したヨゼフとその妻のカリーネに愛されながら、子爵家で幸せな生活を送るのであった。
◆ ◇ ◆
アレクは子爵領で暮らすかたわら、転生して以来の目標である冒険者になるため、仲間探しをしていた。
そうしてひとまず、子爵家の騎士団の元団長であるノックス、続いて奴隷商会で魔ノ国の王子パスクワーレ、そして最後にノックスのかつての仲間である魔法使いオレールをパーティーに引き入れた。
それからアレクの生活はより一層慌ただしいものになっていく。
屋敷の使用人全員にパスクワーレの紹介をしたり、ノックスと魔法の訓練をしたりと、やることがたくさんあったからだ。
オレールは子爵家が用意した家に引っ越しをして、日中は私兵の訓練に参加して勘を取り戻そうと頑張っている。
そして今日、アレクはヨゼフとカリーネとセバンと一緒に、王都へと向かう予定である。
国王が企画した晩餐会が開かれるからだ。
晩餐会を前に、アレクの薬によって二十代頃の姿に若返ったヨゼフ、カリーネ、執事のセバンの三人は元気が溢れている。
護衛はヴェルトロ家の騎士団のロイス団長と副団長、それに騎士が十名付いてくる。
ちなみに、ノックスとパスクワーレは子爵家を守るために残ることになった。
「アレク様、無事を祈っています」
ナタリーがアレクの手を握りながら心配そうに訴える。
「心配してくれてありがとう、ナタリー。でも、こっちには私兵もいるし、セバンもいるから大丈夫だよ。それより、また変な輩が子爵家に来たら、すぐに逃げるか隠れるようにしてほしい」
アレクはもしものことを心配し、ナタリーにそう伝えた。
「はい! 先日、アレク様から言われた通りに行動しますね」
そんな話をしていると、カリーネがアレクに声をかける。
「アレクちゃん、そろそろ馬車に乗りましょう」
「はい! じゃあナタリー、行ってくるね」
「いってらっしゃいませ。アレク様」
アレクが手を振りながらナタリーに言うと、ナタリーも手を振りながら見送る。
ノックスが拳を突き出すと、アレクも拳を突き出す。
アレクとノックスは前日に色々言葉を交わしたので、行く前に再度何か言葉を交わすことはなかった。
「ハァハァ、皆さん、すいません。お待たせいたしました」
息を切らせて馬車に着くと、もう皆座っており、アレクを待つのみであった。
セバンが貸してくれた手を取り、アレクは馬車に乗り込む。
「構わんぞい。屋敷の者とは数日会えないのじゃ。別れの挨拶は大事じゃからのぅ――よし、出発してくれ」
そうヨゼフが言うと、セバンがロイス団長に合図を出す。すると馬車が動き始めた。
少ししてから、アレクはヨゼフに質問をする。
「父上、王都まではどのくらいかかるのですか? あと、どれくらい滞在するのですか?」
「王都までは三日くらいじゃな。滞在期間も三日を考えておる。晩餐会とは別に王都で一日のんびりする時間を作っておるから、王都見物をしてきてええぞい。その時の護衛はセバンに頼もうと思っておる」
三日間は馬車の揺れによるお尻の痛みと戦うのか、とアレクは早くもお尻の心配を始める。
しかし、それより初の王都に心躍らせ、どんなところか妄想を膨らませるのだった。
「はい! 私にお任せください。アレク様には虫一匹近寄らせません」
若返ったセバンは仕事の合間を縫って密かに訓練をしており、さらに強くなっている。
アレクが密かに鑑定したところ、思わず叫びそうになるほどのステータスとなっていた。
「セバンは頼もしいわね。あなた、私もアレクちゃんと王都見物に行ってきてもいいかしら?」
「うむ。構わんぞい。ワシも行きたいが、色々やることがあってのう……帰ったあと、土産話を聞かせてくれんかの?」
アレクは今のカリーネとヨゼフのやり取りを聞いて、本当に仲のいい夫婦だなと思う。
(将来結婚する機会があれば、こんな夫婦になりたいな)
前世でモテていなかったアレクは、果たして結婚できるのか? という焦りも同時に感じていた。
(女神様、高望みはしませんから、献身的で性格のいい女性と結婚できますように)
――そんな思いはさておき、馬車は王都へと進んでいった。
その後は他愛もない話をしながら馬車に揺られ、今日泊まる町に着いた。
だが町の門前で、何かを大声で訴えている人がいるのに一行は気付いた。
「娘を……娘を助けてください!」
男性が汗を額に滲ませて、必死な顔をして叫んでいた。
「何度も言っていますが、その状態の人間を中に入れることはできません。もし、ここの住人に感染が広がったらどう責任を取るのですか?」
門番はそう冷たく言い放つ。苦しんでいる子供の姿を見て伝染病だと判断し、町に入れないようにしているのだ。
「ですが、このままでは娘が死んでしまいます。どうかお願いします!」
少女の父親は死にそうな娘のために必死に懇願している。
ヨゼフとアレクは、騎士団の隊員二人とともに彼らのもとへと向かうことにした。
「ワシらも町に入りたいのじゃが、なにやら揉めておる声が聞こえてのぅ。どうしたのじゃ?」
ヨゼフがそう尋ねると、門番はその見た目から、貴族だと気付き慌て始めた。
「た、大変申し訳ございません。すぐに通れるよう対応いたします」
「そうではないのじゃ。そちらの御仁が娘を助けてくれと言っているのが聞こえたもんじゃからな」
「はい。病気のようなのですが、あまりにひどい状態のため、伝染病かと思い、お通しできないとお断りしていたのです」
少女を見ると呼吸は荒く、顔色は真っ青だった。
アレクはすぐに〈診断〉を使う。
するとアレクの目の前に、患者の名前と病名、そして余命が表示される。診断結果には、新しく『症状』と『感染』が追加されていた。
患者:エリー
病名:血液性細菌感染症(重症)
症状:頭痛、咳、体温上昇、悪寒、ふるえ、手足の冷え、心拍数の上昇、呼吸数の増加
感染:伝染確率低
余命:二十八日
(スキルがレベルアップしたのか? それとも女神様からのプレゼントなのか?)
そう予想をするアレクだったが、はっきりしたことは分からないし、今はそれどころではない。
「父上、彼女は確かに病気でしたが、感染のリスクは基本的にはないようです。そしてこの子をこのままにすれば、一ヶ月も持ちません。もし許可していただけるなら、治療をしたいと思います。スキルを使ってもよろしいでしょうか」
小さな子が苦しそうにしているのは見過ごせないと感じたアレクは、そう言ってヨゼフに頭を下げる。その間も、少女は苦しそうにしていた。
「分かった。アレク、すぐ馬車から薬を持ってきなさい」
「はい! 分かりました」
馬車の中であれば、アレクがスキルで薬を生成している現場を見られないだろう。そう思ったヨゼフは、いったん馬車に戻るようアレクに指示を出した。
アレクはすぐに馬車に戻り、〈全知全能薬学〉で調べた治療薬を調合する。
薬を完成させたアレクは走って女の子のところに向かった。
少女の父親から「お願いします、どうかエリーを助けてください!」と言われる。止められることはなかったのは、アレクがいない間にヨゼフが説得してくれたためだ。
「エリーちゃん、口を開けて飲めるかな? 飲んでくれたら、苦しいのが治るからね」
アレクはそう言いながら、微かに開いた少女の口からゆっくり薬を流し込む。
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すると、少女の顔色がよくなり呼吸も正常に戻り、静かに眠り始めた。
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泥や吐瀉物で汚れた二人に《清潔》をかける。少女を抱き起した際に、アレク自身も汚れてしまったので、自分にも《清潔》をかけた。
「本当にありがとうございます! 今、手持ちはありませんが必ずお礼をお支払いいたしますので、お名前をお聞かせ願えませんでしょうか?」
父親は泣きそうになりながらアレクにそう話しかけてきた。
「私はアレク・フォン・ヴェルトロです。それと、お礼は結構ですよ。人助けでお金儲けをすることは考えていませんから。たまたま娘さんの病気に効く薬を持っていただけですので」
「ワシはヨゼフ・フォン・ヴェルトロじゃ。息子の言う通り、金はいらんよ」
ヨゼフはお礼を断ったアレクを見て、王都に着いたら、今回のご褒美にアレクにお小遣いを渡そうと決めた。
「私は王都の商会の会長をしております、ランドと申します。この子は娘のエリーです。荷馬車が壊れてしまったあと、娘が急に体調を崩してしまい、全てを捨ててここまで娘を背負ってきたのです。娘のこと、本当にありがとうございます」
ランドは貴族らしき二人が礼はいらないと言っているので、これ以上払うと言うのは不敬に当たると考えた。
「しかと礼の言葉は受け取ったでのぅ。早く娘さんを宿に連れて行ってあげなさい。これは少ないが路銀じゃ。返さなくてええからのぅ」
ランドが一文なしということが分かったヨゼフは、宿代と飯代と帰るための乗り合い馬車のお金を渡す。
「本当に何から何までありがとうございます。すぐ娘を宿に連れて行きます。このご恩は一生忘れません」
そう言うと、ランドは娘を抱きかかえたまま走って町へと入っていく。
その後、アレク達も門番の検査を受けたあと、宿に向かった。
一日目から大変なことが起こったなと思うアレクであった。
◆ ◇ ◆
町を出て、出発してから三日目。現在馬車は街道をひた走っている。もうすぐ王都に到着する予定だ。
一日目は少女を助けるというちょっとしたトラブルがあったが、昨日、今日と何も起こっていない。
変わったことといえば、王都に近付くにつれて人通りが多くなり、貴族が乗っていそうな豪華な馬車が増えたくらいだ。
「父上、母上、人が増えてきましたね。そろそろ王都でしょうか?」
多くなってきた人通りと、綺麗に舗装されている街道を見てアレクはそう尋ねる。
「もうすぐじゃな。王都の大きな壁と門が見えてくるはずじゃ」
「私も、王都は二十年ぶりくらいだわ。凄い楽しみよ」
カリーネは長らく病に臥せっていたため、王都にはしばらく行けていなかった。
やがて、高さ十何メートルはあろうかという王都の壁が見えてきた。大きな戦争が起こっても簡単には崩れないと感じさせる迫力だ。
「うわぁ~本当に大きいですね。オーガの一撃も耐えそうですよ」
アレクは以前戦ったオーガを思い出しながら話す。
するとヨゼフがしみじみと口を開いた。
「アレクにこの壁ができた理由を教えようかのぅ。この壁は二百年前に起こったスタンピードを教訓に作られたのじゃ。多くの魔物が王都に押し寄せ、あわや陥落というところまでいったらしいのじゃが、何とか殲滅に成功し、魔物を二度と王都内に入れないように強固な壁が建てられたと言われておる」
「そんな歴史があったのですね。まさか、王都が陥落するほどのスタンピードが起こるなんて……」
スタンピードとは森やダンジョンから大量の魔物が溢れ出すことである。
もし、陥落していたら今こうして王都を訪れることはできなかったし、そもそも、王国自体がなかったかもしれない。
「原因は不明じゃが、いつまた起きてもおかしくないからのぅ。もしかすると、ワシらの領に溢れ返るかもしれん。じゃが兆候はあるからのぅ。逃げる時間くらいはあるから心配せんでもええぞい」
アレクは、もしそうなったとしたら薬をどれだけ使っても、助けられる命は助けたいと思った。
ようやく王都の門に到着した。護衛として同行してくれていたロイス団長が馬車を降り、門番と話している。しばらくして門番がこちらにやってくる。
「申し訳ございませんが、馬車内の検査をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「構わんぞ」
「ありがとうございます。では一度馬車から降りていただけますでしょうか」
馬車から降りると、門番はあちこちを軽く叩いたり、中を覗き込んで目視確認をしたり、色々な検査を始めた。
ちなみに、叩くのは変な空間がないかを調べるためだ。そうした空間に違法な物が隠されていることがある。
「――異常はないようですね。ご協力感謝いたします。それではどうぞお入りください」
何も問題がなかったようで、王都に入る許可が出た。
アレク達は、再度馬車に乗り込み王都内に入る。
「父上、王都ではいつもあのような検査があるのですか?」
「いや、普通はないのじゃが……晩餐会があるからかのぅ? まあ、気にせんでええぞい」
「はい。王都見物と晩餐会のことだけ考えておきますね」
「そうじゃな。明日はカリーネと楽しんでくればよい。小遣いもたっぷりやるからのぅ」
「父上、ありがとうございます。いっぱい楽しんできますね」
「よいよい。アレクが幸せなら、ワシもカリーネも嬉しいからのぅ」
「そうよ! アレクちゃん! 王都は楽しいところがいっぱいよ、たくさん楽しみましょう」
これぞ幸せな家庭といった感じの会話が馬車内で繰り広げられる。
セバンはその光景を目の当たりにし、目頭を押さえていた。
「なんと素晴らしいのでしょう。私も若返りましたし、家庭を持つのもいいかもしれませんね。第二の人生をアレク様に頂いたのですから」
王国を腐敗から立て直すための粛清部隊のボスとして気が抜けない中におり、家庭を持つことを禁じられていたセバンだが、今はそんな生き方をしなくてもよい。
「それはいいわね。セバンならきっと引く手あまたよ。セバンはどんな人が好みなのかしら?」
「そうですね……今まで女性とあまり関わりがありませんでしたから、多くは望みません。家庭を大事にしてくれて、子供と私を愛してくれる方ならどんな方でも構いません」
ヨゼフとカリーネとアレクは、見た目も性格もいいセバンならば、そのような女性はいっぱいいるだろうと思う。
「それなら、お見合いとかいいかもしれないわね。セバン以外にも結婚をしたい人を集めてお見合いをするのよ。ふふふ、楽しみになってきたわ」
カリーネはそんなことを口走る。
「カリーネ、セバンの意見もちゃんと聞くのじゃぞ」
なぜかノリノリの二人を見て、セバンとアレクは大変なことになりそうだと顔を見合わせるのであった。
無事に宿に到着し、翌日。
宿を出て歩きながら、アレクは昨夜のことで文句を口にする。
「お母さん、昨日は寝苦しかったよ。まさか、お父さんとお母さんに抱きつかれて寝ることになるとは思わなかった」
セバンが一人部屋でヴェルトロ一家は同じ大部屋に泊まったのだが、ヨゼフとカリーネはアレクを真ん中に挟んで、彼を抱き枕にしていたのである。
「だって、アレクちゃんが可愛いから仕方ないじゃない。お母さんのこと嫌いなの?」
カリーネはわざと悲しそうな表情を浮かべながら言う。
「お母さんのことは嫌いじゃないよ。でも、可愛い子ぶるお母さんは嫌いだな。普段のお母さんが好きだよ」
「うっ……そんな笑顔で言われたら私が悪いみたいじゃないのよ。はぁ~お母さんが悪かったわ。アレクちゃん、ごめんなさい」
カリーネは素直に謝る。
「いいよ。その代わり、今日はセバンも含めていっぱい楽しもうね」
アレクは王都見物の話に話題を変える。今日は馬車を使わずにのんびり王都見物をする予定だ。
色々な屋台やお店が気になって仕方ない。
それから、色々見て歩いていると人だかりができている場所を通りかかった。疑問に思ったアレクは立ち止まる。
「ねぇ、あの人だかりは?」
「なにかしらね?」
「なんでしょうか? 危険はなさそうですが」
セバンは護衛として危険がないか、〈気配察知〉というスキルを常に使いながら周囲を警戒していた。
背伸びをして観察を終えたセバンが正解を伝える。
「あれは腕相撲大会ですね。王者は《身体強化》を腕に集中させて一気に爆発させる技術を使っています。アレク様、肩車をしますので見てください」
《身体強化》とは魔法の一種で、自身の肉体を一時的に強化することができる。
肩車をされたアレクが見てみるも、感知スキルがないアレクには全く分からなかった。
魔法は訓練により習得できるものがほとんどだが、スキルは生まれ持った才能のようなもので、後天的に獲得することは難しい。
ちなみに、セバンは〈魔力感知〉というスキルで魔力の流れを感知しているから分かるのである。
「見ただけだと分からないな。でも、腕だけに集中させる技術……魔力操作に長けているんだろうね」
アレクがそう言うと、セバンとカリーネが反応した。
「アレク様、挑戦されたらどうですか? 修業の成果を見せる時ですよ」
「アレクちゃんが勝つところを見たいわ」
そこまで言われたらやってみたくなる。アレクはすぐに『腕力強化薬』と『瞬発力強化薬』を服用する。
ちょうどよく進行役が「挑戦者はいないかー?」と言っている。
「すみません。挑戦したいのですがどうすればいいでしょう?」
セバンが進行役の男に話しかける。
「お! 兄ちゃんやるかい? 金貨一枚を払って、もし勝つことができたら今日の勝ち分を総取りだ!」
テーブルに載っている箱の中には、結構な枚数の金貨が入っていた。
「挑戦するのはこちらのアレク様です。では金貨一枚払いますね」
周りからは「あんな小さい子が勝てるわけねぇだろ」とか「無駄な金を払うなら俺にくれ」などあまりいい声はない。ただ、何人かの女性からセバンとアレクに、「カッコいい」とか「可愛い」という声が上がった。
「まさか、この坊主が挑戦者かい? まぁ、金は払ってもらったんだ。構わないよ。じゃあ坊主、ルールを説明するぜ。ここに座って手を握り、三、二、一、始め!の合図で開始するんだ」
粗雑そうな進行役は意外にも、しっかりと説明をしてくれる。
だがもっと意外なことを目の前にいる王者の男が言ってきた。
「君、かなり強いね。流石にこんな小さい子に負けるわけにはいかないから、本気を出すね」
瞬時に実力を見抜かれ、やっぱり、王者はただの力自慢じゃないなとアレクは思った。
「はい! 本気で来てください。俺も本気でいきますから」
アレクは『武功』と《身体強化》を使って、さらに力を向上させる。
武功とは、体中に『気』を巡らせて肉体を強化する技で、アレクは薬を飲むことによってこれを習得していた。
そして手を握り合い、進行役の合図を待つ。
「ではお互い力を抜いて……三、二、一……始め!」
進行役の合図でお互いが力を入れるが、一向にその位置から動かない。
初めは子供相手だから力を抜いているのかと思っていた観客からも、次第に疑問の声が湧いてくる。
「ぐっ……やっぱり強いね。でも、負けるわけにはいかないから、これを使わせてもらうよ」
相手の力が急に強くなり、アレクの手がテーブルに付きそうになる。アレクも《身体強化》を腕に集中させてなんとか耐える。
「ぐぬぬぬ……」
アレクから耐える声が漏れる。
周りからは「頑張れ」とか「負けるな」などの声援が上がり、カリーネも「アレクちゃ~ん、頑張って」と叫んだ。
だが、勝負は呆気ない幕切れを迎えた。
二人のあまりの力に、テーブルが耐えきれず割れてしまったのだ。
「うわぁっ」
「うぉっ」
アレクと王者の男は思わず驚いた声を出す。
そして二人は倒れ込む。しかしその際も、お互いの手はしっかりと握られたままだった。
どちらが勝ったのか? 観衆が集まり二人を見ると、王者の男の手が上にあり、アレクの手が下にあった。進行役が叫ぶ。
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