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1巻
1-1
しおりを挟むプロローグ
「はぁ……はぁ……」
暗い部屋に一人きり。
もう何日も陽の光を浴びていない寝具で横になり、荒い呼吸を繰り返す。
日々弱っていく身体を労わる者はいない。額に置かれた手ぬぐいは既に乾き切っていた。
「は……はは」
思わず、笑いがこぼれる。
こんな扱いを受けている私が……この国の王妃なのだから笑わずにはいられない。
夫であり、この国の王でもあるアドルフ・グラナートは私を愛していない。
挙式後に側妃として娶ったヒルダにご執心だ。
かつては愛し合っていたはずの私とアドルフだったけれど、ヒルダが来てからは顔を合わせることすらなくなった。
国王の愛を失った正妃。それが、貴族たちが私に下す評価だ。
私だって、黙ってこの状況を受け入れた訳ではない。
少しでもアドルフの視界に入りたくて、彼から丸投げされた政務や外交に勤しんだ。
頑張っていれば、いつか彼が振り向いてくれると信じていた。
しかし……その努力は無駄だった。
「だ……れか。く、薬……を」
咳き込み、かすれた声で呟いても、外にいる侍女はクスクスと笑うだけ。
「ふふ、薬だってさ。行ってあげなさいよ」
「嫌よ。だって、アドルフ陛下から言われたもの……看病は必要ないって。死んでくれた方がいいみたい」
噓だ――そう思いたくても、アドルフから愛されていないことなんて、私自身が誰よりも知っている。
彼のために人生を捧げたのに、その結果がこれだ。
彼を含め、このグラナート王国の皆が孤独な王妃を嘲笑う。
「……なんだったのよ、私の人生って」
胸に締め付けるような痛みが走り、涙が流れた。
身体から力が抜けて、目の前が真っ暗になっていく。心も、視界も、絶望で塗り潰された。
あぁ……今になってようやくわかった。私の二十五年の人生は、最悪だった。
悲惨な運命を嘆きながら、私の命の灯は消えていった。
第一章 それでは、さようなら
目を開くと……見慣れた天井が視界に入った。
私――カーティアは寝台から起き上がりつつ、鏡を見つめる。
波打つ金色の髪に、闇夜のような黒の瞳……顔に何度も触れて確認する。
間違いない、私だ。
刺すような胸の痛みも咳もなく、火が出そうな程高かった体温も正常だ。
なに……夢でも見ているの?
湧き上がる疑問に首を傾げていると、扉が乱雑に開かれた。声かけもなく入ってきた仏頂面の侍女が水の入った桶と薄汚い布を置く。
「どうぞ! 朝の支度用です!」
「……」
いつも通りの侍女の様子に、言葉が出ない。
いったいなにが起こっているのか。
なにもわからないながらに、身体は習慣だった行為を自然となぞる。
凍てつくような水の冷たさに手をかじかませながら、濡らした布で顔を拭く。
食卓に向かうと、私の拳よりも小さなパンが置かれていた。
広い食卓に一人で座り、固く味もしないパンを食す。
「ドレスにお着替えください」
どうやら今日は、私の二十二歳の誕生会らしい。
正装でないと駄目だ、と侍女がドレスを運んできた。
着つけを手伝ってくれるが、コルセットの紐を意図的にきつく締め付けられる。
痛い……ということは、やはり夢ではない。
「ふん……冷遇されている王妃の侍女なんて最悪だわ」
「本当、私たちまで笑われているわよ」
部屋の外から、あえて聞かせるように侍女たちが話す。着つけをしている侍女が諌めることもない。
ドレスで着飾った後、髪は自分で結い上げた。
しかし……二十二歳の誕生会って、どういうこと? なにが起こっているの?
夕刻、私の誕生会には多くの貴族たちが集まっていた。
しかし、主役である私の傍らには誰もいない。
一人で壁際に立ち、遠巻きな嘲笑の視線にただ射貫かれている。
「ふふ、今日もアドルフ陛下はいらっしゃいませんね」
「当然よ。カーティア妃は愛されていませんもの」
「恥ずかしい、私なら生きていられませんわ。側妃に愛を奪われるなんて、みっともないもの」
周囲を見渡し、私はふぅーと息を吐く。
少しずつだけど、今の状況がわかってきた。
祝われてはいない誕生会を終えて自室へ戻ると、机の上には大量の書類が置かれていた。
やはりいつも通りの光景だ。アドルフの政務が私に回されただけ。
その書類仕事を、いつもは寝ずにこなすのだけど……
考えを整理するため、今日はなにも手を付けずに寝た。
翌朝、昨日と変わらぬ身支度を終える。今日は正装の必要はないから、一人で簡素なドレスを着た。
昨夜の政務をしなければならないという考えを振り払い、私は王宮内を歩き回った。
やはり、記憶と変わらない光景だ。
綺麗な花の咲き誇る庭園や、窓から見える景色。刺さるような侍女たちの視線、嘲笑、陰口。
そして……
「どうして、お前がここにいる?」
冷たく、突き放すような声色。
視線を上げれば……彼がいた。
落ちかけの紅葉のような赤茶の髪に、氷のような蒼色の瞳。
その瞳で私を睨みつけているのは、私の夫で……国王のアドルフ・グラナートだ。
かつては彼を愛し、彼に愛されたいと焦がれていた。
「あら? カーティアではないですか」
隣の女性が私の名を呼ぶ。
珍しい薄紫色の髪に、琥珀色の瞳に浮かぶ嘲りが、端麗な顔立ちを歪めていた。
自信満々の笑みと共に、見せつけるように彼に抱きついている彼女は、側妃のヒルダだ。
「政務はどうした? それが唯一、お前にできることだろう?」
「ふふ、アドルフの言う通りですわ。出歩いている暇などないのでは?」
冷たい対応も、今は気にならない。
記憶の中と同じかどうか確かめるために、沈黙したまま二人を見つめた。
「いやだ、気味が悪いわ。アドルフ、カーティアが喋ってくれません」
「放っておこう、ヒルダ。反論の言葉もないのだろう」
歩き出したアドルフは、私とすれ違う際に小さく呟いた。
「お飾りの王妃らしく、俺たちの愛の邪魔にならぬように尽くせよ」
『お飾りの王妃』……か。
傷付きはしなかった。もう、前回の人生で流す涙は枯れきったから……
私室に戻る頃には、考えはまとまっていた。
二十五歳で病気により亡くなった記憶を持ったまま、私は過去に戻っている。
二十二歳の誕生会も、周りの様子も、記憶の通りだったので間違いない。
まさか、過去に戻るなんて……
死ぬ前の夢かと思ったけど、痛みはあったから現実のようだ。
今が二十二歳ということは、三年後に私は再び病気で孤独に命を落とすのだろう。
そう、今のままでは。
なら……やることは一つよね。
愛されないまま死んだ前回の人生、私の存在に価値などなかった。
ならば、再び与えられた三年の月日は、自由を満喫したい。
どんなに政務を肩代わりしても、彼がこちらを向くことなどない。
だから……彼への想いなど捨てて、後悔のないように自由に生きよう。
考えが決まれば、やることは一つだ。
まずは、さっさと王妃なんて肩書きは捨ててしまおう。
自身の行く末を決めた途端、憑き物が落ちたようによく眠れた。
「どうぞ! 朝の支度用です!」
翌朝、相も変わらず仏頂面の侍女が、強く桶を置き、汚い布を私に投げつける。
そんな彼女に問いかけた。
「一つ、聞いておきたいのだけど……貴方、どのような考えでそういう態度を取るの?」
「はい? いきなりなんですか?」
「いや、単純な疑問よ。だって、私を害せば職を失うのよ?」
「……私たちの他に王妃様の世話をする者はおりませんよ? クビにできるとお思いですか?」
あぁ、そういうことだったのね。
ずっと疑問に思っていたことの答えが出た。
冷遇されている王妃の世話人に立候補者する者などいない、それが侍女たちをつけあがらせていたのだ。
答えは教えてもらったし、もういいか。
「ふ……ふふ」
「な、なにを笑っているのですか?」
「クビにできるかですって? できるに決まっているじゃない」
「は、はい?」
「もう私の世話なんて必要ないわ。今のうちに荷物をまとめて新たな職でも探しなさい」
サッと青ざめた侍女は、なにを勘違いしていたのだろう。
私をなにも言わないお人形だとでもと思っていたのかしら。
吹っ切れた今、貴方たちなんて必要ない。
「あ……あの……」
「聞こえなかった? さっさと荷物をまとめて出て行きなさい」
「ど、どうしたのですか、王妃様! あの……申し訳ございません。ゆ、許してください!」
「伝わってる? もう私の世話は必要ないの。王妃付きの侍女全員に伝えなさい、解雇だと」
私はこの後、王妃の肩書きを捨てる。
それに伴って侍女も暇を出されるだろうから、早く次の職を探すように言ってあげているのに。
「申し訳ございません! 王妃様がそんなことをおっしゃると思わずに……つけあがっておりました! 気分を害したなら謝りますから!」
王妃付きの侍女は使用人の中でも高給をもらっている。辞めたくないのだろうけど、雇用の継続を迫られても私にできることなんてないわ。
「ねぇ? 何度も言わせないで。私の世話はもう必要ないの。さっさと出て行きなさい」
「ひ……ひぃ」
へなへなと座りこんだ侍女を放置して、机の上の書類を窓から投げ出す。
風に乗ってひらひらと舞い落ちていく紙を見つめながら、クスリと笑った。
よし、目障りな政務はこれで終わり。いい仕事ができた。
晴れやかな気分で部屋を出て、そのまま厨房へ向かう。
「っ……王妃さ、ま? なぜここに?」
「はい、貴方クビね。さっさと出て行く準備をなさい」
「な……ほ、本当によろしいのでしょうか? 王妃様のお食事を作る者は私以外におりませんよ?」
「えぇ、別にいいわ」
質素なパンを用意するだけのコックなんていらないもの。
私は自分で朝食を作る。
死ぬ間際、私の身の回りの世話をしてくれた人はほとんどいなかったから、一通りの家事は身についている。
ベーコンエッグに焼いたパン。コーンスープを食卓に並べて、私はコックへ微笑んだ。
「見てわからない? 貴方は必要ないの」
「……あの、本気でしょうか?」
「何度も言わせないで、もう私に食事なんて作らなくて大丈夫。……ああ、そもそも作ってなんかいなかったわね。硬くなった古いパンを用意するだけだったもの」
「あ、あの……申し訳ございません。今度からは、王妃様の満足のいくお食事を」
「必要ないってば。何度も言わせないで?」
「わ、私は明日から……どうすれば……」
「さぁ?」
頭を抱えたコックから視線を外し、私はベーコンエッグを食べる。
うん、我ながら美味しい。
これから王宮を出たら鶏を飼おう。卵は毎日でも食べたいもの。
食事を終える頃、王宮内には様々な声が飛び交っていた。
「王妃様が乱心なされた!」
「お怒りの様子らしい!」
根も葉もないことを。私は乱心していないし、怒ってもいない。
むしろ清々しい気分だ。王妃を辞めると決めただけで、肩の荷がすっかり下りたのだから。
「お……王妃様!」
振り返ると、数人の文官が顔を引きつらせていた。手にはアドルフと彼らが私に丸投げしていた政務の書類を握っている。
さっき窓から捨てた物だ。
「おはようございます。皆様、どうされました?」
「こ、これらは貴方に任せた仕事のはずです! 窓から投げ出すなど、なんてことを!」
「政務に関しては、私が善意でやっていただけ。そもそもアドルフがやるべき仕事でしょう? 間違っていますか?」
「し、しかし……いきなりこの量を陛下に任せるなど」
この量と言うが、ここまで大量になったのは誰のせいだと思っているのか。
彼らに歩み寄り、書類を一枚ひらひらと見せつけるように揺らした。
「私の勘違いでなければ、貴方たちが処理すべき仕事も混じっていますよね。もう何年も押しつけられていたのを、私が知らないと思いました?」
「あ……あの……それは」
「大人しい王妃のままでいると思っていたようですが、もうその座にしがみつく気はありませんので」
どうせ王妃でい続けても惨めに死ぬだけだもの。未練などない。
ありのままを伝えただけなのに、文官たちは一様に震えながら膝をついた。
「も、申し訳ございませんでした。確かにここ何年か、王妃様に政務を押しつけておりました。無礼は承知で、お任せしていた政務の詳細を……」
あぁ、何年も私に押しつけていたせいか。この人たちは仕事内容さえ忘れてしまったようだ。
「お断りします。別の方に頼んでみては?」
「そ、そんな! 王妃様として、この国のために行動してくださ――」
「その肩書きはもういらないの。じゃあね、今日はお昼寝でもさせてもらいます」
項垂れて助けを乞うように叫ぶ彼らに、私は振り返らなかった。
そのまま自室に戻り、昼寝のために寝台へ身を投げた。
折角気持ちよく寝ていたのに、夕刻に叩き起こされた。
とある一室に呼び出され、見覚えのある面々と顔を合わせる。
そこにいたのは、侍女長や文官長、王宮騎士団長に料理長。
アドルフはいないし、本来この場を取り持つべき大臣も、今は他国へ視察と名のついた外遊中だ。
だから、王宮の各部署の長だけが集まったのだろう。
彼らは、本当に私が王妃を辞する気かを何度も確かめてくる。
「ほ、本当に……王妃を辞めると?」
「だから、何度も言わせないで。王妃を続ける気はありません」
「アドルフ様に聞かれぬ内に考えを改めてください。言っておきますが、後悔されるのはカーティア様ですよ。いくら陛下が側妃様を寵愛されているとはいえ、癇癪を起こすなど……」
文官長が私を諌めると、周囲も同意するように頷く。
その中でただ一人、私は笑いが溢れて止められなかった。
「ふ、ふふ……あはは」
「な、なにを笑っておられるのですか! これは決して脅しではありませんぞ!」
「まず一つ、貴方たちに私を止める権利はありません。先程からごちゃごちゃ言ってますけど、そのようなことを言える立場だと思っているのですか? 私を冷遇してきた貴方たちが」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた彼らに、言い逃れする時間は与えない。
間髪容れずに言葉を続ける。
「もう一つ、私はもうアドルフの寵愛など必要としていないの。そんなものを求めても、人生を無駄にするだけだから」
「なにを言って……私共は貴方のためを思って」
うんざりだ。昼寝を中断させられた挙句、意味のない問答を繰り返すだけ。
さっさと終わらせてしまおう。
「あぁそうだ。思いついた……貴方たちの下に仕える者は皆、私を冷遇していたわよね? その責任を取ってもらいましょうか。そうしましょう」
「え……そ、それは……」
皆、一様に視線を逸らす。やはりこの話題なら黙ってくれそうだ。
「文官長は私に仕事を押しつけていた責、侍女長はろくな仕事をしない侍女を教育した責、他は……」
「あ、あの! 本気でおっしゃっているのですか⁉ 確かに王妃の貴方には私たちを罰する権限があります。しかし、勝手をすればアドルフ陛下のお怒りを買うでしょう」
侍女長が言い返すと、項垂れていた面々が顔を上げる。
そうか……彼らを罰すればアドルフが激怒する。かつて愛していた、あの人が。
あぁ、それってつまり……とっても都合がいいわ。
「ねぇ、勘違いしているようね?」
侍女長の頬に手を当て、あえてにっこりと微笑む。
「それが望みなの、わかる? 不敬や無礼なんて関係ない。だって私、もう彼に愛されようなんて微塵も思っていないもの」
「あ、あの。じ、慈悲をいただけないでしょうか。私たちへ責を問う前に、今一度時間をください。必ず貴方を満足させてみせます」
「駄目。私の満足のいく人生のため、今までの責任を取ってね?」
侍女長は力なくへたりこんだ。うつむく者や、謝る者、泣き出す者もいた。
今までぞんざいに扱っておきながら助けてほしいなんて、都合がいいと思わないのだろうか。
その時、騒ぎを聞きつけたのだろうか、足音と共に冷たい声が響いた。
「なにをしている」
振り返ると、目当ての人物が立っていた。
アドルフ……かつて愛し、今は最も離れたい人物が。
「カーティア、これはなんの騒ぎだ?」
「私を冷遇した者たちを罰していたのです。いけませんか?」
「冷遇されていたなど初耳だが……お前ごときが罰するなど思い上がるな。勝手な行動はやめろ」
部署長たちは希望に瞳を輝かせた。にやにやと私を嘲るような笑みを見せつける。
「お前ごとき……ですか」
「あぁ、もはやお飾りの王妃でしかないお前に、そのような権限はない。もし勝手をすれば、お前など廃妃にでもしてやる」
え……噓、噓! そんなの、すごく……すごく……!
「それは嬉しいです! なら、もっと勝手にさせてもらいますね!」
「は……はぁ⁉」
王妃ってどうやったら辞められるのかわからなかったけど、アドルフから言ってくれるなんて、とても都合がいい。
なら、お構いなく。
「じゃあ、ここにいる人たち、みーんなクビにいたしましょう」
アドルフは呆気に取られ、間抜けのように口を開く。
さっさと廃妃にしてもらうため、好き勝手させてもらおう。
「ふざけているのか? お前は」
「いえ、私はいたって真剣です。王宮の者を皆クビにします」
「なっ、なにをふざけたことを! 廃妃にするのだぞ! それでもいいのか?」
「はい! それを望んでおります」
気持ちのままに伝えたけれど、周囲の顔色は蒼白だった。
満面の笑みを浮かべた私と対照的に、アドルフがこれまでにない程に怒りを露にしているからだ。
「俺を愛し、王妃となったお前が……そのような態度を取るのか」
「えぇ、確かに貴方を愛していましたけど。もうその気持ちはありませんので」
公爵家に生まれた私と王家のアドルフは、幼い時から半ば強制的に顔を合わせていた。長い交流の中で、確かに恋仲となって愛しあっていた。
十八歳で正妃となってからの三ヶ月は本当に幸せで……いや、もう思い出すのも不快だ。
だって、そんな過去を振り返っても、もう愛する気持ちは皆無だもの。
孤独に死ぬ未来を知ってしまったから、愛してもらおうなんて未練もない。
うん……晴れ晴れする程、アドルフへの恋情などない。
「ほら、このままだと王宮中の者をクビにしますよ。皆、いなくなってしまう」
「ふざけるな! そのような勝手を許すと思っているのか! お飾りの王妃が勝手をするな!」
「お飾りだと先程からおっしゃってますが、貴方が側妃と時間を過ごす間、私は貴方がすべき政務や外交などをこなしていたのですよ?」
彼の瞳が揺らぐ。……当然だ。
政務のほぼ全てを引き受け、最終的には玉璽さえ私が押していたもの。
外交に関しても、もう何年も私しか他国の王族と交流していない。
彼の評判を上げようと各国の諸問題の解決に尽力していくうち……いつしか私がこの国の女王だなんて冗談で言われていた程だ。
そう、つまり……
「あれ、お飾りなのはもしかして……貴方では?」
「お、お前! 無礼だとわかって言っているのか?」
「はい、もちろんです。無礼でなくて、事実ですが」
「俺は本気だぞ、お前を廃妃にしても……なにも問題ない」
睨まれても、少しも怯えはない。むしろ笑ってしまう。
「だから、それを望んでいると言っているでしょ? さっさと廃妃にしてくださらない?」
「本気……か?」
「ええ。ここまで言わせておきながら、まだみっともなく私にすがりたいの?」
「き……さま……!」
沸点に達したようだ。拳を握りしめた彼が叫ぶ。
王宮中に響き渡る声量で、王宮の部署長が集まる証人だらけの場で、私の望む言葉をくれた。
「貴様など、廃妃にしてくれる! お飾りの王妃はこの国の害だ! さっさと王宮を去れ!」
「はい、謹んでお受けいたします」
背筋を伸ばし、王妃教育で習った礼をそつなくこなしながら、私は念願の廃妃を受け入れる。
満面の笑みを返すと、アドルフと周囲は混乱を隠せない様子だった。
だが、そんな反応を置き去りに、私は跳ねるように自室に向かった。
荷物は昨日からまとめていたから、すぐに整理し終わった。
「では、お世話になりま……いや、なってないですね。さよなら」
放心したようなアドルフたちには振り返らず、私は軽やかな足取りで王宮を後にする。
実家であるミルセア公爵家の当主、つまり私の父はこの判断を認めないだろう。
怒り狂い、勘当されるかもしれないが、それも好都合だ。
いっそ貴族のしがらみを捨て、一人で生きていくのも楽しそうだ。
あぁ、今はどのような未来でも楽しみだ。
王宮で冷遇され、死を願われていた時を思えば、なにが起きても幸せだ。
二十五歳で病死するまでの三年間、無限の選択肢が広がっている。
私の未来は、とても自由で……楽しみしかない。
何者にも縛られず、自身の幸せだけを追い求めて充実した人生を送ってみせよう。
一人で生きる方法も、模索すればきっとあるはずだ。
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