召し使い様の分際で

月齢

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1巻

1-1

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   第一章 妖精の血筋の皇子


 唐突だが、僕の祖国エルバータ帝国は、戦に敗れた。
 美しい文化と長い歴史を持つ華やかな国だった。宗主国そうしゅこくとして周辺国を従属させ、長く栄華を極めていた。
 けれどちょっと……かなり、ものすごく、傲慢ごうまんすぎたのだと思う。


 エルバータ帝国も元はと言えば、他国から支配されるひとつの大公国にすぎなかった。
 しかし、ときには隷属れいぞくする家畜かちくのように扱われた屈辱をかてに、徐々に力を蓄え、やがて周辺国を貪欲に呑み込む大国へと化けていった。
 国内外の覇権はけんを制したアンリオ一世が初代皇帝に即位したのが、約八百年前。そこからさらに属国を増やして肥大化したエルバータの、現在の皇帝レオ・アントワーヌ・フロランタン・アルドワン三世が、僕の父上である。……一応。
 長く戦を繰り返してきたエルバータだったが、先代皇帝の御世には、『比肩ひけんせし国はなし』と称するに至る圧倒的な国力を備え、今日に至るまで大きな戦のない、平和な時代が続いた。
 平和は、文化や芸術を発展させる。エルバータは帝都アスクウィスを中心に交易を盛んにし、芸術家を集め、貴族たちの城は競うように豪奢ごうしゃになり、美食を極め、衣装、化粧、遊興ゆうきょうなど、あらゆる分野で流行の発信地となった。
 僕は帝都に行ったことがないので、彼の地はもちろん、世界情勢に関しても、座学で得た知識しかないけれど。
 各国の要人が集まる政治の中枢ちゅうすうであり皇帝の住まいでもある、サン=サーンス大宮殿は、ひとつの街と言えるほど広大なのだとか。迷路のような大庭園に、皇族たちの離宮に、壮麗な歌劇場まであるという。
 敷地内を縦横に流れる大運河で人と物を流通させると聞いたときには、想像するだけで疲労感に襲われた。僕の領地のこのダースティン村なんて、脱走したロバが徘徊しても、すぐに見つかるくらいなのに。
 すすの出ない高級な蝋燭ろうそくを、金の燭台しょくだいや水晶のシャンデリアに惜しげなく灯し、貴族たちは夜な夜な、観劇や賭けごとや密会に明け暮れて。
 けれど、熟れるに任せた果実は、やがて腐る。
 北の新興国ダイガの獣人たちが勢力を増し、エルバータの従属国をも併呑へいどんしながら版図を広げているという噂は、僕の領地ダースティンにまで――エルバータの隅の隅、帝都から遠く離れたこのド田舎にまで、届いていた。
 ゆえに何度か、皇帝である父上へ、慎重な対応を促す文をしたためてみたけれど。

「病弱な第五皇子は余計な心配をせず、黙って療養してなさい」

 といった趣旨の返事をもらって終わりだった。
 父上の筆跡ではない。たぶん父上の元へ届く前に、義母であるヘッダ皇后の息のかかった文官辺りに握り潰されているのだと、老執事のジェームズが言っていた。
 ジェームズは、僕の祖父の代から我がウォルドグレイブ伯爵家に仕えてくれている。彼は祖父が帝都アスクウィスに滞在した折や、母上がサン=サーンス大宮殿で過ごしていた頃も随行ずいこうしていたので、顔が広いし、皇室の内情にも通じているのだ。
 とにかく、今思えば、もっと粘り強く警告するべきだったと思う。
 でも僕もどこかで、「まさかエルバータが攻め込まれることはないだろう」と、希望的観測に頼って甘く考えていた。平和ボケというやつだ。


 ◇


「ううっ、お可哀想なアーネスト様!」
「ずーっと帝都に入ることもできんかったのに、こんなときばっか利用されるなんて、ひど過ぎるべよぉ!」

 ……呼び鈴を鳴らしても誰も来ないので、厨房ちゅうぼうまでおりて来てみれば。
 料理人や小間使こまづかいなど屋敷の使用人たちが全員集まり、大音量でおいおい泣いて、すごい騒ぎになっていた。ジェームズまでもが……

「泣くでない! 一番悲しいのはアーネスト様だ、アーネスト様に涙を見せてはならぬ!」

 と絶叫して、誰より大きな声で号泣している。これでは呼び鈴も聞こえないわけだ。非常に顔を出しづらい状況だけども、僕は茶が飲みたい。

「ごめんね、邪魔するよ」
「うおっ! アーネスト様っ!」

 全員が仰天して僕を見た。振り向いた遠心力で鼻水をなびかせた者までいる。面白いから毎年恒例の新年のうたげで、隠し芸として披露すると良いかもしれない。
 ……いや、もうじきこの屋敷も接収せっしゅうされるのだった。僕はここを去るし、彼らとうたげを楽しむことも、もうできない。

「アーネスト様、なぜこんなところへ!」

 涙目のジェームズが、すごい勢いで跪いた。

「ああ、茶を……」

「ええ。ええ。わかっておりますとも! おつらいのですね、寂しいのですね! この屋敷を去るためのお気持ちの整理など、とてもできないのですね! ウォルドグレイブ伯爵家ひとすじにお仕えして参りましたこのジェームズ、あなた様のお心なら、誰よりわかっておりますよ!」

「いや、茶を飲みた」
「せめてわたくしだけでもお供できたならーっ! 無念でございます、殿下あぁぁ」

 その叫びを皮切りに、また全員で号泣し始めた。
 僕に涙を見せてはならぬと言っていなかったか、ジェームズよ。

「お茶……」

 未練たらしく呟いてみたが、聞いてもらえそうにない。
 それでも、大好きなみんなが僕との別れを悲しんでくれているのは、こんなときだけど素直に嬉しかった。
 そう。僕はもうじき、この国を出て、ダイガ王国へ行く。
 この国にはもう、皇族は必要ないのだ。


 エルバータ帝国はダイガ王国に敗れ、帝都は無残に蹂躙じゅうりんされたと聞いている。
 大宮殿は三日三晩をかけて焼き尽くされたとも、財宝をすべて奪われた上で、ダイガ兵の宿舎になっているとも聞くが……なにせ、ここダースティンは、帝都から遠く離れた片田舎なもので、確かなことはわからない。
 とにかく、平和ボケした我が国は、強靭きょうじんで知られる獣人の戦士が集うダイガ王国のことも、一貫して見下してきた。だから親交を深めるどころか、「力押しばかりで知性のない、野蛮やばんな獣人ども」と侮っていた。
 自分たちが享楽きょうらくふけるあいだも戦い続けていたダイガ軍が、どれほど戦巧者いくさこうしゃ一騎当千いっきとうせんの強者揃いか。

「現場からは陳情ちんじょうの声が山ほど上がっていたでしょうに、国政の中枢ちゅうすうにいる者たちが腐っていては……実際に戦に突入するまでダイガの脅威を正確に把握できていなかったという時点で、もう終わっています」

 ジェームズはそう嘆いていた。 
 敵の総大将は虎の獣人の第一王子と第二王子で、この二人は特に、災害級の強さであったらしい。
 人型にも獣型にもなれるという獣人についても、僕はジェームズから教わった知識しかないのだが。虎と聞けばいかにも強そうで、想像するだけでドキドキした。
 獣人の圧倒的な強さの前に、いよいよ危うくなってから和睦わぼくを図ろうとしたようだが、あとの祭り。大国の終焉しゅうえんとしてはかなり情けないけれど、田舎で隠居いんきょ同然に暮らしていた僕には、非難する資格もない。
 生き残った皇族は現在、ダイガ王国内で幽閉ゆうへいされている。
 皇妃や皇女など女性たちは、城の一室に遇されているようだが、父上は……皇帝や皇子たちは、同じく捕虜ほりょになった重臣たちと共に、地下牢に閉じ込められているという。
 黄金の玉座から、地下牢の虜囚りょしゅうへ。
 父上はもちろん皇后も、異母兄姉や大臣たちも、ひどい屈辱を味わっているに違いない。

「だからといって、なぜにアーネスト様が交渉役をせねばならぬのですか」 

 旅支度をしてくれながら、ジェームズは同じ話を何度も繰り返した。

「ダイガの王族は話が通じる相手とは思えませぬ。向こうがアーネスト様の存在を知らずにいたのは、奴らの調査不足ではありませぬか。ですのに『隠れていた卑怯者』などと無礼千万な言いがかりをつけてくるとは、許せません!」

 ……そうなのだ。
 一応は皇族である僕が、父上たちと共に地下牢に入れられることなく、こうして自邸でみんなと過ごせているのは。
 ちょっと複雑な僕の生い立ちにより、親族からもすっかり存在を忘れられていたために、ダイガ軍も僕の存在を把握しようがなかった、からなのだった。 


 僕アーネスト・ルイ・ウォルドグレイブは、エルバータ帝国の第五皇子として、この世に生を享けた。
 僕の母ローズマリーは、ウォルドグレイブ伯爵家のひとり娘で、僕が十の年に亡くなった。 
 年々、記憶の中の母の面影は薄れていくけれど、少女のように無邪気で優しい人だったことは、よく覚えている。
 ジェームズは今でも、「アーネスト様と同じく、この世のものとも思えぬほど美しい、優しく聡明なお嬢様でした」と言って懐かしんでは目元を拭っている。
 祖父に「拾っていただいた」と言うジェームズは、執事として三代に渡りウォルドグレイブ家に尽くしてくれているので、祖父と母の話だけじゃなく、多岐に渡っていろんなことを教えてくれる。
 何を尋ねても答えが返ってくるくらい博識はくしきなのだ。
 さて、我がウォルドグレイブ家は、『妖精の血筋』と呼ばれている。
 遠い祖先が妖精の王に愛されて、二人のあいだに子供が生まれた。その子が成長し、妖精の知識でたくさんの人を救ったので、その功績を評価されて伯爵位をたまわったという。
 でも、僕は実際に妖精を見たことなんかないし、物語の世界のように、魔法が使えるわけでもない。魔法を使える存在がこの世にいると聞いたこともない。
 不思議な技を使えるという点では、人と獣の姿を自在に変えられるという獣人のほうが、ずっと神秘的だろう。まさに魔法のようだ。
 彼らに比べれば僕なんか、いたって普通の人間だと思う。
 ただ、世間からは『妖精の血筋』の者は、代々ずば抜けて賢かったり美しかったりすると評され、羨ましがられてきたとジェームズは言うが……本当だろうか。
 だって妖精の血がもたらしたのは、良いことばかりじゃない。妖精の血がこの世界と合わないのか、我がウォルドグレイブ家は病弱で短命な者が多いのだ。
 おまけに配偶者まで早世そうせい傾向が強い。その理由は、これもジェームズから教わったのだけど、そもそも躰の弱い人たちが、わらにもすがる思いで『妖精の知識』を頼りに、ダースティンまでやって来て、当主が親身に相談に乗るうち恋仲に発展した末、結婚に至る例が多かったから。
 ウォルドグレイブのご先祖様たちも、体力の問題から行動範囲は狭かったのだろう。
 互いにただ生きるだけで苦労する者同士が奇跡のように出会って、支え合い、やがて愛し合うようになった――の、かもしれない。
 残念ながら未だそうした出会いが皆無の僕には、乏しい想像力を働かせるしかない。
 でも『妖精の知識』ですべての病が治るなら、ウォルドグレイブ家の人間は、とうに健康になれていたはず。つまり結局、夫婦そろって病弱のままであることに変わりはなく。
 それでもご先祖様たちは、みんな仲睦まじく、最期のときまで愛し合っていたのだと、歴代当主が書き加えてきた『妖精の書』に記されている。
 そうした事情の積み重ねの結果、ウォルドグレイブ家の人間は、今や僕ひとりのみ。
 この現状を見ても、躰だけでなく繁殖力まで激弱なことが、証明されていると思う。
 僕の母もやはり病弱だったので、成人するまで、このド田舎のダースティンから出ることがなかった。けれど社交界デビューのため初めて帝都を訪れて、大宮殿の舞踏会に参加したその夜、皇帝父上から見初められてしまった。
 二十も年の離れた皇帝には、当然、正妃である皇后がいて、その時点で五人の皇子皇女をもうけていたし、愛人も常に複数いた。
 それなのに、母に強く執着した父上は、強引に第二妃として迎えてしまった。
 祖父が健在ならば、どうにかして皇帝と娘の縁談を回避したはずだとジェームズは言う。が、祖父もまた病床の身で、それは叶わず。母には皇帝の望みを拒むすべがなかった。

「結果としてアーネスト様という素晴らしい若君を授かったのですから、やはり妖精王のご加護があったのでしょう」

 ジェームズは、そう言ってくれたけど……
 第二妃として嫁いでみれば、連日連夜、皇后とその子供たちから虐げられ、使用人たちからまで意地悪される毎日だった母。
 僕を妊娠にんしんしてからは嫌がらせが命の危険を感じるレベルになったため、母は帝都を出て皇家の保養地で出産し、その後も皇后から逃れるべく、大宮殿と地方の皇族領地を転々と移り住んだ。
 その頃には祖父も亡くなっており、相当心細い思いをしたみたい。
 その間に元々弱い躰がさらに衰弱して。

「このままでは明日にも命が尽きそうです。アーネストと共に故郷のダースティンで、心静かに、残り少ない余生を過ごさせてくださいませ」

 涙ながらに父上に訴えて、ようやく領地に逃げ込むことができたというから、妖精王はもっと積極的に助けてくれてもよかったのにと思ってしまう。
 それはともかく。そもそも庶民と違って皇帝には、複数の妃を置くことが認められている。その父上に、それまで正妃以外の妃がいなかったのは、ヘッダ皇后が自分以外の「妃」を認めなかったからだ。愛人ならまだしも、第二だろうが第三だろうが、「妃」と名の付く位にほかの女性を置くことを、彼女は許さなかった。
 父上は即位の際から皇后の生家である侯爵家を後ろ盾にしてきたため、妻に強く出られず、寵姫ちょうきをいたぶられても見ないフリ。苛烈な気性の皇后からいじめられるとわかっていて、母を第二妃にした父上を、ジェームズが今でもこっそり、「あのチンカス野郎」と呼んでいるのを知っている。
 彼は僕ら母子に付き従い、皇后の魔の手から守るためにかなり苦労したようだから……許してやってほしい。
 そういう経緯なので僕は、皇子といっても、二十二歳のこの年まで大宮殿はおろか帝都にも足を踏み入れず、地域密着型の伯爵として、長閑のどかな領地で長閑のどかな領民たちと暮らしてきた。
 僕も『妖精の血筋』の虚弱体質をしっかり受け継いでしまったけれど。温暖で自然豊かなこの土地は、躰の負担も少なく過ごしやすい。ジェームズを筆頭に使用人たちも気の良い者ばかりで、家族のように和気あいあいと、平和に暮らすことができていた。 
 でも、戦が始まった。
 そして驚くほど早々に、エルバータは敗れた。
 皇族はひとり残らず虜囚りょしゅうとなっていると知った僕は、このダースティンにも、いつダイガ兵が押し寄せて来るかわからないと考えた。
 一応は僕にも皇子という肩書があるので。そんな僕が逃げ回れば、他者を巻き込みかねない。
 潔く自邸で追っ手を待つことに決めて、使用人や領民たちにも状況を説明し、可能な限りの支度金を用意した上で、安全な地域へ逃がす算段もつけた。
 その上で説得したのだが……ひとり残らず、他所へ行くことを断固拒まれた。

「ウォルドグレイブ家の皆様は、代々、この土地と領民を守ってくださった。だから今度は、我らがアーネスト様をお守りするべよ!」

 うおーっ! と盛り上がる領民たちに、感謝の気持ちで胸が熱くなった。
 が、その後すぐに「そんなことより収穫の続きだぁ!」と、さっさと帰って行ったので、守りたかったのは僕より畑なのかもしれない。実際、農民にとって畑の管理は死活問題だからね。
 国中が混乱している今、下手に移動するほうが危険かもしれないし。僕は再度みんなと話し合い、このままみんなで敵の到着を待とうと決めた。
 ……だが……来なかった。
 毎日毎日、交代で領民たちが村の入り口に立ち、ダイガ軍が見えてくるかと見張っていたのだが……来なかった。
 もともと呑気な田舎ダースティン気質。ひと月もすると誰もが用心することに疲れてしまい、見張りもやめて、普通に畑仕事に精を出す日常に戻った。
 ようやくダイガ兵たちが現れたのは、さらにひと月ほどあとのことだ。
 そのとき領民たちは、まったく気負うことなく。

「あれまー、遅かったねえ。待っとったんよお。ほれ、菜豆食べるけ?」

 採れたての新鮮野菜を差し出しながら出迎えた。
 それは敵将であるダイガ王国第三部隊のランゴウ老将軍を大いにたじろがせ、のちに本人も苦笑しながら語っていた。

「エルバータで我らをあんなふうに出迎えたのは、アーネスト様の領民だけでしたよ」


 ◇


 ランゴウ将軍たちの来訪により、僕らは初めて、獣人と対面した。
 ジェームズから教わっていた通り、人の姿だと僕たちと変わらない。でも平均してエルバータ人より大柄で、がっちりと厚みのある体型の兵士が多かった。
 自分の意思で人の姿と獣の姿を使い分けられるとは、なんと不思議で、神秘的な種族だろうか。
 ランゴウ将軍は敵ながら公平で誠実な男で、決して無抵抗の民や土地を蹂躙じゅうりんするようなことはなかった。この地にやって来たのが彼の部隊であったことは、ダースティンと領民たちにとって、大変な幸運だった。
 ただ、屋敷での初対面のとき、「んんっ!?」と目をみはって凝視してきたのは謎だったけれど。
 若干よろめいていたし。
 それは彼の部下たちも同様で、予想外に人懐っこい領民たちに戸惑いつつも、皇子である僕と対面するにあたっては表情をこわばらせ、嫌悪の気持ちを隠しきれない者たちもいた。
 僕はそれを階段の踊り場から見ていた。当時、ちょっと体調を崩していたものだから、少し遅れて迎えに出たのだ。そんな僕に目を向けた兵士の皆さんは、ギョッとしたように目を見ひらき、あんぐりと口をひらいて固まってしまっていた。
 おそらく、健康的な領民たちを見たあとに、青白い顔をした僕がよろよろと登場したものだから、彼らの目には死人のように映ったのだろう。無理もない。
 驚きすぎたせいか急にみんな赤面して、魂を抜かれたごとき表情でこちらを見つめてきて、いつのまにか前のめりになっていた後列の者たちが前列を押し出した結果、「押すな」「ヨダレ垂らすな」と口論が巻き起こり。
 ランゴウ将軍の「いいかげんにせんか!」という怒号が響いて締めとなった。
 その後、我に返った様子で恐縮する兵士たちに、館の使用人たちが……

「いつものことさあ。初対面の人はみんな、たまげるんだ」
「村の者でも未だに見惚れて、鼻血出てても気づかないことが、ようあるんだわ」

 などと言ってなぐさめ……なのかなんなのかよくわからないが、理解を示すと、兵士たちも照れくさそうに「そうでしょうとも」「いやあ。本当に、たまげました」などと反応。
 急速に打ち解けていた。
 将軍と僕は互いに自己紹介をし、ひとまず当たり障りのない会話をしたところで、領民たちが「腹減ってるべ」と自然発生的に食材を持ち寄ってきたので、その夜は広場でダイガ軍と領民一同、大鍋の具沢山シチューを囲みながらの夕食会となった。
 当然、僕も参加したのだが、ただでさえ大らかで友好的なダースティン式の歓待かんたいに面食らっていたダイガ兵たち。

「エルバータの皇族の方が、庶民と食事を共にされるのですか!?」

 そう言ってさらにビックリしていたので、僕のほうがビックリした。
 そこでようやく、憎きエルバータの皇子がいては、不快で食事が不味くなるのだろうと思い至り。

「失礼しました。やはり中でいただきますね。どうぞごゆっくり」

 しょんぼりした気持ちを押し隠して屋敷に戻ろうとすると、一斉に「わああ! 違います、行かないでくださいー!」と引き留められた。
 彼らはつまり、『獣人を汚らわしい存在と見下すのが常の、傲慢ごうまんなエルバータの皇族』が、いそいそと同席しようとしたので、驚いたらしい。
 それを聞いたジェームズは、憤慨して彼らを叱りつけた。

「あのような者たちとアーネスト様を、一緒にしないでいただきたい!」

 領民たちも「そうだねえ」と同意して大笑いし……

「アーネスト様が皇子殿下だってこと、わしら大概忘れてるわ」

 正直に申告する彼らと、一緒に笑う僕を見て、ダイガの皆さんは呆気にとられていた。


 そんな調子で、将軍たちがダースティンに滞在中は、毎日みんなで食事したり、兵士たちが村の畑仕事や雑用を手伝ってくれたり、当初の警戒はなんだったのかというほど穏やかに過ごせていた。
 兵士たちの中には、ふとした拍子に獣の耳や尻尾を覗かせる者もいて、将軍から怒られていた。
 そのたびあわてて引っ込めていたが……耳も尻尾も自在に変容するなんて、すごすぎる。僕も領民たちも興味津々だ。
 彼らによると、ものすごく驚いたときなどについ変容させてしまうことが多いらしく。
 犬か、それとも狼か、ふさふさした尻尾が出現したりすると、僕らは「おおー!」と目を輝かせ、感動のあまり拍手した。
 だって、この世の神秘が目の前に出現しているのだ! 驚嘆きょうたんせずにいられようか。
 そうした反応についても、「みなさん、怖いとか気味悪いとか思わないのですか」と驚かれたけれど……そんなこと、思うわけがない。領主の僕からして、まちがいなく誰よりコーフンしていたし。
 僕は昔から、モフモフ系に弱い。
 犬でも猫でもウサギでも、モフモフしている生きものを見ると、無性に愛でたり撫でたり吸ったりしたくなる。モフモフに関しては、我ながら変質者じみた執着心だと思う。
 でもランゴウ将軍は、獣人を見慣れないエルバータ人には恐れる者も多いからと、細心の注意を払ってくれて、それを部下にも徹底させていた。
 そこには長くエルバータから、「野蛮やばんな獣人」と差別されてきた歴史が、横たわっているのだと思う。
 差別された側で、しかも戦勝国の将軍でありながら、腰低くエルバータ人を気遣ってくれたランゴウ将軍は、尊敬すべき高潔な人格者だ。
 その思いを彼に直接伝えて称賛すると、将軍は照れくさそうに笑った。

「長く生きていると、いろんな経験をしますからのう。ですから、醍牙人だいがじんにも悪人はいるし、エルバータ人にも善良な人はいるのだと、知っているのですよ。それだけです」

 そんな将軍たちのおかげで、ダースティンは平和な日常を維持したまま、次なる時代へと移ろうとしていた。
 ウォルドグレイブ家妖精の血筋がいない、新たな時代へと。


 ランゴウ将軍は、もちろん、はるばる遊びに来たわけではない。
 親睦しんぼくを深めたあとだけに気まずそうではあったが、来訪の翌日には、目的をしっかり伝えてくれていた。ただ、彼の話には無駄な部分も多かったので、要約すると――
 亡き母と僕が領地に引きこもっているあいだに、皇后と異母兄姉たちは、これ幸いと僕らの痕跡を皇族の系譜けいふから削っていたんだって。そこまでされていたとは知らなかった……。例によって父上も、我関せずで通したのだろう。
 そのせい、なのだろうか。地図職人が新たに描き直した地図には、ダースティンが記載されていなかったという。徹底しているなあ。
 ダイガ側はその地図を利用したので、僕の存在を知ったあとも、ダースティンの場所を把握するのに時間を要したのだ。なにせ同国人でも知らない者のほうが多い、秘境扱いのド田舎だからね。
 そうした諸々が重なった結果、皇族みんなが捕まったあとも、僕は自邸で暮らしていられたわけだけど。ジェームズはそれもこれも……

「妖精王のご加護です! この土地とアーネスト様を、敵から隠してくださったのですよ!」

 そう言い切っていた。
 ……そうだといいね。
 でもやっぱり、現実は手強いね。
 僕の存在を思い出してダイガ側に告げたのは、ほかでもない、皇后と異母姉たちだった。
 なぜ彼女たちが僕のことを思い出したか。将軍の話によると。

服従ふくじゅうの証として、エルバータの元皇女をダイガの王子に嫁がせるように』

 そう命令が下されたのがきっかけだった。
 どうやらダイガ側は、エルバータがダイガに屈したことを、婚姻こんいんを利用して対外的に誇示したいらしい。
 ダイガもエルバータ同様、王族は正妃のほかに妃を持つことができるそうだ。
 しかし、これまで周辺国を見下してきたエルバータの皇族に、屈辱を味わわせるための婚姻こんいんならば、まず正妃にする気はないだろう。よくて第二、第三妃。妃の位のない側室扱いということも充分あり得る。
 エルバータの皇女にとっては大変な恥辱ちじょくだろうが、断ればおそらく、地下牢にいる皇帝父上皇子異母兄たちの命はない。
 そのことは承知していただろうに、二人いる未婚の皇女異母姉は、どちらも頑なに拒んで、互いに責任を押し付け合った。親兄弟の命が懸かっているのに、ちょっと薄情な気もするが……
 でもダイガの王子というのは、此度の戦で災害みたいに暴れ回ったと噂の、第一王子と第二王子のことだろう。だから異母姉たちが怖がる気持ちも理解はできる。
 それはわかるのだけど、獣人の女官たちがいる前で大揉めしたあげく。

「なにが王子よ、所詮ケダモノじゃないの! どうせ毛むくじゃらで醜い大男なのでしょう! 絶対いや、エルバータの皇女がケモノに嫁ぐなんて、そんなはずかしめを受けてたまるものですか!」

 なんて言ってしまったらしく……当然それらの会話は各所に報告されて、ランゴウ将軍も知っていた。さらに……

王女もいるのでしょう!? 仕返しされるに決まっているわ!」

 とも言っていたらしいけど、それはどういう意味なのだろう。
 ランゴウ将軍に尋ねても、言葉を濁して話を逸らされた。
 とにかく断固拒否だと散々泣きわめいた異母姉たちと皇后は、不意に……

「あら? ちょっと待って。あいつはどこにいるのよ!」

 そう、僕のことを思い出した。
 そこからは三人がかりで僕のことを売り込みにかかり。

「『妖精の血筋』の話を聞いたことはあるかしら? 男だけれど、わたくしたちなんて敵わないくらいの美人に育っているはずよ! ダイガも同性婚はよくあるのでしょう!?」

 そう。エルバータもダイガも、同性婚にはなんの支障もない。
 だから『婚姻こんいん』が必要というだけなら、皇女でなく皇子でも良いわけだ。
 だが男の皇族は地下牢に入れられているという現状を考えれば、王子たちがその選択をする可能性は低いように思われる。
 それでも――

「そうよ! 家族がみんな捕まったというのに、自分だけ隠れていた卑怯な男とはいえ、妖精の血筋の最後のひとりなのだから! 稀少よ!」
「どうぞド田舎から引きずり出して、嫁にするなりなんなり、好きにしてちょうだいな!」

 そんなふうにまくしたてたので、ダイガ側も「まだ皇子がいるなら捕らえねば」と、捜索を始めたという次第。
 将軍からその話を聞いたとき、僕のうしろに控えていたジェームズは、「ちょっと失礼いたします」と部屋から出て行ったかと思うと、遠くのほうで、「あのチンカス詰めのクソ団子どもがー! チンクソの血筋めっ、チンクソの血筋めえぇぇっ!」と絶叫していた。
 全部、僕や将軍や彼の部下たちが顔を突き合わせている部屋まで聞こえていた。
 その後、なにごともなかった顔で戻ってきた彼は、キリリと老将軍に訴えた。

「『卑怯な男』とは聞き捨てなりません。アーネスト様は逃げも隠れもしておらず、昔からこの土地にお住まいであるという、ただそれだけのこと」
「わかっておりますぞ、執事殿。領民たちがアーネスト様を心から慕っているあの様子を見れば、元皇后たちの評価が的外れであろうことくらい、すぐに察せられますとも」
「おおお、さすがは将軍を務めるお方!」

 年寄り同士、ガシッと交わされた握手。しかし。

「なれど、これはすでに決定事項でしてな……」

 将軍が気まずそうに、僕宛ての『召喚命令しょうかんめいれい』と書かれた文を取り出すと、ジェームズはクソ団子を見る目で将軍を見た。
 そんな目をしてやるな、ジェームズよ。彼も命令に従っているだけだろうから。
 差出人は、件の二人の王子の連名だった。
「カンゲツ」と「セイゲツ」と読むらしい。
 署名部分はダイガ文字で、ランゴウ将軍に教えてもらった。第一王子と第二王子が双子だということも、このとき知った。文の内容は、意訳するとこんな感じ。


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