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永遠を君に誓う

永遠を君に誓う-1

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   プロローグ


 静まり返った神殿の中、衣擦れの音と共に二人の若い男女が祭壇へ向かってゆっくりと歩く。
 女性の衣服は白。黒髪を背中に流し、彼女が歩くたびにわずかに花の香がする。その美しい女性の手を取った男性の衣服は黒。これらはニルス王国の北部、辺境での伝統的な婚姻衣装だった。
 初老の神官は灰色がかった髪を丁寧にでつけている。慶事に纏う紫色のストラを緊張した面持ちでわずかに正し、若い二人に問うた。
 ――婚姻の宣誓だ。

「深き悲しみにある時も、喜びに満ちた時も変わらず共に過ごし、互いに尊敬をもって支え合うことを誓いますか?」

 少女――クリスティナ・ド・ディシスとその伴侶たるニルス王国の第三王子――ヴィルヘルムは、まっすぐに前を見据え「誓います」と声を揃え手を重ねた。
 厳かな儀式が終わり、若いと言うよりまだ幼さの残る二人がバルコニーから顔を出すと、物見高い領民たちがわっと一斉に歓声をあげる。

「クリスティナ様万歳! ヴィルヘルム様万歳!」
「ニルス王国に平和を!」
「王国の盾に祝福を!」

 古くから辺境では特に武を尊び、領民は誠実かつ堅実であることを重んじる。王国の盾であり王国の剣でもあり、王国の良心でもある。
 ――栄えるも、富むも、滅ぶも。我ら北部の民は、王国と運命を共にすべし。
 そう教えられ生きてきた領民にとって、次期辺境伯であるクリスティナ・ド・ディシスの婚姻は深い意味がある。
 彼女の伴侶となるヴィルヘルムは三男とはいえ王妃が産んだ、れっきとした王の嫡子。これで、より王家と辺境伯領の絆が深まった。
 ヴィルヘルムが新婦に何事かを囁く。
 歓声で聞き取れなかったのか訝しげにクリスティナが首をかしげると、新郎は微笑んで、もう一度彼女に耳打ちした。仲睦まじい様子に、民衆はますます熱狂する……

「アルフ、バルコニーに一緒に出て、手を振らないでいいのか?」
「無粋だな。私が手を振っても皆、静まり返るだけだろう」
「満面の笑みの練習でもする? 今から」

 バルコニーが見える窓から二人を見つめていた赤毛の男、アルフレート・ド・ディシスは、恋人の軽口に顔をほころばせた。彼の黒髪を指ではらって額に口づける。

「カイル。お前以外に笑顔を披露する気はないんだ、私は」

 カイル・トゥーリは笑って軽く恋人の唇を啄む。
 ニルス王国では女性の爵位継承も認められている。だが、やはり大貴族の当主が女性、という例は少ない。
 そのことを心配したアルフレートが、女性の身で辺境伯位を継ぐ姪のクリスティナのために、第三王子との婚姻の成立に尽力したことをカイルは知っている。無事に終わってよかった、とカイルも安堵あんどの息を吐いた。

「何よりお二人が幸せそうでよかった」

 カイルの言葉にアルフレートも目を細めた。若い夫婦を見つめる視線には温かいものがある。
 現国王には三人の息子がいる。
 まずは王太子。文武両道、品行方正な第一王子はあと数年もすれば、王国の主となるかもしれない。
 次男のヨハネス王子がクリスティナと縁づく話もあったのだが、闊達かったつで社交的な第二王子はいささか堅実、……と言えば聞こえはよいが堅苦しい辺境を嫌がった。それと、己が辺境伯になれないのならば婚約は嫌だと言ったらしい。
 第三王子ヴィルヘルムは『僕がクリスティナのものになればいいんでしょう? 彼女が大事にしてくれるなら僕も同じものを返すよ』と笑って言ったという。
 人となりを詳しく知るわけではないが、第二王子は明るく善人で社交的だがやや自由人なところがあり、第三王子は少々変わり者だが穏やか。
 クリスティナとの相性を考え、彼女の婚姻は第三王子のヴィルヘルムに軍配が上がることになった。クリスティナより年下のヴィルヘルムはまだ線の細さの残る少年だが、やがていい伴侶になるだろう。

「こんなところにお隠れになっていたのですね、閣下。――ああ、カイル卿も! 弟たちのそばにいらっしゃればいいのに」
「殿下!」

 背後から声をかけられて、カイルはアルフレートから離れ、慌てて礼をとった。

「そう畏まらないで、カイル卿。しかし、私は王国一の美女の伴侶になり損ねたなあ」

 あははと笑ったのは第二王子ヨハネスだった。明るい茶色と緑の瞳をした王子は窓辺に頬杖をついて祝福される二人を眺める。

「なり損ねたなどと。ヨハネス殿下が私の姪を袖にしたのですよ」

 アルフレートが肩を竦めると王子は首を振った。

「いいや、違うね! クリスが、私が伴侶になるのは嫌だと言ったんだ。美男の私より、引き籠りのヴィルのほうが好きだって。全く次期辺境伯は人を見る目がない」

 おどけて眉間にしわを寄せるヨハネスにカイルは微笑んだ。
 年齢的には自分のほうが婚姻相手として相応ふさわしかっただろうに、二人が好き合っているのを感じて身を引いたのかもしれない。軽薄なところがあるとも一部では言われているが、カイルはこの王子を好ましく思っている。
 カイルは一時期、王子たちの母違いの末の妹、王国の唯一の王女フィオナに仕えたことがある。顔は全く似ていないけれど、ヨハネスと王女は雰囲気がどこか似ていた。
 思い出に浸っていると、ヨハネスが顔を上げた。

「それはそうと、カイル卿。あなたの麗しき姉君はどこへ?」

 カイルは苦笑した。

「多分、広間で甘いものを食べているかと」

 カイルと魔族の長キトラ・アル・ヴィースの姉であるイオエは、このクリスティナの結婚式に招かれている。
 以前からふらりと現れては、妙に馬が合うクリスティナと友好を深めていたらしい。イオエは、『結婚祝いだ』と若いドラゴンを十頭連れてきて、クリスティナとその側近たちを大いに喜ばせた。つい数年前まで緊張関係にあった魔族と辺境。
 辺境に住む人々の魔族への忌避感はまだあるが、一頭で軽く騎士の年収五年分の価格という貴重なドラゴンを十頭も贈ってくれたイオエの人気は、カイルから見てもちょっと引くほどである。
 北部に住む貴族たちはドラゴンが好きだ。偏愛していると言ってもいい。
 そのドラゴンを惜しげもなく、しかも繁殖も期待できる若い五対をくれたとあって、彼らは拝むようにしてイオエに接している。

『あれが魔族の姫君、イオエ様。なんとお可愛らしい……』
『輝く銀の髪……まるで月の女神のようではないか』
『クリスティナ様への結婚祝いにドラゴンを十頭も贈ってくださった。おかげで我が息子が、竜騎士に選ばれて』

 イオエの評価は好意的なものが多い。彼女が強い魔力を持つがゆえに、あどけなく美しい十代前半の少女の姿をしているのも功を奏したのだろうな、とは弟のカイルとしての感想だ。あどけなさを残す美しいものに、人間は恐れを抱きにくい。

「イオエ様は甘いものが好きなのか。それはよいことを聞いた。毎日、王都中の甘味を集めてお持ちするから、私の妻になってくれないかなあ」

 ヨハネス王子もイオエの信奉者らしく会うたびに褒めている。イオエは私が素晴らしいのは当然のことだな、と意に介さないが。
 冗談か本気かわからない王子の言葉に、カイルは苦笑するしかない。

「イオエはあの見た目ですが、殿下のお母様より年上ですよ。……それに可愛らしいのは外見だけです。中身は結構邪悪で……イタッ」

 カイルは最後まで言いきれずに頭を押さえた。何かが飛んできて後頭部に直撃したのだ。
 涙目で振り返るとまさに話題の中心だったイオエ・アル・ヴィースが腰に手を当てて、ぷんぷんと怒っている。なめらかな肌は褐色で、結い上げた髪は月の光の一番鮮やかな部分ばかりを集めたような美しい銀色。唇は珊瑚のよう。
 紫のドレスに身を包んだ姉は、まるで絵画から抜け出したかのように愛らしかった。

「姉の悪口を言うとは。男爵になったからと偉くなったな、弟‼」

 口調は全く可愛らしくなかったが。

「……すみません、イオエ」

 カイルが悪かったが、ドラゴンの置物を投げないでほしい。当たりどころが悪かったら本当に死ぬ。

「謝罪するならば許してやる」

 ふん、とイオエは言い、カイルを引っ張った。

「辺境伯! 弟を借りていくぞ」
「ご随意に、姫君」

 アルフレートは笑って二人を送り出す。
 微笑ましげにその背中を目で追っていたヨハネスは、さて、とアルフレートへ向き直った。

「辺境伯がお一人になったところで、お伝えしたいことがあるのですが」

 改まった口調にアルフレートは苦笑した。

「なんでしょう殿下」

 大体の予想はつくが……と思って、カイルの出ていった扉に視線を移す。
 果たして、アルフレートの予想通りのことを第二王子ヨハネスは口にした。



   第一章 やわらかな、日々


「いおえ! これあげる。いおえはかわいいねえ」
「はい、おはな」
「……可愛いのは私ではない、お前たちだっ! 双子っっ‼」

 小さな双子の前で、イオエは、あああとくずれ落ちた。そのまま臥すイオエの髪にぷにぷにとした指がれて、おもちゃの花がいくつも挿される。

「なんでそんなに可愛いんだっ……髪の毛も瞳も金色でっ……」
「おはなが、かーいい、ね。いおえ」

 子供用のベッドから顔を出した男女の幼児のやわらかな頬をぷにぷにとつつき、イオエは相好をくずした。蜂蜜を溶かしたかのような髪色の双子は、橙色と緑が混じった不思議な金の瞳をしている。ふくふくとした頬は薔薇色。まるで神殿を飾る天の御使いの像のように美しく、愛らしい。

「たびたびお邪魔して申し訳ありません」

 カイルは姉の奇行に苦笑しつつ、イオエの登場に恐縮する乳母に土産みやげです、と包みを渡した。
 次期辺境伯の結婚で賑わう城の厨房からもらってきた料理や菓子だ。料理長に行く先を告げると、彼は笑ってすぐに用意してくれた。可愛らしい菓子の数々に若い乳母は小さく歓声をあげて喜ぶ。

「今日は豪華だから、あなたも食べてください。料理長自慢の逸品らしいですよ」
「カイル卿……、いえ、男爵様。いつもありがとうございます」
「名前で結構です。畏まらないでください。俺もまだ、慣れていないので」

 カイルが困惑すると乳母は承知いたしましたと頷く。
 カイルはつい先日、ニルス王国では騎士爵より上の男爵位を授かった。辺境伯領の竜の飼育環境改善に関して多大な貢献をしたことが表向きの理由だ。
 仮にも魔族の王の血縁者を無爵のままにするのはおさまりが悪い。さらに言えば伯爵以上の貴族と連れ添う平民は男爵位に叙すのが慣例だからだ。
 アルフレートが辺境伯を退いた後は、カイルと正式な伴侶になる手続きをして共に領都を去る。
 カイルが男爵に叙されたのは、内外への通達に近い。
 男爵位を授かることに尻込みしたカイルにアルフレートは『お前の貢献を考えたらもらっていい』とあっさり言い、『どうしてもおくれするなら、国王陛下のキトラへの機嫌取りに巻き込まれたと思ったらいい』と笑った。

「いおえ! おしろつくろう!」
「お城? いいなあ、私が住めるような城を作ってくれ」

 イオエは双子たちに乞われて、二人を床に下ろすと一緒に積み木で遊び始めた。
 三人が城の建築に没頭していると、扉が開いて、ショールを肩にかけた貴婦人が入ってくる。彼女はイオエと双子、それからカイルを認めるとくすくす、と微笑んだ。

「遅れて申し訳ありません、イオエ様。カイル卿」
「オリビエ様。お身体はもう大丈夫ですか?」

 カイルがそう尋ねると、双子と同じ髪色をした楚々とした美女ははにかんで頷いた。

「ただの風邪なのに。おずかしいわ、ご心配をかけて」

 双子の母、オリビエはカイルの土産みやげに目を細めて礼を言った。

「お城の料理! 楽しみにしていたので嬉しいです。せっかく結婚式にお招きいただいたのに、行けなくて……」
「いいじゃないか。クリスティナはいつも通りれいだったけれど、他人の結婚よりオリビエの健康が一番大事だ。立ち上がれるくらい元気になったのならば、よかった」

 イオエはしいぞ、と菓子を皿に盛って甲斐甲斐しく彼女の世話をし始めた。
 双子たちがイオエ、と呼びながらテクテクと歩いてまとわりつき始めたのを乳母が慌てて止める。
 平和な光景にカイルは思わず笑みがこぼれてしまう。
 彼女は双子の母であり、カイルの元上司テオドールの妻だ。
 魔族には様々な髪色の者がいるが、金髪はいない。それゆえに金髪の人間が好きなイオエが辺境伯領に遊びに来た時に、美しい金髪の夫妻――テオドールとオリビエに一目惚れした。
 さらに彼らに招かれて訪れた屋敷で、夫妻と同じく混じり気のない美しい蜜色の髪と両親の瞳の色を混ぜたような不思議な瞳をしている双子に出会って、骨抜きにされている。

『こんなに可愛らしい生き物が、なんの守護もないのはよくない! 悪しき者の毒牙にかかったらどうするのだ‼』

 そう言って守護だ、という可愛らしい猫(……の割に妙に人間臭いのがカイルはどうにも気になっているのだが)までおいていく始末だ。
 ご迷惑なのでは? とカイルはテオドールに聞いたのだが、彼は『子供たちの守護にいただけるものはなんでももらいます。実際、我が双子はこの上なく可愛らしいですからね……』と、しれっと親馬鹿を炸裂させていた。
 辺境伯領では金色の髪の人間は少ない。
 王都でも貴族の中で十人に一人いるかどうかだ。
 イオエほどでないにしてもきらきらしたものが好きなカイルは、従士時代に湯あみ後のテオドールの髪を丁寧にいて乾かしていた。それも今となっては懐かしい。
 微笑ましいと同時に、いつも押しかけて申し訳ない心地でカイルはオリビエを見た。外見と同じく優しい夫人は、イオエの自由奔放な振る舞いにもとりとめのない話にも真剣に向き合ってくれている。
 穏やかな時間が流れるのを見守っていると、侍女が来客ですと正装した男女を連れてきた。

「オリビエに土産みやげを持ってきたんだけど、カイル君に先を越されたね」
「ユアン卿!」

 つい先日までカイルの上司だった辺境伯領の男爵、ユアン・ロヴァルは部屋の光景を眺めて少し笑った。オリビエが恐縮するのを「そのままで」と制止した。
 彼の背後には、彼によく似た若い娘がいる。二十歳前半だろうか、聡明そうな顔つきの華奢な娘だった。

「会わせるのは初めてだったかな。娘のエマだ。エマ、ご挨拶あいさつを」
「お初にお目にかかります。カイル卿」

 娘というには、三十を少し過ぎたばかりのユアンと年齢がそこまで離れていないように見える。それとも大人びた少女なのだろうか。戸惑いながらもカイルは胸に手を当てて頭を下げた。

「カイル・トゥーリと申します、エマお嬢様」

 儀礼通りに挨拶あいさつを交わすと、エマは一礼して父親に何かを囁き、オリビエたちの輪に入った。オリビエや双子たちとは顔見知りらしい。

れいなお嬢様ですね」
「だろう? 自慢の娘だよ。普段は行儀見習いで神学校の寮にいるんだけど。クリスティナ様の結婚式に合わせて戻ってきたんだ」
「エマお嬢様とオリビエ様は仲がよろしいんですか?」
「うーん、そうかな。テオドールと僕は遠縁なんだ。テオドール夫妻が結婚してからエマもたまに遊びに来ているから、付き合いは長いほうかな。辺境伯領の貴族は、なんだかんだと血縁者だけどね」

 そう言ってユアンはのんびりと笑った。

「しかし、ユアン様にあんなに大きい娘さんがいたなんて」
「ああ、エマは妻の連れ子なんだ。血縁的には姪」

 ん? とカイルは首をかしげた。妻の連れ子で、……姪?
 なんだか今、とても複雑な家庭の事情をさらりと耳にした気がする。
 カイルの困惑に気付いたユアンは笑って説明してくれた。

「エマは兄夫婦の娘で僕の姪。兄は早くに亡くなってね。この地域の風習で、僕が義姉と再婚して……」
「奥様は亡くなったと伺っていましたが……再婚後にお亡くなりになったんですね」

 しんみりとした口調のカイルに、ユアンは決まり悪気に頭をいた。

「あー、辺境伯領では有名な話だから、あえて言わなかったんだけど。戸籍上は死んだことになっている妻だけど、今は別の名前で再婚して楽しく暮らしているよ」
「……ええっ?」

 カイルが目を丸くすると、ユアンはあははと屈託なく笑った。

「兄夫婦は身分違いの駆け落ちで、エマの母親は平民出身だったんだ。娘のためにと僕と再婚したのはいいものの、結局お堅いうちの家風が彼女には合わなくて。再婚してすぐに振られた。言わなくてごめんね」

 カイルは恐縮した。
 ユアンが言いたくなかったかもしれないことを聞いてしまった。

「……知りませんでした。しかし、ユアン様を振るなんて、見る目のない方ですね」
「ありがとう、カイル君に言われると救われる気がするよ。って、ああ。もうカイル君呼びはだめだな。男爵だもんね」

 ユアンが揶揄からかうように微笑み、カイルはあー、うー、と言葉にならない声を出した。
 アルフレートが辺境伯位を返上するまで、あと数ヶ月。
 クリスティナに身分をゆずった後、アルフレートはカイルと二人でしばらくは領地の外れに引き籠ることを予定している。
 元とはいえ辺境伯の伴侶になる人間が平民ではまずい、とカイルはあっさりと叙爵された。

「君の辺境伯領への貢献を考えれば、叙爵は当然だと思うよ」

 黒髪の上品な貴族は微笑む。ユアンはカイルが己の異能を使って、ドラゴンたちを訓練したことを高く評価してくれている。辺境伯領で竜に騎乗する騎士はざっと百人余り。
 それぞれの特性やドラゴンたちのに合わせてバディを組み換えたことで、騎士たちの機動力は格段に向上した。騎士たちからはいたく感謝されたが……

「俺じゃなくてユアン様の発案ですから」
「実行したのは君だからね、胸を張っていい」

 ……どんな理由があったかは知らないが、ユアンを捨てたというならその元妻には見る目がない。世辞でなく、カイルはそう思う。部下の能力を把握して仕事を振り、部下自身に功を立てさせる。己の功にしよう、などとは微塵も考えない人だ。有能で、立ち居振る舞いも優雅で、誰に対しても分け隔てなく優しいが、気が弱いということはない。城勤めの歴戦の騎士も気難しい侍女頭も皆、ユアンの言うことならば大人しく聞く。人望が厚い人なのだ。

「ま、僕は結婚に失敗した男だからね。テオドール夫妻の仲睦まじさは心に刺さるものがある……」
「確かに。仲がいいですもんね」

 大貴族の姫君と言っても通用しそうな風情のオリビエだが、意外にも裕福な男爵家の出で身分は高くないらしい。持病はないが、りゅうの質で社交界に顔を出す機会もそう多くはなかった。
 そんな娘の行く末を心配した彼女の両親が、古なじみのテオドールの母親に相談した。子爵家の侍女になったならば、騎士団の誰かと縁づくこともあるのではないか……と。
 間もなくしてオリビエを気に入ったテオドールの母からうちの息子の妻にどうか、と打診があり、二人の縁談はトントン拍子に進んだらしい。そんなふうに親同士が決めた縁談だが、テオドール夫妻は仲睦まじい。
 愛し合う両親に、可愛い子供。
 幸せを絵に描いたような家庭で、カイルは見ていて心が温かくなる。

「せっかく来てくださるのに、私の具合が悪くて申し訳ありません、イオエ様」
「気にするな。私が勝手に来ているのだ。たまには私の家にも招きたい。ああ、我が魔族のほうが医療技術は進んでいるから、オリビエの発熱に効く薬もあるかもしれない。双子も遊びに来たらいい。なあ、弟。オリビエと双子を里に連れて帰ったら、だめかなあ」
「……だめに決まっているだろ、姉さん」
「でも遊び足りない……」

 ごねるイオエにカイルはあきれ、ユアンは苦笑した。

「勘弁してやってください、イオエ様。テオドールが一人にされたら寂しくて泣きますよ」
「そうか、ユアン卿。ならばテオドールも連れて行ってやろう。キトラにも双子を会わせたいなあ、あいつも骨抜きにされるぞ。な、ヴィヴィエッタ、フランツ!」

 双子はよくわかっていないのか、あそびにいく! と揃って手を挙げ、よしよしと満面の笑みでイオエは双子を抱きしめる。

「ふふ。今は無理ですが、魔族の里にはいつか行ってみたいです。私はすぐ熱を出すので、あまり遠出はしたことがなくて。美しいところでしょうね」

 オリビエが微笑む。

「うん、確かに我が城は美しい。楽しみにしていてくれ。……だが正直、食べるものは辺境伯家のほうが美味びみだ」

 イオエがぼやくとオリビエは小さく噴き出した。

「体調の良い時に遊びに来てくれ。いつでも案内しよう」

 イオエはそう言うと、あまり長居しては悪いからとテオドールの屋敷を辞し、カイルたちもそれに従った。


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