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1巻
1-1
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「スカートをまくれ」
「はい」
酷く冷たい声に、エステルは震えながら頷いた。
震える手でスカートを掴むと、ゆっくりと引き上げその細い脚を露出させる。
人に脚を見せてはならないとしつけられてきた彼女にとって、自ら脚を晒すという行為は恥辱にまみれた行為でしかない。
白く痣ひとつないみずみずしい肌をした脚は細かく震えていた。
「そのまま脚を開くんだ」
「っ」
「嫌なのか」
「……いいえ」
理由の定まらない涙が溢れて視界を歪ませるが、エステルは逆らうことなく静かに脚を開いた。
男の視線が開いた脚の間に向かっている事実に、顔に熱がこもる。
無言のまま伸びた男の指が、薄い下着をゆっくりと引き下ろしていく。
冷えた空気に撫でられたあわいから、とろりと液体が滴り落ちて下着に淫らな染みを作った。
それは昨晩、散々注ぎ込まれた男の精だ。
「締まりのない口だ。しっかり中に留めておかなければ子などできないぞ」
「も、申し訳ありません」
「栓をしてやろうか」
「あっあ、あっ……‼」
男の指が割れ目を辿り、濡れてぬかるんだ蜜口を撫でた。
慣れた動きで押し入ると、栓をするという言葉とは真逆の激しさで抽挿を繰り返し、エステルの柔らかな部分を刺激し続ける。
「あっ、あんんっあああ」
膝を震わせ、もう立っていられないとばかりに体を曲げながらも、必死でスカートの裾を握りしめたままのエステルの姿は哀れを誘う。
しかしそんなエステルをいたわることなく、男は指を動かし続け、本能的に逃げようと揺れた腰を腕で囲うように掴み、抱き寄せた。
「んっっ」
抱き締められると、エステルは身をゆだねるように体の力を抜いた。
男はわずかに息を呑むが指の動きを止めることはなく、むしろ激しく彼女を追い詰める。
「あっああああ‼」
「こんなに溢れさせて、はしたないな」
「ひっ‼」
男は猛った熱棒を、指が引き抜かれ物欲しげに愛液を垂らす蜜口に押し当てると、一気に根元まで挿し込んだ。貫かれた哀れなエステルは短い悲鳴を上げ、喉をそらせる。
立ったまま、男の腕と、繋がった箇所だけで支えられた不自然な体勢は、ただ苦しくもどかしい。
しかし男の挿入に慣らされた体はあっという間に熱をおび、悲鳴は嬌声へすり替わる。
せめて男の肩や腕にすがりつけば楽になるというのに、エステルは意地のようにスカートの端を握りしめたまま、男の行為に耐えていた。
その様子に男は奥歯を噛み締め、追い詰めるかのように腰の動きを激しくさせる。
「今度は零すなよ」
「は、はいぃぃ……あ、あんっひいいっ‼」
「くっ」
強い刺激により先に果て、痙攣するエステルの内壁に引きずられるように、男の熱棒が激しく震え、果てる。最後の一滴まで注ぎ込むように腰を振られ、エステルは掠れた悲鳴を上げた。
男が無情に腕を放せば、熱棒が抜けると同時にエステルの華奢な体が床に落ちる。
力なく倒れ込み四肢を投げ出すエステルの脚の間には、お互いの体液と汗と、先ほど注がれたばかりの男の精が混ざり合った淫らな汁が滴っていた。
「零したのか。本当に駄目な女だ」
「もうしわけ、ありません……」
「ほら、もう一度注いでやる」
「あ、そんな、あっ!」
床に倒れたままのエステルに男が覆いかぶさる。
怯えと動揺で歪むエステルの顔に、男はわずかに顔をしかめると、荒々しくその唇を塞ぎ、呼吸すら奪うような口づけをする。
声を上げることを許さないままに脚を開かせ、まだゆるんでいる蜜口にゆっくりと先端を沈め、焦らすように浅い抽挿をはじめた。
先端だけをゆっくりと抜き差しし、先ほど注いだものを掻き出してから、ずん、と根元まで一気に挿入する。
その刺激に、エステルの細い体がふるふると痙攣した。
男はドレスを破くように剥ぎ取りエステルの白い乳房を露出させ、快感を敏感に感じ取って硬くしこる先端を指でつまみあげる。それに呼応するようにとろとろと溢れる蜜がお互いを汚す。
態度とは裏腹に、エステルの体は歓喜するように男の剛直を締めつけた。
欲望のままに、男が激しく腰をぶつける音が部屋の中に響き渡る。
エステルは与えられる容赦のない快楽に溺れそうになるのを、必死で我慢していた。
男の服や背中にすがりつきたくてたまらないが、それは許されないと空を掻いた自らの腕を力なく床へ落とす。
(駄目、一度でも甘えたら、私はこの方を愛してしまう)
酷い言葉と荒々しく容赦のない行為ではあったが、男はエステルを本気で傷つけるようなことはしない。いつも、ただひたすらにエステルの体を快楽の渦に沈めるような甘い愛撫で翻弄するばかりだ。
「んんんっうぅぅぅっ‼」
最奥を激しく突かれながら敏感な突起まで刺激され、エステルは先ほどよりも深い絶頂に押し上げられて、その細い体を硬直させた。
痙攣と締めつけに男も喉を唸らせ、エステルの最奥に欲望を吐き出す。
絶頂を味わうかのように、男はエステルの体を強く抱き締める。
だが、エステルは意識を失うその瞬間まで、男の体を抱き返すことはなかった。
「……エステル……どうして君は……」
青白い頬を涙で濡らしたエステルの顔を見つめながら、男は苦しげに彼女を呼ぶのだった。
第一章 贖罪の婚姻
この世界には、かつて魔法が溢れていたという。
万物は魔力をおび、すべての願いや欲望は魔法によって叶えられた。
しかしあるとき、神の怒りを買ったかのように、この世界から魔力が失われていった。
力を失った人々は戸惑い嘆いたがどうにもならず、魔法頼みの生活を捨てるしかなかった。
けれども魔法でなければできぬこともある。
四方を山と渓谷に囲まれた小国、アクリア。
水源に富んではいるが、逆を返せば水害の多い国でもあった。
かつてこの国を治めた魔法使いは、水源の制御を魔法に託した。水を制御し、国土を守る繊細で強大な魔法は、今もなおアクリアを守っている。
もしその魔法が消えてしまえば、たった一度の大雨でアクリアは滅んでしまうだろう。
唯一の希望は、魔力が失われはじめた時期から世界のあちこちで生まれるようになった『宝石眼』と呼ばれる、その名の通り宝石のような瞳を持つ存在だった。
宝石眼を持って生まれた子どもは、五歳から七歳の頃になると、失われたはずの魔力をその体におびることが多く、微弱ながらも魔法を使える者すらいるという。
彼らは『魔力持ち』と呼ばれ、貴重な存在として扱われた。
また、その性質は子孫に受け継がれることが多く、宝石眼が生まれた家系は優遇されるようになっていった。
特にアクリアでは、魔力持ちの家系は重要視された。治水魔法を維持するため、特別な魔道具を使い彼らから魔力を集めていたからだ。
そうした家系は貴族と呼ばれるようになり、王族に次ぐ地位を与えられた。
今年十八歳になるエステルは、そんな魔力持ちが生まれる貴族、クレメール家に生まれた。
エステルの瞳は宝石眼ではなく、平凡な色をしている。
けれどエステルのふたつ上の姉であるラシェルの瞳は、宝石眼とまではいかなかったが光に反射して輝くことがあった。
それゆえに周囲はラシェルがいずれ魔力に恵まれるのではないかと期待し、幼い頃から彼女を優遇していた。
結局七歳を過ぎてもラシェルは魔力に目覚めなかった。
だが、遅咲きということもあるし、そうでなくても宝石眼から生まれる子どももまた、魔力持ちになる確率が高い。そんな理由もあり、ラシェルはクレメール家の中で特別な娘として扱われ続けた。
年頃になったラシェルの美しさはまばゆいばかり。
そして、自分が特別だと理解した彼女は、平凡な妹を奴隷のように扱うようになった。
ありとあらゆる我儘でエステルを追い詰め、自分の不愉快はすべて妹に責があるかのごとく振る舞った。
実の親である父母はそれを咎めることもたしなめることもなく、むしろラシェルに追従してエステルをなじる日々。
エステルは、決して虐げられなければいけないほど醜悪な娘ではなかった。
むしろ柔らかく伸びた栗色の髪と丸みをおびたアイスグレーの瞳は愛らしく、声はか細いが小鳥のように澄んでおり、控えめながらもとても整った容姿をしている。育ちの良さを感じさせる上品で繊細な所作は、彼女の可憐さを引き立てていた。
しかし、家族にはそのすべてが忌々しいものであるかのごとく疎まれていた。
「お前には失望した」
父親の吐き出すような冷たい声に、エステルは身を固くする。
クレメール家の一同がそろった応接間。
家族の皆がソファに座るなか、一人だけ立たされているエステルの顔色は蒼白であった。
「あろうことか姉の婚約者を誘惑するなど」
「ああ、なんてはしたなく卑しい娘なのかしら」
母親も父親の言葉を繋ぎながら、実の娘に向けるものとは思えないほど冷ややかな視線を向けていた。
「違います、私は……」
「お黙りなさい‼」
反論を試みようとしたエステルの声は、母親のヒステリックな声に掻き消される。
父親と母親、切なげに泣く姉と、それを慰めるように肩を抱く姉の婚約者の視線に晒され、エステルは、まるで裁きを待つ罪人のように力なくうつむくことしかできなかった。
事実、この場においてエステルは罪人であった。
罪状は、誘惑。
ラシェルの婚約者であるクロード・メイスンを、はしたなくも個室へ誘い、淫らな行為に誘ったと断罪されていた。
「本当になんという娘だ。私たちからあの子を奪っただけではなく、ラシェルから夫を奪おうなどと」
「義父上、私が悪いのです。まさか彼女があのような誘いをかけてくるとは思わず……ラシェル抜きで二人きりになってしまった私にも責はあります」
「いいえ! 悪いのは全部あの子よ! 相談事があるとクロードを呼び出しておいて! そんなに私が憎いの、エステル‼」
「ああかわいそうなラシェル! エステル! お前は本当に悪魔の子ね‼」
容赦のない言葉を浴びせられ、エステルは体中の血が冷え切っていくのを感じながら、倒れるのだけは嫌だと必死に立ち続けていた。
(もう、なにを言っても無駄なのね)
真実がどうであれ、彼らにとっての事実はそういうことに決まっているのだろう。
エステルは感情を麻痺させ、事実無根の非難を受け続けていた。
この時間が早く過ぎ去ればいいと思いつつも、これすらも自分が受けるべき罪なのだろうと、諦めにも似た気持ちで虚ろな視線を床に落とす。
「ええい! なにか言ったらどうなのだ、忌々しい‼」
「本当に憎らしい子‼」
母親が苛立たしげに、手に持っていた扇子をエステルに投げつけた。不運にも扇子の持ち手がエステルの額をかすめ、わずかな傷を作り、白い肌に血が滲む。
加熱していた断罪の空気が冷め、気まずさにすり替わる。
「……エステル、お前には修道院に行ってもらう。もうお前は我が家の娘ではない。これ以上この屋敷に留まれば、私たちだけではなくラシェルやクロードも不快であろう」
「お父様、そこまでしなくても……」
「ラシェルよ、お前は優しいな。いいのだ。元よりエステルは結婚などという幸せを得られる立場にはない。もっと早くそうしておけばよかった」
深いため息と共に告げられた言葉に、エステルは悲しむことはなく、むしろ安堵を感じた。父親もどこか安心したような顔をしている。母親もだ。
離れてしまえば、憎むことも憎まれることもない。ようやくこの歪んだ関係が終わると、親子の間に張りつめていた緊張がゆるんだような気がした。
「後の手続きはしておく。部屋に戻ってじっとしていなさい」
「かしこまりました」
小さく頷くとエステルは震える足を奮い立たせ、倒れないように必死で足を進めて扉へ向かう。ラシェルの瞳がじっと自分を睨みつけていることに気がつかない振りをして、音を立てないように扉を閉めた。
無人の廊下に出ると、エステルは詰めていた息をゆっくりと吐き出した。
その場に座り込みそうになるのをなんとかこらえ、緊張でこわばった体を落ち着かせるように胸に手をあて深呼吸を繰り返す。
このままここに留まっていれば、また家族と鉢合わせしてしまうかもしれないという恐怖を感じ、おぼつかない足取りで自室へ向かった。
なんとか辿りついた部屋へ滑り込むように入り、後ろ手で扉を閉める。
先ほど、無理やり個室に連れ込まれ、ドレスの中に無遠慮な手を差し込まれた恐怖が今さらながらに思い出され、エステルは体を震わせその場に座り込んだ。
なにもかもが冤罪であった。
相談したいことがあるから一人で庭にある離れに来てほしいとエステルを呼び出したのは、他でもない姉のラシェル。
ラシェルの代わりに現れたのはクロードで、彼はにやついた笑みを浮かべ、エステルの腕を掴み、引き寄せたのだった
姉の婚約者であるにもかかわらず、クロードは以前からエステルに色欲の混じった視線を注いでいた。隙あらば髪や体に触れ、酒に酔った振りをして腰を抱いた。
その度に姉の癇癪をぶつけられるため、エステルはクロードに近づかぬように、日々緊張に身をすり減らしながら過ごしていたというのに。
その努力は悪辣な二人により、簡単に無に帰してしまった。
唇を奪われそうになったのを必死で拒み、暴れると、苛立ったクロードに頬を打たれた。
ショックで固まったエステルはそのまま床に押し倒され、ドレスの中をまさぐられたのだった。
素肌にクロードの熱を感じ、エステルは嫌悪感と恐怖に力の限りの叫び声を上げた。その声は思いのほか響き渡り、運よく庭を巡視していた騎士の耳に届いた。
魔力持ちが生まれる家系は血統ゆえに、誘拐などの事件に巻き込まれることが少なくない。そのため警備の騎士や兵士が常駐しているのが当然だったことが幸いしたのだ。
駆けつけたのは、幼い頃からエステルを知る壮齢の騎士。
彼は、家族に倣い腫れものに触るように接してくる若い使用人たちとは違い、エステルを気遣ってくれる数少ない存在であった。
泣き喚くエステルを組み敷き、ドレスを剥ぎ取ろうとするクロードを見つけた騎士は、ためらいなくクロードを突き飛ばし、泣きじゃくるエステルを背後に庇った。
「お嬢様、大丈夫ですか‼」
あまりのことに言葉を失い、蒼白になっているエステルは、騎士の背中に隠れるようにして自分の体を抱き締め、震え続けていた。
突き飛ばされたクロードは忌々しげに騎士を睨みつけていたが、弁明は不要とでもいうように鼻を鳴らし「おやおや、急に怖くなったのかな、エステル?」と馴れ馴れしい声を上げながら立ち上がる。
「なに、を」
「君が誘ったのではないか。姉のものを欲しがる欲深い娘につい乗せられてしまった」
「な……」
あろうことかクロードはエステルが誘惑したと言い放ったのだ。
エステルは反論を叫ぼうとしたが、恐怖で震える唇は言葉を発することができない。
騎士もクロードがこの場を無理やりに収めようとしていることに気がつき、眉をひそめる。
「クロード様。無礼を承知で申し上げますが、この状況でそれは」
「無礼だとわかっているなら黙りたまえ。私は彼女に誘われここに来た。それ以外に事実はない。まあ、つい若い娘の誘惑に負けてしまったという弱さは罪だろうが、同じ男ならわかるだろう?」
舐めるようなクロードの視線がエステルを見下ろしていた。決して獲物を諦めてはいない瞳に、エステルは息を呑み、騎士は表情を険しくさせた。
エステルと騎士はことの次第を包み隠さず家族に告げたが、二人の言葉は黙殺され、クロードの言葉が事実として受け止められてしまった。
すべてはエステルが仕掛けたことで、なにもかもがエステルの罪であるというのが父親の判断であった。
しかし、エステルは父親の下した決断に安堵していた。
彼女にとってみれば、それはようやく下された断罪。
エステルも限界だった。この屋敷で家族に憎まれて過ごすのも、あのクロードにいつ体を汚されるのかと怯えて暮らす日々も。
扉に鍵がかかっているのを何度も確認し、這うようにしてベッドへ向かう。
うつぶせに倒れ込んだエステルはシーツに顔をうずめ、声を上げずに涙を流した。安堵と悲しみと屈辱。愛されもせず、信じてももらえぬ辛さ。
それらすべてが混ざり合った、美しくも哀れな涙だった。
エステルは反論もせず抵抗することもなく、すべてを受け入れて罪を被る道を選ぶと決めていた。
それは抵抗をしても無駄だという諦めからでも、魔力を秘めた可能性のある姉のほうが大切だという無言の圧力に屈したからでもない。
自らが、誰にも許されることのない大罪人であると知っていたからだった。
***
数日間の謹慎は、平穏な日々であった。
部屋から出るなという父親の言葉を素直に受け入れ、食事は侍女に部屋へ運んでもらい、エステルは文字通り部屋から一歩も出ずに過ごした。
姉やクロードが何度か扉をノックしたが、父親の許しがないと言って頑なに鍵を開けなかった。
見張り役として騎士や侍女が常に控えていたため、無理に押し入られることはなかったが、彼らが発する言葉の端々から「余計なことを言うな」という空気が痛いほどに伝わってきた。
そんな脅しなどかけなくてもなにも言う気はないのに、とエステルは疲弊した顔で窓の外を見つめるばかりだった。
父親の計らいか、姉とクロードがそろって出かけた日に、エステルは応接間へ呼び出された。
てっきり修道院へ入る手はずについて説明を受けるとばかり思っていたエステルは、そこに見知らぬ男性がいることに動揺する。
神父や修道士の類ではない、鍛え上げられたたくましい体と鋭い表情は、おそらく軍人なのだろうと察せられた。
穏やかな笑みを浮かべてはいるが瞳はどこか冷たく、エステルはその人物を『怖い』と感じる。
見つめられると心のうちまで覗かれそうなその瞳から目をそらしながら、エステルは父親に言われるがまま、ソファへ腰を下ろした。
「お前を修道院に入れる話はなくなった」
「え」
エステルの顔から血の気が引く。まさか姉やクロードがなにか言ったのだろうか。
この屋敷にこのまま留まることはエステルにとって地獄でしかない。
「お前には結婚をしてもらう」
「結婚……?」
父親の発した言葉の意味がわからず、エステルは目を何度も瞬かせた。
一瞬、目の前に座る男性へ視線を向ける。
まさかこの方と結婚を? とエステルが考えていると、父親は酷く苛立たしげに鼻を鳴らした。
「この方はこの国の将軍、パブロ・ベリリック様だ。ずっと子どもを産める若い娘を探していたそうでな、お前を修道院に入れるという話を聞きつけ、是非にと懇願されたのだ。いささか不本意ではあるが、お前には似合いの話だろう」
「あの、結婚とはいったい……?」
「言葉通りだよ、エステル殿」
男が低い声で静かに告げた。
将軍という肩書きにふさわしい威圧感に、まるで尋問を受けているような気分になる。
「君にはさる高貴な方と婚姻を結び、彼の子どもを産んでもらいたい」
「……子ども?」
エステルは、父親の言葉以上に理解できないパブロの言葉に、再び目を瞬かせる。
告げられた言葉を幼子のように繰り返すエステルに、父親は眉をひそめた。
「ご覧のように不出来な娘です。パブロ様の願いを叶えることができるかどうか……」
「構わない。こちらが望むのは子を産むことができる従順な娘だ。それにこの娘に魔力はなくとも、クレメール家には前例がある。可能性は高ければ高いほどが良い。エステル殿、これは国命だ。君に断る権利はない」
有無を言わせぬ口調で断言され、エステルは口をつぐむ。
結局、誰もエステルの意見など聞く気はないのだ。
「これから話すことは他言無用。人に知られれば君の命の保証はない」
冷酷なまでのパブロの言葉に、エステルは小さな悲鳴を上げることすらできず、黙って頷いた。
エステルの結婚相手となる男は、今では希少な存在である『魔法使い』だという。
「魔法使い……」
か細く呟くエステルの声は震えていた。
ただの魔力持ちは、多くはないが少なくもない。魔力量の差はあれど、国を支えるのに必要なぎりぎりの人数が常に生まれている。
だが、魔法使いとまで呼ばれるほどに魔力を持ち、魔法を使える存在ともなれば別だ。
もはやおとぎ話の世界にしか存在していないと思っていた名称に、エステルは目を見開く。
結婚相手になる男は生まれながら膨大な魔力を持ち、失われた魔法さえも使えるという魔法使い。
その魔力量たるや、数人の魔力持ちが数日かけて魔力を注ぐことでようやく半分ほどになる魔道具を、たった一日で満たしてしまうほどだという。それほど強大な力を持つ彼は、尊く貴重な存在として国に厳重に保護され隠されて生活しているため、存在を知るのは限られた人間だけだ。
魔力は血によって紡がれる。男ほどの魔力があれば、子どもや子孫が強い魔力を持つ可能性は高い。国にとって男の血を継ぐ子どもは、喉から手が出るほどに欲しいものだった。
しかし彼はどんな娘をあてがっても興味を示さないし、娘たちのほうがなんとか距離を縮めようと努力しても最終的には皆「自分には無理だ」と言い出す始末だという。
こうあっては埒が明かないと、今回強制的に結婚させることが国命で決まった。
男は渋っていたが、この結婚がうまくいかなければ、この先無理に相手を薦めることはしないという条件つきで了承したという。
「どんな娘でも良いというわけではない。魔力持ちが生まれる家系の娘でなければならない」
強い魔力は、魔力を持たぬ者には毒だ。
魔力に耐性のない家系の女性が魔力持ちの子を孕めば、出産に体が耐えかねて命を落とすこともある。
エステルは、たとえ親に憎まれた娘であっても、血統が確かならば子どもを産むには問題ないと判断されたのだ。もしくは、エステルの過去からどんな仕打ちにも耐えられると考えられてのことかもしれない。
パブロの視線には、姉の婚約者を誘惑した罪で修道院に入れられるような淫売であれば男を籠絡できるのではないかという蔑みが含まれている気がして、エステルは逃げるように視線をそらす。
どこまでもエステルという存在を愚弄した、馬鹿げた話だ。
「お前が役に立つとは到底思えんが、女は女だ。子を産むことくらいはできよう。お前がこの国の役に立つのならば、あの子も浮かばれる」
あの子、という父親の言葉にエステルの肩が震える。
その震えに父親はわざとらしく鼻を鳴らし、眉を吊り上げた。
「子どもを産むことができないのならばお前に存在する価値はない。男に捨てられたとしても我が家に戻ることは許さん」
憎しみの宿った瞳に睨みつけられてしまえば、逆らう術などない彼女はただ静かに頷く。
元より、逆らう理由も術もエステルには残されていない。
「これはお前に与えられた、唯一の贖罪の機会と思うがいい」
「はい」
「しかしゆめゆめ忘れるな。お前が何人子どもを産もうがお前の罪が真に許される日は来ない。お前は私から息子を、この国から次代の魔力持ちを奪った。お前は血の繋がった弟を見殺しにした罪人なのだ」
「……はい」
幼い日、必死に手を伸ばし泣き叫ぶ弟の姿を思い出し、エステルは目頭を熱くした。しかし自分には泣く資格すらないと、父親の言葉に深く頭を垂れる。
あの事件は、なにもかもが不幸な巡り合わせでしかなかったというのに。
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