No One's Glory -もうひとりの物語-

はっくまん2XL

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第4章

3 予感

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 由紀子が帰路に向かう頃、加藤は自室で、相も変わらず思考実験を繰り返していた。本来であれば提唱者とは分離すべきであるが、助けを求められる相手は居なかった。加藤は自分の行為の異常さを理解していたし、その研究内容への共感が得られないことを承知していたのである。
 彼の中には、ひとつの野望があった。
 それをつけこまれたのである。
 加藤は、由紀子の子宮の修復、そして亡くした子の復活を、概念の強制に期待してしまったのであった。
 そして、本体から切り離され、思考せずただ暗い感情を貪るだけの種子を育てる栄養とされてしまったのである。少しずつ、匙加減を間違えずに、加藤は変貌させられていった。そして、その成果として、加藤は現世において異能の発現に成功したのである。
 そのプロセスは、予想していた程に複雑でも高難度でもなかった。
 自分自身を、その願う行為に適う存在と定義し、そしてその願いを「当たり前」のこととして信じる、それだけであった。
 加藤の発生から、親和性が高かったのであろう。
 また、加藤は自身の由来を、《テセウス》だと思い込んでいた。

 デザインナイフで付けた長めの切創が眼前で消えていくことに、言いようのない悦びを覚えた。

 ———世界が、新しい在り方を知ってしまった瞬間であった。



 ヘルメスの失敗は、そもそもヨナスを出たことであり、成功は、ヨナスを出て、イオと合流したことであった。つまり、ヨナスに残っていればタナトスが暴挙に出る隙は無く、ヨナスを出たからこそ、ベガを救う手立てを探ることが出来たのである。
 これを、ヘルメスは少し皮肉に捉えながら、長年のテセウスへの確執が確実に溶けていくのを感じていた。
 テセウスが常日頃から感じていただろうもどかしさ、それが実感できたからである。
 選択には、常に過程と結果が伴うが、どのような選択をしようと、必ずしも最良となる訳ではないことを実感したのである。その時点での最良、それを選択し続けること、これは政に携わるに当たって、基本であったのに失念していた、ヘルメスの青さであった。
 イオは、突然、どこへともなく微笑を浮かべたヘルメスに苦笑しながら、なんとなくいい結果になったのだということだけ受け入れることにした。身体を溶かせば詳細まで取り入れることも可能だろうが、それでは社会に馴染まないことをテセウスから学んでいた。
 「それで、あれが増援かは、どうやって確認しようか」
 「それなら大丈夫。事前に合図を取り決めてある」
 と言うが早いか、接近していたキャリアに、まだ公開していない《アルゴ》のクラン旗が翻った。
 「君たちにプレゼントしようと思ってね、制作をしていたんだ」
 憎い演出ではある。だが、その旗の意匠に、ヨナスのシンボルが追加されていることに気づき、アストライアがクレームをつけた。
 「ヘルメス、貴方、その旗で《アルゴ》をヨナスの紐付きにする気だったわね?」
 「そんな訳ないさ。ただ、自分は参加できないから、シンボルだけでも仲間に入れて貰おうという、涙ぐましい努力さ」
 と嘯き、飄々と躱す。どうやら、常の自分を取り戻したようである。
 アストライアは、これからの作戦に影響が出ないのであれば、一時保留は已む無しとして、追及を諦めた。どうせ、明らかになったのであれば、テセウスからひどい一撃を受けることになるに違いないのである。
 「それはそうと、作戦らしきものも決めてないけど?」
 「イオが潜入してくれたから、その最新情報を受けての作戦会議をしないとね」
 ヘルメスは、イオと過ごす内に、逆にイオの力を宛てにしない方が、イオが寂しがるのだと気がついた。———きっと、本当に孤独だったのだ。
 「イオ、この人は本当に都合のいいように他人を利用するから、何でも言うことを聞いてはダメよ」
 「そうなのかい?でも、最終的にテセウスの為になるなら、利用されても構わないよ」
 「まあ!!イオってば、本当に可愛いわね!!」
 そんなイオにアストライアが抱き着くのを見て、ヘルメスは肝が冷えた。イモータルの伝説は、子供の頃の寝物語に聞かされて育つのが連盟の伝統である。
 「え?ん?あれ……。イオ、貴方、もしかして本当に女性になる気なの」
 「うん、アストライア、そうだよ。私もテセウスと、ずっと一緒に居たいからね」
 なんて健気なの!!と、またアストライアがイオを抱き締めた。ヘルメスは。もうこういうものなのだと、諦観して眺めていた。
 「ところでイオ、ベガの様子を聞かせてくれるかい。アストライアは、街道に向かって、キャリアの誘導をお願い」
 「二度も状況説明させるのは、イオが可哀想でしょう。ヘルメス、お迎えは貴方が行ってらっしゃいな」
 ひらりと手を振り、ヘルメスを追い払おうとする。
 「———潜入情報なんて、アストライアが聞いても理解できない癖に。破壊の化身は、ここぞというところで暴れてくれればそれでいいんだって!!」
 ヘルメスがそう言うと、
 「言ったわね、言ってしまったわね!!そういう気なら、解ってくれるまでお話しをしようじゃないの!!」
 と、拳を握り締めた。
 「話し合いで、なんで拳を作る必要があるのさ。そう言うところだぞ」
 やれやれと腰を上げ、ヘルメスは街道方面に走って行った。
 キャリアをはじめとした偽装キャラバンの姿はまだ遠いが、あの様子だと、すぐに合流出来そうである。
 「で、邪魔者が居なくなったから聞くけど、イオ、ドレインタッチで全員捕縛するつもりね?」
 と、確認してきた。
 「うん、そうだね。皆に怪我をさせたくないし、それに少しは使っておかないと、いざという時に発現しないと困る」
 両の掌を、隙間を開けて合わせ、何やら力を発現している。
 「練習すれば、アストライアにも使えると思うんだけどな———」
 何てことはないように言うのにぎょっとし、アストライアは訊ねた。
 「固有の能力ではないの?!!」
 「うん、どちらかと言えば、能力者の基礎技術の部類だよ、コレ」
 驚きの事実であった。
 イオを夜の王、イモータルとして恐れさせた一因であるドレインタッチが、まさか能力者すべてが発現可能な技術に過ぎなかったとは———。
 「転移はね、多分、テセウスにしか真似出来ない」
 「……アレまで出来るとか言われたら、気が狂うわよ。で、ドレインタッチって、一体何なの」
 「ちょっと、この掌の間に指を通してみて。うん、そんな感じ」
 と、アストライアが指を潜らせると、そこから何かが抜ける感触がした。冷えるというか、乾くというか、不思議な感覚である。
 「変な感じだわね……。この抜けるのがドレインタッチなのね」
 「そう。何が抜けているのか、私にもよく判っていないのだけれど、抜いた後は異能が使い易くなるから、その為の力そのものを抜き取っているんだと思う」
 ひどく大切なことを、あっけなく明かすのが、イオ流である。
 「異能を発現する時の感覚をね、両の掌で投げ合いすると、感覚が掴めるようになるよ。アストライアは素直だから、すぐに出来るようになると思う」
 頷き、その美麗な相貌を微笑ませた。
 まったく瑕疵の無い、完成品の美である。
 不思議と嫉妬が湧かないのが、イオの美点であった。
 肉眼でも人の顔が判別できるくらいに、偽装キャラバンが近づいてきた。
 ふたりは立ち上がり、予め用意していた乗機の隠蔽場所を示すために、キャラバンの方へと寄っていった。
 この夜の間に、すべてに片を付けてしまわなければならない。
 そしてそれは、イオが居れば容易だと考えていた。



 ふと何某かの予感がして、テセウスは寝具から跳ね起きた。
 動悸が激しい。若干、発汗もあったようである。
 まるで、悪夢の最中に居るような感覚であった。
 耳を聳てるが、アルタイルに変事が発生した訳ではないらしい。物音も、物騒な気配も無かった。
 何故、こんなに焦ったような、不安な心境になるのかが解らない。
 だが、確実に変事はあるのだと、事件が発生しているのだと、身体全体が訴えている。
 濃密な夜の空気が、テセウスの発する熱気と汗で、更に濃くなった。
 ふと、思い立って気配の察知を薄く、遠くに伸ばす感覚で拡げてみた。そして、相棒の気配を掴もうと、その特徴的な波動を探す。

 次の瞬間、テセウスはその存在を、起居する部屋から隠していた。

 残ったのは、寝苦しい夜につきものの汗の匂いだけであった。



 「義父さん、あまりお酒を召してはいけませんよ」
 「判っておるよ、心配しなくても大丈夫」
 「大丈夫が信用ならないから言っているのです……」
 ヘスティアとニュクスであった。
 今朝、デュキスがベガへ発った為、本当にニュクスはひとりで各中規模都市を巡回することとなってしまった。
 義父の強かさは知っている。世事にも武技にも長けている。だが、それでも安心とならないのが、この親子の関係であった。娘は極度の心配性で、父はあり得ない程に適当であった。つまり、娘が心配性になった理由は義父にあったとも言える。
 「こんな年寄りの心配よりも、お前の大事なロクデナシの心配でもしてやれ」
 にやりと笑い、ニュクスはヘスティアの頭を撫でた。
 「———お訊ねしますが、アストライアが盛んに広めている《ロクデナシ》という侮蔑、まさか義父さんの発案ではありませんよね?」
 「それはアストライアが許可せんと明かせない情報だな……」
 疑義は確信に変わった。
 強張った義父の身体が物語っている。
 「お戻りになられたら、詳しくお教えくださいね、義父さん」
 「お、おう……」
 また約束も出来たし、今回も無事に帰るとするか———。ニュクスはそう心中に誓い、表までの見送りを断って旅に出た。
 どうにも気が急いた。
 ニュクスの異能の余技なのではあるが、彼は虫の知らせによく命を救われてきた。そして今回、彼自身も危機的な状況になる予感がしているのである。また、先程、ロクデナシ呼ばわりした若者についても……。
 まずは自分が救からなければ、彼に助力も出来まい。
 そう考え、ニュクスは周囲の気配に過敏なほどに神経を巡らせ、そして怪しい者を逐一、脳裏にマーキングしていった。同一方向に向かっているのである。気を抜けば、どこで襲われるかも予測できない。
 日頃の適当さは鳴りを潜め、表出したのはひどく神経質な男の顔であった。
 そうやって、自身は勿論のこと、義娘を様々な危機から護ってきたのである。彼女には大きな秘密があったために———。
 ヘスティアの出生については、実のところ、ニュクス以外に情報を握る者は居ない。ニュクスの情報操作の賜物である。異能については隠しようがなかったので能力者であることは明らかにしたが、能力そのものは徹底的に隠した。
 本人も憶えていない、遠い、遠い昔の話———。
 命を懸ける甲斐はある。
 ニュクスは滾った。
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