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第4章

1 歪められた告発

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 そもそもが、テセウス卿を害した、とは何をどのような根拠で述べているのか、ケリュケイオンは少し興味を持っていた。もちろんそんな事実は無いし、疑われるような、いつもの少し過激な冗談めいた会話は、常に密室の中で行われていた。強気に出られる理由がない筈なのである。
 行政府前の大広場は、今回の方舟教会の関係者と、それを取り巻く様子見の市民で賑わっていた。「———あの、ヘルメス様がそんなことは」そんな声が漏れ聞こえるのはいい傾向だが、それを押して騒ぎを起こした意図が見えるまでは、油断はできない。
 「———無闇に騒ぎを起こすのは、やめていただきたい」
 一歩前に踏み出し、タナトスと思しき導師に、ケリュケイオンは告げた。
 待っていた獲物が現れたといった表情に、若干気味の悪さを感じながら、その場の解散を告げる。
 「貴方はどのようなお立場の方かな?お待ちいただきたい。我々の主張のことは……」
 立場———。想定していなかった問いに、少しの間、回答に詰まり、その後は気を取り直してありのままを述べた。だが、その間が、群衆には後ろめたさに感じられたのかもしれない。ざわめきが増した気がした。
 この街の住民であれば、ケリュケイオンがヘルメスの懐刀であることは既知であり、敢えて補佐する立場を求めることはしてこなかった。
 「代表より、不在の間の治安と警備を任されている、クラン《アモネイ》副長のケリュケイオンと申す。代表、副代表は所用により不在である。出直されたい」
 ———行政府にも、念のために地位を占めておくのであった。そう思ったが、いまとなっては遅い。代表権を持つ者が両者とも不在というのが、異常事態なのである。
 「警備担当ではお話になりませんな!!代表権をお持ちの方においで願いたい!!」
 「であるから、代表権をお持ちのおふたりは不在とお伝えした。お戻り次第、ご連絡するゆえ、厳に解散を求める」
 ケリュケイオンは強硬に言い張った。
 タナトスは鼻白んだ表情で振り返ると、
 「この大事に、ヘルメス卿、アロイス卿は不在だという。これは、我々の動きを察知して逃げた、そう思わないかね?信徒の皆様!!」
 煽るようにそう言い、ケリュケイオンに挑発的な視線を向ける。
 ———これは、《アモネイ》が、ヘルメス様の肝煎りであることは承知の発言だな。
 彼も部下に振り返り、暴発を戒めた。挑発に乗っては、相手の思う壺な気がする。彼らは敢えて不在を狙い、その間に何事かを為すつもりなのだ。
 これがテセウス卿の敵か———。ケリュケイオンは目立たぬように掌の汗を拭い、剣帯を戦闘態勢の位置にさりげなく移動した。同時に、抜き打ちに適した姿勢に移行する。斬るのであれば、暴発ではなく、計算の上で、利になる斬り方をしなければならない。
 ケリュケイオンは、全身の筋肉を弛緩させた。

 ———要らぬことを口にした瞬間、斬らねばなるまい。

 「さて、賢明なるヨナス市の信徒の皆様、ここでひとつの事実を明らかにしましょう。そして、その裏に隠された真実を、共有しようではありませんか」
 と、懐より、何らかの書簡を取り出し、一通を広げた。
 「ここに記されているのは、テセウス卿のご両親、婚約者が亡くなられた、いたましい侵略戦争の防衛線でのことです。当時、ヘルメス卿のご両親並びにヘルメス卿は、現地に赴き、防衛の支援を行うように、中央から依頼を受けていました。ところがここで、ヘルメス卿はテセウス卿への支援となるのであれば、戦場には出ないと、断固とした拒絶を行っております」
 頭上に便箋を掲げ、タナトスは大声で告げた。ケリュケイオンのことは、わざと無視してのパフォーマンスである。
 ———これは、事実であった。当時、ヘルメス様には《テセウス》の徴が現れており、テセウス卿の正当性を確認する意図で、敢えて依頼を受諾しなかった経緯がある。乱暴ではあるが、「本物なら、問題なく解決出来るだろ」とのことであった。無論、断固として、などという事実は無いが……。

 ———問答無用で、斬るべきであったかもしれぬ。

 興味が勝り、聞いてしまった。
 自分が反駁の声を上げないことで、タナトスの発言に、正当めいた印象を与えてしまった。明らかな過失である。
 あの時期、インプラント施術が起こした発熱で、頼りとされたテセウス卿は、結局、戦場には出られずに、自宅で家族の訃報を聞くこととなった。戦闘の終結は、その後の彼の指揮によるものであったが、それで慰められる損失ではなかった。この時代、突出した個という存在は、それ程までのものなのである。
 「そしてまた、アーテナイの滅びの日、ヘルメス卿は裏切りを働いている」
 と続けた。
 「丁度いい。ケリュケイオン氏に訊ねる。アーテナイの滅びの日、あの忌まわしき出来事の日、貴方たち《アモネイ》の主要メンバーは、アーテナイに居ましたね?」
 確信をもって質問していることが、判別できた。何らかの手段で、根拠資料か証言者を得たのであろう。
 「いかにも、その日には《アモネイ》は、アーテナイにて任務中であった。だがそれは———」
 ケリュケイオンの言葉を強引に遮り、
 「お聞きになられたか?!!あの、帰還者不在とされたアーテナイで、実は《アモネイ》の方々は、卑怯、惰弱にも戦闘を避け、ヨナスへ帰陣していたのです!!」
 驚きの声が、大広場に満ちた。
 日頃のヘルメスとテセウスの姿を見慣れている者たちでも、いまの言葉は初耳であり、看過できない事実でもあった。
 「つまりはですね、ヘルメス様を筆頭とした《アモネイ》の主力は、アーテナイの滅びの日、戦闘に寄与せず、逃げ帰ったのです!!」
 場が過熱しつつあった。
 このままでは、都合のいいように真実を歪められてしまう。
 しかし、述べられているのが、都合の悪い事柄を隠しているだけの事実であるだけに、反駁が難しかった。印象操作で先手を打たれたことが悔やまれる。
 タナトスの背後には、似たような背格好の男が居り、これがデイモスだと思われた。その周囲には、見てそれと判る手練れが数人、布陣しており、混乱無しでの拘束は不可能と思われた。
 「そして現在、テセウス卿は馴染んだヨナス市を追われ、放浪状態となっております。クランのホームがアーケイディアだなどと、あって良いことでしょうか!!考えてもみてください!!ヨナス市で不心得者が、犯罪の露見から反乱を起こした際に、解決をしたのはどなたですか?その時、ヘルメス卿は何を為さられておりましたか?!!」
 駆け足に言い切ると、満足げに周囲を見渡した。
 「本来、我々、方舟教会の規約に《異端》は導師にのみ適用されるものしかございません。初代の残された、ありがたい説法の数々について、邪な解釈を行い、人心を惑わせた者に与えられる烙印であります」
 言葉を一旦切り、効果的な間を挟んでから、
 「ですが、今回は拡大解釈と言われようと、適用すべきと考えます。何故なら、テセウス卿こそが聖典に記された《救い手》であり、現在、来る連合との紛争において、ヘルメス卿の強制により、前線に送られているからです!!我らは、《救い手》を喪う訳にはいかないのです!!」
 水を一口含み、
 「《救い手》は我ら方舟教会の教義において、勝るものなき重要案件です。そこで、我々、方舟教会は、ヘルメス卿がヨナス市代表となった日より、テセウス卿を庇護する義務を負った特別導師であると認定し、戦場任官によりその任に就いていたと主張します!!並びに、それに伴い、その後の一連の事件で、彼が負うべきテセウス卿への庇護責任を果たしていなかったとして、重大背任を認め、ここに背教者として波紋を宣言するものです!!」
 と、締め括った。

 ———戦場任官。切り札はこれであったか。

 通常、戦場任官と言えば軍人を想起するが、貴人を守護するために従軍する聖職者を、「戦場で」任官し、導師の位を授けることは方舟教会として認めており、先だっての反乱を「戦場」とこじつけての任官は、確かに教会の専横事項であり、筋としては文句をつける隙はなかった。
 タナトスは自分に酔ったか、興奮したか、肩で息をしているところをデイモスに介抱されていた。当然、その周囲は、警戒のために腕に覚えのあるものに防護させている。
 ケリュケイオンは、どうしたものか、と顎を扱いた。
 一連の告発に対して、実はケリュケイオンであれば反証を行うことが出来た。何故なら、彼の発言のすべての場に、ケリュケイオンも同席していたからである。
 だが、これはヘルメス本人に対処させた方が、今後の統治には懸念が少なくなるように感じられた。
 「異論が無いとは言わないが、其方の主張は承知した。ヘルメス様がお戻りになられ次第、お伝えし、会談の場を設けよう。ただし、その際には、閉鎖された室内では、その裁きに疑念を生じる可能性が否めないので、この大広場での公開討論としたい」
 「望むところです。是非そのように」
 息を整えたタナトスは余裕を装って、静かにその場を去った。
 残された市民は半信半疑の、困惑した表情でケリュケイオンらを見るが、事が事だけに、気軽に問いただすこともできず、ぐずぐずとその場に居座り、うろうろしていた。
 もう、種子は蒔かれてしまった。
 時間との勝負である。テセウス卿にお出でいただかなければ収拾はつかないであろうし、と言って、最前線を留守にする訳にもいかない———。
 ケリュケイオンは思念をテセウスに送り、判断を委ねた。
 無責任なようだが、時代は老いた第三者ではなく、若い当事者が動かすものと、信念を掲げていた。
 不安そうな部下に笑顔を向け、
 「いま、テセウス卿に連絡を取った。なに、あの方のことだ。悪いようには為さらないだろう。それに、ヘルメス様がベガで、ヤツらのしっぽを掴んでくるに違いない」
 ようやく、《アモネイ》の面々が緊張から若干ではあるが弛緩した。
 実感できない行政府の職員には申し訳ないが、いましばらく、このまま厳戒状態で頑張って貰わねばならないであろう。緩むと、余計なことを考えてしまうものだからである。
 もうひとつ、ケリュケイオンは連絡をある人物に取ると、連続した通信の使用で披露し、大広場に倒れこんだ。
 百戦錬磨の彼をしても、重い判断だったのである。
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