54 / 68
第3章
13 悔恨と間に合った安堵
しおりを挟む
ペルセウスが戻ると、アストライアが殺気を纏ってタラップの守衛をしていた。厭な予感がしても、事情を訊かない訳にはいかない。
「機嫌が悪そうだけど、何かあったのかい」
恐る恐る声を掛けた。
アストライアは血走った眼で睨み、遅い、と呟いた。
「ヘスティアが撃たれた。傷は治癒したから問題ないけど、状況が気に入らない。アルタ姉さまの時と同じだ。襲って、死にかけのヘスティアを犯そうとした。下劣な輩だ……。テセウスが間に合わなければ、命も危うかった」
「そうか……。テセウスさんも、ご機嫌斜めかい」
「機嫌が良い訳がないな」
そう言って、タラップを降りて剣を振るう。風圧だけでも、前髪が踊った。
艇内に入ると、キャビンにはイオが居て、状況を説明してくれた。
「なんかね、恣意的なものを感じるんだよ。テセウスを痛めつけようって」
「テセウスさん、アルテミスさんを戦で亡くしていますからね。穏やかでないですね」
聞き齧りだが、テセウスが変貌した事件だったので、ペルセウスとしても忘れ難い事件であった。それに、コミュニティの最強格であった彼の両親が斃れているのである。並大抵の事件ではなかった。
「うん、穏やかでないんだ。おそらく、アーテナイ、デネブの二件の襲撃事件、両方とも《戯曲家》のシナリオだ。状況が似すぎている。アレの癖みたいなものを感じる」
「と言うと?」
「暴力的な者の選別が上手すぎるんだよ。この世界で人間同士が争うことの無意味さを、皆が熟知している筈なのに、うかうかと話に乗り、そして関係のない一般市民まで虐殺している。骸になった女性を襲うくらいだ。相当な人格破綻者に偏って集めている」
「それが癖、ですか」
「そうだね。あまりにも都合が良過ぎるんだよ」
ペルセウスの前に茶を置き、イオが溜息を吐く。イオも相当、参っているようだ。
こんなにも、この船はがらんとしていただろうか———。もっと賑やかで温かい空間であったはずだ。と、気づくのは、テセウスが中心に在ってこその雰囲気であったということであった。
義弟としてすべきことはひとつであった。
彼はヘスティアの居室に急いだ。
タナトスは、非常に苛ついていた。
厄介なペルセウスが去ったと思ったら、アルタイルの襲撃である。
「無事だったから良いものの、危うく《特異点》が亡き者になるところであった」
そこにデイモスが、重々しく声を掛ける。
「そろそろ固執しなくても良いのではないか?アレが至ったからといって、本来の我々の目的には必要のない、単なるサンプル。特定条件で至れると判明しただけでも有益であったのだし、そろそろお役御免であろう」
「そうもいかんのだよ、我々の研究の突破口が見つかっていない。アレを研究しないと、先に進めんやも知れん」
溜息混じりに聖典を捲り、該当箇所を探す。
だが、そこには「魂は肉体に影響を与え、肉体は魂を補う」としか記述されていない。魂が枯れかかった時の、爆発的な成長と器の格の変化については、現状、想像でしかないのである。
ふと、自分らは何故、この件について信じたのだろう、そう不安になった。
根拠の欠ける中で、どうしてこんなにものめり込んだのか———。
疑いを振り払い、預言書に眼を向けると、そこには《救い手》の記述があり、ありありとテセウスの重要性を示していた。
———我々は背教者なのではなかろうか。
自分たちがこの計画に着手した切っ掛けを、明瞭には思い出せない。
そこが不気味で、流れ込むように現在の状況に来たことを疑問に思った。
かつては身を護ってくれていた柔らかな闇も手許には無く、身震いをする思いであった。
テセウスはヘスティアの手を取り、ベッドサイドで安堵を噛みしめていた。
彼女の胸が規則正しく上下し、掌から伝わる熱は、命がそこに息づいていることを教えた。
———予感を信じてよかった。
アルテミスの亡骸を抱き締めた日を思い出し、思わず涙が頬を伝った。
あの日から、すべてが狂ったのだ……。
気負っていたことをようやく自覚し、彼は、止まっていた刻が緩やかに動き出したことを感じた。自分が間に合わなかったことを、いつも責めていた。野盗の夜も、アーテナイの滅びの日も……。テセウスは間に合わなかったのである。
静かに、ペルセウスが室内に入って来た。
「テセウスさん、お疲れ様です。外の掃討も終わりました」
「これでひと息吐けるな」
大きく伸びをし、テセウスは立ち上がった。
女性の寝顔を、いつまでも見ているものではない。
「ヘスティアは無事だ。イオに、反則技を教えて貰ってな、完治している」
「そうですか……。あの日を思い出しますね、否応なく」
「仕方ないな。忘れることが出来る事件ではなかった」
今も苦い思い出を共有しながら、ふたりは拳を合わせた。当時を知るものも少なくなったものである。
どちらからともなく手を合わせ、黙祷した。
笑顔は思い出せなかったが、温かな思い出は胸に宿っていた。
改めて、ヘスティアの生存をふたりは喜び合い、部屋を出て行った。
穏やかな寝息は、今度こそ間に合ったことを示し、テセウスは静かに涙した。
戦いというものは、終わった後こそ大変なものである。
被害報告を受けながら、パーンは迫りくる頭痛と闘っていた。
兵の損害もそうだが、民間人の損害が眼を覆わんばかりであった。
「これは、私は今期で代表を降りることになりそうですね」
「うむ……、事実はともかくとして、これは流石に、庇い切れんかもしれん。———だが、後任人事がなぁ」
ネレウスは吐息と共に報告書を投げ出し、背凭れに身体を預けた。長時間の書類仕事に体中が強張っていることを感じた。老体にはきつい。
パーンは労わるように茶を淹れると、彼の前に出した。
実際に、評議会も各都市の行政府も、次代の人材が払底している。
隠し札であったヘルメスも露出してしまった現在、白羽の矢が立つのはテセウスであるのは言うまでもない。本人にその気さえあれば、だが……。
市民の死者は一万五千人にも達した。その半数以上が、辺境移民区の市民である。
完全に、行政府側の敗北であった。これは、縁を辿って、デネブ、ベガにも謝罪が必要であった。
兵員の損害も、無視の出来ない数である。特に、四肢の欠損が出た兵に関しては、年金の支給が重く伸し掛かる。市民についても、寡婦や孤児が大量に出たため、何らかの対処が必要であった。
「孤児院を増設し、そこの職員に、寡婦を雇い入れるしかなかろうな」
「深刻なのは、実は男の方でして———」
そう言って語りだしたのは、無残な出来事であった。
略奪、暴行の対象になった妻の亡骸を引き取った夫が、精神のバランスを軒並み崩しているらしい。無理もない。争いの中心地だと通行制限が解けて戻った自宅に、暴虐の痕跡がまざまざと残されていたのである。今後の孤独な人生と共に———。
「だが、一様にテセウスへの感謝を述べるそうだな」
「ええ、ヘスティア導師とテセウス卿の人気は、留まるところを知りません」
顔を見合わせながら黒い笑みを向け合い、ふたりは笑んだ。このまま放置しておけば、勝手にテセウス待望論が持ち上がるに違いない。それこそが、現上層部の大多数を占める希望なのである。
陽の傾きはじめた西側の窓に視線を投げ、駐屯地方面を見やる。
ヘリントスの巨体は、ここからでも確認出来た。
時間の問題、そう見るのも無理はなかった。
「機嫌が悪そうだけど、何かあったのかい」
恐る恐る声を掛けた。
アストライアは血走った眼で睨み、遅い、と呟いた。
「ヘスティアが撃たれた。傷は治癒したから問題ないけど、状況が気に入らない。アルタ姉さまの時と同じだ。襲って、死にかけのヘスティアを犯そうとした。下劣な輩だ……。テセウスが間に合わなければ、命も危うかった」
「そうか……。テセウスさんも、ご機嫌斜めかい」
「機嫌が良い訳がないな」
そう言って、タラップを降りて剣を振るう。風圧だけでも、前髪が踊った。
艇内に入ると、キャビンにはイオが居て、状況を説明してくれた。
「なんかね、恣意的なものを感じるんだよ。テセウスを痛めつけようって」
「テセウスさん、アルテミスさんを戦で亡くしていますからね。穏やかでないですね」
聞き齧りだが、テセウスが変貌した事件だったので、ペルセウスとしても忘れ難い事件であった。それに、コミュニティの最強格であった彼の両親が斃れているのである。並大抵の事件ではなかった。
「うん、穏やかでないんだ。おそらく、アーテナイ、デネブの二件の襲撃事件、両方とも《戯曲家》のシナリオだ。状況が似すぎている。アレの癖みたいなものを感じる」
「と言うと?」
「暴力的な者の選別が上手すぎるんだよ。この世界で人間同士が争うことの無意味さを、皆が熟知している筈なのに、うかうかと話に乗り、そして関係のない一般市民まで虐殺している。骸になった女性を襲うくらいだ。相当な人格破綻者に偏って集めている」
「それが癖、ですか」
「そうだね。あまりにも都合が良過ぎるんだよ」
ペルセウスの前に茶を置き、イオが溜息を吐く。イオも相当、参っているようだ。
こんなにも、この船はがらんとしていただろうか———。もっと賑やかで温かい空間であったはずだ。と、気づくのは、テセウスが中心に在ってこその雰囲気であったということであった。
義弟としてすべきことはひとつであった。
彼はヘスティアの居室に急いだ。
タナトスは、非常に苛ついていた。
厄介なペルセウスが去ったと思ったら、アルタイルの襲撃である。
「無事だったから良いものの、危うく《特異点》が亡き者になるところであった」
そこにデイモスが、重々しく声を掛ける。
「そろそろ固執しなくても良いのではないか?アレが至ったからといって、本来の我々の目的には必要のない、単なるサンプル。特定条件で至れると判明しただけでも有益であったのだし、そろそろお役御免であろう」
「そうもいかんのだよ、我々の研究の突破口が見つかっていない。アレを研究しないと、先に進めんやも知れん」
溜息混じりに聖典を捲り、該当箇所を探す。
だが、そこには「魂は肉体に影響を与え、肉体は魂を補う」としか記述されていない。魂が枯れかかった時の、爆発的な成長と器の格の変化については、現状、想像でしかないのである。
ふと、自分らは何故、この件について信じたのだろう、そう不安になった。
根拠の欠ける中で、どうしてこんなにものめり込んだのか———。
疑いを振り払い、預言書に眼を向けると、そこには《救い手》の記述があり、ありありとテセウスの重要性を示していた。
———我々は背教者なのではなかろうか。
自分たちがこの計画に着手した切っ掛けを、明瞭には思い出せない。
そこが不気味で、流れ込むように現在の状況に来たことを疑問に思った。
かつては身を護ってくれていた柔らかな闇も手許には無く、身震いをする思いであった。
テセウスはヘスティアの手を取り、ベッドサイドで安堵を噛みしめていた。
彼女の胸が規則正しく上下し、掌から伝わる熱は、命がそこに息づいていることを教えた。
———予感を信じてよかった。
アルテミスの亡骸を抱き締めた日を思い出し、思わず涙が頬を伝った。
あの日から、すべてが狂ったのだ……。
気負っていたことをようやく自覚し、彼は、止まっていた刻が緩やかに動き出したことを感じた。自分が間に合わなかったことを、いつも責めていた。野盗の夜も、アーテナイの滅びの日も……。テセウスは間に合わなかったのである。
静かに、ペルセウスが室内に入って来た。
「テセウスさん、お疲れ様です。外の掃討も終わりました」
「これでひと息吐けるな」
大きく伸びをし、テセウスは立ち上がった。
女性の寝顔を、いつまでも見ているものではない。
「ヘスティアは無事だ。イオに、反則技を教えて貰ってな、完治している」
「そうですか……。あの日を思い出しますね、否応なく」
「仕方ないな。忘れることが出来る事件ではなかった」
今も苦い思い出を共有しながら、ふたりは拳を合わせた。当時を知るものも少なくなったものである。
どちらからともなく手を合わせ、黙祷した。
笑顔は思い出せなかったが、温かな思い出は胸に宿っていた。
改めて、ヘスティアの生存をふたりは喜び合い、部屋を出て行った。
穏やかな寝息は、今度こそ間に合ったことを示し、テセウスは静かに涙した。
戦いというものは、終わった後こそ大変なものである。
被害報告を受けながら、パーンは迫りくる頭痛と闘っていた。
兵の損害もそうだが、民間人の損害が眼を覆わんばかりであった。
「これは、私は今期で代表を降りることになりそうですね」
「うむ……、事実はともかくとして、これは流石に、庇い切れんかもしれん。———だが、後任人事がなぁ」
ネレウスは吐息と共に報告書を投げ出し、背凭れに身体を預けた。長時間の書類仕事に体中が強張っていることを感じた。老体にはきつい。
パーンは労わるように茶を淹れると、彼の前に出した。
実際に、評議会も各都市の行政府も、次代の人材が払底している。
隠し札であったヘルメスも露出してしまった現在、白羽の矢が立つのはテセウスであるのは言うまでもない。本人にその気さえあれば、だが……。
市民の死者は一万五千人にも達した。その半数以上が、辺境移民区の市民である。
完全に、行政府側の敗北であった。これは、縁を辿って、デネブ、ベガにも謝罪が必要であった。
兵員の損害も、無視の出来ない数である。特に、四肢の欠損が出た兵に関しては、年金の支給が重く伸し掛かる。市民についても、寡婦や孤児が大量に出たため、何らかの対処が必要であった。
「孤児院を増設し、そこの職員に、寡婦を雇い入れるしかなかろうな」
「深刻なのは、実は男の方でして———」
そう言って語りだしたのは、無残な出来事であった。
略奪、暴行の対象になった妻の亡骸を引き取った夫が、精神のバランスを軒並み崩しているらしい。無理もない。争いの中心地だと通行制限が解けて戻った自宅に、暴虐の痕跡がまざまざと残されていたのである。今後の孤独な人生と共に———。
「だが、一様にテセウスへの感謝を述べるそうだな」
「ええ、ヘスティア導師とテセウス卿の人気は、留まるところを知りません」
顔を見合わせながら黒い笑みを向け合い、ふたりは笑んだ。このまま放置しておけば、勝手にテセウス待望論が持ち上がるに違いない。それこそが、現上層部の大多数を占める希望なのである。
陽の傾きはじめた西側の窓に視線を投げ、駐屯地方面を見やる。
ヘリントスの巨体は、ここからでも確認出来た。
時間の問題、そう見るのも無理はなかった。
1
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
シーフードミックス
黒はんぺん
SF
ある日あたしはロブスターそっくりの宇宙人と出会いました。出会ったその日にハンバーガーショップで話し込んでしまいました。
以前からあたしに憑依する何者かがいたけれど、それは宇宙人さんとは無関係らしい。でも、その何者かさんはあたしに警告するために、とうとうあたしの内宇宙に乗り込んできたの。
ちょっとびっくりだけど、あたしの内宇宙には天の川銀河やアンドロメダ銀河があります。よかったら見物してってね。
内なる宇宙にもあたしの住むご町内にも、未知の生命体があふれてる。遭遇の日々ですね。
体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる