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第3章

6 虜囚

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 後は任せたとの義母の台詞ひとつで、加藤と由紀子の再びの同居は決まってしまった。
 今更の妙な気恥しさを抱きながら、荷物の運び込みなどの手配をする。
 居は由紀子の所有する一戸建てになった。最低限の衣服と、仕事の資料のみ持ち出したが、残りについては処分を考えた方が良さそうだった。独身者の仮眠施設に流用してもいいだろう。
 「———あのね、これからの生活をはじめるに当たって、大切なお話があるの」
 「急に改まって、どうしたんだい?」
 リビングに落ち着くと、由紀子が深刻な表情で加藤を見詰め、それを躱すように加藤は逆に訊いた。
 「再婚をすることで、貴方は大切なことをひとつ、諦めなければならないの。それを赦してもらえるのか訊いておきたくて……」
 対面から由紀子の隣に移動すると、手を取って加藤は続きを促した。
 「転落して流産した際に、子宮を傷つけたので、私にはもう、貴方の子供を産んであげられない可能性が高いの……。貴方がどれだけ、家族というものに憧れていたか知っているから……。無理はしなくていいのよ?」
 「なんだ、何を言い出すかと思ったら……。それはまぁ、気にするだろうし、大事なことだから相談してくれて嬉しいけど、僕にまず必要なのは君なんだよ、由紀子」
 「後悔しない?」
 「後悔したから、またプロポーズしたんだ。君以外では、本当にダメなんだよ」
 彼女を長年苦しめていただろう事実に胸を痛めながら、恐る恐る、帰宅して解いた長い髪を撫でた。
 「それに、君が可能性って言うってことは、医師の診断では絶対ではないのだろう?気に病まなくてもいいさ」
 抱きしめたくても出来なくて彷徨っていた腕を持て余していると、由紀子の方から加藤の腕の中に飛び込んで来た。胸と腕に感じる重みに実感を覚え、加藤は歓喜した。
 「それよりは、オレの抱えている問題の方が緊急性は高い。このままでは、現世に身体を維持していられないかもしれない」
 「信じられないのは今も変わらないけど、貴方を信じないとここから先には進めないのよね……。貴方が《産まれた》のではなく、《発生した》とは……」
 「うん、僕も今更、確証を得ることも出来ないから半信半疑だ。だけど、既に判っている幸福なことがある。こんな誕生秘話を持つ自分でも、君との間に子供を得られた。残念ながら、抱き上げることは出来なかったけど……。近い内に、もう一度、病院で診察を受けてみよう。状況が変わっているかもしれないし、駄目なら駄目で、諦めもつく。何よりも、いつまでも君に気に病んでほしくない」
 抱きしめた腕に力を籠め、想いを伝えようとした。
 腕の中で由紀子が頷くのを感じ、加藤はようやく安堵した。
 これでまた、はじめることが出来る。あの日、離婚という終わりがはじまって、家庭というはじまりが終わった。
 再起動の音は、由紀子の嗚咽であった。
 
 
 
 ニュクスを前にして、テセウスの表情は険しかった。
 「で、色々と説明して貰いましょうか……。必要な人員がすべてアルタイルに向かっているのに、オレが迎えに出されたなんて無理がある。仕込みましたね?それに、襲撃者のことも、色々とご存じなようだ」
 「テセウス、教えたでしょう。そのような物言いでは、相手から何も引き出せないですよ。柔らかい言葉で油断をさせ、気分よく余分に話して貰うのが基本です」
 「———もういい。答えなくても結構です。すべてを放置して高みの見物をするだけだ。誠意のない相手との取引を禁じたのも貴方ですよ、ニュクス師」
 ニュクスは焦りもせずに、にこやかにテセウスを見ている。
 「誠意が無いのは君ではないかね?テセウス。君は内心も、抱えている事情も話さずに仲間から勝手に離れていった。気を遣っているつもりかもしれんがね、そういうのは大概、逆効果になるものだ。胸襟を開くというのは、こういう場合に必要になる心構えなのだよ」
 テセウスが睨みつけるが、まったく動じない。
 劣勢に立っていることを感じつつも、テセウスには折れる気が無かった。
 「見解の相違ってヤツですね。もう、これで顔を合わせることも関わることもないでしょう。意見の調整は不要です」
 「それが、そうは行かないのだよ。私は君を捕縛しなければならないからね。内乱の首謀者として……」
 言うと同時に、彼の腰の物が鞘走る———。
 テセウスは瞬時に追い詰められ、壁に縫いつけられていた。呆然としていたヘスティアやアストライア、ケーレスは、強い声で拘束具を求められてぎこちなく始動した。
    テセウスが床に転がると、それまで従っていたヘスティアらが、激しくニュクスに嚙みついた。
 「師よ、どういうことですか?事と次第によっては、私はテセウス様に着いて、この同盟を出ますよ。斬りたくはないですが、貴方を斬って———」
 「短絡的な思考は避けなさい。もっと視野を高く、広く保つのです。これから敵対するのはテセウスなのですから、これは必要な処置なのですよ。本人がそうしようと思おうが思うまいがね———」
 芋虫のようにされたテセウスを壁に立て掛け、ニュクスは語り始めた。
 「テセウス、貴方はいつまでそんな、子供のような駄々を捏ねているおつもりですか。その態度をすっかり《戯曲家》に利用までされて」
 抗議をしようとするが、口も拘束されており、言葉を発することは出来ない。
 「いいですか、君は今、内乱の首謀者に担ぎ上げられようとしています。その原因は、君が無思慮に断った褒章についての誤解から始まっています。つまり、ヨナス市の動乱から始まったこの連盟内の一連の事件の英雄でありながら、正当な評価と扱いを受けていないと、旗印に仕立てられそうになっているのですよ」
 と、一度言葉を切って、他のメンバーの理解を窺ってから続ける。
 「また、君はこのヘリントスとクラン《アルゴ》を奪われたことになっています。これも君の無思慮からくる失点ですね。可哀想に……、すっかりウチの愛娘は悪女の扱いですよ。———そうですね、腹が立つので、一発くらい殴らせてください」
 言うと、冗談ではなしに、本当に頬を張り飛ばしてきた。それも、この上なく重い一撃であった。
 「自身の影響力を自覚なさい。アーテナイの滅びの日で墜ちたとは言われても、貴方に対する民衆の評価は、やはり《救い手》なのです。無頼を気取ろうと、それが通じる出自ではないのです」
 娘たちに理解の色が見えたことに満足したニュクスは、更にテセウスを追い詰める。容赦がないのは性格だが、それよりも事件の背景が、温い対処を許さなかった。
 「いままでの状況や情報を整理すると、貴方自身の魂か肉体が変質したのでしょう。それを気に病んで逃げているのでしょうが、私たちは貴方を、そんな弱虫に育てた覚えはありませんよ。———大方、魂の摩耗でしょう。侵食獣にでも成り掛けましたか?愚かに過ぎる。貴方は一般的な産まれではないのですよ。それを気にせず慕ってくれる女性や義弟から逃げ回って……。反省なさい」
 そう言い、拘束具をそのまま鎖で柱に繋いでしまった。本当に容赦がない。
    思えば、幼少期の修行時にも、鍛錬を怠ると罰は恐ろしいものだった。
 テセウスは半ば諦め、拘束に甘んじることにした。
 逃亡を許すほど、甘い人物ではないのである。
 
 
 
 拘束されて何も出来ないので、いい機会と思い、テセウスはカトウとのコンタクトを行ってみた。と言っても、方法論があるわけではない。心中で強く呼び掛けるだけである。応えてくれるかは運でしかなく、そもそも、その方法でカトウに伝わるかも不明であった。
 ———カトウは、どうやって方法を掴んだのだろう。
 テセウスは真摯に、呼び掛けを続けた。それは敬虔な信仰者の如くであった。
 感覚の中で、もどかしく感じる箇所を重点的に突くように触れていると、逆に彼方から呼び掛けがあった。
 
 ———テセウス、いま大丈夫かい?
 ———問題ないが、その前に少しいいか?カトウはどうやって、オレに思念を繋げることが出来るようになった。試してみたが、まったくイメージが湧かない。
 ———参考にならないと思うなぁ……。僕の場合、夢ではじめから繋がっていたからね、君と。自分の身体を他人が動かしているような、そんな感覚だったし……。
 ———了解、その線で試してみる。で、用件は?
 ———こちらの状況が変わったので、接続が途切れてないかの確認だな。
 ———そうか、いいことがあったようだな。なんとなく胸が温まっているのを感じるよ。おめでとう。
 ———敢えて訊くけど、なんで君は、幸せを拒否するんだい?誰もそんなことを望んでいないのに……。異能が理由なら……。
    と、言葉を遮って、テセウスは、
 ———今となっては、理由なんてないさ。ただ、心が逆らう。
    と続けた。
 ———天邪鬼はほどほどにしておきなよ、後悔するぞ。
 ———経験談か。
 ———僕の場合は、聞き訳が良過ぎて失敗した。自分の心に天邪鬼だったのさ。それと、僕の名はトモユキだ。カトウは家名。そこにも違いがあるかもね。
 ———参考にする。またな。
 
 接続が閉じられると、身体の自由が返ってきた気がしたが、目下、絶賛拘束を受けている最中である。柱に靠れ、拒否する材料が無くなりつつあっても抵抗するこの拒否感は何処から来るのかを考えていた。
 思考が逆らうのではなく、魂が逆らっている気がした。
 根源で、受け入れてはいけないのだと諭されている。
 その苛立ちが、八つ当たり気味に、周囲に向かう。
 運命確率が、ダイスを振りはじめた。
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