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第3章

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 乾いた風に、砂塵が一陣、宙を舞った。
 目深に被ったポンチョコートは、砂塵に紛れられるようにカーキで、口元には幅広のコットンマフラーが巻かれていた。冬場の空気は乾燥しているので、塞いでいないと口の中を著しい暴虐が吹き荒れ、メシ時に後悔するのだ。
 昨夜はちらほらと雪が降ったが、森や山から離れると、降雨降雪は殆ど無い。
 遮蔽物が偶に現れる廃墟と、巨岩以外に存在しない吹き曝しの荒野を行くのは、テセウスであった。
    愛用のヴィークルに跨り、自動運転させながらスコープで地平線を監視する。遮蔽物が無いのは両者共通なので、敵対者が現れたと同時に、戦闘のゴングが鳴る。気をつけなければ死ぬのは自分なのである。
 ふと、用事を言いつけようとして、連れが居ないことに気づく。
 孤立を選んだのは自分自身である。泣き言は言うまい。
 岩が点在する荒野を、ヴィークルでひたすらに進む。
    空っ風に吹かれながら裾をはためかせ、巡航速度で荒れた大地を切り裂いていく。
    そこに、すべてのネガティブな感情や感傷を置いて行こう———。
 まだ中天近くに太陽があるため、肌寒さは感じない。どちらかといえば、厚い衣服の下ではじっとりと汗が噴き出しており、時折衣服を通り抜ける風に熱気が攫われていく。
 テセウスは、森の近くの水場に寄って、休憩時間を設けた。
 葉擦れの音、せせらぎの音、そして荒野を駆ける風の音———。混然となって、彼を全方向から包んだ。瞼を閉じて、ここしばらくの賑やかな日々を想う。優しい思い出だった。かけがえのない、しかし捨ててきた過去———。
 遠くアーケイディアを振り返りながら、地平線に呑まれた都市はもう見えない。テセウスは、武装のチェックを行うと、手早く荷物を畳んだ。
 再びヴィークルに跨り、変化のない景色に同化する。テセウスは訳も判らず咆哮を上げ、マフラーでくぐもったそれは、無人の荒野に溶けていった。砂塵と共に———。
 
 
 
 アストライアは、剣の束に手を掛け、思い切りよく抜刀した。戦意を乗せたかのような刃が陽光を照り返し、きらめきが周囲を焦がす。
 対するペルセウスはそれを、束本で受けることで躱し、後背に軸を委ねて、身体を半身に逸らす。擦れ違い様に拳を入れることも忘れない。
    鞘で受けられたが、アストライアの態勢を崩すことには成功した。
    切っ先に遠心力を乗せて振り返り、袈裟切りを狙う。アストライアは苦しくも前に身体を投げ出すことでそれを寸で避け、間合いを取り直した。
 「アストライア、斬り込むならば全霊を賭けなさい。中途半端では、受け切られて反撃の契機となる。ペルセウス、拳で追撃したのは良い。だが、何故その後に剣を選んだ。身体を寄せて、体術で仕留めなさい」
 口惜し気に地面に座り込んだアストライアは、
 「ニュクス師、我々は、こんなことをしている場合ではないのです」
 と、不満を漏らす。
 「愚か者が……。其方らが弱いから置いて行かれたのだ。それを自覚せぬことには、前には進めぬと知れ!!」
 厳しい恫喝に、アストライアは首を竦めた。ペルセウスはいつもの苦笑である。
 「ペルセウス、貴様、心配も怒りもないのか!!」
 「心配はしていますよ。怒ってはいませんが……。だけど、元々予感はしていたので、準備は出来ています。僕はベガに先行して、現地の調査をしながらテセウスさんを待ちますよ。それが一番早いし、恩が売れる」
 黒い笑みを浮かべて、ペルセウスが微笑う。
 「アストライアさんは、ゆっくりと修行をしているといいです。お先しますね!!」
 「貴様ァ!!今度ばかりは許さん!!」
 弟子たちのじゃれ合いを眺めながら、ニュクスは脇に居るヘスティアに声を掛けた。
 「ヘスティア、其方は焦らずともよいのか?」
 「今更ですから……。それよりも、私はイオ様を動かす言葉を考えることにします。あのおふたりが接近してから、すべてが始まり、そして崩れた気がするので。きっと、私たちの謎の解答を持っていらっしゃいます」
 力強く断言する。
 子は育つのだなぁ……。ニュクスは喜びと等量の寂しさを覚え、僅かにテセウスを恨んだ。彼の者には、確と責任を取らせねばなるまい……。
 「次は、ヘスティアとペルセウス。お互いに手加減無用。掛れ!!」
 ニュクスは次の組み手を眺めつつ、テセウスの拒絶の理由を考えた。権力、富、平穏、愛情———。ある種の潔癖さがそこには垣間見えるが、決してそれが理由ではないであろう。
    思い詰めるほどの何か、決定的な出来事が、アーテナイの滅びの日にあったのだ。
 時代はテセウスを必要としている。
 頭脳、社交、人脈、経歴、戦闘能力、すべてに於いて高水準であり、人気も高い。怠惰と粗野を装ってはいたが、その本質は透けて見えていた。演技をしてまで自身を貶めなければならなかった理由———。果たしてそれは、他者が暴いてしまってもいいものなのだろうか……。
 ニュクスにとっても、試練の季節となるかもしれなかった。
 
 
 
 単独行での野営は厳しい。特に、侵食獣の活動時間が夜行性ともなれば、自明のことである。だからこそ、睡眠と食事は陽の残っている内に終え、夜を徹してヴィークルを駆っている。本来は問題ない筈であった。
 ミラー越しにその問題を目視する。
 奇形種だ。ペルセウスの獲物である。
 この奇形種には、ふたつの特徴がある。そもそも、奇形種はイオによると、魂の歪みが大きく、二個以上の魂が融合した場合に起こる、特異な現象だそうだ。
    そして、その歪みの強さから、狂っていることが多く、見境なしである。だが、ある程度の法則があり、生活圏の重ならない生命体同士の融合はない。多種の融合の場合、その種類が多いほど崩壊が早いとあった。だが、この奇形種は、地上生物と飛行生物の特徴を併せ持ち、少なくとも五種の融合体であった。
 「……勘弁してくれ、オレが何をしたって言うンだ」
 愚痴が口を衝いて出た。脳裏に、アストライアからの罵りが聴こえた気がしたが、無視である。
 流石に自重があるためか、
完全な飛行は出来ないが、跳躍時に滑空までは可能なようである。まずは翼を捥がねば、逃げることも叶わない。
 「500m先行させて、Uターンのパターンを組んで……。これを条件は回避のみでループさせて……」
    逃げを打ちながらも、ヴィークルのコンソールの操作に余念がない。高低差と障害物のパラメータを環境に合わせて詳細にセットし、マクロを自動運転モジュールに喰わせた。
 次の瞬間、テセウスは抜刀と共に空に跳び上がり、まず、奇形種の左翼を狙った。高さのある岩のすぐ脇を掠めたので、避ける瞬間に左翼が前に出ると読んでいたのである。
 正面に、左翼の付け根があった。
 ———突っ込み過ぎた!!
 頭を屈めるようにしながら頭上に切っ先を立て、見事に左翼を傷つけることに成功した。浅いが、少なくとも自由は奪った。
 「……眠ぃ。……早く眠らせてくれ———。しばらく布団に入っていないンだ」
 気の抜けたことを言いながら、奇形種の身体と巨岩を足場に、縦横無尽に切り裂いていく。流石に硬い。一般の武装では厳しい相手であった。
 ———ヘパイストスとオカベには、酒でも贈っておくか。
 尻尾を斬り落し、背筋を駆け上がる。
 頸へのインパクトの瞬間に、励起していた異能を込めて、デバイスを発動した。
 紙を斬るよりも抵抗が無かった。
 ただ通り過ぎるように刃が走り、奇形種の首が落ちた。
 間欠泉のように血が溢れ出し、辺りにネバついた池を形成した。
 テセウスは戻って来たヴィークルに跨ろうとしたが、自身の有様を見て、考えを改めた。モノリスから停止コードを走査し、フォアコネクタでヴィークルに遠隔で伝える。
 返り血がヴィークルに飛び散らないように気をつけながら、贅沢に給水タンクの水を頭上より被った。
 爽快さよりも、気持ちの悪さが勝った。
 血に塗れたことではない。何故、居る筈のない場所で遭遇したのか、その気味の悪さで、爽快感が霞んでしまったのである。
 討伐証明を撮影し、テセウスはようやくヴィークルに跨った。
 夜風に吹かれて衣服は乾いたが、生臭さが抜けず、うんざりさせられた。
 孤独が身に染みた。
 
 
 
 「アロイス卿、自由都市連合の件、ネレウス卿は何と?」
 「静観せよ。ただし、精神力の強い者を商人に仕立て、送り込むように、と」
 ニュクスは頷いた。妥当である。
 一部の評議員から反対を受けながらも、公式の抗議を行わないのは、人類には隣人との戦をする余裕が無いためである。かつて、限りある遺跡資源を求めて侵略戦争を起こしたコミュニティが滅んだことで、その思想は定着した。
 だからこそ、今回の件は腑に落ちない。
 連盟がそうであるならば、連合も然りな筈なのである。
 「情報を絞れるだけ絞った後に、大使に引き取らせたのですがね、彼は何も知らされていなかった様子」
 「卿、それでは……」
 「はい、連合内で内変が起きている可能性があります」
 「———連合と接する辺境都市と言えば……」
 「アルタイル……。テセウスは歴史や運命の神に愛されてしまっているようですな。神などという存在が居るのであればですが」
 アロイスは自棄になって朗らかに笑った。
 だが、冗談や洒落でないことに、次のニュクスの台詞で思い知らされる。
 「神、ですか……。最初期の預言書にあります。救い主は、《神の子》の姿を以て現れるだろう、と」
 複雑さを隠そうともせず、ニュクスは渋い表情で述べた。
 ふたりには、心当たりがあるのである。それもふたり分———。
 「私はペルセウスをもう少し鍛えますかな。あの子が強くなれば、テセウスの精神的負担も少しは軽減されるでしょう」
 「そうですな……。私は愚弟の話を、もう少し詳細に聴き取らねばならないようです。アレは、まだ何かを隠している」
 ふたりの脳裏には、テセウスとペルセウスの幼少期が甦っていた。
 両名とも、実は真っ当な産まれ方をしていない。
 だからこそ、片や家を着の身着のままに出され、片や、英雄として立つことを強制された。当人には現在も解けない、複雑な思いがあるであろう。
 冬を迎えた空は高く、澄んでいた。
 だがそこには薄っすらと悪意が滲み、浸透しているのであった。
 ニュクスは、ペルセウスとアストライアを及第点まで仕上げたら、自分もアルタイルまで赴こうと決めた。
ペルセウスの生国は連合なのである。
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