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甘い夜と甘い朝
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兵藤の胸の中で、京香が泣きじゃくっている。
こんなに泣かせてしまうなんて、俺はダメな男だな……
心の中で呟きながらその背をさすった。
でも、嬉し涙で良かった!
心の底からの安堵。
長い長いトンネルを抜けたような気分だった。
「そろそろキスを再開してもいいかな?」
そう言って京香の涙を指で拭うも、潤んだ瞳からは枯れることなく溢れてくる。
もう涙ごと味わってしまえと彼女の唇を食んだ。
今度の口づけは塩辛い。舐めても舐めても渇きがおさまらない。貪るように求めた。
キスのシャワーを浴びせながら、兵藤は京香を寝室へと誘う。
月明かりに照らされたベッドは、思いのほか明るかった。
ひとまず二人で腰を下ろし、京香の瞳を覗き込んだ。
ようやく手に入れた花を誇らしく思いつつも、京香の涙に負けないくらい、俺だって悩んでいたんだと伝えたくなる。子どもっぽい自分に内心で呆れながら、ちょっぴり意地悪な言葉を投げた。
「具合が悪くなったのは君のせいだよ」
「はい、それは重々……」
目を見開いて慌てて仕事モードになる京香。そんな京香がいじらしくて、可愛くて。
兵藤はもう一度自分の胸に抱きしめると、自らの鼓動を聞かせた。
「つまり、君に告白したくて心臓がバクバクだったからだよ」
言葉の意味に気づいた京香の耳が赤く染まっていく。
伝わってくる微細な震え。
ああ、一緒だ。
高鳴るリズムを肌に刻み合って、互いの想いの深さを確信する。
一緒だったんだな―――
「出会った瞬間から君に恋していたんだ」
月の光を宿した京香の瞳を真正面から見つめ直して、兵藤は真剣な表情で言った。
「君のその力強い瞳に、何度助けられたかしれない。だからその瞳を独り占めしたくてたまらなかった。でも、君は若くて未来がある身。俺のようなおじさんでは不釣り合いだと思っていたから」
「そんな、私のほうこそ、兵藤さんはずーっと先を走っている憧れの人で……いつまでたっても支えてもらうばかりの子どもっぽい私では不釣り合いって思っていました」
そう言いながら、京香がハッと息を飲んだ。
もしかしたら、お互い同じところで躓いていたのかもしれない。
埋められない年齢の差。
でも、出会った時は天と地ほど離れているように見えた経験の差が、今は縮まってきている。
歳の差そのものは埋められなくても、お互いの気持ちの差は埋めていかれるはずだ。
さっきまでの絶望が遠い過去のように感じられる。
兵藤は京香に改めて確認した。
「君も俺の事を好きと言ってくれるなんて……思ってもみなかったからね。さっきの言葉はその……信じていいよね。俺の事本当に好きだったって言葉」
京香は恥ずかしそうに頷いた。
泣きはらして赤く潤む目元が、色気を倍増させる。
自分の事を子供っぽいと言っているが、それは遠い昔の事。
今はもう、成熟しきった女性だ。
兵藤は激情を抑えられなくなった。
俺はもう十分待ったはずだ。これ以上は待てない……
十年分の想いを込めて……
京香をベッドに横たえると、ブラウスのボタンに手を掛けた。
恥じらいつつも、息を詰めて兵藤に身を委ねる京香。
キュッと力のこもった白肌に触れないように、静かに時間をかけてボタンをはずしていく。
宝物に触れるように、大切に、大切に―――
その指先から伝わる兵藤の優しさに、京香はふーっと力を抜いた。
兵藤に振り向いて欲しい……ずっと焦がれ続けていた。
好きでいていいよと言って欲しい……そう祈り続けていた。
その願いがようやく今叶ったんだわ。
もう考えるのはやめよう。
全身で、この幸せな瞬間を感じよう!
再び開けた京香の瞳に、もう迷いは無かった。
月明かりの中、神々しいほどに美しいと兵藤は思った。その冴えわたる意志の光に、ゾクゾクするほどの高揚感が抑えきれない。
「京香、君の全てが愛おしい。だから、わがままな俺に全部くれ」
「私も……あなたを独り占めしたかった……」
溢れ出た胸の膨らみは、スレンダーな京香からは想像できないほど柔らかかった。
唇から首筋へ、鎖骨をなぞり胸元へ。
唇を移動させるたび波打つ肌。
蕾を舌で撫でれば、京香の唇から甘やかな吐息が漏れた。溢れ出る蜜がさらなる深みへと導く。
「京香も俺に触れて欲しい」
耳元で囁けば、京香の細い指が躊躇いがちに兵藤の髪へ触れた。労わるように、慈しむように、優しく兵藤の耳を撫で頬を包みこむ。
その手の平に甘えるように口づけした後、兵藤は一気に京香の世界へと分け入った。
互いに何度も与え合い、感じ合い―――
心地良いまどろみの中に堕ちていった。
朝日の力強さを感じて、兵藤は目を覚ました。
こんな時刻まで寝てしまったのは、ちょっと失敗だったなと思う。
本来であれば、パン職人の朝は早い。
新店舗は、なるべく自分が直接パンを焼くと豪語したばかりなのに、早速朝寝坊してしまったな……
兵藤は相棒の山根シェフに連絡を入れた。
今日は遅れて行くと。
昨夜の兵藤の体調を知っていた山根は、無理をしないようにと直ぐ返信してくれた。
ちょっとだけ後ろめたい気持ちを抱きながらも、今日だけは許してもらおうと心の中で手を合わせた。
初日から遅刻したら、京香女史に怒られるなと思ってから、慌てて心の中で訂正する。
京香に怒られるなと。
そんな兵藤の横で、すやすやと安らかな寝息をたてている京香を見つめて、兵藤は満ち足りた思いを味わっていた。
昨日の夜のことが夢のように感じられる。
絶望から幸福へ。
一夜にしてこんなにも気持ちに変化が訪れるなんて……
恋の力とは不思議な物だと思う。
心行くまで京香の寝顔を眺めていたかったが、もう一つの夢をかなえるために、兵藤は仕方無しに起き上がった。
京香のためにパンを焼こう!
食べて欲しい人がいる。
だから心を込めて作る。
それが俺の店のコンセプト。
そして、京香に贈る最初のパンには、この想いを余す事無く練り込みたい。
京香の額にキスのまじないをかける。
香ばしいパンの香で起きて欲しいから、もう少しだけ眠っていてくれよ。
そうして兵藤は、真新しいエプロンに身を包んだ。
完
こんなに泣かせてしまうなんて、俺はダメな男だな……
心の中で呟きながらその背をさすった。
でも、嬉し涙で良かった!
心の底からの安堵。
長い長いトンネルを抜けたような気分だった。
「そろそろキスを再開してもいいかな?」
そう言って京香の涙を指で拭うも、潤んだ瞳からは枯れることなく溢れてくる。
もう涙ごと味わってしまえと彼女の唇を食んだ。
今度の口づけは塩辛い。舐めても舐めても渇きがおさまらない。貪るように求めた。
キスのシャワーを浴びせながら、兵藤は京香を寝室へと誘う。
月明かりに照らされたベッドは、思いのほか明るかった。
ひとまず二人で腰を下ろし、京香の瞳を覗き込んだ。
ようやく手に入れた花を誇らしく思いつつも、京香の涙に負けないくらい、俺だって悩んでいたんだと伝えたくなる。子どもっぽい自分に内心で呆れながら、ちょっぴり意地悪な言葉を投げた。
「具合が悪くなったのは君のせいだよ」
「はい、それは重々……」
目を見開いて慌てて仕事モードになる京香。そんな京香がいじらしくて、可愛くて。
兵藤はもう一度自分の胸に抱きしめると、自らの鼓動を聞かせた。
「つまり、君に告白したくて心臓がバクバクだったからだよ」
言葉の意味に気づいた京香の耳が赤く染まっていく。
伝わってくる微細な震え。
ああ、一緒だ。
高鳴るリズムを肌に刻み合って、互いの想いの深さを確信する。
一緒だったんだな―――
「出会った瞬間から君に恋していたんだ」
月の光を宿した京香の瞳を真正面から見つめ直して、兵藤は真剣な表情で言った。
「君のその力強い瞳に、何度助けられたかしれない。だからその瞳を独り占めしたくてたまらなかった。でも、君は若くて未来がある身。俺のようなおじさんでは不釣り合いだと思っていたから」
「そんな、私のほうこそ、兵藤さんはずーっと先を走っている憧れの人で……いつまでたっても支えてもらうばかりの子どもっぽい私では不釣り合いって思っていました」
そう言いながら、京香がハッと息を飲んだ。
もしかしたら、お互い同じところで躓いていたのかもしれない。
埋められない年齢の差。
でも、出会った時は天と地ほど離れているように見えた経験の差が、今は縮まってきている。
歳の差そのものは埋められなくても、お互いの気持ちの差は埋めていかれるはずだ。
さっきまでの絶望が遠い過去のように感じられる。
兵藤は京香に改めて確認した。
「君も俺の事を好きと言ってくれるなんて……思ってもみなかったからね。さっきの言葉はその……信じていいよね。俺の事本当に好きだったって言葉」
京香は恥ずかしそうに頷いた。
泣きはらして赤く潤む目元が、色気を倍増させる。
自分の事を子供っぽいと言っているが、それは遠い昔の事。
今はもう、成熟しきった女性だ。
兵藤は激情を抑えられなくなった。
俺はもう十分待ったはずだ。これ以上は待てない……
十年分の想いを込めて……
京香をベッドに横たえると、ブラウスのボタンに手を掛けた。
恥じらいつつも、息を詰めて兵藤に身を委ねる京香。
キュッと力のこもった白肌に触れないように、静かに時間をかけてボタンをはずしていく。
宝物に触れるように、大切に、大切に―――
その指先から伝わる兵藤の優しさに、京香はふーっと力を抜いた。
兵藤に振り向いて欲しい……ずっと焦がれ続けていた。
好きでいていいよと言って欲しい……そう祈り続けていた。
その願いがようやく今叶ったんだわ。
もう考えるのはやめよう。
全身で、この幸せな瞬間を感じよう!
再び開けた京香の瞳に、もう迷いは無かった。
月明かりの中、神々しいほどに美しいと兵藤は思った。その冴えわたる意志の光に、ゾクゾクするほどの高揚感が抑えきれない。
「京香、君の全てが愛おしい。だから、わがままな俺に全部くれ」
「私も……あなたを独り占めしたかった……」
溢れ出た胸の膨らみは、スレンダーな京香からは想像できないほど柔らかかった。
唇から首筋へ、鎖骨をなぞり胸元へ。
唇を移動させるたび波打つ肌。
蕾を舌で撫でれば、京香の唇から甘やかな吐息が漏れた。溢れ出る蜜がさらなる深みへと導く。
「京香も俺に触れて欲しい」
耳元で囁けば、京香の細い指が躊躇いがちに兵藤の髪へ触れた。労わるように、慈しむように、優しく兵藤の耳を撫で頬を包みこむ。
その手の平に甘えるように口づけした後、兵藤は一気に京香の世界へと分け入った。
互いに何度も与え合い、感じ合い―――
心地良いまどろみの中に堕ちていった。
朝日の力強さを感じて、兵藤は目を覚ました。
こんな時刻まで寝てしまったのは、ちょっと失敗だったなと思う。
本来であれば、パン職人の朝は早い。
新店舗は、なるべく自分が直接パンを焼くと豪語したばかりなのに、早速朝寝坊してしまったな……
兵藤は相棒の山根シェフに連絡を入れた。
今日は遅れて行くと。
昨夜の兵藤の体調を知っていた山根は、無理をしないようにと直ぐ返信してくれた。
ちょっとだけ後ろめたい気持ちを抱きながらも、今日だけは許してもらおうと心の中で手を合わせた。
初日から遅刻したら、京香女史に怒られるなと思ってから、慌てて心の中で訂正する。
京香に怒られるなと。
そんな兵藤の横で、すやすやと安らかな寝息をたてている京香を見つめて、兵藤は満ち足りた思いを味わっていた。
昨日の夜のことが夢のように感じられる。
絶望から幸福へ。
一夜にしてこんなにも気持ちに変化が訪れるなんて……
恋の力とは不思議な物だと思う。
心行くまで京香の寝顔を眺めていたかったが、もう一つの夢をかなえるために、兵藤は仕方無しに起き上がった。
京香のためにパンを焼こう!
食べて欲しい人がいる。
だから心を込めて作る。
それが俺の店のコンセプト。
そして、京香に贈る最初のパンには、この想いを余す事無く練り込みたい。
京香の額にキスのまじないをかける。
香ばしいパンの香で起きて欲しいから、もう少しだけ眠っていてくれよ。
そうして兵藤は、真新しいエプロンに身を包んだ。
完
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