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誰にも夏の風が吹く

そして〈親友〉は悩みを吐露する

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「どうして、私、この頃こんなに気が弱くなったのかしら? こないだうちは、どんなに病気のひどいときだって何んとも思わなかった癖に……」と、ごく低い声で、独り言でも言うように口ごもった。沈黙がそんな言葉を気づかわしげに引きのばしていた。そのうち彼女が急に声を上げて、私をじっと見つめたかと思うと、それを再び伏せながら、いくらか上ずったような中音で言った。「私、なんだか急に生きたくなったのね……」――――堀辰雄「風立ちぬ」


 小さい頃から、僕はあまり〈親友〉という表現が好きではなかった。〈友達〉という言葉も苦手だったが、それ以上に。

 友達と呼んで差し支えない存在がいなかったわけではないし、信頼できる相手がいなかったわけでもないし、狭いコミュニティで孤立して苦しんだ経験があるわけでもない。だからその言葉を、誰かに当てはめることも可能だったような気はする。それでもそうする気になれなかったのは、相手がどう思っているかなんて分からないのに、こっちの判断だけで、親友、を決めるのは気が咎めたからだ。

 ある程度、周りも似たような感覚を持っている、と考えていたのだが、意外とそうでもないようだ。

「俺たち、関係的にはもう親友だろ」
 国崎が当然のようにそう言ったのは、高校一年の冬だった。だから出会ってからまだ半年ちょっとしか経っていなかった国崎の言葉を聞いて、さすがに早すぎるだろ、と内心でため息をついたのを覚えている。国崎はその頃はまだ野球部に所属していた。一年生なのにもうベンチに入っていて、野球部じゃない生徒からも羨望を向けられていた。たぶん僕が知らなかっただけで、嫉妬のまなざしもそれなりにはあったはずだ。

 ポジションはキャッチャーで、先輩の投手陣からも可愛がられていたらしい。順風満帆の野球部生活で、夏風の言う通り、なんで野球部を辞めることにしたのかはまったく分からない。

 もうひとつ分からないのが、国崎がなんで僕とよく一緒にいることを望むのか、だ。

 現在の野球部のキャプテンでもある安達ほどではないものの、国崎も周りにひとが集まってくるタイプで、いまではなんだか周囲も僕たちをニコイチで扱うようになってしまったが、本来ならほとんど関わることもないまま、卒業していったとしてもおかしくないような気もする。国崎が距離を詰めてこなかったら、僕からは近付こうとしなかったはずだ。
 例えば水野みたいに幼馴染だったりしたら、話は違うのかもしれないが。

 今日は六月二十七日。夏風から堀辰雄の『風立ちぬ』を渡されて、三日が経っている。僕はまだ読めていなかった。だから夏風は今日の放課後を考えていたみたいだが、延期になってしまった。ただ僕は理科準備室を片付けていた先生から、荷物を運ぶ手伝いを頼まれていたので、どちらにしても、結局は延期にはなっていたのだが。何故か僕はよく先生から手伝いを頼まれる。たぶん暇だと思われているからだ。帰宅部のつらいところだ。といっても、別に嫌ではないし、断るつもりもないから、僕自身の性格の問題もある、と思う。

 放課後、先生から頼まれた手伝いを終えた後、僕は将棋部の部室に向かった。将棋部の部室は、畳のある広々とした和室で、結構立派だ。国崎ともうひとり同じく三年生で、別のクラスの佐野さんのふたりが将棋盤を挟んで、座っていた。佐野さんは眼鏡を掛けたちょっと冷たい雰囲気の女子で、僕も初めて話した時はだいぶ緊張したのだが、いざ話してみると、気さくで楽しいひとだ。真顔で冗談を言ったりするところが、どこか水野にも似ている。

「お、どうしたんだよ。急に」と国崎が驚いた顔をする。表情とは反対に、内心はたいして驚いていない、と僕は知っている。
「いや、お前が来てくれ、って言ったんだろ」
「だけど、『もしかしたら用事があるかもしれないし、行けたら行く』って言ってたから、来ないと思ってた。行けたら行く、は普通来ないって考えるだろ」
「まぁ、言い方は悪かったかもしれないけど」
 僕たちのやり取りを見ながら、くすり、と佐野さんがちいさく笑った。僕たちの視線が、佐野さんへと向かって集まると、彼女が照れたような表情を浮かべる。

「ごめん。本当に仲が良いんだなぁ、って思って」
「親友だからね」と国崎が言う。
 こういう時、さらりとその言葉が出てくる国崎が、ほんのすこし羨ましい。僕には絶対できないことだから。他人を妬んだり憎んだり、そういう感情とは無縁な爽やかさも持っていて、もしも人生をやり直せるなら、彼の人生でスタートしてみたいくらいだ。

「将棋は強くなったの。国崎は」と僕は佐野さんに聞く。
「そんな短期間で強くなれたら、私たちの立つ瀬がないじゃない」と佐野さんが苦笑いを浮かべる。
「それも、そうか……。そう言えば私たちって? 他の部員は?」
「今日は部活、休みの日だよ」と佐野さんの言う隣で、国崎が頷いている。
「じゃあ、なんでふたりは?」
「引退した人間が堂々と部に顔を出すのは、嫌な先輩な感じがするからね」
「引退?」
 驚きで、僕の口から間抜けた声が漏れる。

「国崎くん、言ってなかったの?」と佐野さんが、国崎を見る。「そのくらい伝えてあげればいいのに。親友なんでしょ」
「あっ、いや。てっきり知ってるものだとばかり。あと、ほら俺は大会に出てもないから、引退って感覚が薄い、っていうか」

 国崎が後頭部を手で掻く。
 佐野さんが細かく説明してくれた話をまとめると、将棋部の大会はもうとっくに終わってしまっていて、その段階で全国大会に行けなかった三年生たちは全員引退になり、次の世代にバトンタッチするそうだ。大会に出るかどうかは、生徒の意志が尊重され、途中から入部して、まだまだビギナーでしかなかった国崎は自分の判断で、大会の不参加を選んだらしい。

「まぁ、俺はここで将棋ができれば別にそれでいいから、大会とかにはそんなに興味もないしね」

 その時、国崎がちらりと佐野さんの顔を見たことを、僕は見逃さなかった。一番気付いて欲しいであろう佐野さんは見逃しているみたいだが。なんとなく分かっていたが、改めて確信する。

「将棋に対して、熱があるんだかないんだか。わざわざ野球部まで辞めて、入るようなところじゃないのに」
 佐野さんが冗談めいた軽い自虐を言い添える。

「まぁ、理由はそれぞれだよ」と言うだけに留めておいた。
 ふたりは部室を片付け、僕たちは学校を出た。もう梅雨に入って、雨こそ降っていないが、雲は黒ずんで、寂しげだ。佐野さんとは正門前で別れる。帰り道が反対だからだ。自転車を漕ぐ佐野さんの背中を見送りながら、

「本当は一緒に帰りたかったんじゃないのか。すこし遠回りしてでも」
 と隣を歩く国崎に言ってみる。

「いや、まぁいつかはそんな日もあればいいなぁ、とは思うけど」
 国崎は隠そうともせず、意外に素直だった。

「認めるわけだ」
「まぁ、認める。……でも、今日はお前と話したいこともあったしな。この前、さ。彼女から聞いたんだ」彼女、という言葉が、夏風を指すことはすぐに分かった。「『最近、日比野くんと本の感想を言い合っている』って話してたぞ」
 夏風……そんなこと言ってたのか。そこまで隠しているつもりはないし、別に国崎ならば構わないのだが、他のひとが知っている、という事実はすこし恥ずかしい。

「夏風に誘われて」
「夏の風に誘われたわけだ」と国崎が表現を詩的に変える。「恋のキューピッドを人生で一回くらい体験したい俺としては応援したい話だ」
「僕と夏風はそういう関係じゃないよ。改めて言うけど」
「今はそうじゃなくても、これからは分からないじゃないか。これも改めて言うけど」
「まぁそれはそうだけど」
「それにしても小説かぁ」

 すると国崎がカバンの中から、一冊の文庫本を取り出す。伊坂幸太郎の『オーデュボンの祈り』だ。どんな作品かはまったく知らない。ただ作者は有名だから知っていた。二年くらい前に、『ゴールデンスランバー』という映画が公開されていたはずだ。僕は観ていないのだが、映画がやっていた時期に、クラスメートの誰かがその話をしていた記憶がある。

「伊坂幸太郎?」
「俺も実は結構読むんだよね。小説。クラスの奴とかがいるそばでは読まないから、知らなかっただろ」
「知らなかった。びっくりしてる」
 本気で驚きながら、僕は答える。そしてこのタイミングで、なんで彼がそれを言う気になったのかも気になった。

 僕が心で考えていることが分かったのだろう。

「俺も中学の時、夏風に小説をすすめてもらったんだ。それから読むようになって、さ。まぁ日比野みたいに感想会みたいなことはしなかったけど、きっかけが同じだなぁ、って思って」
 と国崎が笑う。

「そっか。じゃあ、もしかしたら、国崎のほうが夏風とうまくいくんじゃないのか」
「親友と恋のライバルになるつもりはないかな。それに俺は、夏風なんかよりも好きな子がいるから」
 そう言われると、夏風まで馬鹿にされたような気がして、悔しくなる。僕がそういう感情を抱くと知っていて、敢えて軽口を叩いているのだろうけど。

「言葉がストレートだよ。聞いてるこっちが恥ずかしくなる」
 普段は本気か冗談か分からない言葉を多用するくせに。

「なら、俺の勝ちだ」
「どこに勝負の要素があったんだよ」
「人生なんて勝負の連続だよ。戦っていない時のほうがめずらしい。……と話が逸れてきたな。まぁそういう感じで、俺も意外と小説を読むし、それが夏風きっかけ、ってことを伝えたかったんだ。いつか小説でも書いてみようかな。小説家になる前の、ファン第一号のサインが欲しかったら書こうか。五十年後には、超高額になっているかもしれない」
 冗談めかして国崎が言う。だけど意外と本気だったりもするから分からない。

「そういうのは、小説を書いてから言えよ」
「それもそうだな」

 駅が近付いてきた。ここでいつもなら僕たちは別れるのだが、僕は今日だけはそこで別れることはせず、
「ちょっとだけ、そこで話さないか」
 と国崎に伝える。そこ、と指差したのは、駅と隣接するコンビニだ。コンビニの庇の下には、ベンチが置かれている。駐輪のスペースに自転車を置き、僕たちはベンチに腰を掛ける。

「どうしたんだよ。急に」
「それはこっちの話だよ。たぶん国崎、お前が本題を隠しているような気がして」
「さすが親友だな。隠し事をするのも難しい」と茶化すように、彼が言う。本心を見透かされるのが怖い時、国崎はこういう言い回しをする。だからとっくに気付いていた。たぶん彼が何かに悩んでいることを。「……あぁ、そうだな。ちょっと気持ちを落ち着かせるために、コーヒーでも買ってきていいか」
「うん」
「何か飲みたいもの、ある?」と国崎が聞いてくるので、コーラ、と答えた。特にこれと言って思い付かない時は、僕は大抵、コーラと答えてしまう。というより、誰にでも伝わりやすいもの、と言ったほうが正しいかもしれない。できるかぎり相手に考えさせる手間を省きたいのだ。
「よし、分かった。買ってくるよ」

 コンビニに入って一分ほどで、国崎が戻ってくる。ちいさいコーラのペットボトルが一本と缶のコーヒーが一本。国崎がペットボトルのふたを親指と人差し指でつまんで、すこし揺らしながら、僕に手渡してくれた。奢ってくれた相手に対してこんなことを思うのもなんだが、飲む側の気分としてはちょっと嫌だ。

 僕は飲まずにそれを手に持ったままにする。国崎のほうはプルタブを開けて、コーヒーを一気に飲み干す。別にのどが渇いていたわけでもないだろう。国崎なりに緊張をほぐすための行動のはずだ。

「……で、本題は?」
 と僕が聞くと、躊躇っている素振りを見せていた国崎が、意を決したように口を開いた。

「ほら、俺、野球部だっただろ」
「もちろん知っているよ。何をいまさら」
「いや、忘れている可能性もあるじゃないか」
「あるわけないだろ」
「俺、実は結構、野球上手かったんだ」
「それももちろん知ってるよ」

 ただ彼が自分からそれを口にしたことが、意外ではあった。彼の野球部での評価を聞くのは大抵、彼以外の誰かからで、「上手い」と自分から言うことなんて、いままで一度もなかった。逆なら何度かある。例えば彼が野球部を辞めたばかりの頃、「まぁたいして上手くもなかったからな。これでやっと区切りを付けられた。あと人付き合いも得意じゃないし、団体競技にも向いてなかったんだ」と謙遜するように言っていた。そして自分自身に言い聞かせるようでもあった。あの時、「そんなことないよ」と僕は励ますこともなかった。白々しい気がして。そんなことないのが分かりきっているくらい、国崎は野球が上手かったからだ。実際にプレーしている姿を見たことがあるわけではないが、周りの評価を聞く限り、間違いない、と思う。

「高校になって、すぐにベンチ入りのメンバーになって、先輩も同級生も俺のことを褒めてくれたんだ。お前はすごい奴だ、ってな。高校の野球部って、もっと怖いものだと思っていたから、なんだか拍子抜けしたよ」
「そうなんだ」
「俺も調子に乗ったり、天狗になったりしたつもりはなかったし、それまでも、それからも、同じように周りと接していたはずなんだけど。俺が悪かったのか、周りが悪かったのかは分からないんだが、周囲とうまくいかなくなった。そこから俺の考えはすこしずつ変わるようになった。俺は勘違いしてたんだ。たぶん。みんなが俺を褒めてくれるのは素直な賞賛で、俺はやっぱりどこかで調子に乗っていたんだ。知らないうちに、他人を見下していたんだ」
 悩みをストレートに吐露する姿は、いつも飄々としている国崎にとって、本当にめずらしいことだった。

「そんなことない、と思うけど」
「事実はどうだとしても、俺はそんな考えが頭から離れなくなった。二年生になると、俺はレギュラーになっていた。だけど二年生になると、同級生の奴らも当然上手くなっていて、監督からはっきりと、『お前のレギュラーの座は危うい』って言われたんだ。つるし上げを食らうように、みんなの前で。特に俺に良くしてくれてた先輩が、さ。発破をかけただけだよ、なんて言って、慰めてくれたんだけど、さ。監督の言葉は本心から出たものだよ。あれは間違いなく」
「ひどい話だ」
「いや、別にそんなにひどい話じゃない。よくあることだよ。俺自身が言われたのは、初めてだったけど」国崎がちいさく笑った。「でも、あの時、俺、すごくショックなことがあってさ」
「ショックなこと?」
「俺、ちょっとほっとした、っていうか、嬉しかったんだ。あぁこのままレギュラーから外れたいな、って。誰か奪ってくれないかな、って。あぁ俺、こんなに競争心を失ってしまったのか、なんて思って。落ち込んだんだ。あの世界は、さ。牙の折れた腑抜けた男にいつまでも優しくしてくれる世界じゃない。俺のいたポジションは別の奴に変わって、キャプテンになったのは安達だ。多分、決まる直前まで、『国崎がキャプテンになる』って全員が思っていたような気がする。これはうぬぼれているわけじゃなくて、客観的な事実だよ」

 疲れを吐き出すように、国崎がひとつ息を吐く。

「そんなことがあったんだ。……知らなかった」
「だって誰にも言ってないからな。野球部の誰にも、あと夏風にも。……で、俺は辞めることを決めたんだ」
 国崎が部を辞めた動機を聞きながら、僕は驚いていた。動機に驚いていたというよりは、ずっと秘めていた本心を彼が素直に吐き出したことに、だ。

 でも、どうしていまになって、彼は語りはじめたのか。
 僕の心の中の疑問を、国崎は察したのだろう。もう一度、国崎が息を吐く。さっきよりも大きく。

「今日が、うちの高校の一回戦だったんだ」
「知ってる。勝ったのも」
 高校野球の地方大会がはじまったのは知っていた。仮に知らなかったとしても、教室の野球部の席の空白が目立っていたから、きっと分かっていたはずだ。試合の結果も、試合が終わったあたりがちょうど昼休みの時間帯で、クラスメートが雑談交じりに教えてくれた。携帯で電話をしていたので、球場にいた誰かから聞いたのだろう。

 結果は7対2で、うちの高校が逆転勝利。途中まではエラーの失点で、0対2の状態が続いていて、八回に一挙に7点を取ったらしい。その得点の中には、安達のホームランもある。

「俺は、いらない、って言ったのに。唐木の奴が、試合中、こまめにメールを送ってきたんだ。『ちゃんと許可も取ってるし、お前も一緒に闘ってきた仲間だろ』って。熱い奴なんだ。すこし鬱陶しいくらいに」
 唐木は僕たちと同い年の野球部員で、僕とは一度も同じクラスになったことがなく、どういう性格かとかはまったく知らないのだが、体格の大きい不良みたいな生徒というイメージがある。

「そっか」
「あいつ、応援団長なんだ。ベンチには入れなくて。日比野はあんまり知らないと思うけど、相手は結構な強豪校なんだ。うちもそれなりに強い高校ではあるけど。で、相手のエースは県内で五本の指には入るピッチャーだし、あぁこれは負けるんじゃないかな、って思って」
「勝ったし、いいじゃないか」
 国崎が何を言いたいのか、いまいちピンと来なかった。

「いや、そういうことじゃなくて。あぁ、なんて言おうかな……」
「どうしたんだよ」
 国崎の歯切れは、ずっと悪いままだ。

「嫌な奴、って思われる覚悟で言うけど、俺、嬉しかったんだ。このまま負けてくれないかな、ってさ。自分がいない場で、あいつらが活躍している様子を聞くことが、俺には堪えられなかったんだ。勝手だよ。本当に勝手な話だ。自分で勝手に人間関係を嫌って、自分で勝手に野球を嫌って、引き止められたのに辞めて、それで勝手に嫉妬する。生まれ変わったら、もうすこし、こういう感情とは無縁な爽やかな人間になりたいな」

 国崎が爽やかでなかったら、大抵の奴は、爽やか、などとは呼ばれない。そして国崎が自らに宿った不快な感情を吐き出すことが、僕はそんなに嫌ではなかった。どちらかと言えば、ほっとしていた。お互いに同じ人間であることを知ることができたみたいで。他人の心の澱みを聞きながら安堵している僕のほうが、ずっと嫌な人間なのかもしれない。

「別に嫌な奴だなんて思わないよ」
「そうか……」
「僕たちはただの人間なんだし、そんなもんだよ」
 雑な言葉だ、と思いながらも、僕はそれしか言えなかった。綺麗に思い描いた自分のみで生きていけるのなら、ただの人間なんか、やっていないような気もするからだ。

「そうかな。……なら、もういっそ、甲子園でも優勝してくれないかな、って気持ちもあるんだ。そこまで遠い場所に行ってくれたなら、もう俺も変な嫉妬はできなくなる、と思うんだ」
 そこで僕たちのこの会話は終わった。

 黒ずんでいく景色の中で、駅に入っていく国崎の背中を見送りながら、僕はひとつ息を吐く。さすがに夏風には言えないな。

 そう思った瞬間、ポケットの中の携帯が震えた。直感的に、『夏風かな』と考えたのは、いま頭に浮かべたのが、彼女だったからだろう。それ以上でもそれ以下でもない。一応、彼女とも連絡先は交換している。一度も連絡を取り合ったことはないけれど。

 記された名前は違っていた。
『水野泳』と表示されている。

「どうしたんだ、水野?」
『単刀直入に言うけど、私が夏風さんと話したい、ってお願いしたら、そういう場を作ってくれる?』
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