上 下
6 / 30
怪物のいた村、1997

怪物のいた村、1997 第一話

しおりを挟む
 その女性は、はじめて会った時から、先生、と呼ばれていた。

 本名を知っているひとはほとんどおらず、長い月日を仕事仲間として一緒に過ごした僕でさえ、その名前を知ったのは、だいぶ後になってからだった。

 彼女は老いとは無縁なのかな。先生を指してそう言ったのは、先生とも交流があった、いまは亡き僕の友人だが、関わりがすくないひとなら分からないくらいの変化にも、これだけ一緒に長くいれば、すぐに気付けるようになる。重ねた年齢は、先生の精巧な人形を思わせる顔にも間違いなく表れていた。

 初めて先生と会ったのは、1997年の秋頃のことで、僕は田舎の寂れた村に住む少年だった。

 生まれは東京だったが、物心が付いた時にはその村にいたので、東京が出生地であることのほうがしっくりとこない。

 福井県栗殻村という人口が1000人にも満たない小さな海沿いの村に、先生が何の用で訪れていたのかはいまだに知らないが、僕は母から先生のことを占い師と紹介されたので、最初の頃はそう信じて疑いもしなかった。

 両親が嘘をついたわけではなく、先生の職業が占い師である、という言葉は何も間違ってはいない。ただ、占い師である、ということは、先生について語るうえで必要なほんの一部でしかなく、それだけでは足りなさすぎる。カウンセラー、占い師、探偵、奇術師、超能力者、霊媒師……多くの資質を兼ね備えていて、つねにその場に合った役割を演じることができる先生にとって、すべてがそうであるとも言えるし、すべてが違うとも言えるのだから。

 先生が最初に僕に放った言葉を、いまだに覚えている。

 当時、小学生だった僕が家に帰ると、居間に先生だけがいて、じっと見つめられた僕はその別の誰かでは置き換えることもできないような美しさに思わず息を呑み、そんな気持ちを知ってか知らずか、目を逸らすこともなく、僕の頬に手を当てて、

 呟くように、
「憎しみは心の奥底に秘めておきなさい」
 と言ったのだ。

 その言葉を聞いて、僕は会って間もないこのひとには何をやっても敵わないのだ、と本能的に悟ってしまった。

 これは小学生の頃に母から聞かされたのだが、僕は物心つく前の幼い頃から、手の掛からない子どもだったらしい。もちろん僕自身はその時期のことをまったく覚えていなくて、どれだけ掘り返しても見つからない記憶なので、らしい、と付けるしかないのだが、その母の評価にはとても腑に落ちるところがある。周りの顔色をうかがってばかりいる小学生だった僕の性格が、それよりもさらに幼い頃や生まれつきのものだったとしても、驚くような話ではないだろう。

 そんな他人を気遣う姿は周囲から気弱だと思われたかもしれない。実際に気弱な性格だったことは間違いないが、そう見える多くの人間にも粗暴だったり、悪辣な一面がある。僕だけが例外なんてことはない。その奥底に秘めたものが、ある日いきなり噴出するのではないか、と僕自身、怯えているところがあった。

 初対面の相手にそれを見透かされたような気がしたのだ……。

 僕は、先生が栗殻村に滞在している短い間に、その怒り、憎しみを爆発させてしまうのだが、その出来事を語るうえでも、僕自身についてもっと詳しく話す必要がある……、とはいえ僕は先生ほど恵まれた記憶力を持っているわけではないので、自然と記憶はぼやけたり、美化されたりしていることだろう。本当のあの頃の僕たちの会話はもっと無茶苦茶で、こんなにも大人びてはいなかったはずだが、そのくらいは許して欲しい。

 人間、なのだから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【一話完結】3分で読める背筋の凍る怖い話

冬一こもる
ホラー
本当に怖いのはありそうな恐怖。日常に潜むあり得る恐怖。 読者の日常に不安の種を植え付けます。 きっといつか不安の花は開く。

意味がわかると下ネタにしかならない話

黒猫
ホラー
意味がわかると怖い話に影響されて作成した作品意味がわかると下ネタにしかならない話(ちなみに作者ががんばって考えているの更新遅れるっす)

【完結】わたしの娘を返してっ!

月白ヤトヒコ
ホラー
妻と離縁した。 学生時代に一目惚れをして、自ら望んだ妻だった。 病弱だった、妹のように可愛がっていたイトコが亡くなったりと不幸なことはあったが、彼女と結婚できた。 しかし、妻は子供が生まれると、段々おかしくなって行った。 妻も娘を可愛がっていた筈なのに―――― 病弱な娘を育てるうち、育児ノイローゼになったのか、段々と娘に当たり散らすようになった。そんな妻に耐え切れず、俺は妻と別れることにした。 それから何年も経ち、妻の残した日記を読むと―――― 俺が悪かったっ!? だから、頼むからっ…… 俺の娘を返してくれっ!?

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

100文字ホラー

九戸政景
ホラー
淡々と語られる100文字の恐怖。サッと読め、サーッと血の気が引いていく恐怖に果たしてあなたは耐えられるだろうか。

【実体験アリ】怖い話まとめ

スキマ
ホラー
自身の体験や友人から聞いた怖い話のまとめになります。修学旅行後の怖い体験、お墓参り、出産前に起きた不思議な出来事、最近の怖い話など。個人や地域の特定を防ぐために名前や地名などを変更して紹介しています。

処理中です...